まこの時間

毎日の生活の中の小さな癒しと、笑いを求めて。

的貼り終了

2009-12-30 | 弓道
もしかしたら、弓道人は妖怪に操られているのかもしれない。
「べろべろ的」
という妖怪だ。
主食は水で溶いた糊だ。

この妖怪は中てようとすると「あかんべぇ」と言って逃げる。
的は動いていないが、確かに逃げられた感じがする。
射品、射格を問われるが、外れたときに「素晴らしい演武でした」とは言わない。
この妖怪は練習時には休んでいて、ここぞという時に現われる。
大きな大会や、勝敗を決める大事な場面で登場する。
いつもなら収まる肘が宙に浮いたり、離したくないところで離れたりする。
特に離れの刹那の時間にいたずらを好む。
ビク二段離れや、戻り離れのひどいのが出たら、それは本人の成せる技ではない。
あくまでも妖怪のせいだ。
しかし、この妖怪の妖しさに魅了されている弓道人が後を絶たない。
まぐれ中りも実力と思っているが、妖怪が弄んでいることも知らずに、さっきの素晴らしい矢をもう一度と願う。

と、つまらないことを考えているうちに的が貼れた。
バカなことを真剣に考えていたら、的の中心がずれた。
ど真ん中に中ったと思っていたが、いつも微妙にずれていたのかも。

では、よいお年を。

的貼り開始

2009-12-30 | 弓道
今年最後の的貼りをした。
先日、「ワハハ本舗」の柴田と久本の番組を観ていて思った。
「バカらしいことを真剣にやる」というくだりが心に残った。
弓道も引いて離すだけで、他人からみたらバカらしいかもれない。
偉い先生が聞いたら怒るかもしれないが、偉い先生はこういうことを言っている者を相手にしない。
ワハハは、客に楽しみを与えるが、弓道は見ている人にそうそう笑いや感動を与えにくい。
過去に全国大会で優勝された先生でも、ポロリと外れるところを皆に見せてしまう。
残酷な武道だ。
自己満足の世界が大きいかもしれない。
穴だらけの的紙を剥がしながら、何十年もこんな紙に穴を空けて喜んでいたのだなと思う。
おまけに、的枠もすぐぼろぼろになる。

しかし、この無意味そうなところに有意義という言葉を貼り付けるのだ。
そこに、品や格、そして禅とか哲学が生まれる。
ここに喜びを見出す怪しい集団だ。


今年もぼちぼち

2009-12-30 | 暮らし
今年も終盤に向かう。
し残したことは少々あるが、概ね片付いた。
概ねという言葉が好きだ。
昔、トランジスタグラマーと言われ、大胸だったという意味ではない。
だいたいという、英語ならメイビー・・

ところで、主人の妹が寅の木目込み人形を作ってくれた。
「あんちゃんの干支やから」
主人と妹の関係は普通ではない。
怪しい関係ではない。
結婚前に告白された。
ひとりっ子と聞いていた主人から(その時は彼氏)
「実は妹がおるんや」
彼のお父さんが、よそで子供を作ったのかと思った。
本家に子供がいないので、妹が養女に行ったのだ。
それで、戸籍上は主人は一人っ子だった。

まあ、冗談はさておき、その妹の作った寅に、主人は涙した。
一緒な家で育つべき兄妹のつながり。
妹が結婚するときも、涙が出たと言う。

姑はわたしにだけ娘を養女にしたときのことをよく語った。
どんなに辛かったことか、子供を持つと気持ちはよくわかる。

毎年、我が家へ家族でお盆と正月に訪れる。
うちに、孫が出来ても寄ってもらう。
今年は姪が来れないが、甥が晴れて弁護士になる。
司法試験が受かったらすぐに弁護士になれるのかと思ったら、その後も勉強と試験があるらしい。
うちの娘も彼氏を連れてくる。
孫も来る。
総勢13名の集いだ。

