「おはよう」と、言うと「おはよう」と、答える人がいる。
「行ってきます。」と言えば、「いってらっしゃい。気を付けて」と、言う人がいる。
「ただいま」と、言えば「おかえり」と、言ってくれる人がいる。
そういう人がいれば、しあわせ。今日も畑から帰ってきた姑が、玄関に明かりをつけて待っていてくれる。テーブルで、「オニャスミ・・」と、いう愛猫チョム。
「おはよう」と、言うと「おはよう」と、答える人がいる。
「行ってきます。」と言えば、「いってらっしゃい。気を付けて」と、言う人がいる。
「ただいま」と、言えば「おかえり」と、言ってくれる人がいる。
そういう人がいれば、しあわせ。今日も畑から帰ってきた姑が、玄関に明かりをつけて待っていてくれる。テーブルで、「オニャスミ・・」と、いう愛猫チョム。
落ち葉のじゅうたんがあたり一面に広がっている。
先週には赤かった落ち葉も、すっかり茶色に変わった。
もみじがさまざまな色で、まるで着物の模様のように楽しませてくれる。
今年も、もう一か月しかない。やらなくてはならないことが押し寄せてくる。
実家の母から電話があって、なめこが大きくなり過ぎたので取に来るようにとのこと。
桜の木に植えた菌からなめこが採れ、一度食したのだが、何故か、もう一度出て知らないうちに、まるでしいたけのように大きくなってしまったのだそうだ。
洗って汚れを落とし、酒とみりん少々に醬油で煮ることにした。ちょうど、なめたけの瓶詰めのようなドロドロになるまで、弱火でじっくり煮る。
大鍋で煮て、娘たちに持っていく。母はわたしに、わたしは娘たちに。母親というものはそういうものだ。酒にも合うと言って喜んでくれた。2歳の孫娘は、無類のなめこ好きだ。
売るほどあるとはこのこと。しかし、あっというまに売れてしまった。
4年生の子どもの国語の本に詩が載っていた。
「しんぴんのあさ」 まいにちおんなじみたいだけど / まいにちいろんなことがおこる / こりゃおどろいた / おやびっくり / へええなるほどな / ふうんそうか / まいにちしんぴんのあさがきて・・・。
毎日、新品の朝がくる。それなら、夕方は朝がよれよれになっているわけだ。そこには、もう「しんぴんの朝」はない。夜は、くたくたのよれよれのおやすみになるのか。
それでも、確かにしんぴんの朝は来る。生きている限り。いくつになっても、知らないことは限りなくあって、そこには昨日と違う何かがある。
子どもと一緒に朗読すると、そのまま自分も子供になって、新品の朝が毎日来る気がする。わたしは教育者ではないので、上から指導することはない。子どもの目の高さでしか子供をみることが出来ない。
横に並んで、いっしょにしんぴんの朝を迎えて、家にいることが出来ない子に寄り添っている。
もしかして、わたしも家にいることが出来ない寂しい大人かもしれない。
実は、「揚げパン」が好きだ。ケーキより好きだ。しかし、危険な食べ物である。美味しいのでいつも食べたくなるが、何しろあんパンを揚げて、砂糖をまぶすのだから、カロリーはしっかり高く、揚げ物なので鮮度が問題となる。
ところで、パン屋へ行ったら「揚げパン」はなくて「あんドーナツ」というのがあった。つい買ってしまった。分かったことは、あんパンを揚げたのではなく、やはり名前の通りあんの入ったドーナツだった。確かにドーナツの生地だ。そして、残念なことに、あんがたっぷり入っていない。好きな物には目がないというが、何でもかんでも良いという訳ではない。
あんドーナツはあっても揚げパンは、なかなかないのである。
イオンへ行ったら、「ケーキあんドーナツ」と、いうのがあった。あんがしっかり入っていた。そして、何より上品な小百合の口に合う大きさだ。5つも入っているのでお楽しみは続く。でも、2個いっぺんに食べてしまった。お楽しみは2回半。誘惑に弱いということを、改めて自覚した。そういう意味でも危険な食べ物だ。
しかし、考えたらあんドーナツがわたしを誘惑したわけではない。自分から求めたのだった。この小さなしあわせを危険と呼んではいけない。時折、ご褒美をもらわないと生きていけない。けな気でささやかなご褒美だ。こんな小さなところにも、幸せはある。
久しぶりに、momoとnanaが遊びに来た。今日は「ばぁばんちで、スライムをつくる」と、言う。
洗濯のりとほう砂と水で作る。「ほうさ?」と、聞くわたしに娘は「ほうしゃ、毒性が強いし口に入らんように」との注意。混ぜながら入れることとしっかり混ぜることで、あのにゅるにゅるが出来上がる。1回目はゼリーのようになったが、伸びなかった。2回目のチャレンジで、出来た!!紫の絵の具を選んだのがよかった。美しい。
