まこの時間

毎日の生活の中の小さな癒しと、笑いを求めて。

どろ団子

2015-04-29 | 小さきもの

今日は娘夫婦が仕事なので、孫を預かる。

まずはゲームで盛り上がる。「真打」がどうのこうのというが、ついていけない。ついでに、写真も撮れるようで何枚か撮ってもらったが、妖怪が横に登場するので笑える。

同じゲームをするにも、天気が良いので外でさせた。熱中である。

しかし、誰からともなく「外であそぼーー。」と、なって、近くの畑で泥団子作りが始まり、そのうちに子どもが増えて総勢6名になった。後で見に行くと、めいめいが泥団子を自慢に来る。彼らによると「きなこ」と、「あんこ」らしい。なるほど色が違う。

子どもたちはどうして泥団子遊びが好きなのか。ついには、スニーカーと洋服は泥だらけだ。わたしが洗うのではないので、おおいに楽しみなさい。少々汚れてもどーよ。と、おおらか。おまけに、わきには田んぼ用の水がすんすん流れていて、手や足を洗うのにちょうどいい。


満中陰

2015-04-27 | 暮らし

茂一一行が冥途へ旅立った。しかし、一行と続けたら納まり悪い。茂一様御一行となるのか。ともかく、爺さんとふたりの法要を一昨日終えた。

家族が集まって七日参りをしながら、49日まで過ごすのは、なかなか考えてあるなあと思う。

「冥途の旅はなぜ四十九日なのか」という本があった。殿の枕元にあったのだ。殿のベッドは枕元が本棚になっている。しかし、この本を長い間、そのままにしてあって、先日ベッドの上にぶちまけて整理したら、その晩から身体が痒くなった。どうも、紙には何か住んでいるのだ。床に下ろすべきだった。でも、殿が被害に遭わなくてよかった。わたしの柔肌は大変なことになった。

さて、そんなことより、その本は「極楽浄土までの距離に見る、仏教のすごい自然観」「西方十万億仏土」という不思議な単位。ということで、数学からみる四十九日だった。

死んだ人は、中有(ちゅうう)(中陰)という、現世と来世の間にある世界をさまよいます。七日間すつ七回さまよって、七回の審判を受けます。それで、本来七日ごとに追善供養をし、最後が四十九日の法要となるのです。

と、書かれていたが、これは大変。審判で地獄界・餓鬼界などに落ちるはずなかろうと思う。法要の意味が書いてあるが、殿はどこに線を引いたのだろう。時折、殿はマーカーなどで線を引くことがある。この本は、数学者が読み解く仏教世界ということの面白さだと思う。

と、唯一、殿がマーカーしてあるところを見つけた。「人間は赤ちゃんから大人になっていく段階で、数を認識していきます。最初は一と二の区別です。(禅宗でいうと、これが自分と他を区別することとなり、最初の堕落となるそうです)。次の三が、最初のハードルとなります。一、二、そして、たくさんという認識を人間がしていたという形跡があります。」「人間の脳が一度に数を数えられるのは、五つが限度だということです。」

なるほど、そういえば、「髪を切ったらみんなが可愛いって言ったわ。」というわたしに、殿は「みんなって誰や?」というので、「みーさんと、んーさんと、なーさん」というと、「お前のみんなは、3人か」と、笑ったことがあるが、これはある意味自然なのだ。それに、友達5人寄ったら、会話が成り立たなくなる。なんか正しい気がする。

殿はそういう意味でマーカーしたのではなさそうだが。


謎の原付バイク

2015-04-25 | 暮らし

死亡にまつわるエトセトラな手続きが続く中、追い打ちをかけるように「納税」の季節がやってくる。

その中で、土地や車の名義確認が市役所からわんさと届いた中に、「原付バイク」の請求が来た。爺さん名義なので、姑宛に来たのだが、93歳の爺さんがバイクに乗っているはずもなく、わたしが嫁に来てからバイクの存在を見たことはない。

