まこの時間

毎日の生活の中の小さな癒しと、笑いを求めて。

かけがえのない

2011-05-31 | 弓道

先週、稽古で、だんなが弦を切った。立て続けに切れたので、かけを眺めたら、なんと深くて、おまけに、溝口が三角に尖がっている。「皮のやすり状態」

ここは、皮を埋めて、くすねで滑らかにしたほうが良いのでは?というと、直し方を習ったのだから、こんどはオレのを直せという。なんという亭主だ。しかし、きったないかけだなあ。

学生時代のかけで、あまりにひどい。皮は硬いし、色は剥げているし。

ゆがけは、かけがえのないという言葉もあるように、そうそう取り替えたくはない。

しかし、行き詰ると道具のせいにもしてしまう。また、その影響も多々ある。

互いに手形を取って注文したかけを断念し、わたしは、弓具店でいくつかあるかけを、ひとつひとつはめていった。このとき、値段は見ないでとにかく手を入れていく。と、ぴたっーと吸い付くように、いい感じのものが、買ってちょーだいと手を握ってくるようなものがあった。それが、今のかけである。ちなみに、その中で一番高く、ん万円だった。

だんなは、買わずに昔のかけを引っ張り出して、思い出に浸っていた。

後日、また弦を切った。今度は射が悪いのか?天才的な豪快な離れなのか不可解だ。

なんとか、皮を貼って、くすねをつけてごまかしたが、良い仕事とは言えない。

びくや、暴発も嫌だが、弦切れが続くのも辛い。こちらは、弦を買わなくてはならないので、1本1000円の弦としても、3本立て続けに切れれば、いわゆる「ひとかたき」の食事代となる。彼は弦を5本買ってきて、8500円となった。

わたしたち夫婦の弓の道は険しく、生活は苦しい。

 

 


もとの木阿弥

2011-05-25 | 弓道

大会が終わった後も、反省をしながら巻きわらで復習。

「また、ずらしてしまって、大三でかちっと言わせてしまったわ。もとの木阿弥やね」と、言ったら、そばにおられた島○先生に「もとの木阿弥って・・いったん良くなった場合のことだが・・」と、ことばをにごされた。ううっ。先生の言いたかったことが瞬時に分かった。木阿弥のままなのに、もとの・・というのは、おこがましいよというもの。

わたしたちは、時折、良かったときを平常の状態と思って錯覚してしまう。

もしかして、全く良くなっていないのに、中たりの快感が錯覚を呼ぶ。

それにしても、島○先生のことばは、いつも納得させられ、面白い。前に講習会で、誰かが「目からうろこ」でしたと言われたことばに対し、「目からうろこってぇのは、物を見ている人が言うんだ。今まで何も見ていなかった場合は、目を開けたって言う」

浜辺で矢を飛ばしっこ大会したときに、先生が一番飛ばせた。「すごいですね。先生が一番飛んだんですって」に対し、「オレが飛んだんじゃねぇよ。オレの矢が飛んだんだ。」

語録は続く。


秘伝の術

2011-05-24 | 弓道

優秀な先生方に出会えて、すごく嬉しい。出たくない試合へ出かけ、静かに時間が過ぎるのを待って、すごすごと帰るつもりでいたのに、たまたまRYO先生が、弓を買ったというのを見せてもらって、なんと美しい弓、魚へんに票は「ひょう」と、読むのでしょうが何の意味でしょうか。とかなんとか言いながら、ついに告白。実は・・ゆうべから暴発にみまわれ・・・

暴発の悩みは、一挙に解決。単にかけの帽子の溝に弦がしっかりかかっていないという、全くもって初心者のようなわたし。悪い癖で、段がついていたのを削ってもらい、取りかけを見てもらう。おかげで、恐怖心は残るものの、とにかく自分の妻手を信じて引ききった。1本1本丁寧に取りかけて、会までくるとほっとした。もう離してもいい・・と思うと力が抜ける。

なんと・・皆中していた。拍手を聞きながら退場すると、おちの○田さんも皆中で、チームで12射10中というスタート。ありがとう先生っ・・秘伝だね。と、言うと「これは、秘伝ではないです。基本です。」そうでした。

ゆうべからの落ち込みと違う意味で落ち込んだ。長い間弓を引いていて、こんなことも知らないとは。もうひとり、身近な他人も知らない様子。

また、○田先生には、大三で決めて下筋を伸ばすということを、仲間内で話していたら、余分なことはしないことだと言われた。まさしく、何かをすると、悪い方向にいってしまう事が多い。しかし、何かしなくてはほったらかしでは、まずいと思う。

さて、1回戦で偶然の中たりを手にして、いやらしさ満載のわたしたちチームは、2回戦に総崩れだったのは言うまでもない。懲りない面々である。しかし、いつか勝利の日を。懲りないことが勝つための条件。