ゆっくり伸ばさないと千切れるが、そっと手の中でひも状に伸ばしていくと、いい感じだ。なぜこういう風になるのか。楽しい。子供よりのめり込む。
わたしは、思わず小百合にあるまじき感想を口走った。「うわー、むらさきうんこや。」と、いうと、保育園年長のmomoに「ばぁば、おもしろいね。お笑い芸人になれるわ。」と、言われた。いや、方向はそっちと違う。小百合なのだと言いたいところだが、彼女は小百合を知らない。はっはっはと、つい笑ったのが、更にお笑い芸人風となった。
これで1時間以上は楽しめる。かくして、女優からお笑いに転向したわたしは、娘が保険会社なので、先日の入院の保険の手続きをした。病名を書くときに、病名は何だろう薬疹で良かったのか?正式名称を聞かなかった。また笑える。
入院し8万もかかったが、何とか4万円もらえるそうだ。D保険にもかかっているので「やった、これでチャラになる。」と、思ったが、それ以上に保険会社に支払っているのだ。ほんとにお笑いである。
富有柿を採る。これは、いつもの美味な味。富有柿の元は「御所柿」と、言うらしい。富有柿は3本あり、2本は収穫が終わって、若干遅れて熟れてくる最後の柿の木は、実が高い所にあって、高枝切ハサミでも届かない。梯子を立てかけようとすると、母がそそっかしい娘に対してそれを許さない。
この木が、電線にかかってきたので、叔父に切ってほしいと頼んだらしい。正岡子規も、池波正太郎も柿を好んだらしい。そして、池波正太郎は、隣家から書斎に伸びてくる柿の木の枝を「そのままにしておいてください。」と、言ったそうだ。
祖父が接ぎ木して、この木の柿は一番おいしいので自慢だった。しかし、わたしが「そのままにしておいてください。」と、言っても、電柱にかかってくる度に枝を落とすことは出来ないので、この際ばっさりという母に、木を見上げながら「もったいないねぇ。」と、言うだけである。
山の中腹に、小さくて黒い柿がある。真っ黒な干し柿のようになったものを食べる。柔らかいものは渋いのである。小指の先ほどの大きさしかないこの柿は、正式には何というのだろう。
さて、母の言うところの「貧乏柿」だ。小粒の渋柿が空一面に、まるでシャボン玉のように広がっている。どこまでも、空へ続くのかと思うくらい。
先日、友達と聞いた講演会の中で、計るだけダイエットというのを説明していて、とにかく100グラム単位で計れる体重計でやってくださいということだった。今からダイエットはしようとは思わないけれど、家にあるタニタの体重計で体脂肪率や、骨量、筋肉量などが分かるので、気付いたときに計っている。どうして、こんなことが計れるのか不思議だ。一体、この薄っぺらい体重計の中で何が行われているのか。
体脂肪率、内臓脂肪は標準だが、骨量、筋肉量とも、やや減少気味なので、運動をしなくてはならないということが分かる。自分の身体をコントロールするということは、なかなか難しいと思う。自分の身体をコントロールするのでさえ難しいのに、人を思い通りに動かそうなどと思うことは大変無謀なことだ。何かをやろうとするとき、人を動かすことのできる人を尊敬する。
さて、タニタの体重計は、体年齢というのも表示される。45才である。この体重計は、小百合を認知するのだろうか。ちゃう・・
auのCMで浦島太郎、金太郎、桃太郎の、あの短い映像に凝縮された面白さがたまらない。
♬ 特別じゃない、英雄じゃない、みんなの上には空がある、雨の日もある、風の日もある、たまに晴れたらまるもうけ・・・♫
さて、「みんながみんな英雄」の曲は、まさしく、小中学生の時に踊ったフォークダンス「オクラホマミキサー」だ。懐かしい、しかし、この曲を聞くとせつなくなる。
体育の時間、運動会。どちらにしろ、わたしたちの学年は女子が多かった。なぜか、はみ出た女子は男役になる。先生は、単純に前か後ろを切り捨てる。背の高い女子が男役をするならまだいい。宝塚の男役みたいにかっこいい。しかし、低い方が男役に回ると、背の高い女子というか、全部わたしより背の高い女子なので、回すところは背伸びだ。どんなことがあっても、ちゅうくらいの女子は守られる。この中くらいの守られている女の子が苦手だった。トイレも、一緒に行こうとか言って、みんなで行くのが理解できなかった。切り捨てられる立場に慣れると、たいがいのことは我慢できるようになる。
お目当ての男子とは、絶対に踊れない。また、この曲はころころと相手が替わる曲なので、たいがいの女子は、一度は心ときめく時間を持つのである。