婆さんの記憶をたどると、40年前に爺さんがリュウマチで動けなくなった時に、人にあげてしまったのだという。その病気の為に「身体障害者手帳」を、持っていたため税金を納めていなかったので、存在は忘れられた。もちろん、廃車手続きはしていない。というか譲渡したらいけないだろう。気の弱い私は、市役所へ行く前に警察へ出頭しなくてよいのかと考えた。いや、わたしは何の責任もないのだった。

市役所の税料金課へ行くと、昭和39年2月購入ということが分かった。その後、何の追跡もチェックもなく、バイクは生き続け、譲り受けた人は納税せずに乗り回していたのだ。ここは、「乗っていた」とせずに「乗り回す」という言葉となるのは、何らかの違法行為をしている感がするためである。

婆さんは免許を持っていないが、耳が遠いので「身体障害者手帳」を、持っているというと「名義を書き換えたら、税は免除になりますが、廃車届は来年度になります。」と、言う。1200円の税金のために手続きをして、1年後に忘れずに廃車手続きを行うのは面倒だ。結局、腑に落ちないながらも手続きをして税金を払うということで帰ったが、やはり腑に落ちない。

 


諸行無常

2015-04-24 | 暮らし

Eテレの番組で「100分de名著 ブッダ 最期わたしはのことば」を、やっていた。

生きていること自体が苦しみの原因であるということ。「死ぬのが怖い」では、生きていることは脳の錯覚という話だったけれど、錯覚だけでは生きていけない。「諸行無常」を知り、そのうえで生きていくためには、宗教が大きな支えになっていくのかもしれない。そして、仏教は心の病院であるという。

夢を持って生きていく人には関係ないかもしれないが、苦しみにあった人が拠り所にする。そして、苦しみは誰にも平等にやっってくるのだということを知ったときに必要となるので、病院の場所は知っておくべきだと番組の中で言っていた。

「自灯明法灯明」 拠り所がなくなった自分は、何を拠り所とするか。自分を拠り所にし、法(ブッダの教え)を拠り所にし、自分で努力せよということ。

ブッダを供養するということは、その教えを尊重するということであるという。

では、故人の供養とは、その人が一生かけてやってきたことを、周りの人がどう評価するか。わたしは殿の積み重ねてきたものを評価する責任がある。(残した酒を飲み干すことではない)

また、死ぬことを忘れているが、死に向かっての人生の積み重ねで、「死」は人生の総決算。それで、わたしもその日までをどう生きるかということになる。

今日、先輩が訪ねてくれて、彼女も先日旦那さんを亡くしたところで、そんな話をしていたら、「あまりあれこれ考えると、生きていくのが辛くなるよ。」と言われた。ほんとは、もともとぼおっとしているタイプではあったのだ。ところが、「このたび」を、迎えて、少し考えて修行しなさいと言われたような気がするのではある。


石川ブーム?

2015-04-24 | 暮らし

朝ドラの「まれ」で、毎朝石川県のことばが流れる。

新幹線のおかげで、今石川は注目を浴びている。

BSでは、金沢のつくり酒屋を舞台に「リキッド」というドラマをしていた。

わたしが「~やさけ」と、いうと孫は、「ばぁばは、なんで、さけって言うんや。」と、言うが、最近はTVから「〇〇やさけ」という言葉が、よく登場する。

酒つくりのドラマでは、ややこしいことになる。「酒やさけ」とは言わないが「そんなこと、聞いたことねぇさけ」と、言っていた。わたしは、こっそり夜に殿の残した酒を呑むさけ。と、なる。供養というのは、その人がやり残したことをやり遂げることではないかと都合のよい解釈をしている。殿よ安心しなさいちびりちびりと減らしましょう。

さて、去年までは3人の友達と学校へ行っていた孫たちは、弟や妹も1年生になり、毎朝5人で行くさけ楽しそうやわ。

 

 