大変ためになる一日でした。ワンポイントアドバイスをくださった先生方、報酬も出さないで習いましてすみません。今後とも宜しく。

わたしたち夫婦が「若いときは覚えんし、年取ったら忘れるし」と、互いに嘆きあっていたのは自身のことだと気づいた。基本はどこへ。


暴発

2011-05-23 | 弓道

弓を引いていて、何がいやかといえば暴発だ。暴発は意識の外に働くので恐ろしくて引けなくなる。引けなくなって、また力が入るので、底なし沼に沈んでいくようだ。これで、弓を止めた先輩もいたので、恐怖が来る。的に中てるという以前の問題だ。

びくならまだ救いようがあるが、途中で離れていってしまうので、土曜の月例会のときに暴発が出てから、怖くてだんだん弓が引けなくなった。原因は何だろう。引きの方向か、心の問題か、大三で決めようとか、押しの手の内がとか考えているうちに、分からなくなった。長い間引いていて、こういう窮地に陥ったことがないので、わけが分からなかった。先輩は、引き足らずだというが、こうなると引けなくなるので困ってしまう。

明日の小松の試合は行く気がしない。しかし、会社でチームを組んだのと、県から6月の全国大会の激励費が出るので、行かなくてはならない。こんな様子で全国大会???

審査なら2本で終わるが、普通の試合は8本だ。今までならないことにぶつかると、あれこれ自身でいじくりまわして、そのうち治って、何が原因かわからず過ごしてしまうことがある。これが後々悪い結果を及ぼすのだ。知らず知らずのうちに蝕まれる。

 


飲羽

2011-05-13 | 弓道

「鹿狩りでは初矢を重んじ、猪狩りでは留矢を重んずる」とは、前回の競技規則の話。今回は、初めて狩に出て射止めた話。

 

初めて狩に出ることを矢口を開くというらしい。わたしたちは、弓を引いているときに、弓手の上にある矢が弓から離れて開いてしまうことを、矢口が開くと言うが、全く意味が違う。

頼朝の嗣子頼家、当年13歳。初めて鹿を射止めた。頼家の矢は飲羽した。すなわち、鹿に中たった矢は、矢羽が飲み込まれるほど深々と突き刺さったと記されていた。

そのことから、頼家は強弓を引いていたと思われる。

 

最近、弓が少し強く感じる。12kgや13kgで、強いの弱いのとは情けないのだが、筋力が衰えないために日夜、弓を引き続けなくてはならない。

 

先日、娘と赤ちゃんを連れて散歩へ出かけた。町内の神社に鉄棒があるので、久々に逆上がりをしてみた。いや、逆上がりをしようとした。上がらない、そして、肩甲骨から腕の付け根あたりに電流がびきっと走ったようなかんじがした。準備運動もなしに逆上がりは無謀だと思った。その後、弓を引いたときに影響が出たのは言うまでもない。

強弓を引いていた頼家は、逆上がりができただろうか。

 


曽我物語  その頃の競技規則

2011-05-12 | 弓道

狩をする場合に、鹿は初めに射止めた者の勝利。猪は最後に射止めた者の勝利となる。

鹿は、弱いので最初の矢で相当のダメージを受けるし、猪は初めの矢で猛り狂い獰猛になるらしい。猪にまたがって、果敢に抵抗する場面は、浪花節かなにかにありそうなかんじ。

現在の競技規則で、いちばんしんどいのは、的前審判。集中力のとぼしいわたしにとって、同じものを見続けるというのは、苦手である。過日、山中の大会で的前審判をしていて、掃き矢を見逃してしまった。競技進行より「確認」の指示があったが、バウンドしてから中たっているので、瞬間を見逃したら、的には矢がささっているので、どうしようもない。

金沢大学の医学部のイケメンのお兄さんと審判席に座っていたので、そっちの方に気をとられていたという訳ではないが、射手の離れの手の内をぼんやり眺めていては遅いのである。おまけに、矢はまっすぐに刺さっているので、的の表面主義というのなら、最終的に的に食いついていればよいことにして欲しいものだ。しかし、掃き矢(地面を掃いて中たる)のように、バウンドしてから中たるのでは、か弱い鹿でさえも、痛くもかゆくもないのだろう。これを中たりとしないのは、やはり頼朝の頃からの競技規則なのだ。

この日、わたしが担当していた射場には、掃き矢が3本あった。的前審判泣かせだ。これが、ローカルな大会でなく、国体や全日本クラスの大会だったら、問題だ。とはいえ、そういう大会には、審判として採用されることはないので、よいとして。わたしのような審判は、猛り狂う猪が猛進してきても逃げ遅れてしまうだろう。まあ、深窓の麗人は狩の審判などしないものだ。