がんばろろ・・・

たったひとりの忘年会

2009-12-26 | 暮らし
本日は、主人は忘年会でお泊り。
娘も彼氏とどこかへ行った。
わたしは、ひとりで「ふなくち菊水」を買って来て、ひとりで楽しむことにした。
しかし、ひとりでどのように楽しむか、ただ飲んでしまってはつまらない。
それで、風呂で本を読みながらちびちびやることにした。

水をペットボトルに入れて、脱水しないように準備。
なんと、楽しむことには用意周到なのだろう。
仕事や家事には、てんで抜けることが多いのに。
遊びと楽しむことには、全神経が研ぎ澄まされる。

BGMは、モーツァルト。
読み本は、相変わらず「坂の上の雲」

実はわたくし、12月に入ってから、毎週金曜は忘年会や送別会で出ずっぱりだった。
たまには、家でのんびりしなくては。
残念なことは、つまみに柿の種を持ち込めないことだ。
では、長湯を。

お歳暮のお返し

2009-12-26 | 弓道
今年も、お歳暮のお返しにだんなの会社の方々に花を贈る。
この時期の花はいつもシクラメンなどで、決まってしまうので今年は、花ではなく面白い花器をお願いした。
瓦の形の花器にベビーティアーズを入れてくれた。
先様に喜んでもらう前にわたし自身が、彼女(娘の同級生)の精魂こめて考えてくれることに喜んでしまう。
送るところは、殆ど金沢なので梱包も大変だ。

今回、頼みに行ったとき、主人も一緒だった。
彼女は主人を見て
「あっ、誕生日の・・・」と、笑った。
実は、12月7日はわたしの誕生日だった。
主人はいつもより帰りが少し遅かった。
花を選んでいたらしい。
何を思ったか、生まれて初めて、わたしに花をプレゼントしてくれた。
この時期なので、ポインセチアだったが、ピンクの花でメッセージは
「祝福するという花言葉らしい」と・・
その花を買うときに、ここで彼女に相談したらしい。
昨年は入院していて、この時期職場の忘年会もすべてキャンセルして病院通いだったことを思い出した。
今年は、元気で年末を迎えることが嬉しい。

花屋の○さんに「今年もありがとう。」と、言われたけれど
「こちらこそありがとう」の気持ちで一杯だ。

臨時中央審査

2009-12-25 | 弓道
審査の受審納めは、主人の京都だった。
12月6日。
インサイトを購入したので、いつもは電車だが眠気覚ましについて来いとの命令に従順に従った。
5時頃に出発。

自分が受けない審査は暇だなあと思い、二冊も本を持って行った。
実際は、石川県の人たちが受けるのをあちこち見ていたら、殆ど読む暇もなかった。
主人の出番は最後の集団なので、待ち疲れて見るのが億劫になるくらい。
自分が受けるのも緊張だが、主人を見るのはもっと嫌だ。
ボクサーの奥さんが、だんなの試合を見るのが怖いという人がいる。
主人はボクサーではないので、誰にも殴られる心配はないのに。
たった数分のために、早朝から出かけて・・と、思うと身につまされる。
主人の射は、なかなか味わいがあると思う。
しかし、こればっかりは審査の先生が決めること。

運を天に任せるしかない。
努力は今までの稽古で、本番はやはりツキもあるだろう。
ほんの一握りの合格者になるというのは、大変なことだ。
わたしたち夫婦は天賦の才能を持っている。
長く続けていると言うことだ。
うまい下手に関係なく続けるということは才能ではないかと。

1本目、9時ぎりぎりに抜けた。2本目は的中した。
でも、1本では残念な結果だ。

よう頑張りました。
帰りまひょ。
また、来年に楽しみは延びましたね。

坂の上の雲 その2 最新国語便覧

2009-12-17 | 読書
坂の上の雲を読んでいると、いかに自分が勉強していなかったかが分かる。
娘の高校の時の教科書の付属に「最新 国語便覧」がある。
これが素晴らしい。
古典文学から近代文学のあらましが載っている。
小さいとき百科事典が面白かったが、この便覧もなかなかのものだ。