チビたちは、ずっと心の中でぶーたれて踊っているのである。絶対に訪れないときめきタイムを、あたかも興味がないようなふりをする。それに反して、オクラホマミキサーは軽快に楽しそうにメロディを繰り返す。女同士でも結構楽しいようなふりをしていたかもしれない。
今度同窓会があったら、オクラホマミキサーを踊ろうか。男子の出席率が高くなってきたので切り捨てられることはないだろう。しかし、お目当ての男子はみんなおじいさんになって、あの初々しい見目麗しい少年達はもういないのである。なんと先生たちは、配慮に欠けていたことか。しかし、なぜ今頃そんなことを思い出してしまったのか。
おお、三太郎のせいだ。
♬ いいことがない うまくいかない それでもお腹はへってくる ♬
そして、♬ たまに晴れたらまるもうけ ♬ で、いいよね。
今月は孫のkouが右手首を骨折し、医療センター通い。わたしが、薬疹で入院。本日は弟のkenが熱を出したので、かかりつけの病院へ行くことになった。今日は、わたしの診察もあって、病院のはしごだ。
血液検査の結果は、どの薬にもアレルギー反応は出ていないという。よそで漏れ聞いた話では、ピロリ菌除去の薬は、半端でない量の抗生物質を使うらしい。ペニシリンとかステロイドとか何か分からないけれど、大量に摂取すれば、アレルギー体質でなくても何らかの異常はでるだろう。
11月は、病院に明け暮れた。気付いたらもう月の半分以上が過ぎている。何だったのだ。
kenの熱が下がったので、ふたりでタブレットで歌を聴いていた。kenのリクエストが「のび太日本誕生」の主題歌、「空へ」(山崎まさよし)と、どらえもんの「スタンド・バイ・ミー」どちらも良い歌だった。子ども向けの映画であろうが、音楽も本物でなければ、子どもだって納得しないのだと思う。
そして、「セカオワ(世界の終わり)の、炎と森のカーニバル。」とか、「ドラゴンナイトも。おにいちゃん、ドラゴンナイト、めっちゃうまいし。」で、あった。8歳の子が語る音楽についていけない。そういえば、ドラゴンナイトを歌っているkouに「英語なのにすごいねぇ。」と、言ったら「カタカナやし。」と、言われた。ドラゴンナイトと発音すると歌えないのだ。そこは「ドラゲナイ」。「ムーンライト、スターリースカイ、ファイアーバード」「コングラッチュレイション」本当だ。カタカナだ。しかし、巻き舌のカタカナだ。この子たちといると、新しい風がいつも吹いている。そして、一生懸命教えてくれる。
kenは、わたしに気を利かせ「ばぁば、海の声聞きね。」と、やさしい。auのCMは、三太郎が笑わせてくれる。毎回、楽しみになっている。ついに、「みんながみんな英雄」に、たどり着いた。これって、オクラホマミキサーじゃない?
退院した時の実家の山は、まだ紅葉していなかったが、ついに山はすっかり色づいてきた。
極上のなめこを採る。まるで10円饅頭みたいだ。
婆さんの畑から、サラダ菜をつんでくる。今年は葉物野菜が高いので、ありがたい。
うっすらと白山も見えた。これは、心の大ご馳走だ。
あの山へ、きっと行こうと思う。
日曜日に、友達と歯科医師会の主催の、お口の話を聞いた。歯をきれいにすることは、認知症や糖尿病を予防するというもの。
その後で、K子ちゃんとコーヒーを飲みながら、今回の副作用の災難を話していたら、彼女も薬で肝臓を悪くして、1か月の入院をしたとのこと。なんか薬って怖いよねえ。そんな話をしながら、過大評価も過小評価もしない、原寸大のわたしと付き合ってくれる友達に感謝する。
昨日の夜は、会社の友達が3人夕ご飯に我が家へ集まってくれた。会社に入ってからずっと定期的に集まり、旅行も行っている4人の仲間で、月掛をしている通帳はわたしが管理している。そのうち豪華客船かと言いつつ、みんなはまだ現役で働いているので、もうしばらく待っていようと思う。
寿司を頼み、吸い物とサラダを用意し、何時間も熱いお茶と果物だけで話が続く。女子会というのはパワフルだ。たいしたご馳走も作らなかったけど、みんなが帰ったあと、心地よい疲れで、久々に天井を向いて笑ったりして、少し縮んでしまったわたしが、原寸大に戻った気がした。
お吸い物は、婆さんの畑の春菊を茹でたものと実家の柚子を入れて、寿司についていた吸い物のもとを各自欲しい時に湯を入れて作る。気の置けない仲間だと、手伝ってくれるので助かる。
komeさんは、九谷焼では名の知れた滝口加全氏の家を買って、本格的に焼き物に取り組むことにして、家も窯小屋も、立派な庭も全て買い取ってリフォームしてしまった。豪勢なことだ。小屋は会社の先輩のSさんが、趣味の大工仕事で部屋を作り、冬場も寒くないように作業できるようにした.