 


癒しの時間

2011-05-11 | 暮らし

怒涛のような連休明けの仕事。

10日間の休みの間に、FAXが机の上に積もっている。月曜も火曜も帰りは8時近くになっていた。

出荷の係りのO君は、あまりに長い休みに、日曜に間違え会社へきたそうだ。駐車場に車がないので気づいたらしい。携帯を見て「日」っていうのを見て愕然としたらしい。

ようやく、水曜になって一息つけた。

連休の日の穏やかな時間を振り返り、癒されよう。

 


失中の美を考える - 頼朝、中原に鹿を遂(お)う

2011-05-08 | 弓道

的中に美はある。多くの人の前で、的中ばかりを披露する名人はいるのかと問えば、たいがいどこかで人間らしさを発揮する機会に遭遇してしまう。

ぬかりなく準備して臨んだ重要な礼射や試合で、不運な弦切れや、筈こぼれなどの失にみまわれるのは、わたしのような粗忽な弓引きだけではなく、高段者や範士の先生でも経験している。その時に、どう始末をつけるかが美であるかもしれない。

公衆の面前でやらかしてしまう、数々の失敗こそが、人間臭さで、その中に美があるのではないかと、例の「春秋弓矢伝」を、読み進むにつれ考えが現れてきた。

「頼朝、中原に鹿を遂(お)う」

頼朝が下野国 那須野の狩の時、大鹿一頭が勢子に追い出されてきた。頼朝は幕下でも名うての射手、下河辺行秀に、これを射るように仰せつけれられた。厳命に応じて行秀は、駆け下る鹿を射止めようとしたが、矢は中たらず、鹿は包囲の外へ走り出ようとした。直ちに行秀にとって代わった小山朝政がこれを追い射とった。これを見た行秀はその場において、髻(もとどり)を切り姿を消し、行方知らずになった。

 行秀に二の矢を射込む隙はなかったのか。その理由を考える。乗馬がつまづいた。又は、弓弦が切れた。いくつかの検証も納得いく。そして、その心境が分かる気がする。

 全国大会予選、同中で決勝。相手チームに勝てば、全国大会へ行けるという時の、おう前だったとして。一番目に射る矢がはずれる。後のふたりが、かろうじて中ててくれ、相手チームも2中。再び、同中競射がおこなわれる。またまた、一番目に外れる。この時点で退場したくなる。しかし、ふたりがまたまた中ててくれる。そして、ふたりのおかげで全国大会出場権を勝ち取るが、気持ちは晴ればれとしない。

 行秀が将軍家に命じられた鹿を射外し、かわりに従兄弟の朝政に射止められ、衆目の前での失態を演じ恥辱に耐えられなかった気持ちは分かる。

しかし、鎌倉時代と違うのは、現代では命がけでなく、次回のチャンスにかけようという、やり直しがきくという甘さがある。

 弓引きだからこそ、分かる失態、不測の出来事。そして、その後に続く失中のかずかずに、興味が惹かれる。

那須与一のように、公衆の面前で手柄を立てるのも胸がすく思いだが、失中の話は人間としての弱さ、不運、そして始末のつけ方に美が潜むのかとも思える。まだまだ、美への謎は深まる。

 

 そして、ううっ。京都の審査で外れた言い訳はしまい。

 


京都審査受審

2011-05-05 | 弓道

今年も連休のメインイベントの京都審査が終わった。

わたしも主人も、それぞれ1本だけの的中で、今年も反省を残して終わった。わたしも、なかなか合格できないが、主人はわたしより苦労している様子。出番がだんだん遅くなり、待っているだけでも、相当な修行だ。日頃から、吉永小百合と暮らしているような生活だけでも、プレッシャーなのに、この上に重い苦労を背負っている果敢な姿は、尊敬に値する。

もしや、「失中の美」は、ここにもあるのかもしれない。

しかし、今年の審査は別の楽しみがあった。

いつも泊まる聞法会館で娘達と合流した。わたしの審査が早く終わったので、みんなで機関車を見に行く。

ホテルの食事では、二歳のkenは、刺身がでると「赤っぽいの・・」と、やたらマグロばかりねだる。早々に食事を終えて、二次会のためにコンビニに買い出しに行く。

このような楽しみをしている間は、なかなか合格の道は遠いかも。


超大型連休

2011-05-02 | 暮らし

4/29から連休に入った。5/8までなので、10か間。

いきなり勤労者弓道大会。出かけると、勤体協より会社からお金が振り込まれていないといわれた。今まで、会費を会社の厚生委員会が支払っていたのに、何の知らせもなく打ち切り?

自費で出場料を支払い、会社の弓道部仲間でスタートからがっかりな話。