正岡子規の後輩、高浜虚子と河東碧梧桐の句が載っていた。

炎天の空美しや高野山 高浜虚子

この道の富士になりゆく芒かな 河東碧梧桐

その頃、夏目漱石とも知り合い、漱石の作品に刺激された森鴎外がでてくる。
森鴎外は、乃木大将の殉死に強い衝撃を受け
「安部一族」「山椒大夫」「高瀬舟」などの歴史小説を生み出す。

この国語便覧で、結構遊べるのだ。
こんなに面白いものを、なぜ若いときに面白がらなかったのか。
勉強という名の下に、この本があったからだ。

今は、小説の楽しい登場人物と、明治の生き生きしていた秋山兄弟から、
どんどん人のつながりが、気になってしょうがない。
なんだか、その頃がきらきらしているような気がする。

しかし、この国語便覧はあぶない。
夜眠れなくなりそうだ。
いろいろな人が載っているので、ついつい読み出す。
ついでに言うなら、谷崎潤一郎まで読み進んでいって、
春琴抄(昭和8年)までいってしまい、
そこには、山口百恵と三浦友和の映画が紹介されていた。
なんと幅広い、なんと緻密で興味深い本だろう。

そういえば、国語の教科書って面白かった。
評論は読みたくなかったけど。

今も、会社の批評や議事録や、会議の報告や環境何とかとか
いろいろな読み物があるけど、読みたくない。
できれば、会社では何も読まずに過ごしたい。
しかし、読まないと回覧したやろーと、叱られそうなので斜めに読む。
そういうときは、気が遠くなっている。単に眠くなるだけか。




坂の上の雲 その1

2009-12-16 | 読書
主人が全7巻文庫本を持っていたので、坂の上の雲が放映される前に読み始めた。
すこし黄ばんだその本は、うへっ!文字が小さい。
以前、実家の父が借りて読んだ。
父はおもしろくて、1週間で読んだという。
一日一冊だ。
晴耕雨読といいながら、晴読雨読したに違いない。

それでも、なんとか1冊を読み終えた。
ガムを噛むみたいに読むのが遅い。
ミステリーは流し読みするが、この手の本はせりふのひとつひとつも吟味する。
すると、後でTVで出てくると、あぁ、あのせりふ。と、分かるので面白い。
香川演じる正岡子規はさすがだなあ、本木もいい俳優だなあとか。

TVでは今年5回、来年4回、再来年4回ということだ。

改めて、秋山兄弟の存在、そして四国松山から輩出された文学者たち。
正岡子規のまわりに、夏目漱石、高浜虚子と名が連なる。
明治のこの頃、四国、九州から逸材が次々出てくるのは何故か。
読み進むうちに、面白くなってくる。
ついでに、もっと時代背景を知りたくなってくる。
世界はどうなっていたのだろう。

小村寿太郎 外相のせりふなどは、内気なわたしにとっては憧れる。

外務大臣陸奥宗光が小村に北京への人事異動を言い渡した。
「しばらくの辛抱だ。何年かのちにはワシントンにきみを置くことを考慮する」
「ご心配はありがたいですが」
と、小村は言った。
「そういう将来においてもあなたが外務大臣をつづけていらっしゃるという保証はございますまい」
剃刀といわれた陸奥は、どういう場合でも鋭利極まりない論理を用意していたが、このときばかりは沈黙せざるをえなかった。

わたしも、人事異動のときに上司に言いたかった。

また、総理大臣も伊藤博文とくれば、誰でも知っているが、今は有名な総理大臣といっても、ころころ変わるので覚えられない。
覚えているのは何かを成した人ではなく
「失言した人」「おなかが痛くて辞めた人」「漢字の読めなかった人」「小指で辞めた人」というかんじで思い出す。

