まこの時間

毎日の生活の中の小さな癒しと、笑いを求めて。

そんなバカな!  遺伝子と神について

2015-10-30 | 読書

以前、竹内久美子著で、「浮気人類進化論」を、読んで大変面白かった。その話をしていたら、友人が竹内久美子の本を貸してくれた。「そんなバカな!」という題で、副題が「遺伝子と神について」で、ある。動物行動学者であるらしい。あるらしいというのは、今まで生物学者だとばかり思っていたからだ。どう違うのかは分からない。

ミツバチの話から、シロアリ、猿と話は広がるのだが、とにかく、子孫を残すために、あらゆる生物は、メスの気をひいたり、働いたり、巣を飾ったり、自分を飾ったりと大変な努力をしている。

そして、遺伝子を残していくわけだが、人間はその為だけで男女が仲良くするのではない。というのが、「浮気人類進化論」だった。そして、子孫を残してから子育てに長い時間をかけているのは人間だけだろうと思う。ついでにいうなら、最近は若者の収入は少なくなってきているというので、親が親である時期は延長しているように思う。

生物は、子孫を残したら死ぬが、人間は子を残した後、孫をみて、さらにひ孫まで見ることができる。その後が長い。100歳まで生きるのは、生物学的には驚異であるのでは。

この本の途中から、いつもの竹内節となる。図書館では生物や動物学に分類されるのは解せない。面白いからだ。バラエティという分類はないので仕方がない。内容は虫から動物に始まったのに、いつの間にか人間に対して皮肉なことをずけずけ言う。が、ほんとうにうなづけるのである。種の保存にオスは一夫多妻を望むが、人間はそうはいかない。人間のメスは発情しないので、一夫一婦が保たれるという説明が動物学的に説明される。わたしの思った人間の長生きが、生き続けることの知恵を自分の知らないうちに備えられている気がする。

 


トリムパーク弓道大会

2015-10-26 | 弓道

あわら市は加賀からすぐだ。そこのトリムパーク弓道大会へ、加賀仲間と出場した。小さな道場だが、心配りの行き届いた運営だった。「楽しんでいってください。」と、迎えられた。

前の夜、道場でみんなと稽古しながら、小松へ持っていった殿の弓をもう一度試すことにした。全く中らず、それでもしっかり妻手を飛ばすとなんとか中ったが、一緒にチームを組むメンバーには、初めから申し訳ない気持ちだったが、お互い何が出るか分からないところが試合の怖さ。

わたしは、初めてトリムパークへ行ったので公園内を一回りした。広い公園に親子連れが大勢い来ていた。寒い日ではあったが、天気は良かった。後で分かったことだが、娘が子どもを連れて来ていたらしい。そういえば、弓道着の人が歩いていたと。それは、わたしではないか。

試合では、ひたすら大きく引くことだけ考えた。1回目3中した。昨夜は12射ほどしても2中しか中らず、矢がのどばかり行っていたので、チームの仲間から「上出来、上出来」と、お褒めの言葉。お互いのチームを応援しながら、楽しい昼食時間と、弓道談義。試合の場では相変わらずの向こう弦と、短い会は今更どうもできない。いつもの自分をそのまま出すしかない。

後半、再度チャレンジ。始めの1本が三人とも的中した時、久々に緊張した。結局皆中逃しをしてしまった。4本目で皆中賞のりんごが頭にひらめいたのである。それでも、女子の6中は決勝戦へ行けることとなった。5人だったので、外しても5位までの入賞が出来るという消極的な気持ちで臨んだ。1射め的中。瞬間みんなの「よしっ!」の声が聞こえた。おおっ!何年ぶりだろう、決勝に出てみんなのよしっ!を、聞くことが出来るのは。

結果、大学生ら若い人2名が敗退し3人になった。ここで、外れても3位だと思って落ち着いて引いたら的中。若い人が外して、結局年配者2名が残った。吉永小百合 対 太地喜和子の闘いとなった。この時、本日2度目の中てたい気持ちになった。1度目はりんご、2度目は賞品はメロンだと噂されていたからだ。かくして、矢は地面にささり殿があっかんべえをしたような気がした。結果準優勝で賞品は大きな梨の詰め合わせをいただいた。めでたし、めでたし。

能登のR君が男子個人優勝で納射をした。後で彼から、わたしを応援していたのだと聞かされた。福井の試合で、石川のふたりで納射をしたかったと。しかし、それは道場破りみたいで義理に反するからこれで良いのだと、訳のわからない言い訳をして笑いあった。

