まこの時間

毎日の生活の中の小さな癒しと、笑いを求めて。

靖国参拝

2013-12-27 | 暮らし

ここ1か月ほどの新聞は、「特定秘密保護法案」から「潜在的核保有国」という言葉がちらつき、不穏な気持ちを掻き立てる。挙句に、航空自衛隊基本ドクトリンで、「専守防衛」から「積極的平和主義」という言葉が出てきた。

ドクトリンとは何だ!「原則」ということらしい。何で「基本原則」と、言わないのか。しっかり日本語を使って納得のいくような説明をしないと、頭の中を通り過ぎてしまう。なんかややこしいことを言っている・・となると、関心が遠ざかる。気づいたら大事なことだったと後で分かるような言葉遣いは困る。

弓道で持的射礼をするとき、前から順に跪座の姿勢から立ちあがり的を射るのだが、次の射手が立つ間合いを自分たちで決める。あるいは審査などでは指示される。「本日は原則の間合いでやりましょう」を、「ドクトリンの間合いでやりましょう」などあり得ない。政治家はあり得ない言葉をどんどん作る。ある人は、あり得ない借用書を公開する。まさかわざとかく乱させるのかと悪く考えてしまう。

さて、先の流れの挙句に「靖国参拝」のニュースに驚いた。安倍さんは戦後生まれだから戦争をしようとは思うまい。けれど、いつの間にか流れがおかしくなっていないだろうか。世界でも「戦争の放棄」を掲げる国は少ない。その憲法を誇りたかく守るべきだと思うが、戦争をしません。侵略しません。という法律を持っているのは、イタリア、ドイツ・・他。もしかして、戦争に負けたので、倍返しを恐れて作らせた憲法か?まさか。

さて、ひとり白熱教室みたいになってきた。本筋が分からなくなって、正義も分からなくなってきた。

しかし、安倍さん言うところの「隣近所の顔色をうかがってやりたいことをやらないというのがおかしい」からと言って、皆の気持ちを逆なでするような行動はどうかと思う。気遣いが必要だ。私たちですらここ最近の新聞記事に警戒の感があるのに、中国、韓国はもっと警戒していると思う。気遣いは口にせずとも行動に現われると思う。

ちょっと電話してくれたら引きとめたのに・・・


ナマコの悲劇  その2

2013-12-26 | 料理

弟がインドから日本へ帰ってきた。3年間の単身赴任は終了し、住民票を移すため加賀の市役所まで戸籍謄本を取りに愛知より来た。

夜、旦那と寿司を持っていくと、父はいつもよりも嬉しそうに笑顔が絶えず、寿司を食べながらほっぺを押さえていた。本当に嬉しくてたまらないようだった。いつもは、わたしの作ったものに、たいがい難癖をつけるのに、この日わたしが作ったポテトサラダを「うまい、うまい」と、言って食べていたのはやはり嬉しかったからに違いない。何を食べても、何を話しても楽しいのだ。久しぶりの長男の帰省だ。

「そういえば、Tが送ってくれたナマコ食べよう」と、父が言う。父の甥であるT兄さんが、送ってきたという冷凍の味付けナマコを、母が出してきた。「美味しいやろ?」と、弟の発言にわたしは不審に思った。「それってTにいさんじゃなくて、〇也が送ってくれたんじゃ・・」。父は甥が送ってきたと思っていたが、実は自分の息子が送ったものだったのに気付かなかった。苗字が同じなので思い込んでしまったのと、差出人の名前が眼鏡なしでは見えないほど小さかったせいではあるが、間違えるとは弟が可哀想。

もし帰省しなかったら、ずっとTにいさんの送ってくれた「ナマコ」だと思っていたに違いない。のどに詰まらせないように、差出人は確認するようにと釘を刺したら「ねえちゃんは怖い」と、弟に訴えていた。

