まこの時間

毎日の生活の中の小さな癒しと、笑いを求めて。

岡持ち

2019-05-29 | 料理

 娘の仕事の都合で、孫たちに夕飯を届けることになった。何品かあるときは「岡持ち」が、役に立つ。車庫の2階に置いてあったので、燕のふんが付いていた。一生懸命拭いたが、また現れてきた。昔、爺さんがやっていた店の物である。2つあったが、捨てがたくてひとつだけ取っておいた。今になって役立つとは思わなかった。

岡持ちというが、わたしが会社にいたころ「たじ」と、呼んでいた。でも、どこを調べても「たじ」は、出てこない。方言なのか?気のせいか。誰かの造語だったのか?謎である。

大きなお皿がふたつと、サラダを入れたボールがどんと入るのだ。

入りすぎると、作りすぎるなあ。

 


元気のもと 弓仲間編とドラマ編

2019-05-27 | 弓道

孫たちが帰ったあと、急いで加賀温泉から特急に乗る。

電車に乗って本を読み始めて初めてほっとした。今日は全日本選手権の県予選会だったなあ、いつものメンバーが選ばれたんだろうなと思いながら、いつの間に予選会にも行く気が失せて、孫たちといるのがちょうどいいんだろうなという気持ちになってきた。

がんで亡くなったUさんが、加賀市へ孫を連れて遊びに来たことがある。加賀の弓仲間と山中温泉や鶴仙渓を回って「孫が元気をくれるのよ」と、言っていたっけ。

人が元気になれるのは、周りの人のお陰だと思う。金沢にはまた元気をくれる若い仲間がいるので足が向く。お役に立てるか分からないけれど、もうしばらく仲間でいさせてもらいましょう。

少し早めに店を出て、22時の電車を待つ間「教室の亡霊」(内田康夫)を、読んでいた。家にいてもどこにいても本を読む時間がなく、こういう電車待ちがいちばん読めるものだと思う。

そして、この日は「白い巨塔」最終回。5夜連続で毎日寝不足気味だ。岡田準一は「木更津キャッツアイ」の時に夢中になって以来、軍師官兵衛も夢中で観て、今回も大いに期待していた。そして、その期待どおりだった。若い時の顔もいいけれど、今もすごくいいなと思う。

財前教授を演じているが、悪役になっても気持ちは財前贔屓で、沢尻エリカ演じる愛人との恋に泣ける。妻の気持ちにも泣ける。松山ケンイチ演じる里見先生との友情にも泣ける。故郷のおかあさんとの電話にも泣ける。最終回は、殿の最後と被ってきて、やばいな・・と、思いつつも真夜中までティッシュを抱えながら観ていた。

これは「元気のもと」となるか?いや、疲れのもとになりそうだ。でも、わたしの中では必見だった。最後に、山崎豊子は凄いなと思った。

 


元気のもと 孫編

2019-05-27 | 暮らし

母親がおねえちゃんの学校行事についていくので、妹のnanaをみてあげることになった。外は暑いので「にこにこぱーく」へ連れていくことにした。

中央公園の横にある体育館を子供たちの遊び場にして「ニコパ」と呼んでいる。正式には「にこにこぱーく」という。土曜なので親子連れでにぎわっており、保護者の殆どは座っていて、一緒にボルダリングをするような大人はみかけなかった。nanaの後ろをついていったが、裸足の足が痛い。足をかけるところが小さいから体重を支えるために痛いのだと思う。

右から左に1回わたって、あとはnanaを見守る。

がんばれー。5歳のnanaはがんばる。どこかの姉妹に挟まれた。くのいちの戦いだ。

天井に張り巡らされたネットは、体重がかかると足の裏が痛いのだが、子供たちはものともせずに飛び回る。nanaが見えない。

あんなところに!!

殿が緊急入院して余命を知らされた後、1か月後に退院した時に生まれたnanaだ。救急車で市民病院から福井の病院へ転院するとき、娘が大きなおなかで見送ってくれて、一緒に見送ってくれた外科の先生が「赤ちゃんの顔を見れるといいね」と、言ってくれたそうだ。nanaは10か月の間、殿を癒してくれた。5月で5歳の誕生日を迎えたnanaである。

死んだ子の年を数えるという言葉があるけれど、生きている子供の年で、亡くなった人の年月を数えてしまう。そのことは、生きることをバトンタッチしたのだと思うと救われる。

nanaは、一緒にくるくる回る滑り台を滑ろうという。久々に奇妙な感覚。ミクロになって誰かの血管の中を流れているようだ。赤い、目が回る、滑る・・。

momoと娘が昼に来て、みんなでにぎやかな昼食となった。久々に土曜に家にいるので、近所に住む娘と婿がパソコンでダウンロードしたいのがあるということで居間に8名集合。我が家の人口密度がピークになる。

