まこの時間

毎日の生活の中の小さな癒しと、笑いを求めて。

蟄虫坯戸(むしかくれてとをふさぐ)

2017-09-28 | 山歩き

今朝、雨風で母を連れて病院へ行く道中は大変だった。父は、家に帰るので車を回せとやたらに強く言う。ついに、寝たきり状態も続いてきたので、辛さがピークになってきたのかもしれない。生きていることが辛いのだと思う。

母は、栗が落ちているから拾って欲しいというので、午後に用事のついでに出かけた。夕方は、孫たちを遠足のお菓子を買いに連れて行ってほしいというのでジャスコへ行く。休みの一日はあっという間に過ぎていく。

さて、急に寒くなってきて虫が土の中に入って入り口をふさぐということをいうのだそうだ。啓蟄の反対である。

昔の人は、この時期を過ぎて蛇などを見かけると「穴惑い」(あなまどい)つまり、穴が分からなくて迷っているのだと思ったそうだ。どちらにしても、山へ行って蛇に出遭う機会が減るという事だ。嬉しい。

 確かに風で落ちている。少しでも揺れたら頭の上に落ちてきそうだ。栗が空を仰いで笑う。

柿の葉が色づく。

栗の木の下にある彼岸花。世の中は選挙で騒がしい。ここは木々が静かに秋を競っている。

 

 

 

 

 

 


天皇杯

2017-09-25 | 暮らし

全日本弓道選手権大会で石川県の中條大輔選手が見事天皇杯を獲得した。速報が入って、県の理事長より凱旋を祝おうと声掛けがあって、根上町の道場へ集まった。名前も画像もアップしてもよいかと許可をもらう。

みんなで三人の出場選手をお迎えし、アタッシュケースのような箱に天皇杯が入っており、下の箱は個人にもらえるカップだそうだ。

根上の方々が用意をしてくださりジュースで乾杯。

しばし興奮と喜びを分かち合った。菊のご紋だ!天皇杯だ!来年は君たちだ!そばにいる二人の選手に言う。

一句浮かんだ。 石川で 持ち回りにする 天皇杯

友達が付け加えた  天皇杯 皇后杯も ありますよ

みんなが天皇杯に映っている。

速報が入った時、鳥肌立った。すごい日本一が誕生した。がんばったねぇ。すごいでねぇ。

若者は次は自分がとるぞと思う。年配の方は、冥途の土産に拝むことが出来たと喜ぶ。

私はと言えば、夜なのでうまく撮れないなあと、杯と格闘していた。

 

 


彼岸

2017-09-23 | 暮らし

秋分の日。婆さんが墓参り用の花を用意したので、一緒に墓参りに行った。途中、彼岸花を見た。「曼殊沙華」とも言う。

その後、実家へ行ったら、山の上にも咲いていた。「死人花」「幽霊花」「捨子花」とも言うらしいが、どれも縁起の悪い名前だ。確かに、生け花にしない。

三途の川を越えた向こうに、涅槃がある。極楽浄土は西方の遥か彼方。縁起が悪いのではなく、その彼岸にちなんだ名前がついているという事は、宗教的に意味のある花であるように思う。

実家のコスモスは花盛り。

 

 


5年めの診察

2017-09-22 | 暮らし

ついに癌の手術から5年たち、最後のCT検査かと思ったら、先生は一年後の予約日をまた決めた。9月20日が手術日だったので、毎年その日にすれば記念日みたいで、間違えなくて良いという計らいであるが、何の記念日だ。

さて、半年ぶりに診察室に入ったとたん。若い先生がくるりと椅子を回し「5年経ちましたね!」と、おめでとうと言わんばかりに笑顔を向けた。わたしも言わなくてもいいことをつい言ってしまった。「はい。お陰様で元気になりまして、今年は白山へ行きました。」忙しい先生は、スルーするかと思ったら、「へー、いつ行ったんですか?」「7月31日です。と、その後2回」「わたしは、7月2日に行こうとしたら雨で、7月22日に行きました。」「日帰りですか?コースは?」と、患者と先生の会話でなくなってきた。「休みが取れなくて、日帰りで。砂防新道で・・」「先生、せっかくですから違うコースもいいですよ。南竜も・・白山は懐が広いですから。」と、知ったような口をきくわたし。「チブリ尾根も歩きたいんです。」と、先生。ううっ!!「わたしもです。」「岐阜からの平瀬からが好きなんです。」へー、そこ知らん。うわー止まらん。「何の話でしたっけ・・」「次回の予約日の・・」