ナマコには注意を。


ナマコの悲劇

2013-12-26 | 料理

旦那がどうしても「なまこ」を食べたいというので買ってきて料理した。なまこのグロテスクなこと。すし酢に少し酢を加えて漬け込んだ。

夜、舅もなまこが大好きなので喜んで食べた途端「ぐっ!」と、詰まって黙り込んでいる。やばい。孫ならすぐ指を口に入れるだろうが躊躇した。そうしている間に治まり、大丈夫と言ったが、口にあるナマコを吐き出さず、再び飲んで、また目を白黒していた。ついに、旦那が「はきだせ!」と、どなって事なきを得た。

92歳にナマコや餅は危ないと改めて思った。婆さんは「このまま逝っても仕方ないと思ったわ。」と、あっけらかんとしていた。覚悟を決めたのか願ったのかおそろし。ついでに「嫁が出したナマコで死んだってことになる・・」というと「そうなるね」であった。爺さんの心配をしていたのは息子だけだ。恐ろしい家族だ。

その後、実家では、別のナマコ事件が起きた。


PC入院

2013-12-26 | 暮らし

ついにパソコンが動かなくなった。同級生のS君がPCの先生なので見に来てもらうと、どうもハードが傷ついているということ。

結局二晩入院。すっきりして戻ってきた。やれやれである。調子が悪くなるとお手上げで、ついにはシャットダウン出来ずに強制終了したことでますます悪くなる。悪循環だ。

この世の中は、携帯を持たずに出かけることが出来ないように、PC不能では、弓道の連絡は入らなくなるし、家計簿も写真もPCに保存してあるので、生活必需品だ。こんなものなくても生きて行けるはずなのに、便利なようで不自由な世の中だ。

さて年賀状も書かなくてはならない。パソコンを開く。

 


広報部会

2013-12-22 | 弓道

県の広報部会が金沢で行われた。几帳面な部長の「ブレーンストーミング的HPの内容進化・効率化(案)」を、審議し、日頃の部員の「月月火水木金金」いわゆる、弓の男の在宅勤務を慰労した。他の部と違い道場で仕事をすることがなく、お互いの部員の顔も知らないという間柄で、家のPCを通じてやりとりしているので、懇親会は楽しかった。

翌日は、護国神社の兼六弓道場で、部員一同の相互研修。これは大変有意義であった。

前日の飲み放題の体に喝をいれ、朝9時から和服に弓を持った青白い顔の一行は、弓を引きはじめたら赤みが差し、寒さの中で肌脱ぎをしての修練は物好き集団としか思えない。

講習会的ではあったが、和気あいあいと互いに遠慮なく指摘しあえてよいひと時だった。

ただ心苦しいのは、日頃わたしはあまり貢献していないので、ひたすらみんなの働きを応援するのみ。美貌に陰りが見えたおばさんを、仲間に入れてくれてありがとう。

(写真と文は関係ありません)

 

 


範教錬士会

2013-12-20 | 弓道

寒い。曇天の空の下に矢が飛ぶ。石川県の範教錬士会が先週土、日に行われた。愛知より近藤先生をおよびし、寒さの中にも関わらず熱意のこもった指導を受けることができた。

わたしの引きはじめの妻手の手首が力がかかっているとの指摘。実はずっとこの部分を自分で直しているつもりでいたので、がああんときたが、手首を持ち上げてもらって、いかに無為な修正を繰り返していたことか分かった。

休憩で真っ先にコーヒーを飲みながら「消極的な射、積極的な休憩」といって笑われていた。

納得がいく射にならずに昇段試験に臨むのはダメだと思う。5月を照準に組み立てていきたい。しかし、組み立てては崩れるということもある。身に着けるということは、生半可ではいけない。

旦那は、抗がん剤治療ですっかり筋力がなく、跪座から立ち上がるのも難しい。見ているのもつらいが、本人はもっと辛いだろう。でも、これを放棄したら日常生活も難しくなる。

前に立ちはだかるのは壁だろうか、幻だろうか。


フィボナッチ数列

2013-12-19 | 九谷焼

ひまわりを描いてみたらと、先生より大皿を渡された。どちらかというと百合とかぼたんを考えていたが、ひまわりのほうが描きやすいと思いながら図鑑を借りてきてみると、整列しているひまわりの種になる部分が美しすぎる。

