ふたりでオーブン陶芸をした。旦那は皿で、わたしは水玉模様のアイスペールを作った。先日、旦那の友達が見えたとき、焼酎に氷を入れるため使っていた陶器製のものが、片付けているとき底に小さな穴が開いてしまったた。それも手作りだったのでよく見ると薄くなっていて、とんとんと軽く叩いたら大きな穴が開いて植木鉢になってしまった。それで、自分で作ってみたものの、今度は丈夫そうだが植木鉢のような姿になった。
オーブンなので、強度的にどうなのか心配だが、とにかく出来上がりが楽しみだ。
ふたりでオーブン陶芸をした。旦那は皿で、わたしは水玉模様のアイスペールを作った。先日、旦那の友達が見えたとき、焼酎に氷を入れるため使っていた陶器製のものが、片付けているとき底に小さな穴が開いてしまったた。それも手作りだったのでよく見ると薄くなっていて、とんとんと軽く叩いたら大きな穴が開いて植木鉢になってしまった。それで、自分で作ってみたものの、今度は丈夫そうだが植木鉢のような姿になった。
オーブンなので、強度的にどうなのか心配だが、とにかく出来上がりが楽しみだ。
旦那の診察日は必ずどこかでランチをする。日頃は、家に年寄りがいるので、殆ど外食はしないのだが、診察の日は、昼にかかることもあるので先に食べていてもらうことが日常になった。
秋晴れの山中で川床でお茶などどうかと提案するが、あやとり橋から川床を眺めた旦那が、あそこまで降りるのは無理というのであきらめた。
どんな具合か次回には行くことが出来るか川床の偵察をしてきた。
偵察してくる間、旦那はあやとり橋を渡り終えて一休みしていたので、これでも随分大変な様子。
何故か道頓堀へ行ったような、大きなカニがお出迎えの「かがり吉祥亭」でランチをした。
サービスの食後のコーヒーを選んでいて「カフェ・ラテ」と「カフェ・オレ」の違いが分からず悩んだ。どちらもコーヒーと牛乳で、一体何が違うのかという議論をしたが、旦那は全く興味がないようで、眼下に見える川を眺めていた。体力的に妻との議論は辛いようだ。健康な人でも、妻との議論は嫌なものだろう。
後で、ひっそりと調べたら「カフェ・オレ」と「カフェ・ラテ」は、どちらもコーヒーと牛乳で間違いなく、コーヒーが普通のものと、エスプレッソとの違いらしいということが分かった。ひっそりと調べたが、TVの前で半眠りの旦那に大声で違いを説明してしまった。旦那は静かに「少し微熱がある」と言った。
退院後、一日に何回か血圧と体温を測っている。元気が出ない分、妻への反抗の言葉はない代わりに「血圧が下がった。」とか、「熱が出た。」とかで、妻を完全に黙らせる。おまけに、時々鼻血を出して、妻にいたわってもらおうとする。それがわざとなら笑えるのだが。
金沢大学病院(正確には金沢大学医学部付属病院)で今回はCTを受けた。半年に1回受けなくてはならないのだが、血液検査と、CTを受ける前に造影剤を入れるための注射針を刺す時、少し身構えてしまった。病気の時はあきらめのような感じで、注射とかは受け入れることが当たり前のような感じだったのに、最近自分が病気だったことを忘れている時間が多いので抵抗感がでてきた。
そういえば、副作用の手のしびれも、いつの間にか気にならなくなった。朝起きて手がしびれているときは、前日下手な弓を引いた時くらいだ。
旦那や父のために病院へ行ったりしていると、わたしが一番元気なので、要観察の身の上を忘れる。実際、昨年の2月から、治療は一切していない。毎月、再発していないか検査をするだけだ。ありがたいことに、ずっと異常なしなので、わたしとしてはもう通わなくても良いのではないかと思う。だからといって、こういうものは先生からもう来なくてもよいと言われるまでは、通い続けるものなのかと思う。
もし、この通院がなければ、すっかり自分が癌だったことを忘れてしまう時間が多い今日この頃の生活だ。でも、入院中に再発を告げられて再度治療を受けている人もいたので、油断ならないのも現実なのだ。それは、初めて癌を告げられた時より、ショックは大きいと思う。
なので、なんか邪魔くさいなあと思いながらも、今日も無事でありましたと感謝しながら通うしかないのか。
帰りに、ずっと気になっていた「いちじくロール」を買った。2年間も気にしていたのだ。ここへ来て買ったのは何故か。
病後は甘いものを控えていた。旦那が少し食べられるようになってきた。何となく自分の中で禁がとれた気がしたからか。いや、訳はない。むしょうに食べたくなっただけである。
