実家の居間や台所をリフォームをするので片付けの手伝いに顔を出した。
父母が長く住んでいたので手を付けるのは恐怖である。
わたしの物も半世紀ぶりに出てきたりする。
案の定、写真やわたしの作文が出てきた。作文などは早く捨ててしまいたいという代物。「将来の夢」「中学生になって」・・・
「まず、心とからだを強くしたい。次に勉強だ・・」と、書いてあるが、「次に」が、「欠に」に、なっていた。なので、勉強は欠落したのだ。
小さい時、「将来は画家か小説家になりたい」と言ったら、母に「そんなもんは、道楽者のいうことや」と、言われたことがあった。
この作文を見る限り、小説家などとは程遠い。
栴檀は双葉より芳しというが、どこをどうみても芳しいところはない。
たったひとつ言えるのは、恥も外聞もなく「小説家になりたい」と、言うところがすごい。顔から火が出るとはこのことだ。弟家族に見つからずにすんだことが幸いだ。なぜ、こんな作文が残っているのか。
半世紀経って、心も体も勉強も、どれも強くなっていないことが分かった。
今でも、少しでも良くなりたいと思っている。
いや、「これ以上ボケないようにと思っている」というのが正しい。
母から見ると、農業や製造業以外の身体を使わない仕事は道楽と思っていたようだ。芸術家などは一握りの人しか大成しないということも。
九谷焼の作家さんや、漆職人の人を見ていると、次から次と豊かな発想と技量を磨き、日々の努力が必要なことが分かる。
そして、それを売ることも並々ならぬ努力が必要だ。
要するに、植木等ではないがサラリーマンの方が気楽な稼業かもしれないのだ。
最近はそのサラリーマンも気楽な稼業ではないけれど。
PCで入力する仕事をしていたころ、これは机上の力仕事だ!!と思っていたことがあった。畑仕事は身体にいいが、机上の力仕事は身体にも眼にも悪い。
好きなことがあるのは良いことで、書くことや、描くことが苦手ではないというだけでも心が解放される。
好きなことが多いほうが人生は楽しいのではないか。
その出来栄えの良し悪しは別として。