これを語るには父の承諾がいるかもしれない。
しかし、父がこのブログを見ることは、確率から言えば限りなく100%に近く見ることはないと思えるので、ついに語ることを決心した。
今から12年ほど前になる。実家の父もまだ元気一杯だった。
某旅行会社の箱根ツアーに申し込んだ。
両親は若いころ東京で商売をしていたので、富士山は東京から引き上げてくるときに見たのが最後だった。
だから、今回の旅行を母は非常に喜び、勤め先に3日間の休みを取り、その日が待ち遠しくてならなかった。
当日は、尼御前サービスエリアで、観光バスに拾ってもらうのだ。
加賀から乗るのは両親だけだった。わたしは両親に勧めたことから、出発だなあと思いながら仕事をしていた。その職場に電話が入った。父からだった。
「定刻の時間になってもバスが来んのや」
「そんなはずないわ。○さんに言うし待っとってや」と、すぐに某バス会社の主人に連絡を取った。
「すぐバスに連絡する。今日は4台出とるし、どれかに乗れると思う」と、言うので一安心。
昼ころ、主人から電話。
「父ちゃんら乗らんだらしいぞ。自宅に電話しても出んし。」
「え゛っ゛」
「おまえ、帰りに実家へ寄ってみてくれ。」
「わかった・・そやけど、どこへ行ったんやろ・・」
まさか、乗れなくてあの軽自動車で箱根へ行ったとか。まさか、しかし高速道路で忽然と消えた両親。その日の仕事は、手に付かなかった。心配で、職場の人についもらしてしまった。両親が行方不明で・・と。
会社の帰りに実家へ寄ると車はない。鍵はかかっている。
戻った様子もない。サービスエリア周辺に車がないか探したが、見当たらない。
ひざが震えてきた。ミステリーを読むのは好きだが、自分がミステリーに遭遇するのは嫌だ。
うちに帰って、主人から詳細を聞くと
「(バス)会社にも本人から何度も電話があって、最後のバスは運転手もガイドもトイレまで探したらしいぞ。」
「ごめん。迷惑かけて」と、わたしは両親の替わりに謝っていた。
夕食後、父から電話があった。
開口一番「どんや。ずっと待っとったんやに、バス来んかったぜ。」と、少々腹立たしい様子。
「どんやは、こっちの言うせりふやわ。みんなに迷惑かけて、バスの運転手さんらトイレまで探したんやよ。どこにおったん。○さんも心配して、会社の人もみんな気にして・・」
と、言いつつ閃いた。
「もしかして、反対側のサービスエリヤにおったんない。」
「ありゃ。わしゃ恥ずかしいわ。○さんに顔向けできん。」
結局、乗れなくてそのまま能登へ向かい、輪島の民宿で大変美味しい魚を食したらしいが、帰りに巌門で車ごと海へ飛び込みたいくらい申し訳ない気持ちになったとのこと。
後日、能登の芋菓子をわたしは会社へ持って行き
「行方不明者は見つかりましたか」と、いう職場の後輩に分けた。
かつてない、某バス会社でも前代未聞のトラブルとか。
高速道路失踪事件は、正確に言えば、サービスエリア乗り違え事件である。
今でも、父の前で「高速道路」は、禁句である。
その言葉が出るたびに、畳の上で小さくなって、「いやぁ、かなわん。」と、恐縮する。そんな父を、娘は傷口に塩を塗るがごとく、時折思い出させる言動をはく。
だから、12年も前のことをこんなに鮮明に覚えている。
その娘にも、実は「名古屋看板事件」や「特急お見送り事件」という暗い過去がある。
しかし、父がこのブログを見ることは、確率から言えば限りなく100%に近く見ることはないと思えるので、ついに語ることを決心した。
今から12年ほど前になる。実家の父もまだ元気一杯だった。
某旅行会社の箱根ツアーに申し込んだ。
両親は若いころ東京で商売をしていたので、富士山は東京から引き上げてくるときに見たのが最後だった。
だから、今回の旅行を母は非常に喜び、勤め先に3日間の休みを取り、その日が待ち遠しくてならなかった。
当日は、尼御前サービスエリアで、観光バスに拾ってもらうのだ。
加賀から乗るのは両親だけだった。わたしは両親に勧めたことから、出発だなあと思いながら仕事をしていた。その職場に電話が入った。父からだった。
「定刻の時間になってもバスが来んのや」
「そんなはずないわ。○さんに言うし待っとってや」と、すぐに某バス会社の主人に連絡を取った。
「すぐバスに連絡する。今日は4台出とるし、どれかに乗れると思う」と、言うので一安心。
昼ころ、主人から電話。
「父ちゃんら乗らんだらしいぞ。自宅に電話しても出んし。」
「え゛っ゛」
「おまえ、帰りに実家へ寄ってみてくれ。」
「わかった・・そやけど、どこへ行ったんやろ・・」
まさか、乗れなくてあの軽自動車で箱根へ行ったとか。まさか、しかし高速道路で忽然と消えた両親。その日の仕事は、手に付かなかった。心配で、職場の人についもらしてしまった。両親が行方不明で・・と。
会社の帰りに実家へ寄ると車はない。鍵はかかっている。
戻った様子もない。サービスエリア周辺に車がないか探したが、見当たらない。
ひざが震えてきた。ミステリーを読むのは好きだが、自分がミステリーに遭遇するのは嫌だ。
うちに帰って、主人から詳細を聞くと
「(バス)会社にも本人から何度も電話があって、最後のバスは運転手もガイドもトイレまで探したらしいぞ。」
「ごめん。迷惑かけて」と、わたしは両親の替わりに謝っていた。
夕食後、父から電話があった。
開口一番「どんや。ずっと待っとったんやに、バス来んかったぜ。」と、少々腹立たしい様子。
「どんやは、こっちの言うせりふやわ。みんなに迷惑かけて、バスの運転手さんらトイレまで探したんやよ。どこにおったん。○さんも心配して、会社の人もみんな気にして・・」
と、言いつつ閃いた。
「もしかして、反対側のサービスエリヤにおったんない。」
「ありゃ。わしゃ恥ずかしいわ。○さんに顔向けできん。」
結局、乗れなくてそのまま能登へ向かい、輪島の民宿で大変美味しい魚を食したらしいが、帰りに巌門で車ごと海へ飛び込みたいくらい申し訳ない気持ちになったとのこと。
後日、能登の芋菓子をわたしは会社へ持って行き
「行方不明者は見つかりましたか」と、いう職場の後輩に分けた。
かつてない、某バス会社でも前代未聞のトラブルとか。
高速道路失踪事件は、正確に言えば、サービスエリア乗り違え事件である。
今でも、父の前で「高速道路」は、禁句である。
その言葉が出るたびに、畳の上で小さくなって、「いやぁ、かなわん。」と、恐縮する。そんな父を、娘は傷口に塩を塗るがごとく、時折思い出させる言動をはく。
だから、12年も前のことをこんなに鮮明に覚えている。
その娘にも、実は「名古屋看板事件」や「特急お見送り事件」という暗い過去がある。