みんなは待っていてくれて、帰りに芦原温泉に入って帰った。弓拭き用のタオル1本を持って入ったのである。風呂からあがって本日の反省を語った。いつものように後1本でチームも入賞とかいう話となる。わたしの反省は「次回はタオル2本と、下着を持ってきたい。」と、締めた。


老化は治せる

2015-10-26 | 読書

老化は病気(炎症)だから治療可能だ。というのである。(集英社新書、後藤眞著)

殿の本の整理をしていて、捨てる前にぱらぱらめくっていたら、黄色のマーカーがあちこちに引かれていて、手を止めた。

殿の残した本の整理は大変で、確実にいらないと思えるものを、階段に積んだ。ついでに、娘たちのマンガ本もあった。「バカボンド」20巻、他漫画44冊。殿の文庫本83冊、単行本93冊。

部屋には文庫本2500冊以上。概算で数えたら2500で、もう数えたくなくなった。電車通勤だったせいもあるが、常にカバンに2冊ほど入っていた。読み終えたらすぐに次のを読む準備をしていたのだ。最後の診察で本を読めなくなっても、鞄に1冊新品が入っていた。

さて、先の「老化は治せる」は、2013年発行で、ラインの引いてあるところを拾い読みする。

わたしに残した手紙もなく言葉もない。拾い集めるのは、読んだ本をなぞったり、マーカーを発見したりすることだ。こんなに本を読んで、なんか書く気にならんかったのかねえと思ったが、それは性格的なものだ。

この本の中に、アスピリンとガンについて書かれているところに、ガンにアスピリンが有効であるというところに、ラインが引いてあった。気付いたのだが、希望的なところに線は引かれているが、「もろ刃の刃で、多量にとると血が止まりにくくなり、危険です。臓器などの内出血を起し、出血多量や出血ショックが起こる心配がある。」と、いうところはスルーしていた。

殿はまさしく、この状態になったのだが、この本を読んでいるときは、次の年にこうなることは予想していなかった。しかし、希望があるから生きていけるのだと思う。いたずらに、心配ばかりしていても辛いだけだ。

黄色のマーカーを追いかけながら、殿が本当は悩んでいたのではないか、わたしには何も言わずに。と、思いながら、わたしに長生きしなさいというメッセージを残したのかとも考えた。


柿を採る

2015-10-25 | 料理

母は腰が曲がってきて、柿を採るのが困難になってきたので、わたしが高度な技術を駆使して採ることにした。

高枝鋏が壊れてしまったので、竹で採る。とにかく、下へ落とさないようにしなくてはならない。せっかくの柿が傷だらけになってしまう。

じゃーーーん。くるっと回して、枝を折ると、がああーーん。落ちた。草のふわふわしたところに潜り込んだが、拾うのが怖い。母が、「この前マムシがでた。」と言ったからだ。

足で草をかき分けながら、用心して拾う。第二弾、じゃーーーん。うまくいった。段々と技術が向上していく。しかし、木に登った方が早いので登ると結構採れるのだが、いつも思うのは、登るときと降りる時では、足の長さが違うのだろうかと思えるのだ。たしか難なく登ったのに、降りるときは、どの枝だったのか届かないのである。

柿の木はポキポキ折れ易いので気をつけなくてはならない。いくら体重が激減したからといって、30キロの米の袋よりは重い。おまけに、仕事に行くようになってから4キロも増えたのである。木の枝の根本に足をかけて慎重に登らなくてはならない。何と言っても、そそかしいのだから。しかし、木登りは楽しい。わくわくする。最近、わくわく度やときめき度が少なくなっているので久々にスリルがあって良かった。

 


女性議会

2015-10-24 | 暮らし

市の女性議会に出てほしいと言われ、殿の幼馴染である市会議員Hさんの奥さんに頼まれて傍聴に行った。余談だが、殿は一昨年市会議員選挙では、そのH氏の事務局長をした。その頃から少し具合は良くなかったので、必ずわたしも一緒に選挙事務所に出かけた。トップ当選した時は最高に嬉しかった。そのHさんは、殿の葬儀の時に町内の受付や会計のお世話になったので今回は役に立てばと出かけた。

夜7時半よりの議会の傍聴席にいるだけなので、シナリオ通りに議事は進み、各女子連のお歴々が読み上げていく。傍聴席は意見は言わなくていいので、仕事帰りのせいか黙って聞いていたら眠くなった。