「では、来年、観光新道も行ってみます。」と、先生。いつもは、異常ありませんの一言で帰るのに、今日は過去一番しゃべった。しかし、短い間に凄いスピードで話した。まるで卓球台で球を打ち合うような速さで、白山の話をした。確かに5年の月日は大きくわたしを変えたことは間違いない。わたしもわたしの家族もである。まあ、来年まで会わないのでいっか・・。いや、先生の異動も多いので、もしかしてこれっきりかもしれないなあ。それにしても、言ってみるもんだ。忙しいお医者さんも山へ登るとは良いこと。嬉しいことだ。その後、CT検査をしたが、造影剤も使わなくて良かった。

これで、縁が切れると思ったのだが来年またとは生存確認か?来年も、登った話が出来たらいいなあ。


境界線確認

2017-09-21 | 山歩き

またまたソーラの工事のために、実家の境界線を確認してほしいと〇〇土石さんより依頼があり、父の代わりに立ち会うことになった。

K設計の方と、実家の隣のTさんと一緒に立ち会う。父が戦前に開拓した時の道で、両隣のSさんとTさん方との共有の名義である。要するに、その道は3人の共有なので勝手にどうにかできないのだ。両隣とはいえどちらも離れていて、それぞれ広い土地がある。そして、ややこしいことに、Sさんはすべての土地をバブルの時に神戸の会社に売ってしまって、その会社は連絡がつかなくなってしまったそうだ。そして残念なことに跡継ぎが亡くなり、その土地の管理者はいない。わたしたちも、高齢である所有者の代理だ。

長靴を履いてきてくださいと言われた。藪に入るためだ。車で近所の住宅の間の道を入って、突き当りのところで降りて向かう。まず一つ目の杭を見つける。泥の中だ。

ここを下りるんですか?どこですか?アマゾンへ行ったことはないけど、アマゾンみたい。沼が見える。

Tさんの後をついていく。大丈夫ですか?と、K設計の方が先に行って声をかけてくれる。山歩きは大好きですが、こんなドロドロは・・とは言えず、「大丈夫です・・」と、弱々しく答える。

笹につかまって下りると、長靴が沼にめり込む。サバイバルだ。山下りだ。前の人の笹がビヨーーンとはね返って顔に泥がはねてきた。

図面を見ながら確認をする。図面に泥はねがつく。

どぶ川みたい。「まむしがでるかもしれません。」この日は暑かったので、まむしが涼みに来るのだそうだ。

あらら、こんな所に埋もれていましたね。一体いくつあるのだろう。応援団長のハチマキみたい。「一発かましたれーよっ!」小学校の運動会での応援団長の声がよみがえる。練習しすぎて声がかすれて、それでも声を張り上げ、一生懸命の姿に感動し、声変わりして、大人になって、いつかこんな風に土地の境を見るために歩くようになるのだ。どんな夢のない物語か。滑って転びそうになる。

K設計さんは、前もって藪を刈って歩きやすくしてくれてあったようだが、泥沼はどうしようもならない。

ようやく明かりが見えて来た。おおっ!!日本の夜明けだ。がんばれ。よく歩いたものだ。登山をしたような感じだ。

綺麗な芝生の中央公園に出て驚いた。私道が芝生の下になっているそうだ。Tさんに「私たちの断りもなく?」と、冗談をいうと、Tさんも「道幅に立て札を立てて、有料にするか。」と。きっと、親たちはそれなりに市と話をつけてのことだろうが、今となっては真偽が分からない。どちらにしても市に貰ってもらうほうが、ややこしくなくていいのだが。この際、ただでいいから市に管理をお願いしたい。

実家の前は、私道という事で除雪してもらえない。もしアスファルトが割れても自分で補修しなくてはならない。一人暮らしの母が、大雪で急病になったら救急車も入れないとなると困るなあ。なので、この私道をどうにかしないと、そのうち孫やひ孫の代になったら、もっと困るぅ・・となるだろう。