だからこそ、この明治の秋山兄弟をとりまく、すばらしき人々が魅力的に思える。





秋の日

2009-12-08 | 暮らし
小さな渋柿がなっている。
「びんぼう柿」と、父はいう。
小さくて、種があり、吊るし柿にも、あわし柿にもできない。
若い頃、そのびんぼう柿で儲けた。
「詩とメルヘン」に投稿したら5000円もらえた。
そういえば詩なんぞ作っていた。
なんか恥ずかしい。
けれどイラストレーターと出会えた。
まるで少女マンガの出来事みたいで
それも恥ずかしい。



実家の家は小さい。
しかし、山が広く一日いても楽しく遊べる。
父と主人と孫の後姿がいいなと思えた。



「おれもやりたい」
三歳の孫が、オレという言葉を覚えた。
たいがい自分の名前を言うが、頑張るときは「オレ」という。
何かを報告するときは「ボクねぇ」という。
甘えるときは名前を言う。
がっちゃんポンプって言ったっけ、今では殆ど使わない。
正式には何て呼ぶのだっけ。
尋ねられたら困るなあと思った。






絞りこむ

2009-12-07 | 弓道
弓道人なら誰でも経験する狙いの不思議。
アバウトに狙っているように思うが、
的が小さくなると矢は寄ってくる。
的が大きくなると、その分矢の到達点が広がる。

正月などに、ごく小さな金的(直径三寸約9cm)を射るがそこそこ近いところに矢は集まる。
通常使用している霞的(直径一尺二寸36cm)なら全部中たっているだろう。
しかし、霞的を射ると矢は的の周りに散らばる。
では、的の真ん中(中白直径7.2cm)を狙えばいいのだが、気持ちも散る。

何か事を成すときも、あれこれただいたずらに忙しがっているわたしのような者は、何も成し遂げられない気がする。
ただひとつ、的を絞り込まなくてはならない。
それも、小さな金の的だ。

理想は高く、絞り込むほど真に近づく。
但し、力量が問題だ。
力量がなくては、言い訳をする。
今日の的は小さかった。的が小さい筈はないのだ。
試合で他の道場へ行き、ここの的は遠かった。
遠い筈はないのだ。そのような錯覚が起きることがある。
寒いから外れた、汗で手が滑って外れた。
練習をしていないから外れた。

技術的に、ここが悪くて外れたという反省はしなくてはならないが、外れた理由を他人に言うのはかっこ悪い。
しかし、ついかっこ悪いのに言ってしまうことがある。
それは、自分の未熟さを披露するようなものだが、
逆に、聞いているほうもその人に期待してもいないので、
同類相憐れむ状態になる。

目標は高く、的は絞り込んで行きたい。

話は飛ぶが、
仕分け人の「2番ではなぜ駄目なんですか」
と、TVで言っているのを聞いて
「駄目に決まっている!!」と、叫びたかった。
それは、大きい的をも狙うことを放棄しなさいと聞こえた。

還暦祝い

2009-12-02 | 暮らし
主人がめでたく還暦を迎え、娘達が祝ってくれた。
山代温泉の割烹「河口」で、贅沢な料理をいただく。
娘の友達がこの料亭の娘さん○子ちゃん。
娘たちと打ち合わせ、至れりつくせりの料理が出され
おまけにワインを○子ちゃんから差し入れていただき、
○一(主人の名)感激!

娘夫婦と孫、もうひとりの娘と婚約中の彼を呼び
またまた、酒とセーターとマフラーと
大好きな長島さんの本をいただき・・
全員の寄せ書きと、○一、ご満悦。

わたしは、いつも娘達にパーコと呼ばれるほど
カメラを向けるのに、今回カメラを忘れた。
違う意味でのぱーコだった。

話は違うが、来春結婚する娘が、弓を引き始めた。
もちろん先生はわたしだ。
来春、違う名前でデビューするかもしれない。