散る桜 残る桜も 散る桜

2015-04-23 | 暮らし

中央公園には、八重桜がちょうど見ごろだった。

「散る桜 残る桜も 散る桜」良寛の辞世の句か、否かという説があるが、この際それはよいとして。

無常という言葉を、身を持って知るこの桜の季節に。そして、今まで絶好調な幸せだったと気づいた。どちらも、殿が身を持って教えてくれたんだと思う。


ビスコッティ

2015-04-21 | 料理

今日の料理でやっていた「ビスコッティ」を、作った。くるみとチョコレートのざく切りを入れて、2回焼くところが世話なのだ。

かりかりしていて、これをカフェオレなどに浸して食べるもよし、このままでもよしで孫たちにふるまっていたら、ごまのビスコッテイも作りたくなり、kenと作る。ゴマは100グラム、がさっと入れると、ボールの中が真っ黒になり「おおっ!」という感動がある。

ごま油を使うのでよい。


春の息吹

2015-04-19 | 暮らし

実家へ行って筍を探す。山にはタンポポが咲き、タラの芽が出ていて気持ちが良かった。筍も収穫したが、竹藪は母が竹を何本か切ったので、掘りにくい状態になっていた。男手がないので、どんどん広がっていく竹をどうにかしようと切ったのだが、太くて長いのでもっと細かく切らなくては、竹林から出すことが出来ないのだ。チェーンソーでもあれば切りたいが、のこぎりでは日が暮れてしまう。

父も、見舞いに行くたびに「なんでわしが生きとるんやろ・・あんちゃんと替わりたい・・」と言い「じいちゃんの参りもできんだし・・」と言って、時折泣くので愛おしい。「今月の22日で90歳や。」と、言うので「まだまだ大丈夫やね。うちのじいちゃん89歳からずっと、誕生日がきても89歳って言うとったよ。」と言うとにんまり笑っていた。

歩くのもやっとなので、長い間不自由な体と付き合っていくのも大変だと思う。生きていくのも怖いもんだ。


弓を引く

2015-04-18 | 弓道

昨日、野々市の弓仲間美しどころ3名が来てくれた。いろんな話の中で、最後の殿の入院の時、1週間でティシュペーパーの箱が2箱空になって、身体の水分が全部出てしまったので、わたしは干物になった気がすると言っていた。また、葬儀の間は泣けないものだと言ってくれた。

その後、野々市へ出かけておいで、みんなで稽古しよう!と、話が盛り上がり、ついでに、今度は我が家でお泊り会しましょうという話で別れた後、弓を引きたくなった。

矢が上へ行ったので、「いいもんだなぁ」と思った。嬉しいことがあると「天にも昇る気持ち」つまり上がっていく感じがするわけだ。逆に憂鬱な時は、落ち込んでいく。心は上り下りを繰り返しながら流れていくんだと思う。最近は、下りが速い時の「堕ちる」という感覚だった。がっくりという。

万有引力の法則では、矢は必ず落ちるのだ。それに逆らって上がるとは、元気の基ではないか。こんな小さなことが「いいもんだ」と思えることが、またまたいいもんだ。

殿がこのブログを読むことはもうないんだけれど、きっと「いいもんやねぇ」と、言うだろう。また、「調子に乗って、無駄にばたばた引かんこっちゃ。」とも言いそうだ。


最後の講習会

2015-04-18 | 弓道

殿にとって1月の「称号者講習会」へ顔を出せたことは最大の喜びだったようだ。

5年日記の1/25に「見取稽古の参加を認めてもらう。弓仲間に会えて嬉しかった」と、弱々しい字で書いてあった。殆どの日には、出来事を書いてあるだけで感想は書いていないので、この日の感想は本当に殿にとって良い日だったに違いない。

ここを読んで県連のHPに、「会長就任にあたって」というのを書いてあった事を思い出し、久々に投稿を見ると「H26.3.26」の日付になっていた。昨年の自分の誕生日だ。それを読み直して、あぁ。そっか・・宝物はここにあったんだった。

さて、講習会の感想を出しなさいということで、欲張りなわたしは、先生の言われたことをいくつも書いて提出した。「あまり欲張らないで・・」というコメントを理事長から言われたが、感想だからなんでもいいのではと思った。殿にも感想文を提出するよう言われて、見取稽古とはいえ、日曜の半日だけで廊下からの見学だったので殿にどうするか聞くと「言うから、打ってくれ。」と、言った。わたしはパソコンに向かい殿の言葉を入力し、メールした。