 

 

 


祭り

2017-09-20 | 暮らし

 

日曜、台風がまっすぐに石川に来ることが確実だったので、神社での祭りを公民館ですることとなった。恒例のビンゴ大会も6時半からということで、仕事の後すぐに帰ってもごはんを食べる暇もない。幸い娘が呼んでくれたので、婆さんとふたりで娘宅で赤飯とご馳走を20分ほどで食べて、公民館へ向かったのだった。

 

祭りはなんとか雨にも降られずに終了した。最後の獅子舞を見て、友達と生ビールを飲みながら話をしていた。

結局、友達がうちに来てくれて、女三人でワインで飲み直し。イタリアワインの店で、1300円したヤギのチーズがどうしても口に合わないので、食べてもらった。ひとりで食べようとしたら、臭いがきつくて挫折したのだった。みんなで食べるとなんとか一口は食べられる。しかし、苦手な匂いというのはある。その時は「臭い」と、書く。ふたりの感想は、「やっぱり、日本人は、ゴーダチーズか、チェダーチーズやね。癖のないものがいい。」と、いいつつ怖い物見たさのように、少しずつ食べていつの間にか減っていた。

日本人は無臭で癖のないものを好む?でも、にんにくは嫌いではない。韮もきらいではない。慣れなのか?

11時ころまで話ながら気持ち良くなっていた。何の話をしていたのだろう。それぞれの近況を話し合い、互いの元気を願って別れた。これがいいのだろうな。祭りはチーズとワインで締めくくられた。

 

 

 


雨の運動会

2017-09-17 | 暮らし

孫の運動会が重なったので、山代と大聖寺を2往復した。

台風接近のため、雨になる気配で、どちらの小学校もプログラムを変更して、団演とリレーを早めて午前中にした。これは正解だと思う。昨年、午後一番に雨が降り、5年生の組体操は泥の中で行われ、運動会の花であるリレーが中止になり、団長や6年生が号泣していた。見ている方も泣けてきたことを思い出した。

午後にある応援合戦も、午前中に行われた。とにかく、みんなで練習をしたものを披露できてよかった。

さて、今年はmomoが初めての運動会で「みんながみんな英雄」を、踊った。曲がいい、おまけに移動中の曲がセカオワの「ドラゴンナイト」だった。楽しい。嬉しい。

その後、山代へ行ってkouの組体操を見て、また大聖寺へ向かう。山代小学校は630人いて、団体演技は見ごたえがある。しかし、孫を見つけるのは至難の業で、カメラの倍率をあげて覗くと全体が見えないし、いたと思ってアップすると違う子供だったりするので、ここは全体を眺めるか、前もって立ち位置を確認しておくのが良い。

紅組と黄組と聞いていたが、組体操は全員帽子を脱ぎ、裸足なので見分けがつかない。これこそ全体の美を観るのが良いのに、ついファインダーを覗いてしまう性。録画して後でどこにいるかパソコンで愉しんだりする。

錦城東小学校は各学年一クラスで230人なので少なくて、運動場のまわりはテントを張り巡らせても大丈夫。親子でお昼のお弁当を食べるために、どこかのキャンプ場のようになっている。

お昼は娘が作ってくれて、わたしはお客である。いつの間にか、わたしより腕をあげたようだ。

6年生のリレーと、全員の綱引きは見ごたえがあり、つい応援に力が入る。

雨が降り始めたのでkenが走るのを見終えて早めに帰った。大人も子供もずぶぬれである。

余分な話であるが、この後、選挙事務所へ行ってパソコン作業。あっという間に一日が終わる。

 

 

 


十万石まつり弓道大会

2017-09-10 | 暮らし

木曜の稽古を返上してみんなの曖昧な記憶を辿り、紅白幕をあーだ、こーだと張り巡らして十万石まつりの準備をしたが、控えに使う剣道場は前日まで稽古があるので、当日の朝7時から準備をした。