日曜は、交流分析を学ぶため金沢へ。駅は日々変化している。新幹線が通るからだ。朝早くから弁当は売られているし、お土産はどれも美味しそうだし。早めについて弁当を買ったら本来の目的を忘れそうになった。
駅の外へ出ると、なんと外国へ来たのかと思えるような外国人の団体に圧倒される。
一か月に一度会う人たちとも慣れてきたが、仲良くなったころにはもうあと2回を残すだけとなった。休憩時間に盛り上がって、しっかり一日勉強をして思うことは、一番贅沢な遊びは勉強なのではないかと思う。忘れっぽいお年頃なので身についたかどうかは自信がないが、この頃は、自分のために時間を使うということは殆どないので、楽しいし結構真剣になる。
日々の生活の中で、なかなか学んだことを実行できないが、何も知らないより良いのではないかという、非常にアバウトな学び方だが楽しい。きっとここに来ている人たちと、目的を同じくしているということも楽しい一つなのかもしれない。
2年ぶりに加賀以外の試合に出た。昨年加賀の開設記念に出て4射だけ引き、今年は加賀の開設記念と十万石まつりには出たが、他の試合には2年間出ていなかった。なので、一昨年の病後以来初めて出ることができて、それも霊験あらたかな安宅の神社で弓を引けて嬉しかった。
安宅の試合は若いころから何十回となく出ていたが、ほんとうに久しぶりで、おまけに落ちになって、ご神木がどおおんと迫ってくるので、ご神木に対して「ちょい、太ったんちゃう?」と、聞きたいくらいだった。
中たりは8射2中でいまいちだったが、加賀の仲間に「頑張ってましたね。」と、言ってもらえて嬉しかった。会でのがんばりが見える射をしたかった。5秒以上の闘いは早気のわたしにとって格闘技並みのことだった。
何より、旦那を気にしてくれる人と話が出来て良かった。わたしが旦那を家に残して出かけることが出来るようになったというのは何よりだ。まだまだ心配ではあるが。
本日の記念品の「礼記射義」を飾った。前に頂いた絵馬はあめ色になっている。年季が入ったと同様、人間も年季が・・・
毎年、父と母が栗を拾うが、今年は退院したものの父は山へは登れず、母も腰が痛いので拾う態勢はきついようだ。
娘が孫と孫の友達を連れて行くという。蚊が多いので、長袖、長ズボン、首にはタオル、帽子と念入りな防御と、ぶら下げの蚊取り線香と、虫よけスプレーをするようにと娘に伝えた。何故なら3日前、わたしは虫よけスプレーと、長袖、帽子で出向いたが、頬に3つも食われた。いくら美しいとはいえ、顔を狙うとは。
栗のそばにおんぶバッタがいる。分かった人には賞品を。引き渡し場所は我が家。(賞品はもちろん栗)
なんといっても元気が出るのが孫の運動会だ。朝早くからテント席を取るために出かけ、少し寒いのでひざ掛けをして観戦。そのうち段々暑くなる。
とにかく開会式から子供たちは走る、走る。
応援合戦では大声ではりきり、6年生の先導に小さな1年生も腕を後ろに組み体をそらす。2年の孫は、家で披露してくれたとき、体は斜めに天井を向くようにしなくてはならないと張り切っていた。そういえば「あすなろ三三七拍子」の「押忍!」を、思い出した。孫のいる黄団を応援する。
砂埃が舞う。熱戦が繰り広げられる。
なぜこの広い運動場で、小さなスプーンにピンポン玉。せこい競技だ。風があるので球が落ちる、落ちる。
昼食時間は、体育館で休む。防災用の敷物を持ってきてタオルケットをかけて旦那は横になって休んで午後の部に備えている。
5年生の組体操は毎年父兄を泣かせる。けなげで、一生懸命で、地面にはいつくばって、泥だらけの演技だ。
黄色頑張れ、あ、引かれてる・・引かれてる・・またまた砂ぼこり・・。
朝から最後まで観ることができた。最長観戦記録。旦那も持ちこたえた。子供たちを観ると元気がでるのだ。どの子も、どの子もかわいい。
片野海岸にある「うみぼうず」へ行った。旦那が少しずつ元気になってきたので、今日は階段のあるところ。
ちょっと前、ビデオショップの3段ほどの階段が辛いと言っていたので、無理なら海を見て帰ればよいかと向かった。さすがに杖をついて階段の前で躊躇した。「無理や・・」というので、「無理せんでいいよ・・」といったが、なぜか黙々と登り始めた。
店は実家から近いので、私の両親がよく来ていた。さすがに今は無理だが、店内はマニアックな感じで、前に来た時よりもっと凝っていた。
カウンターの上に団扇のようなものがふわふわ動いている。
窓からは海が見える。サーファーが何人か波に乗っていた。わたしは、「カフェマキアート」を、旦那は「カフェラテ」を注文した。「カフェラテって、なんや?」と、問うので「コーヒー牛乳やろ。」と、年寄りな会話をして、ぼーーーっと海を見て、別段話すこともなく、それぞれの飲み物を堪能した。
