試合に出たり、どこかへ行ったりすると、完全に日常の仕事は忘れる。
いや、本当は振り向いただけで忘れる場合もあるが。
仕事のいやな思いは引きずる。
いちばんリセットできるのは、孫とのひととき。
完全にすべてがどうでもよくなる。
ぶぁぁ
ぶぁぁぁ
ばあばぁ
少しずつ語彙が増え、じじ、ばばを認識すればもう稼いだ金はすべてつぎ込みたい気持ちになる。
気持ちになるのであって、実際にはつぎこんでいないが。
何でも買ってあげたい衝動になる。
笑顔が報酬だ。
では、第3弾。
楽しんでもらえたら嬉しいです。
この前の試合で、○谷さんに「久しぶりに、出てましたね」と。
この台詞だけで通じてしまう。
このことわざを初披露したのは、彼が金沢大学へ行っている最中、国体強化で知り合って大学の弓道誌に提供したことがあったっけ。
弓を続けていて一番の楽しみは、人とのつながりかもしれないと思うこの頃。
弓引きに悪い人はいないと、亡き北村会長がおっしゃっていた。
確かに癖のある人は多いが、悪い人はいませんね。
会の充実ご存じない (芋の煮えたもご存じない)
もっと引いて、身体と弓が一体になって、充満する気を感じ、持満の会というものを感じること。これが出来ないんだよねえ。煮上がるまで箸でちくちく芋をいじくるな。矢が勝手に離れるまで伸びあっていろ。と、言いたいのに。今日も4射3ビクだった。ビクがくると自分が芋になった気分だ。
開(あ)いた矢口は的に立たぬ (開いた口には戸はたたぬ)
また矢口が開いてしまった。こうなっては縮んだ身体はなかなか元へ戻らない。
的に矢が刺さってはくれないだろうことを分かっていながら、離さなくてはならない寂しさ。
離して天に恥じず (仰いで天に恥じず)
充実して離した時は、どこへでも行け。自分は充分尽くしたのだと勢いよく離れるものだ。充分伸びあったときは、自信満々天に恥じない充実の離れ。しかし、扇い(あおい)で離れてはいかん。
浅掛けの打沈 (朝駆けの駄賃)
慌てて弓を引くときには、弦にかける妻手にも集中せず、ただ掛けて急いで引けば矢は沈む。ここで言う浅掛けとは、かけを浅く弦にかけることではなく、気持ちが浅く、慌てて掛けるという意味。
あらよの月(雨夜の月) あまよのつき
あるにはあっても、現実には見えないもののたとえである。金体白色西半月の月とは射で顕わすとどうなるのか、毎回「あらよっ」と離していては見えないのである。
会なくして縁にあてるな (網なくして淵をのぞくな)
十分な用意をしなくて成功はおぼつかないというたとえだが、会がなくても、的の縁に喰らい込む勢いのある矢がでることがある。この時、儲けたとか成功したと思ってしまう浅はかな自分がいる。