しかし、議題の中で「人口減少問題」というのがあって、「消滅可能性都市」に挙げられているというのを初めて知った。ドラマでは「限界集落」というのを取り上げていたが、それと似たようなものなのか。

後で調べたら「限界集落」は、人工の50%が65歳以上の高齢者であるということ。では、「消滅可能性都市」とは、少子化の進行に伴う人口減少によって、存続が困難になると予測されている自治体。こちらは、自治体経営の破たんを指摘しているということ。

それでは、ここでぼおっと傍聴している私にできることは、今更子供も産めないし、どうなんだろうと思っていた。

引き続き「男女共同参画社会」についての話し合いになったが、残念なことに受付で名簿に名前と職業を書いたときに、殆どの方が「無職」で、部屋へ入ると、そこが限界集落という感じで、もしかしてわたしは、一番若かったのではないかと思えた。そこで、女性の社会進出の話をしても、どうにもならないと思った。今、活躍している女性はここへ来る暇はないのである。

要するに、こういう催しをしましたということだったのかと感じて帰路についた。


ハロウィン

2015-10-19 | 暮らし

学童でハロウインをするので、衣装を作らなくてはならなくなった。ミシンが壊れてしまったので、黒の布をちくちく縫って、マントとスカートを作る。近所のミシン屋さんがつぶれたのでミシンの修理を頼むところが無くて困っていた矢先。「せーんせ、こんなの作ってぇ。」なのだ。

子供たちは、当日近所を回ってお菓子をもらう予定だ。もちろん、お菓子は前もって預けておく。

それにしても、一体いつからこのような催しをするようになったのだろう。

日本の行事なら、10月はお寺では「報恩講」が行われるのだ。子供たちに「ほんこうさん」に、出なさいとは誰も言わない。この辺では殆どの家に仏壇がある。しかし、孫たちはお寺ではなくハロウィンをする。そういうわたしも檀家であるお寺にお布施だけ持って行って参りもせず帰ってきた。

日本人は行事ごとが好きなのか。ハロウィンが終わると神社で七五三。

友達は言う。バレンタイン、恵方巻き、ハロウィンは、景気浮上策であろうと。


ひとり弓道大会

2015-10-18 | 弓道

ひとり稽古はあまり良い結果がでないので、ばたばた引くのはやめて、どうしたら真剣に引けるか考えた。

殿が元気な時は、時折「弓道大会しよう・・」と、ふたりで本数を決めて競射したことがある。それを思い出して、ひとり弓道大会をすることにした。ひとりで大会はないだろうが、弓を替えて引いてみる。殿が体力がなくなって16キロの弓が引けなくなったので、13キロを購入したのだが、それで冬の講習会に出たきりで、ついにそれも引けなくなり、日の目を見ることが出来なくなった。何とか生き返らせたいと、殿の弓を引いてみたら、案外いい感じだった。入り気が強いが、それくらいはかえっていいのではないかと言われたので弓道大会に出場。マコ弓と殿弓と、もうひと張りは以前からたまに引いている寸詰まりの弓。

ひとり3役で、2本ずつ引いては矢取りに行って、6本ずつ引いた結果、殿の弓が皆中。

寸詰まりは4中。わたしのは最下位3中。

ひとり予選会は終わって、小松の弓道大会へ殿の弓を持って行きデビューさせた。8射3中で家で引いたようにうまくはいかなかったが、とりあえず殿の弓を生かすことに成功。考えてみれば、弓を替えても引く人間は変わらないということに改めて気づいて、修練の足りなさを思い知らされる。

 

 


戦争の日記 続編

2015-10-17 | 暮らし

見つかりました。一緒にあった「三谷小学校100年史」に、そのHさんの苗字と同じ人が職員欄にあり、大聖寺の松ケ根町とあった。娘の嫁ぎ先の近くの町だが、いきなり訪ねていくと不審がられれそうなので、その近所の飲食店へ電話した。以前から知り合いの飲食店の奥さんが「Hさんなら斜め向かいだから、聞いてあげるわ。Hさんが見たいようであれば奥さんに電話してもらうし。」ということで「今度娘とごはん食べに行きますねー。」と、言ってお任せしてしまった。

翌日、Hさんから電話があった。日記の主は祖父であろうということと、三谷小学校の名簿にある方は教職をしていたお父さんであるということで、土曜の2時に我が家へみえるということに話は決まった。

話をしていて、一番の謎は「なぜ鳥越村の山奥から出てきたのか?」ということだった。母の実家と三谷小学校のつながりも全くないし、関係者はみんな亡くなっていて、誰にも分からない。