まだ体力が戻っていないのは、会話のテンポでわかる。前は漫才をしている如くダジャレも連発していたが、今は何となく受け答えがぼんやりしている。しかし、確かに回復しているのは分かる。なぜなら、わたしのおしゃべりに耐えるだけの体力がついてきた。時折、思い出したように返事をしている。そして笑い声が出るようになった。
無事階段を下りて、本日のリハビリは完了。しかし、きつい階段だ。カメラを構えたわたしのほうがくらくらする。
9月14日、今年も十万石まつり弓道大会を開催した。高校生が試合に出る機会が少ないので、少しでも助けになればと思い始めた大会である。福井の北陸中学、高校とのつながりもできて、今年も78名の部員が参加してくれた。「78名もいたら指導が大変でしょう」と問うと、メガホンで叫んでいるとのこと。先生の努力は素晴らしい。
加賀は3階の道場なので、旦那は見に来ることができなかったが、良い大会だった。若い人が増えたので、仕事は殆どなく開会式と閉会式を担当した。マイクを持つと小百合になる。
若い人が増えると年寄りは仕事に口を出さず任せた方がうまくいく。年寄りは「口を出さずに金を出せ」である。打ち上げは祭りで飲み会だ。若ものたちはおおいに盛り上がったことだろう。わたしは、引き続き、わが町の祭りの為に旦那の待つうちへ帰った。さぞかし首を長くして待っているかと思ったら、近所にいる娘の家でビールを飲んで首は亀のように胴についてソファでうたた寝をしていた。
瀬越の竹の浦館で食事をした。旦那の病院の帰りである。
経過が順調なのと、本人も少しずつ出歩けるようになったので、静かなところが良いかとおもい出かけた。
竹の浦はもともと小学校だった。わたしが会社へ入ったころは「瀬越青年の家」として、会社の研修会や組合の研修などが泊りがけで行われたところで懐かしい。今は地元の人たちが特産物を売り、食事を出している。
良い天気だったので、外で食事をした。ついでに「飲む点滴 甘酒」という張り紙に魅せられて、冷たい甘酒を食後に飲んだ。秋の空を見上げての食事は格別。
我が家は爺と婆に加え猫も年寄りだ。13年経つので換算すると82歳だということ。
2年生の孫のkouが、学童保育で自分の爺さん婆さんにメッセージを書くことになり、全部で9枚書かなくてはならないと言うと、先生に驚かれたとのこと。我が家に4人、わたしの実家に2人、婿殿のご両親と曾ばあさんとで9人だ。日本の高齢化社会を象徴するような感じだ。彼の小さな肩に9人が乗っかる。
この数ある爺、婆の中から選ばれてプレゼントをもらった。薄紫の絞り染めの手作りハンカチだった。夏休みの間、学童へ送り迎えをしたからだそうだ。昨年も学童で手作りの携帯ストラップをもらった。ちなみに、数いる爺婆さんの中では、わたしは一番若いのである。白状するが、小百合さんより10歳若い。だからどうだと言われたらそれまでだが、プレゼントをもらえるのは嬉しい。
93歳の爺さんは、メッセージカードを貰って何の感動もしていなかった。書いてあるのを見たら「長生きしてください」だったので、これ以上長生きすることが辛いのかと思えた。
弓仲間ではない数少ない友達である西〇さんは、旦那の高校からの親友である。今まで何回か訪れてくれたが、転勤族である西〇さんもようやく役員職も終えて互いに仕事から解放されたことで、昨年9月に奥さんと一緒に来てくれた。
その時、横浜に住んでいるので、是非とも豪華客船に乗ろうと互いに誓い合った。横浜発の船だ。
ところが、4月に旦那が危ない時に、わたしは昨年撮った写真を渡すことを口実に、年賀状の住所を探して手紙を書いた。このときは逼迫した手紙を泣きながら書いていた。是非とも会いに来てほしいような手紙の内容だ。投かんした後、何日経っても、何の音沙汰もなかった。
旦那が退院する少し前、「宛所が不明です」とのスタンプを押されて戻ってきた。戻ってきて思い出した。「横浜発の豪華客船」の話をしていたじゃないか。わたしの送ったのは、その前の住所「群馬県前橋市」だった。西〇さんは現役のころ北海道も行っていたし、住所はよく替わっていた。おまけに今年は喪中で賀状は受け取っていない。そのことを忘れていた。しかし、結果的に手紙が戻ってきて、ほっとした。旦那が思いのほか順調に過ごしているので、手紙の内容は笑い話になったのだ。
今年も、実家の稲刈りに来て、奥さんと来てくれる連絡が入った。嬉しくて前日の真夜中に柿の葉寿司を作り、朝から座敷をしつらえて待っていた。殿方だけ座椅子を用意した、というか二つしかないのだが。