朝から3階まで上がったり下りたりを何往復もしたせいか、午後の出番は眠くなった。ボーっとしているせいか、何も考えず4射3中していた。サイレント ピリオドって、もしかしたら、頭の中をサイレントにすることではないかと思ったりした。

この大会は、南加賀の高校生を中心に行われる大会で、高校生は待ち時間にお祭りを楽しんでもらうという趣向である。

大会を滞りなく終えて、協会員みんなで打ち上げに祭りへ繰り出し、飲み物と屋台の美味しいものを買ってきて食べる。高校生も、弓を持ちながら楽しそうにしているのを見て、3年間高校生の正式の大会に一度も選手として出ることが出来ない子供たちのためにも続けていきたいと思う。

 


足の指もご存じなく

2017-09-10 | 暮らし

一生の不覚という言葉がある。不覚にも・・という出来事に遭ったり、失敗したりする頻度が増えてきたら要注意だ。しかし、若いころから失敗が多いと、その頻度が増えてきたのか、以前から変わらないのか分からなくなる。

さて、寝るときに2階へ上がるのだが、わたしのお友達のような小さなTVと、ペットボトルの水と、本を一度に持ったら、TVを落としそうになった。TVに刺激を与えてはならない。とっさに衝撃を少しでも緩和させようと、反射神経のいいわたしは足を出してクッション代わりにした。TVはわたしの足のクッションと、段ボールに挟まって事なきを得た。しかし、足の中指が痛い。足指の柔肌に薄いとはいえTVの角が落下したのだからたまらない。2階に上がって足指を見た。2度目の衝撃。

傷は大したことがなく、少しすり剥けて血がにじんでいる程度だが、中指と認識したことがショックだった。足の親指は手のように横にあるわけではないので並んでいて、親指の横は人差し指なのだ。中指はその横。要するに、けがしたのは人差し指だ。重大なケガで、自分が中指でーすと、言ったら、医者は困るだろうな。ボケをかましているのかと思われる。言い訳にはならないが、足の人差し指は、人を指すことができないので、中指も人差し指も中指のようなものだ。足は、親指、中指、真ん中指、薬指、小指というのにしたらどうだろう。誰からの賛同も得られないことを考えるのは無駄なことなのだろうか。そんなことを考えても痛さは変らないのである。


芋の煮えたもご存じない

2017-09-09 | 暮らし

「芋の煮えたもご存知ない」という、簡単なことも分からない、世間知らずな人を小ばかにしていう言葉。

それは、わたしに当てはまるのである。数々の失敗の上に、学習もせず生きている。

先日、うちの婆さんが、畑からルッコラをボール一杯に採ってきて、シンクに山盛りにして置いてあった。仕事から帰って料理を始める前に、大きな鍋で茹でた。実は大根の菜っ葉かと思ったのだ。全部茹でて水をはったボールに入れて冷蔵庫にしまって、少しだけ出汁でつけてお浸しにした。

夕飯の時、ルッコラだったことを知りのけぞる。しかし、生のルッコラは辛くてあまり食べられないのに、お浸しが意外と美味しくて好評だった。ルッコラは、サラダに少しだけ入れるのだが、茹でるとしっかり食べられるのだ。

今日の夕方、ボールに菜っ葉が入っていた。ほんの少しだったので、先日間違えてしまったので、洗って食べてみると辛い。ルッコラ?ここで同じ間違いを犯してはならない。手でちぎってトマトと一緒にサラダにして、ドレッシングをかけて出した。

大根の葉っぱだった。婆さんは「はじめて大根菜を生で食べたわ。」という。ルッコラのように辛いのは大根だったからだ。ふたりで大笑いだった。しかし、意外とサラダに合う。どうみても、大根菜である。食後に鍋で茹でた。ルッコラと、大根菜の違いもご存じなく。

 


古い日記

2017-09-08 | 暮らし

ずっと日記をつけていた。何かあるとは書いていた。メモや、新聞の切り抜きと一緒にノートにぎっしり。

5年日記をつけ始めてから、出来事のメモしか書かなくなった。

昔の日記に書いてある家族の会話。どこをあけても、可笑しいことや、楽しいことばかり書いてある。

殿と喧嘩を殆どしたことがない訳も少し分かる。殿がわたしに呆れていたからだ。喧嘩をしても仕方がない奴だったのだろう。「あんたのおかげで、一生退屈せんわ・・。」と、半ば呆れていた数々の失敗と言動。