受講者の感想が一覧表にしてメールされてきた。げげっ!公開するのはいかがなものかと思った。しかし、わたしの心の狭さよ。殿は一覧表になった感想文をプリントアウトしてくれと言った。それを眺めていたことまでは知っていたが、その後、それをどうしたか。

殿がいなくなって、5年日記を見ていたら、その講習会の感想一覧表がはさまっていた。それを見た途端涙がどっとあふれた。ふたつに折りたたまれた感想文の一番下に殿の名前があって、あぁ。そうだったんだ。殿はこの日、弓こそ引かなかったけれど、参加していたのだ。そのことを確認したんだと思う。そして、その時に一緒にいた仲間は、若い人も、何十年のお付き合いの仲間も、殿にとって大好きな人たちではなかったか。


殿の名前

2015-04-15 | 暮らし

「茂一」というのが殿の名前である「もいちさん」と、呼ばれるときがあり普通に返事をするので、ずっと「もいち」だと思っている人がいた。おまけに、ブランド名で「茂一(もいち)」という矢があり、それを「わしの矢や」などというので、まぎらわしい。弓道の人は「もいっちゃん」と、親しげに呼んでくれる。また「しげかずさん」と、呼ばれても訂正しない。いつも呼ばれるまま返事していた。

名前は呼び間違えられたりして、いちいち訂正すると小さなストレスとなるというのを聞いたことがあるが、殿の場合は訂正しないので、無頓着というかおおらかというか。

本当は「しげいち」と、呼ぶ。どちらかというと田舎っぽい呼び方だ。

若い時から「もげさん」と、いうあだ名で呼ばれていて、わたしが弓道協会へ入ったとき「もげ」という苗字かと思っていたくらいだ。先輩も「もげさん」と、さん付けで呼んでいる。わたしはさすがに結婚してからは「もげさん」とは言わなくなったが。

葬儀の時、中学からの友達のSさんが「弔辞」を読んでくれた。その時、読む前に私のところへやってきて「まこちゃん、もげってシゲイチやったんね」と、改めて聞きに来たので吹き出しそうになった。娘もそばで聞いていて、後で「受けたわぁ。」と、笑っていた。余談だが、そういうSさんは、葬儀屋の紹介の時「〇〇ひでかずさん」と言われていた。本当は「しゅういち(秀一)」なのに。

さて、そのもげさんは新たにもうひとつの名前がついて、娘たちは「しゅうもちゃん」と、呼んでいた。法名である。「宗茂」と、書く。

ずっと前に、殿と戒名の話をしたことがある。お釈迦様の弟子となるため名前が付くらしいけど、名前を変えないと弟子にしてもらえないのか。スナック「浄土」の源氏名みたいではある。そのような罰当たりなことを言ってはいけない。


笑える日記

2015-04-12 | 暮らし

殿が生きた証をきちんと残したいと思った。大切にしていたものは何だろう。

殿の日記は一昨年くらいに捨ててしまっていたので、わたしの日記に痕跡が残ってないかと読み返していたら、思わず吹き出しそうな事が書いてあり、早々に処分しなくてはと思いつつ捨てる前にもう一度笑う。

人は忘れるから生きていけるという。本当に忘れていることばかりだ。昔の日記を読むと、本当にこれが自分なのかと思える。現実にあったことを書いているのだが、やはりこれは幻の出来事のように思える。過去は幻か。過去をふりかえっていては前へ進めないと言うが、面白い本を読んでいると思えば、これも良いかと思える。

芋虫の件は先に書いたが、どうも他にもくだらないことが綿々と書いてある。しかし、笑えるので、一体自分は「ひとり吉本」でもしたいと思ったのか。

「おとうさんの物が捨てられないのなら、自分の物を捨てたら・・」と、娘に言われ納得した。いらない物があるある。ここ1年殿とべったりだったので、お片づけは出来ていない。ついでに、先に書いた日記を処分しなくては。

 