午後もmomoのバスケットがあり、娘が当番で出かける。その後、会社のお祭りの当番ということで奮闘し、旦那がのんびりゴルフだ!!と、ぼやいていたが、「文句を言える相手がいていいんじゃない。おかあさんなんて、どうしてくれよう・・と、思ってもいないしねぇ。」と、いうと「そうやねえ」と納得していた。

みんなと別れてから、夕方、食事の用意をして、弓仲間と金沢で飲むため加賀温泉から特急に乗る。ここからわたしの時間。

 


利休梅から

2019-05-24 | 山歩き

友達に教えてもらった木の名前は「利休梅(りきゅうばい)」だった。この花が咲くころに山を歩かなかったからか、長い間この花の存在も知らなかったとは。 

 

 その木を抜けると小道になっている。

母はイノシシが出るからと怖がっていたが、イノシシは夜行性というので大丈夫と思うが。タケノコはいい餌になる。今年は殆ど採れなかったと思ったが、本当はイノシシに食べられていたのでは。

なんと気持ちの良い空と光と竹と木と。

脇道に少し入ると不思議なアートに出会う。5mくらい森の中に入ると、そこはもう知らない世界になる。

大きな木が根こそぎ倒れている。

何が起きたのだろう。凄い力だ。根が盛り上がったあとの穴は、わたしがすっぽり入ってしまいそうだ。

自分の家の周りを歩くのに登山届などは出さないから、いい加減に戻らなくては。元の道に出るとホッとする。

家の屋根が見えるところまで15分で回れるはずが、あちこち興味深く歩いていて20分かかった。弟は、チェーンソーや草刈り機を買って、帰るたびに草刈りをして、林業おじさんみたいにしているせいか、山の上はきれいになっている。わたしはちょろちょろ歩くだけである。

 

 


20分山歩き

2019-05-24 | 山歩き

早朝に母の電話で起こされた。「財布がない・・」夕べから探しているのだと。

朝ごはんも食べずに、パンを買って出かけた。案の定、心配で朝ごはんも食べていない様子で、「一緒にパンを食べてコーヒーを飲んでから、探そう・・」と言って食事をする。「泥棒かも・・」「警察へ言わなくては・・」と、言いだした。

結局、棚の引き出しに入っていた。「ほら・・、あったやろ。落ち着いてご飯を食べると出てくるから。」「なんで、そんなにのんびりしとるんやと思ったわ。さっき、そこも見た・・」「気持ちが昂ると、あるものも見えなくなるんやね」母はほっとして、パンを食べ始めた。

その後、一緒に父の見舞いに行って、山を歩いて帰る。今日は天気も良いので、どこかの山へ行きたかったが、弟がきれいにしてくれた山の道を、ゆっくりぐるっと一周すると20分かかる。

まずは「立入禁止」からスタートだ。

赤いイチゴは緑の中でひときわ可愛くみえる。 三つ葉と共生。

 ふきの上に載っている桐の花。上を見上げると、桐の花は殆ど落ちてしまっている。

 少し行くと白い花。これは何だろう。ゆっくり山を歩くと、いつも見えないものが見えてくる。山笑うという季節はもう過ぎたのだろうか。暑くなっても山はいつも笑っているようだ。刻一刻と様相が変わっていくことを知らずに、毎日忙しくしている。そのことを、山に笑われているようだ。

  

 


花と蝶

2019-05-21 | 山歩き

どこかで聞いたようなタイトルだ。花は女か男は蝶か・・と。どちらでもない。花は花で蝶は蝶だ。

5月の審査と大会の後、風邪を引いて声が出なくて、咳も出だしたら止まらなくて、それが長引いて困った。父の入院費を払いに行くのが遅くなった。母を連れて病院へ行くと、父は気持ちよさそうに寝ていたのでそっと帰る。

実家の家の前の花が咲き乱れていて、まるで極楽にいるようだ。父が見る夢にこの景色を見せてあげたい。

赤い花を見ると元気が出る。赤は闘争心を掻き立てるという。闘争はしたくない。どちらかというと、逃走するほうだ。

  

柿の実になるもとの姿。緑が透き通るようだ。

 

 

 