1994年12/17土曜。

会社の特許の研修に出かける。sigeさんに「午前中研修会、1000円貰ってコーヒー飲める。」「それ、いいんなあ。午前中ぼっーとしとるくらいなら。」「あ、お願い。階段拭いて、洗濯干しといてー。そしたら、いいもんあげるし。」sigeさんは、嬉しそうに「何や?!」と、訊くので「輝かしい、主婦の座や。」「おまえなあ!!」

楽しければ楽しいほど、可笑しければ可笑しいほど、紙芝居が「おしまい」と、いう最後の一枚にたどり着くのが分かっていて、その1枚にたどり着くまでに、ぎっしり言葉の宝物を残しておきたいような気持だった。

書くことで何か安心した。手に入れられないものは、その時々の楽しい、嬉しい気持ちだ。あっという間に消えていくことを予測していたように思う。悲しみはしこりのように心に残るのにである。

何でもない日が、宝物のようになることに、気付いてしまった闘病の日々。始めは泣けて読めなかったのに、この頃は、泣かずに読めるようになった。

また、娘たちの可笑しい話も・・。小学生の娘が「おかあさん、大耳に挟んだんやけど!」「大耳!!」「おばあちゃん、耳悪いし、大声で言うっとったよ。梨あるし食べねって。」ひそひそ話すのが小耳なら、大声は大耳だったのだ。その、娘もいいおかあさんになってしまった。と、いうことはお婆さんになった者がいる。

 

 


手紙

2017-09-07 | 暮らし

俵万智の短歌の中で

 書き終えて 切手を貼ればたちまちに 返事を待って 時流れだす

この手紙の短歌がいい。手紙には間がある。電話には暴力的なところがある。間がない。誰かに手紙を書くということは、その人のことを思う時間を持つという事。その時間を封筒に詰めて送るのである。

昔はよく手紙を書いた。高校生の時は、グループノートなんてあった。今なら、スマホのラインなのだろう。即、返事が返って来て、その返事を即、返さなくてはならいことにストレスを感じないのだろうか。じっくり本を読もうとしているとか、好きな映画を観ようとかを、後回しにしなくてはならない。階段の途中まで拭き掃除していて、もう少しのところで止めなくてはならない。

お互いの会話に大事なものなど殆どないのだ。とはいえ、どうしても腑に落ちない時、自分に火の粉が降ってきたとき、友達に助けを求める。これが、手紙だと書いているうちにあほらしくなって出さなくなるのだろう。

そして、会えばとりとめのないことを一晩でも話せる仲だと、電話をしたら恋人のように切れなくなるので怖くて電話を控える。友達とはたくさん、くだらない夜を過ごしたい。どうでもいい話をたくさんしあえた友達には、深刻な話も、生き死にの話も出来るのである。

さて、先日お客さんと山の話で盛り上がり、その後ご主人の書いた山の本を送って頂いた。定年後に山を始めて、剣岳、北岳、幌尻岳・・と、登られた体験記だ。そのお礼の返事を白山に登ってから書いた。

ご夫婦で6年前、白山に登られたらしい。今は、落石で脚の具合が悪くて石川県の旅行が最後だろうとのこと。「ふたりで楽しく拝読させていただきました。」とのお返事が嬉しかった。「東京へいらしたときは是非お知らせください。」とのこと。またお会い出来たらいいなあと思えるご夫婦だった。

 


イヴェール ボスケ

2017-09-06 | 料理

ケーキが美味しい。静かにひとりの時間を過ごすのにはもってこいの店だ。とはいえ、家でも静かに過ごせるけれど。ケーキとコーヒーが運ばれてくるというのがよい。これで、お金を払わなくてもよければ言うことはない。

「閑カフェ」(しずかふぇ)おしゃべり禁止。店内撮影禁止。ひそひそも、筆談、メールもだめ。スマホ、アイパッドもだめ。中学生以下はご遠慮ください。おひとりさま歓迎。本を静かに読むこと歓迎。「非日常空間で 静けさを楽しむ 我慢するのではなく求める」と言ううたい文句で、遠くからのお客様も多い。