Hさんは職業軍人だったそうで、家に刀剣もあったらしい。それらしい几帳面さが出ている。背筋のピンと伸びた近寄りがたい感じの方だったとのこと。

それより何より、Hさんの妹さんはわたしの同級生で、Hさんの奥さんも同級生であることが判明した。世の中は狭いのである。だが、返す返すも鳥越の古い家にあったことが不思議だ。

訪ねてこられたHさんは、ちょうど殿くらいの年齢で「おいおい中身を見て調べてみます。」とのこと。この謎は解けるのだろうか。


戦争の日記

2015-10-16 | 暮らし

母の里は鳥越村の奥にある。本家の仏壇から本が出てきた。明治36年の発行の「枕の草紙 上 下」と、「婦女の手がみ」という手紙文などの例が載っている本。古いが表紙は布張りである。

さて、その他に戦争中に書かれたと思われる日記があった。「昭和13年中支派遺軍」という表紙に中将の名と、書いた人のH氏の名がある。叔父はこれを書いた人の家族に渡してはどうかと母に持ってきたのは、その日記と一緒に「三谷小学校記念誌」があったからだ。三谷地区に関係のある方ではないかと言うのである。日記は几帳面に書かれていて、写真や新聞の切り抜きが丁寧に貼ってある。これは戦争の頃の貴重な資料ではないか。

鳥越の家とそれを書いた人とのつながりは分からない。本家の伯父は亡くなっている。母の弟で小松に住んでいる叔父が本家の仏壇の裏にあるのを見つけた。小松の叔父が「まこは頭がいいから、持ち主をみつけるやろう。」と、言って母に預けて行ったらしい。母は「おっちゃんは、そんなことを言うていったけど、お前はいつから頭が良くなったんや?」と、言う。おちょこちょいでしかない娘である。「たぶん勘違いやろ。ただ大聖寺を知っているのはわたしだからやろか。」ということで、持ち主探しをすることとなった。

「支那姑娘達」という写真や、天皇陛下の新聞の切り抜き。当時の新聞の字の小さいこと。昔の人は目が良かったのか。


オイコノミア

2015-10-14 | 暮らし

今週の「オイコノミア」(Eテレ 又吉直樹×経済学)で、本の価格を経済学で語っていた。

それを観ながら本の流通のことを考えた。過去に、わたしがある出版社の応募に原稿用紙30枚書いて優秀賞をもらえたことがあった。「団塊の主張」という本で、何篇かの作品が1冊の本になったものだ。殿の事を書いて賞金10万円もらえたが、表彰式のために東京へ行って飛行機代とお土産で殆ど使ってしまった。ここで10万円の行方の事はどうでもいいのだった。

本が出ると書店にどのように並ぶか見たくなる。ところが、田舎の本屋には並ばないのか、どこへ行っても扱っていない。それで、東京へ行った時に、八重洲ブックセンターへ寄った。大きな本屋にはあるだろうと思ったからだ。店員に聞くとパソコンを覗き「はい、あります。」と、言って案内してくれた。やはり東京だなあと感心しながらついて行くと、案内された場所にはなかった。平積みなどおこがましい。沢山の平積みの本の台の下にある引き出しを引いた。その中にあったのだ。まるで、人目に触れないようにしてあるようだった。

その時思った。本というのは、簡単に出版社を作っても流通に乗せてもらえないのだと。また、物を書くということはなかなかの事なので、ブログを書くこととは大違いである。人にお金を払わせて読んでもらうのだから、自分でお金を払ってカラオケを歌うのとは訳が違う。何のことだ。

とにかく、本を売ることの大変さを知りつつ、又吉さんの233万部売れているということのすごさ。図書館へ行ったら、65人ほどリクエストの順番がついていたので諦めた。

 

 

 


おっちょこちょい

2015-10-14 | 暮らし

母と片野の「海坊主」で、窓辺の席でコーヒーを飲んでいると、砂浜で舟を片付けているオッチャンが見えた。よく見ると前の職場で親しくしていたMちゃんだった。外へ出て声をかけると「舟を片づけたら行くから待っていて」とのこと。

軽トラにボートを乗せて去って行ったあと、しばらくして喫茶店に入ってきて、マスターと親しく話した後やってきて「財布持ってこんだし、まこ姉おごって。」と、相変わらずだった。