広告

2019-05-20 | 暮らし

毎日新聞に広告が入ってくるが、殆ど見ずに捨てている。買い物はいるものだけを買うので、何円か安いからといって店巡りをしない。する暇がないのである。

なので、広告はいりませんと新聞店に断りたいところだが無理なようだ。実家の母も車がないので、買い物はタクシーで同じ店しか行かない。広告は店に貼ってあるのを見ればよい。

いたずらにいらない紙が増えることは、それを処分する労力もいるので、年寄りにとっては負担になるかもしれない。

今日も、新聞が届くと、中身を取り出して分別袋に入れる。

ん?「紫外線カットパワー最高値で、肌しっとり」!!!!なんだこれは。と、一旦捨てるつもりの広告を見る。「この広告に限り1200円」通販生活か・・・。お試し7日分1gか・・。くまなく読んでいるのである。

術中にはまるとはこのこと。


成長か老化か

2019-05-19 | 暮らし

かねがね不思議に思うことがある。樹齢何百年という木は成長しているのか、老化しているのか。巨木は老人のように見えるが、それでも生命の息吹を感じ、成長を感じる。

大きな木は、落ちる葉も半端ではない。弓道の知り合いのK先生は、庭の巨木の落ち葉が隣にも落ちるので何本か切ってもらったそうだ。その費用は200万円。レッカーも入らない所だそうで、大変だったそうだ。塀も壊したそうだ。

わたしの職場の木々も大きい。

森の中で生活しているようで、気持ちがいい。しかし、落ち葉も多い。ぎんなんも落ちる。

どうみても年寄りの風情だ。しかし、成長している。人間もかくありたい。年を取っても成長し続ける。

 


逆あおり運転

2019-05-19 | 弓道

弓道連盟の会議が朝から夕方まであるために、金沢へ車を走らせる。片山津インターまで走る途中。後ろにびたーーっと張り付かれた気配。

軽自動車だ。白黒のパンダ色。赤いパトライト。パトカーである。あおり運転というのは知っているが、これはなんというのだろう。速く走ったら検挙するぞ状態。

40キロ制限を、きっちり40キロで走る。45キロで走ってもよさそうだが、なぜかメーターとにらめっこしながら、針が1mmでも振れないように走った。

ようやく50キロ制限にさしかかる。後ろにびたっとくっついている。50キロ丁度にして走った。なんだか嫌だなあ。普通のあおり運転にあおられているのと同じくらい緊張する。

インターに入るころにはもういなかったので、高速に乗ったとたん、欲求不満が爆発したような気持ちになった。でも、不思議にスピードを出す気にはならなかった。

この日はちんたらちんたら走って県の武道館に着き、会議もちんたらちんたら流れていった。決算報告では、わたしはどうも数字が苦手で、おかしなところを見つけられない。ところが、文章となると、見つけなくていいものまで見つけてしまう。重箱のすみをつつかないように。

1週間前から、風邪気味で咳は出るは、声は出ないわで大変だった。少し暑くなると血圧も下がるのでしんどい。隣のI先生に「風邪で声がでない」と、言うと「ちょうどいいやないか」と、肩を震わせて笑われた。

帰りは誰にもあおられずに帰ったが、もやもや気分だった。すっきりしないのは風邪気味のせいだけではなさそうだ。


机運び

2019-05-14 | 暮らし

孫たちの両親が不在の日、夕飯を食べさせながら、kenに「ばぁばの机あげるから、持っていかん?」と、言った。前から机を買うか、うちにある机を持っていくかと尋ねていたのだが、本人は机が与えられるとそこで勉強をしなくてはならないので「別にいらん・・」と、いたって消極的である。兄には机があるのに、弟にはまだ買っていない様子なので提案した。まずは、机を見せて「おかあさんが大事に使っていたからいいやろ。立派な机やよ。椅子は壊れたので、じぃじが高級椅子を買ったんや」兄のkouがその椅子に座ると「すげー、座り心地いいー!!」

「今日こっそり3人で持ち運んだら、おとうさんとおかあさん、驚くやろねー」この一言で、心が動いた。「持っていくわ」。引き出しを抜いて、電気スタンドも椅子も運ぶ。一番の難関は、廊下のカーブと階段の昇降。3人で汗だくになり一段一段下りる。「手を離したら、ばぁばがつぶれるから慌てず、ゆっくりね」この緊張感が面白い。

タントには、机も椅子もすっぽり入って、kouは助手席、kenは「ここがいい!」と、机と運転席の後ろの間に乗った。ゆっくり走っても3分も経たずに到着。

今度は持ち上げるのが大変だった。それでも、外側だけなので、それほど重くないが、一段上げるたびに、膝に机の下を載せて平行にするのは山登りより大変だった。ようやく上がり終えて息を整える。やったね!と、喜ぶのは早かった。最後に2階のドアに入らない。兄の部屋と弟の部屋のドアがLの字になって出会うので、一旦兄の部屋に入れるが動かない。廊下のスペースが狭くて曲がらないのだ。

「終わったな・・」と、kouが言う。汗だくの中一と5年とばぁばはため息をついた。二つの入り口を塞いだ机を見て、kenは「また下ろす?」と訊く。後15センチほどがひっかかる。せっかく上げたのにここでまた下ろさなくてはならないのか??