西〇さんは稲刈りを終えて夜7時に訪れ、旦那は久しぶりにビールを口にした。いつも体力がなくてかすれ声だったのに、やけに饒舌に語っていた。そして、戻った手紙を処分した事を語り、住所を間違えたことが笑い話になったことが嬉しい。
この日、旦那は5時間持ちこたえていた。確実に快方に向かっていると実感した。
9月10日の新聞に錦織の快挙が載っていた。ずっと前から注目されていて、ついに快挙を成し遂げた。日本初、アジア初の快挙である。新聞の見出しを見ながら、あることに気付いた。ほんの少しの言い回しで、随分印象が違うことに気付いた。
うちは地方紙A紙とB紙をとっているが、この見出しの違いについつい突っ込んでしまった。
A紙 「また決勝に戻ってくる」「錦織準優勝アジア勢初」「錦織新時代の雄」
B紙 「また決勝に戻ってくる」「錦織初Vならず」「重圧錦織縛る」「勝てる心に隙」「好相性があだ」
見出しだけを見たら、これでもか、これでもかと非難されているようなB紙の雰囲気である。記事の内容はどちらも(共同)からの記事なので同じような記事ではあったが、A紙は手に取って読みたい気持ちにさせる。
A紙はコラムにも「彼は試合には負けたが、ついに国民の心を勝ち取った」と、結んであった。最後までいい気持ちになった。言葉のイメージは大切だと思う。
それだけに、わたし自身も気をつけなくてはいけない。言の葉は「言霊」、あまり神経質になると何も書けなくなるが、良いことはおおいに褒めたい。
旦那が久しぶりに預金講に出かけた。預金講とは加賀市では、お金を出し合って仲間が飲む会だ。昔、蓮如上人が信者に講を勧めたことの名残りだとのこと。
さて、何十年続いた預金講にしばらく参加できなかった旦那が、久しぶりに料亭「たか橋」へ出向くことが出来た。幻の県体の後の打ち上げでは、1時間くらいで横になっていたが、今回は3時間座っていることが出来、何とか皆のお付き合いが出来たようだ。
先輩の呼び出しで、早めに迎えにくるようにとの仰せで8時過ぎに行った。旦那はやはり食欲がないので、料亭料理は殆ど手つかずだった。ほんの少しだけ箸をつけた程度。
この預金講にいるべき先輩の名のウイスキーを全員の分買って出向いた。11月で4年目を迎えることと、今年お墓参りをしたことと、その時お墓の低いブロックに車の後ろのドアをこすったことで、参加したいと言われたような気がして買ってきたということを伝え、先輩方々に心配をかけたことのお礼とした。
しばらく、懐かしい話で盛り上がる。とにかく、こうやって顔を出すことが出来たことに感謝。
パソコンなどで便利な世の中になったものの、次々とトラブルが襲いかかると、非常にうっとうしいものになる。
先日、県の弓道仲間とメーリングリストでやり取りしているとき、発信したときに自身にもメールが届くはずなのに届かないので不思議に思っていた。「自分にも届きますよね?」と、今更問う始末。一体このおばさんは何を言っているのかと思われそうだ。自分も何が起きたか分からなかった。
調べて見たら「spam」でたくさんメールが来るので、自動で迷惑メールに振り替えるようにしていたことが原因だった。spamの中で、なぜか差出人がわたしのアドレスを語ってメールを届けているのがあるのだ。それを知らずに全て迷惑メールに振り替えていたのを迷惑メールの中身を確認して分かった。一体どうなっているのか。わたしの力ではどうにも出来ないので加賀の弓仲間の〇中さんに頼んで見てもらい、どうにかそれを排除することが出来た。わたしのアドレスで「spam」がついているものだけを排除するようにした。
しかし、今度はspamではなく普通に私自身のアドレスをかたって脅迫メールがくる。一体どうなっているのだ。内容は身に覚えのない使用料金の延滞についての法的な手続きを行うというもの。差出人が自分自身のアドレスなのだ。どこでパクられたのか。アマゾンの本の注文くらいしかネット注文もしないし。情けないことだ。ちなみに、旦那はわたしより疎いのである。パソコンに関しては自立できない夫婦だ。
仕事で何十年間、殆ど一日中パソコンに向き合っていたが、会社のオンラインでのデータ入力が殆どなので、システムを触ることは出来ない。トラブルがあれば、遠隔操作で情報システムの若者が全部処理してくれるのだから、このようなことになるとお手上げだ。
〇中さんはこういうの初めて見ますとのこと。これが嫌でアドレスを変更せざるを得なくなるのか。誰か助けて--状態だ。