いい加減な性格のわたしは筆が進まない。ちょうどEテレで「ひまわり」を放送いると主人がいうので、観たら数学の番組だった。黄金比率とはよくいうが、このひまわりは「黄金花」らしい。ますます描けなくて数日が過ぎた。

中心からフィボナッチというひとが見つけた数列で構成されている。目からうろこ。知って驚き。フィボナッチ数列は、1 1 2 3 5 8 13 21 34 55 と増える。これは、ひまわりの中心から種(花)が増える数である。木の枝分かれも同じ法則だ。

知らなかったことを知ると嬉しくなる。いや興奮に近い。誰彼となく言ってしまいたくなる。しかし、娘たちは数列よりフィボナッチの名前の方に反応していた。ちなみにフィボナッチとはあだ名で、本名「レオナルド・ダ・ピサ」という。ピサ村のレオナルド。ついでに「レオナルド・ダ・ヴィンチ」は、ヴィンチ村のレオナルドだそうだ。フィボナッチの意味は分からない。うちの旦那ならさしずめ「デカ頭」とかつけるが。

論理は美であり 美は論理である(「虚数の情緒」黄金比より)

意を決して描きはじめたが、微妙にごまかしが出る。ああ性格がもろに出る。恐ろしや・・


初心忘るべからず

2013-12-06 | 弓道

世阿弥の「初心忘るべからず」は、よく耳にする。初心に返れとは、せっかく積み上げたのに始めのころに戻るのは何ともったいない。いや、始めの頃のナイーブな、まっさらな気持ちを忘れるなということか。その時の志を思い出せというのかと思っていたが。それにしても、弓道を始めてン年近く経って、初めの頃の気持ちもないもんだ。

が、世阿弥の意図するところはやや違うということを知って、溜飲が下がる思いがした。「初」は衣へんに刀。どんな素晴らしい布地があっても、衣を作るときは必ずはさみを入れなくてはならない。つまり、次のステージに行くためには「かつての自分を切り捨てるべし」という、挑戦する心構えが必要だということ。それまでの自分を切って捨てていく覚悟をもて、という教えなのだそうだ。

さらに、世阿弥は「時々の初心忘るべからず」「老後の初心忘るべからず」ともいっている。人生どの段階になっても「自分を切り捨てる」初心を忘れてはいけない。

 


金沢東山 町屋塾

2013-12-04 | 暮らし

先生であるまゆみさんと、同じ受講生の輪島のsさんの3人で、最後の授業打ち上げ後、東山茶屋街の町屋塾で泊まった。

夜、片町から主計町を通り、東山まで受講生のHさんが、家が近くだということで案内してもらった。大きな欅の木がある神社などを通ったのだが、暗くて自分のいるところがどのあたりか分からないまま、町屋塾に着き襖1枚隔てた部屋と3階の不思議な造りの風呂。何もかもが初めてなのに懐かしい気がする。ここは、宇都宮千佳さんという舞踏家の方が経営している。

夜、遅くまで話し込みながら、翌日は体に優しそうな野菜中心の朝食の後、弓道の話で盛り上がってしまった。体の使い方、骨を合わせていくこと、長い間弓を引いていないまゆみさんの説は枯れていない。整体師であることも、専門的な体の筋肉や骨のことから語るので、説得力がある。

千佳さんはまゆみさんと親しく、紹介された時「武道家」と、聞き間違え「甲野善紀」さんの話をしたら、それでも盛り上がり、舞踏と武道がぐちゃぐちゃになった。とにかく、宇都宮さんのおもてなしと、食後のコーヒーのひと時に、他にお客さんがいないとはいえ、両手を伸ばしてあーたらこーたら筋肉と骨の話は楽しかった。

後は、私が実践して効果が出たら、皆に伝えたい。今は言えない。今の段階では、私の射に説得力がないからである。稽古が楽しみになってきた。飛躍的にうまくなったらどうしよう。