「待て待て、頭を使って」「そうだ!!起こしてみよう」「こっちのほうが短いよ」机を起こしてみたら、難なく入った。やった!柱にぶつけないで!

この作業が楽しかったようで、kenは座ってみて、足の所に移動式の板があってちょうど両足がついてご満悦。「かあちゃんのやね」と、言うので「そうやよ」と、言いつつ不安がよぎった。双子の娘のどちらの机か断定はできないのだ。しかし、そこは言い切らねばならない。子供は母ちゃんが好きだ。 

kenに言った。「この引き出しにkenの未来が入るからね。自分で入れていくんやぞ」と、いうと、何を思ったか床にあったカニのぬいぐるみを引き出しに入れた。「あんたの未来はカニかい?」kenはぐふふ・・・と、笑う。そして、「かあちゃんに、おれの部屋にばぁばの机を置くんやけど、どこがいいか見てって言って2階に来てもらうんや」と、かあちゃんを驚かすシュチュエーションを想定していた。

子供は、特に男の子は母ちゃんが大好きなんだなと思った。驚く顔が見たい。ほめてもらいたい。 そして、未来は何だかわからないけど、とりあえずカニだ。

わたしは机の中の物を処分した。殆どどうでもいいようなものばかりだった。とりあえず引き出しに入れておくというようなもので、これは一掃すべきだ。

仕事は殆どキッチンのテーブルでパソコンに向かうことでこと足りる。kenの未来はわたしの未来でもあった。カニから始まる。

出来るだけ自分で減らしていかなくてはならない。少しずつ減らしていって最小限にしていき、最後はゼロになるんだなあ。

 


立て看板

2019-05-11 | 暮らし

先日、従兄弟たちと集まった時に、実家に立てた看板の話になった。ふきの畑に「立ち入り禁止」の看板を立てたのは間違いだったという話だ。

春になって、まむしが何匹も出た。叔父が3匹捕まえたという。母がそのことをすでに言ったのかどうか。看板に「マムシ出ます!!」あるいは、「マムシ出没!危険!!」こちらのほうが効き目があるのではないかと言われ納得。

人には他人の都合などよりも、自身の身の危険のほうが大事である。

たくさんのふきは皆で一緒にとって食べればよいが、母は見知らぬ人が来るのが怖いのである。わたしは、人よりマムシが怖い。人は毒を持っていない。ただ、毒を吐く人はいるかも。そういう人は、必ず正義を語る。「独裁者」は、本当は「毒栽者」と、書くのかもしれない。


キッチンの壁紙

2019-05-10 | 暮らし

キッチンの壁紙を連休前に替えた。暗い感じはするが、落ち着いた気分になるのもよいかなあと、落ち着かない日々を送りながら思う。

落ち着かないと言えば、今は草や木がよく伸びる。むしったはずなのに、振り向いたら今伸びたのではないかと思えたりする。朝早くから草むしりをし、手の届く木の剪定をした。

その後、父の見舞いに行くが、父は気持ちよさそうに寝ていたので、母とそっと帰る。

金木星が伸びて葉が大量に落ちるので、剪定しなくてはならないとおもい、シルバー人材センターに電話すると、今年はもう予約を取れない状態だという。結局、造園へお願いした。

午後は、空き地に「ラウンドアップ」を撒いた。暑い日だった。母は手伝うというので一緒に来たが、結局じょうろを持つのも大変そうだ。それでも、誰かが一緒にいるというのは心強いものだ。

今日の天気は山行きには最高の天気だっただろうが、山ではなくとも十分へとへとになった日だった。

 

 

 


弓道談義

2019-05-06 | 弓道

堀川から四条室町まで歩いて30分ほどかかった。1年ぶりに会う、静岡、名古屋、埼玉の仲間たちは、個性豊かである。わたしは一番影が薄い気がする。

20年程前に、練士の審査で劇的な出会いがあり、20年の間に、みんな上手になって、教士七段まで到達している。わたしだけは、まだ錬士六段で足踏み状態だが、まだ先があるということでまあよいか。いつまでもチャレンジできることが楽しみでもある。

