このところ、稽古の割には的中がない。
4本引いて、4本とも外れることも珍しくない。
いわゆる「皆それ」(かいそれ)をすると、自分ではないと否定したくなる。
調子の良かった自分と比べるのだ。
しかし、そもそもそんなに的中があるほうでもなく、
それよりなにより、しっかり引き切ることが大事で、大きく伸びやかな離れになっていないではないか。
弓を引くからには、的中の魅力には勝てない。
そうなると、ついついタイミングで放してしまい、ゆるみが出てくるようになる。
こんな時、見てくれる先輩がいてくれたら良いのだが、Y先輩が入院してしまった。
ひとりで悶々と引いていると、いい感じというのが無くなり、考え込むようになる。
自分ではいい感じのように思っても、引き足らずだったり、手首の力が抜けなかったり、同じところをぐるぐる彷徨っているような気がしてならない。
いや、同じところならいいが、少しずつ下がっていっているのではないかという不安。
コロナ禍で講習会の機会も少なく、せっかく開催されるときには、仕事があって参加できず、またまた独学で、教本や月間弓道誌を読んでみるものの、理屈だけでは弓は引けない。
頭で分かっていても、身体が言うことを聞かない。
そうすると、必要以上に頑張る弓を引いてしまって、またドツボにはまる。
しかし、そういいながら毎週の稽古には皆出席だ。
みんなと引くと楽しいのと、この苦行の魔力に憑りつかれている気がしてならない。
へたくそでも止めずに続く所以である。
池江璃花子さんが日本選手権で100mバタフライを制して、東京5輪代表に選ばれた。
「すごくつらくても努力は必ず報われる」と言われた。感動の瞬間だった。
想像を絶する努力だったことだろう。
残念ながら、努力が足りないので報われなくて、稽古をし過ぎると、
腕や肩が痛くなる我々・・(われわれとは報われない仲間のこと)。
おまけに、つらいのは嫌だ。そこが、一流選手との大きな違いだろう。
それで、思ったことは「努力をすれば、必ず報われる人だけが報われる」と、言うことだ。
それでも、まだまだ甘い努力を続ける人々のしぶとさも称賛に値するのではないか。
この先は、楽しい弓が引けますように。