大きな窓が外の景色と一体になっている。胡桃の大木の枝は垂れ下がっていて森の中にいるようだ。

本を持って行って、しばし静かな時間を。と、コーヒーが運ばれてきたときにケータイが鳴った。マナーモードではあるが、ケータイ禁止なので外へ出る。綺麗に耕された畑が広がる。

某社の社長の〇〇保君だ。お願いしてあった十万石祭り弓道大会の矢渡の貼り紙が出来たという。静かな時間を切り上げて、ケーキで脂肪を増やしただけで支払いを済ませて某社へ。

同級生はありがたい。「十万石まつりやし、そろそろ貼り紙の時期やと思とったんや。」と、応接室で近況を話して帰る。お金が貯まったのではないか、お腹周りが大金持ちになっていた。「また、みんなで飲みたいねえ。」と、言いにくかった。これ以上太らせてはならない気がしたからだ。「山へ登らん?」とも、唐突に言えなかった。


土地を売ります。

2017-09-05 | 暮らし

100坪の土地がなかなか売れない。草刈りをシルバーに頼んで25000円で年2回。10年で50万になる。固定資産税はわずかだが、管理費が高いということだ。今回は叔父が刈ってくれて、除草剤まで撒いてくれた。お中元のそうめんだけでは割に合わないだろう。いくら小百合のような姪であっても。

今日も、土地のことでD社の部長と話した。隣の鉄工所の方に話を持って行ってくれたそうだが、拒否されたらしい。その会社が急成長すれば買ってもらえるだろうが、今のところ実直な働きを貫いている。

ここに工房を作るか・・居酒屋を作るか・・・アパートを建てても借り手がいないだろう。宝くじが当たったら別荘を建てるにしても、実家のほうが白山が見えてよい。

父は厄介なものをわたしにくれたものだ。弟に無償であげると言ったら、間髪を入れずに断られた。

 


苦手なもの

2017-09-04 | 暮らし

苦手なものは蛇だ。蛇が苦手ではないという人は少ないだろうが、マムシは特に危険だ。

実家へ行ったら、叔父が三匹見つけて、赤い網袋に二匹捕獲した。と、いう事は一匹生存しているわけだ。スズメバチも山の上にいるとの事だった。蜂も苦手だ。

叔父はこの後、皮を剥いて持ち帰ったそうだ。どうするのだろう。山で育った叔父は、素早く蛇を捕まえる。わたしは、マムシの存在すら知らない。どんな蛇でも見たらひたすら逃げる。

苦手なことと言えば、朝が苦手だ。要するに睡眠が足りていない。睡眠不足は、癌や認知症になりやすいそうだ。そういえば、会社勤めをしている時、朝からハイテンションの人には近づきたくなかった。苦痛に感じるのは、血圧が低いせいだと思っていた。

酒も飲まないのに、女の人を面と向かってほめる人も苦手だった。もっと嫌なのは、みんなと一緒に飲んでいて「今度〇〇ちゃんを誘ってきて。」と、言う人がいた。自分で誘えばいいではないかと思ったので、その人をその集まりに二度と呼ばなかった。

喧嘩も苦手だ。喧嘩するほど仲がいいというけど、そうではないと思う。喧嘩はストレスになる。仲が悪いから喧嘩するのだと思う。しかし、喧嘩が出来るのは親密な関係ではある。

会社で喧嘩している人は、親密でもなんでもなく、ただ自己主張が強く、こらえ性がないだけの人なので苦手である。そういう人は相手のことを理解しようとせず、自身のイライラを相手にぶつける。ぶつけられた方は多大なストレスの後、その人から遠ざかることを考える。とにかく、苦手な人からは遠ざかるのが得策だ。スズメバチも、マムシにも、出遭わないことが一番なように。

秋の気配を感じる今日この頃だけど、朝顔がまだ咲いている。苦手なことを数えないで、綺麗なものを見よう。楽しいことをしよう。でも、危険予知は大切である。苦手というのは、危険予知でもあるのでは?

危ないものに近づかない。危ない人から遠ざかり、ストレスを溜めない。