肝味の豆腐とホタルイカだが、歩いたせいかお腹がすきすぎて手がぶれた。

弓道談議に花が咲き、大会入賞のUちゃんの話を肴に笑い転げるやら、ビールはすすむは・・。

そういえば、大会の参加賞は風呂敷きだった。70周年を迎えて複雑な状態をみんなで話しながら、とにかく自分たちの目指すところを、行くしかないねということで終わった。

みんなと別れてタクシーを拾おうと思ったが、また歩いて戻った。帰りはすごく早く着いた気がした。

さて、風呂敷はソファーのカバーになっている。りっぱな風呂敷だ!!と、婆さんが拝んでいた。

翌日の審査では、余計な力が入らず束ったものの合格発表では番号はなかった。甲矢が向こう弦だったものねえ。自分でも、あちゃーと、思うところを、審査員は見逃すはずはない。「またまた出直してきます。」

急いで片付けて、今回はタクシーに乗って一番早い電車に飛び乗った。ICOCAで乗車したので、電車の中で特急券を買った。加賀温泉までと言ったのに、車掌は「福井までですね。」「えっつ!!」「この電車は、加賀温泉には停まりませんよ」あぁ、またやってしまった。

スマホで確認したとき、15時40分とあったのに、駅の改札にその一つ前が表示されていて、これに間に合うじゃん・・と、何も考えずに飛び乗ってしまった。

このように、人生も何も考えずに次々に進んで、ずっこけている気がしてならない。それでもまあ、何とかなるだろう。電車の中でじわじわと反省と悔しさで、自分には程遠い合格の道ではなかろうかと、鬱々と考えていた。

でも、それよりお腹がすいた。早く帰りたい。

かくして、京都日帰り、仕事、京都お泊り、審査、また明日仕事とタイトな毎日を過ごした。

 


京都

2019-05-06 | 弓道

ちょっと人には言えないほど何年も京都通いだ。殿がいたときは車で来たが、車で来る自信がなく一昨年からひとりで電車で、長い弓とスーツケースをごろごろ引きずってでかける。初めての年に、西本願寺の横のホテルまでタクシーの乗ったら、すごく邪険にされた。こんなに近いのに・・みたいな感じだった。翌年から歩いている。歩くのは苦ではないが暑かった。

京都駅からまっすぐ歩くと東本願寺だ。

生まれた意義を探さないといけないのだろうか。勝手に生まれてきてしまったので、意義を見つけなくても一生懸命生きるしかないよね。生きるために必要なのは、感謝と喜びだと思う。自分の境遇を悲しんだり恨んだりしていては、一日も生きていけない。

こういいう看板があるということは、生きることがつらい人がいるのだ。生きることは辛くて厄介だ。それでも、生きていかなくてはならないので、何かに没頭するとなんとか生きていける気がする。マグロのように泳いでいないと、止まったら死ぬ。

さて、吉崎御坊で蓮如忌があり、京都東本願寺から4月の終わりに蓮如上人の御影道中があり吉崎に到着し、再び5月2日にこちらに戻っている。いつも、両親やこどもたちみんなで吉崎に出かけていたことをふと思い出した。

東本願寺から横へ抜けて、西本願寺に向かう。どこを向いても、仏具の店ばかりだ。

 ホテルの部屋に入って、一休みしてから、今度は堀川から四条室町へ向かう。

1年ぶりに会う友達と会食。


再び京都

2019-05-04 | 弓道

長い一日のあと、仕事に行って大きなミスもなく、大した仕事もせず無事帰る。

また、翌日から京都の審査に向けての旅支度。今回は和服。友達にも合うので、お土産も入れて準備万端。夜は弓道教本第4巻を久々に読みながら、付箋の貼ってあるところを見ると、線を引いてあって前に読んだ形跡はあるが、すっかり忘れている。何年前にどう読んだのか!改めて読み直した中に、鈴木弘之範士の弓構えのところで「気を凝らせない」とある。そうそう最近このことが少し分かってきた。しかし、この後、肝心の会と離れまで行きつかない。

京都へ行く前にあろうことか、節句の人形の折り紙の兜が落ちていた。ゲンが悪い。落ちるなどと。そっとかぶせ直した。

長い連休にすることがあることを喜ばなくてはならない。仕事があることも喜ばしい。さて、殿に挨拶して出かけよう。