まこの時間

毎日の生活の中の小さな癒しと、笑いを求めて。

今更疑惑の三浦ですが

2008-02-25 | 暮らし

すでに、あの事件は終わっていたと思っていた。
ここで、今更三浦の事件を語りませんが、
前に時効のことが不可解だと書きました。
どうして、犯罪が時効でチャラになるのか。
被害者の心に時効などないのにと、不満でした。

改めて、アメリカには「殺人事件(凶悪犯罪)に時効がない」
と知り「コールドケース」というのも知りました。
なるほど、と思います。
日本も時効をなくすべきと思います。

それにしても、どんな証拠があったのだろう。
あの人は絶対悪者だよーと、またまた、今更ですが
知りたくなりました。


チョコレートの真実

2008-02-21 | 読書
この本は、衝撃的でした。
カカオの国の子供達はチョコレートを知らない。世界最大のカカオ豆の輸出国、コートジボワール。カナダ人ジャーナリストの「キャロル・オフ」がカカオ農園で働く子供達に出会う。
マヤ、アステカの時代から、スペイン、ヨーロッパの歴史にふれ、アメリカのハーシーのミルクチョコレート誕生からM&M・・

本文より
 チョコレートは、誘惑そのものだ。わけもなくやみつきになる。
だからこそ巨額の貿易が、そして、ひとつの産業が成り立っている。
 私の国の子供達は、一つのチョコレートを二、三分で食べてしまうと説明すると少年たちは本当に驚いている。何日も苦労して働いて作られたものを、地球の反対側では一瞬で食べてまうのか。しかし、彼らは北アメリカの子供のそんな楽しみを妬むわけではない。西アフリカの人々は羨ましいという気持ちをめったに出さないる
 私の国には学校へ向かいながらチョコレートを食べる子供がいて、ここには学校にも行けず、生きるために働かなければならない子供がいる。
少年達の瞳に映る驚きと問いは、両者の間のはてしない溝を浮かび上がらせる。
 これは私達の生きている世界の裂け目を示している。カカオの実を収穫する手とチョコレートに伸ばす手の間の溝は、埋めようもなく深い。

この本を読み終えると、口いっぱいに苦い味が広がる気がします。

雛飾り

2008-02-16 | 暮らし
娘は大きくなりましが、お雛様は年一回
娑婆の空気を吸わなくてはなりません。
わたしの両親が無理して買ってくれたものでもあります。
しかしながら、座敷に段飾りを並べられなくなりました。
嫁いだ娘が帰ると、座敷は布団をひく場所がなくなるからです。
結局、親王飾りのみ玄関に飾ります。


お内裏様の手には、何年か前から、竹で作った弓を
持たせることにしています。
よくみると、握り皮も、中仕掛け(矢をつがえるところ)も
あります。
もちろん、わたくし作です。
何の願掛けでしょうかね。
今年こそは、審査に合格しますように、特に主人。
中年のパワーか、わたしは、主人を追い越してしまって、
7年になる。
結婚したときは、あなたについて行きますだったのに。
今では「早く来んかい」という逞しさだ。
いやだぁと、甘い声を出してももう遅い。
このように、年始からの家内安全は保たれています。

せめて、お雛様をながめて、心なごやかに。

大寒波

2008-02-14 | 弓道
朝、家の裏で稽古したけれど、雪がふわふわ舞い込む。
月例会のために、ちょいと力を入れたが
吹雪きこむ雪に負けた。

水曜は、山中で「加賀山中月例会」だった。
当てたい気持ちは、すべてを駄目にする。
肩に貼るカイロを貼り、靴下の上に足袋をはいても
道場はスケートリンクのように冷たい。
「今日は零下や」と、山中の年配の人がいう。
若い人は殆ど来ていない。
中高年は強い。この雪の中、なにか家に居たくない訳でもあるのか
というくらい、道場が好きな人がいる。
わたしは、月に一度の山中の例会を殆ど欠かしたことがない。
山中には、学生時代の先輩が多いから楽しいのです。

かくして、スケートリンクでの射会は、
不中りのうちに終わりました。

日本百名山

2008-02-10 | 読書
深田久弥の「日本百名山」を、手に入れた。
登山家なら誰でも知っているという加賀市の登山家であり作家である。

前から買いたかったが、なかなか本屋になくて、
結局、ネットで購入。今はほんとに便利です。

このところ「岳」というコミックにはまっていたせいか
益々読みたいと思った。登山家でなくても、おもしろい。
当然といえば当然「白山」のくだりが特に良い。
「日本人は大ていふるさとの山を持っている。山の大小遠近は
あっても、ふるさとの守護神のような山を持っている。
そしてその山を眺めながら育ち・・・・・
私のふるさとの山は白山であった。白山は生家の二階からも、
小学校の校門からも、鮒釣りの川辺からも・・・・
つまり、私の故郷の町のどこからでも見えた。」
ここは、白山を毎日眺める町に住む私達にとって、ほんとに共感するところ。

また、第一の利尻岳「礼文島から眺めた夕方の利尻岳の美しく烈しい姿を
私は忘れることが出来ない。」と、始まる。
行った事がないが、目に浮かぶような
でも、逆に是非行ってみたくなる様な、もしかして、この本を読んで
山へ行きたくなった人は多いかも。

大切に読みたい本です。

四股名

2008-02-10 | 暮らし
だんなに、四股名をつけた。
何度注意しても、言うことを聞かないからだ。
だんなは、トイレや、ちょっとものを取りにくとき
戸を開け放していく。
我が家は、玄関が吹きぬけで、廊下が長いので、
戸を開け放すと、ひどく寒い。
何度言っても聞かないので
ついに、頭にきた。