母に紹介したら、母は「いつもお世話になって、おっちょこちょいで。」というと、Mちゃんはすかさず「ほんとに、おちょこちょいやわ。」と、二人して何故わたしのおちょこちょいで盛り上がるのか。

結局、母のおごりとなった。なんということだ、いい歳をしたおっちゃんとおばちゃんが、齢80過ぎの老婆にお金を出させるなど、おれおれ詐欺ではないか。爆笑しながら、3人で海の話や、津波の話、舟が陸に上がった話と、蜃気楼の話。海を眺めながらの会話だった。母はおおいに喜んでいて、Mちゃんを気に入ってしまった。特に、わたしをけなすところが嬉しかったようだ。

わたしは反論した。「おっちょこちょいではなく、そそっかしいと言ってほしいなあ。ちょっと雰囲気が違うやろ。」「違わん、違わん。」いずれにせよ、おちょこちょいなのである。 


しいのき迎賓館

2015-10-13 | 暮らし

金沢のしいのき迎賓館前で「アート展」があり、12日までというので娘を誘って出かけた。今日は女の子ふたりの孫なので、猿の子のように飛び回ることもなく、4歳の孫はあちこち可愛いものを見つけて興味を示していた。トンボ玉や、髪につける色とりどりのピンを買うと喜んでいた。

本日の目的の九谷焼のコーナーにはkomeさんの作品が楽しく飾られている。猫が可愛い。

あいにくの小雨の中ではあったが、客足は途絶える様子がない。あちこちのテントはにぎわっていた。


散策

2015-10-12 | 暮らし

日曜日、実家の山を孫たちと歩く。どんぐりや、松ぼっくりを拾い、山椒の枝をとる。子供たちは、みかんを採って食べながら、どんぐり拾いを楽しんでいた。

猿の子たちは、彼らのひい爺さんの作った山小屋前の松の木に登ったり、ぶら下がったり。製作者であるわたしの父は入院中で、果たしてこの山小屋へはもう来ることができないであろうと思うと寂しい。

家へ帰って、秋を飾る。栗は小さくてどんぐりとかわらないほどの大きさだ。山を歩くといろいろな植物に出会い面白い。しかし、栗の実を食い荒らしてある跡があるので、たぶん猪であろうと母は言う。

犬のように悠然と横切っていく動物にあったりする。尻尾がふんわりしているのと、顔が少しとがっているのできつねかと思える。

昨年の秋、孫たちの栗拾いに殿が一緒に山に登ってきた。ずっと腰かけて栗拾いを見ていた。どんなにしんどかっただろうと今になって思う。殿は殆ど辛いと言わなかったので、その頃は体力が落ちたのだと思う程度だった。娘と「あの栗の木の下に座っていたね。」と言いながら、思い出していた。

昼になって雲行きが怪しくなってきた。車に乗って帰路についたとたんどしゃぶりの雨になった。危ないところだった。


くるみ割り

2015-10-10 | 料理

とんかちで割っていたのを、ただの通りすがりさんのアドバイスでネットをみたら大成功。

上の写真とは大違い。美しい割れ口。

さっと洗って、フライパンで温めること6分。包丁を割れ目に入れて、うまくひねると実がそのまま出る。感動巨編。早く孫に教えてあげたかったが、夜も遅いのでひとり興奮を抑える。

夜遅く、姑も寝てしまった。「ねえ、見て見て」という相手がいないので、パソコンで不特定多数の方に「ねえ、見て見て」と言う。 


猿の子

2015-10-08 | 小さきもの

娘が出張で、婿殿は夜遅く帰るので、孫たちを一晩泊めることになった。ランドセルと、着替えで大荷物だ。

宿題の本読みをする。〇を書いた後「祖母」と書くと、1年生の孫は「そぼってなんや。」と言うので、「美しいおばあさんのことや。」と、言ったがすぐに嘘だと見破られた。

くるみを拾ってきたので、3人でとんかちで割ってほじった。どうすれば、きれいに割ることが出来るのだろう。粉々になったので、パンに混ぜて焼くことにした。

さんまを焼いたら、絶賛してくれた。今のサンマは美味しい。豚汁もごぼうや、大根やジャガイモ、人参と具だくさん。久々のにぎやかな食卓に、夜は布団の中でなぞなぞや怖い話をすると、猿の子がからみつくように、ふたりとも両腕にくっついてくる。いくつまで、こんな風にわあわあしていられるだろう。この子たちが大きくなったら、猿でも飼おうか。しかし、猿はなぞなぞに答えないし、笑わない。いいもんだ、人間の子は。