さて、そこにある色々な作品を見た中に加全氏の物もあり、展示棚を覗いて見たら、深田久弥氏が滝口加全氏宛に書いた手紙があった。これは、お宝ではなかろうかと言いながら読ませてもらった。滝口加全氏の九谷焼の本を出す際に、その本に深田久弥氏の感想原稿をお願いしたようで、その返事と原稿内容が手紙に綴られていた。
そう言えば、先日読んだ「小谷温泉」の本に、夫人が書いていた。加全氏とは金沢時代からの知己であり、深田の婢を郷里の人達が作ることになったとき、婢に嵌め込む陶板を加全氏が引き受けてくれたことが書かれてあった。設計者の加倉井氏と滝口氏の友情で建てられた江沼神社の文学碑の話があったのを思い出した。
ここで、これは公開したほうが良いのではないかと、みんなで話しながら、山文のMちゃんに電話すると「是非、山文(深田久弥 山の文化館)に、展示したい。」という。なんでも、市役所に寄託届を出すのだそうだ。所有者はkomeさんである。山文には、深田久弥のゆかりの品物や、本がたくさんある。多くの人に見てもらおうということになった。
わたしが、もし「小谷温泉」を、読んでいなかったら、この手紙を見てもスルーしていたと思う。そして、komeさんに「こんなお宝ひとりで持っとったらいかんやろ。」と、脅すこともなかったと思う。
その山の文化館は、今、銀杏の見ごろだった。
2週間の闘病というと大げさだが、それに近い状態だったので、弓を引いて愕然とした。足も腕も筋肉がぷにょぷにょになったのではないかという感じだ。
矢は殆ど下へ抜ける。けれど、そもそも弓を引く時に、どこかにわざわざ力を入れるものではないし、骨法に従って引けばよいのであるが、それでも、最低限の筋肉の力はいるわけで、それがどう作用するのだかわからない。
弓道誌の9月号に「筋肉の話」が、載っていた。筋量の減少を「サルコペニア」と、いうらしい。骨法における正しい線の実現には、筋肉の働き、とりわけ筋緊張の均衡が重要である。要するに、バランスが必要なのだ。
骨だけではバランスを保てない。筋肉の緊張のバランスは、練習の不足や中断、故障などで簡単に失われる。まさしく、簡単に失われたことを実感した。
少しの中断期間の後、ビクリ、震えや早気は、このサルコペニアと関係すると思われる。自分の力より少し無理をかけるくらいでないと、今の状態を維持するのが難しいのではないか。2週間で失ったものは、どのくらいの運動と期間で戻せるのだろうか。
最大筋力の30%以上の運動の継続をしなければ、筋力を維持できないという。すると、今より少し強い弓を引いた方がよいのか、いや、それで故障してはもともこもない。
分かったことは、そのことについて、ここであーたら、こーたら、言っていても始まらない事だけは確かだ。
朝ドラの主人公が子どもを背負いながら、戦争から帰ってこない夫を思い出し、「会いたい・・」と、つぶやいて涙を流している場面で、じわーっときた。
もう戦死したかもしれないと知らされた後なので、この「会いたい」は、二度と会えない人への「会いたい」だとすると、悲しみの深い淵に引きずりこまれるような「会いたい」と、なる。その「会いたい」は、熟成すると「諦め」に、変わっていく。でも、二度と会えない人への会いたいは、とてつもなく辛い。
生きていれば「会いたい人」を、思い出すと希望となる。「きっと会おう」と、「そのうち会えたらいいね」は、それぞれ違う。同窓会の役員が集まって打ち上げをした。最終の決算書を作って、「次はどうする?」「日帰りでもいいんじゃないの?」「東京オリンピックや。どーーんとやろう。」いろいろ意見が出たけれど、とにかくまたやろうと終わった。
さて、これを書いている間に、原村のリンちゃんからメールが来た。「加賀市の家の買い手がつきました。」それを読んで「よかったですね。」と、返事して少し寂しくなった。これで、加賀市とは疎遠になるのだろうなと。急にリンちゃんに会いたくなった。
殿と八ヶ岳のバス旅行に行ったとき、ホテルまで会いに来たくれた。ちょうど3人目の子が出来たときで、家族5人で来てくれて、わたしは産まれたばかりの子供を抱いて、みんなで写真を撮った。まるで、孫に会いに来たじじばばである。病後でわたしの髪の毛が生え始めたころだった。桜子ちゃんは、もう4歳になるのだ。
新しい会いたいは、生きていく糧になる。メールの返事に「また、是非会いましょう。」と、返事する。