四股名をつけたわ。「尻拭かず」というのを。と、
言うと、漢字はなんや。と、きた。
三択で
「尻不拭津」
「私利不可津」
「知理不数」
だんなは、「知理不数」を、選んだ。
これが意外と呼び出しに合うのだ。
ひがーしぃー しりふかずぅ。

と、わたしに四股名をつけるという。
どうせ、ろくな名しかつけないだろう。
しかし、まだ提出してこない。
正直、同じ土俵にあがりたくないのが本音だ。
あえて言えば、にぃしー 賢山「かしこやま」


大当たり

2008-02-08 | 暮らし

朝の稽古で、弓を引いてから出かける。
今日は、8本射て8中した。
ここのところ、調子が出ず、3中とか良くても5中。
おまけに、ど真ん中に2本。
こういう日は、危ない。
気持ちはルンルンだが、
当たりの後は外れが来るものだ。

案の定、会社へ着いたとたんお客様からの電話。
納めたものの中の2個が不良だ。
2本だけ返してもらうわけにはいかない。
そのとき納めた30個返品。
そして、代替を30個出荷するために、段取りする。
いつもは、短納期を渋る現場もこういうときの動きは
早い。クレームは人、光熱費、材料すべてが、無駄になる。
ひいては、環境にも及ぶと思う。

注文や見積りの至急、至急と相変わらずだ。
朝、つっかかると一日中影響し、やっとうまくいく頃は
もう7時で、端末は制限時間で切れてしまう。

宝くじでもなんでも、大当たりは危ない。


恵方巻き?

2008-02-03 | 料理
節分で太巻きを食べるなんて、小さいときなかったよ。
これは、踊らされている。絶対に買わないよ。
と、思いつつ買い物に行くと、嫌でも目に入る。
「今年は、南南東」と、店員のおっさんが叫んでいる。
なんなんとう、なんなん・・。
と、思いつつ、ああ作ってしまった。

しそ、卵、干ししいたけの煮たもの、鮭、マグロ、うなぎ
全部入れた。結構巻けるものだ。
しかし、ひとり1本は無理だろうな。
でも、出来てしまった。

墨攻

2008-02-03 | 映画
実家の父は映画が好きだ。特に古典的な戦争映画がぞくぞくするらしい。
前に「英雄」(ジェット・リー)の、映画を薦めたら
金沢まで車で観にいったり、福井のコロナの方が近いとか、
母を連れて出かけていたが、80を過ぎたら少々出かけるのも
難しいようだ。
それでも、観たいものがあると出かける。

久々に、土曜の午後時間があったので、
墨攻のDVDを借りたが、実家にはDVDプレーヤーがない。
ビデオがないか、店員の女の子に聞くと、
丁寧に調べてくれて、結局DVDプレーヤーを貸し出しているということで
一緒に借りて750円。
プレーヤーをプレゼントするという手もあるが、
前にあげたビデオも使いこなしていない様子。

アンディ・ラウが、かっこいい。
戦いのシーンは、父の好みのシーンで
肩を上げ下げして、「ぞくぞくする」と、笑う。
前に主人と映画館まで行って見たのに、二度見ても面白かった。
こたつで、大福餅とお茶で、両親にとってはこの方が
楽しいかもしれない。
わたしは、時折二人暮らしの両親に、
「ホームヘルパーがきました」と、冗談を言ってふたりの
元気なことを確認するが、ここしばらく忙しくて行けなかった。
元気な間に、楽しませようと温泉も誘ったが、
バスでの泊まりは、もうしんどいという。
少しずつ、年を重ねていることを思います。

ごみの分別

2008-02-02 | 暮らし
ごみの分別が細かくなったので、我が家の婆さんが、
「近所の年寄りはみんな、誰も分別なんかしとらんって言うとった。」と、力強く言う。
「みんな」とか、「誰も」とかは、誰を指すのか大体分かるだけに、苦笑。
年を取るとますます、自分中心に物事が進まなくては我慢ならなくなるようだ。
だから、勝手にごみの分別を強要する市に対して文句を言う。
ちらしに、分別方法が絵で描かれているのも、見ても分からん。と、初めから
見ようとしないのだ。パッケージに表示してあることを言うと
「いちいちめがねをはめんといかんし、邪魔くさい。」と言う。
しまいには、分別しても市の方で一緒にしてしまうかもしれないと疑心暗鬼に陥る。
そういう所が実際あったらしいというニュースを聞いたからだ。
そのくせ、ごみを捨てに行くと、
「誰かしらんけど燃えないごみに、缶ビールの空き缶を山ほど捨ててあって、どもならんわ。」
と、また正義感もわくようである。
お婆というのは強い。何しろ、中年のおばさんパワーに拍車をかけて無分別が加わるようだ。
だから、ごみであれ「分別しろ」と言われると抵抗したくなるのか。
これは、自分も将来そうなることを暗示している。
それで、もう少しやり易いように、暮れに買ったゴミ箱の上に、もうひとつ加えることにた。



プラスチックと燃えるごみを、中を仕切って使っていたが、非常に使いにくかったからだ。
生ごみ用(燃えるごみ)の小さめのゴミ箱を上に載せることで、
少し使いやすくなった。そして、分別用のシールを貼った。
これで、婆様もご満悦だ。
やはり、前のやり方は面白くなかったのだ。
ふたを開けて、向こうとこちらに分ける・・というのは。



ごみを分別して出すために、費用もかかり手間もかかる。
これは、家庭だけではないと思う。市も設備と人手がかかると思う。
そうなると、少しでもごみを出さないよう努力しなくてはならない。