元気の出る朝食

2015-04-12 | 料理

殿が食欲を失っても、毎朝のジュースは飲んでくれた。「癌に勝つジュース」という本を買って一生懸命作っていたが、1日に人参15本、毎食後500mlと、書いてあって「こりゃだめだ」と、思った。元気な者でもこんな大量なジュースを毎日飲めない。それでも、果物や野菜が簡単に摂れるので毎日一緒に飲んでいた。

けれど、殿が亡くなってから飲んでいなかった。殿の妹が「自分の為に飲むように」と、言ってくれた。そっか・・幻覚かもしれないが、わたしは生きているんだった。それに、今日は友達が午後に来てくれるので嬉しい。元気な朝食を久々に摂る。

のんびりジュースを作り食事した。月曜から金曜は娘が心配して、朝食の用意をしてくれていて孫と一緒に食べていたが、下のkenが小学生になったので、わたしも朝食およばれを卒業した。

生協の窯焼きパンが香ばしくておいしい。蜂蜜、ヨーグルト・・。殿の代わりによその男がいる。TVが友達か?

 


友達

2015-04-12 | 暮らし

今日、友達が訪ねてくれた。たくさん話を聞いてもらえて楽しかった。日常のなんでもない話が薬になる。

わたしが、殿と一緒に病室で頑張っていた時、病院のレストランへ夕食の注文に行ったときに偶然待合室で会えて嬉しかったことや、その後、もう一人の友達が病室に訪ねてくれたことがありがたかった。この時、殿の見舞いの人はたくさん来たが、わたしも見舞いが必要な精神状態だった。

昔の自分の日記に「黄色いタオル地のバスローブを着て、うずくまってカセットをいじっていた時に、だんなから、おまえ小さいんなあ。芋虫みたいやって言われたことが書いてあって・・・。長い間生きてきて、芋虫って言われたのは初めてや。ショック」とか、しゃべりながら大笑いして穏やかに時間を過ごしていた。

その途中、殿のケータイが鳴った。表示に出た名前は、わたしが気にしていて知らせようか迷っていた大学時代の弓道部仲間のMさんからだった。「前に電話したとき、力のない声だったので心配だった」ということで電話をしてきてくれた。訃報を告げると、残念がっていた。殿の友達はどんなにショックだっただろうと思う。虫の知らせか。世の中には偶然とはいえ不思議なことがある。

友達がいる間は笑うことが出来る。夜、引き出しにある殿のワイシャツを出したら泣けてきた。ひとりで泣くことは出来るが、声をあげて笑うことは出来ない。


手離す物

2015-04-11 | 暮らし

名義を書き換える。処分する。手離す。49日の間に、実印をもらう作業をする。

さて、婆さんは爺さんのすべてを処分し、腕時計まで捨ててあった。があーん。車庫の中はちんまりと爺さんがうずくまっているようで悲しい。93歳の爺さんは持ち物もそんなに多くない。婆さんも3月3日で結婚65周年とか言っていたので、しっかり尽くしたのだと思う。

わたしは残念ながらぐずぐずして、殿の車(インサイト)を眺め名義を替えるか売るか迷っている。携帯電話もまだ使える状態だ。大学の友達から年明けに電話があって互いにケータイの番号を教えあっていたので、お知らせするまではこのままにしておこうかと思ったりもする。かといって、わざわざお知らせもせず。時折、CMのメールが鳴ったりしてびっくりする。

鬼平犯科帳の膨大なDVDコレクション。桂枝雀の落語38巻のDVD。娘たちは「物が多すぎる」という。本も数えられない。背広もどんどん増やしたし、どちらかというと、わたしより物に執着するタイプかも。

ゴルフのバックもそのうち捨てることになる。だれか貰ってくれればよいが、そんなにいいものでもないし。

しかし、宝物はない。いちばんの宝物は小百合だったに違いない。殿はわたしのブログを毎日楽しみにしていたようだが、2月になってからは自分から見なくなった。今ではこのブログを見ることはないので、わたしは言いたい放題だ。

殿の矢を整理した。可哀そうに値打ちのある矢もなく、試合用にとはじめてミズノの矢を買って殆ど使っていない。今度道場へ持って行って皆に使ってもらおう。Y先輩から遺品としていただいた矢も使っていない。少しずつ手離していく。