毎年加賀市で行われる「称号者講習会」は、今年は何故か小松の桜木の道場で行われた。お蔭で殿が観に行くことができた。加賀の道場は残念なことに3階のため登ることが出来ないからだ。
自分の薄っぺらな射に気付き(ずっと前から気づいてはいたが)、どうにかしようともがき苦しんでいた。大きな違いは、これではダメだとすごい危機感があふれてきたことだ。今までは、どこか少し妥協したり、甘い自分を許していたため一歩も前へ出ていないことに気付いた。
誰かに習うというのではなく、まずこうしたいという自分の気持ちがなくては、どんな良い講習も馬の耳に念仏。出来なくてもそこへ行こうとしなくてはならない。やれることだけやっていたのでは、階段を上がれるわけがない。
さて、それより何より、講師の先生や弓道仲間にお会いしたいという殿の気力に、車椅子を押して道場の入口へ行った。前から指導部の先生にわがままを言って見取稽古ということで半日見学を申し出ていた。先生は快く迎えてくれてありがたかった。道場の玄関で持ってきたタオルで車椅子の車輪を拭こうと思っていたのに、殿は歩くと言って廊下をゆっくり歩きだした。
みんなに会って、いつもより笑顔と会話とが飛び交い、何十年顔を見知っていてくれた人たちが、暖かい声をかけてくれたことで、胸が一杯になった。これは、わたし達にとって「宝物のような時間」だった。一コマ一コマを大切に思える時間だ。「遠くの親戚より近くの弓道人」
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わたしも、懸命に引くことしか出来なかった。引きが甘くあと2センチ引くように言われたが、これは先輩に言われていつもやたら手首で引こうとしていたことが間違いと先生の指導で分かった。柔らかくなくては伸びないのだ。全く反対の事をしていた。ここ数年、弓を引いて誰にも褒められたことはないが、今日は先生の声のお蔭で「もっと引いて!裏的!!」という声に助けられ良い矢がでた。まだ、自分一人の力ではないなとおもいつつも、矢が素直に飛んでくれた。後で殿にいうと、殿の角度からは立射の人の陰になって半分しか見えなかったらしい。
殿の疲れが出るといけないので、半日で帰る支度をしていたら「お父さんが、ちゃんと引けるか見守っとったよ。それに答えるような矢やった。夫婦愛を感じたわ・・・」と、言われた。後で殿に聞いたら「何も考えていなかった」と言っていた。多分そうであろうとわたしも感じてはいた。おまけに、ビデオショップが近づいたら「緋牡丹博徒」が発売されているから買ってきてとのこと。まあそんなとこだ。
わたしの射より高倉健さんの映画の方が楽しいに決まっている。それに、確かに弓は自分が引いてこそ楽しい。ごめんよ。昨日と今日は、久々に楽しかった。この日の為に時間を見つけては、ちまちまと稽古した甲斐があった。