

年に一度、懐かしい方や無沙汰を詫びながらひとことを添えて出す賀状。
会社人生は終わっても、なかなか自分から止められなくて続いていたり、一緒に仕事をしていて本当に仲良くなって続いている友達。長い間に多くの人との交流があって流れていく。同級生に手書きで一生懸命書いていた昔、今はパソコンで表も裏もプリントしてしまうが、必ず一言を添えようと思いながら一年を振り返る。
喪中のはがきが届くと、どなたが亡くなったか分からない文面の時は慌てる。失礼がなかったか、知らないまま過ごしてしまった詫びを入れると、実家のほうの兄弟とか、最近は喪中の範囲が広がっている気がする。それは、その人その人の心持なので、決まりはないと思う。
さて、辛いのは賀状を書き終えた後に届く訃報である。
「今年もいろいろお世話になりました。来年もよろしくね。」文面はありきたりだが、本当にその通りの友達の旦那さんが突然亡くなった。旦那さんも同級生だ。
突然の知らせに驚いた。仕事が終わってから友達と一緒に悔やみに行った。
Sさんには、弓道部でもないのに、毎年大会の前に射礼の張り紙をお願いしに行った。そのうち、「五段しか書いてないけど、なんたらいうのつかんのか?」と、指摘するようになった。「介添で、まだ称号がついてないんや」そんな会話を思い出した。
几帳面な人で、8年前の同窓会で一緒に事務局をしたが、殆ど彼に任せきりで、わたしは役員会に顔を出しては、美味しいお酒を飲んでいた。なので当日の司会を任されたときは断れなかったが、その原稿が細部にまでわたってすごいのである。間の取り方も時間も書いてあり、盛り上がらなかった時のセリフも書いてある。その後、役員の打ち上げで、役員全部に名前入りのファイルを渡してくれて、その表紙の裏に各自のメッセージが入っていた。それもさりげなくである。
12月になると報恩講がある。母がひとりなので心許ないので手伝いに行ったが、仏壇は母がきれいにしていて、花やろうそくも用意してあった。叔母がお菓子を用意してくれて、当日に住職をお迎えしてお茶を出し、少しご挨拶するだけで終わった。「いつも、おじいさんが、あの椅子に座っておられましたね。具合はどうですか?」1年に一度のご挨拶で、年々移り変わる様子をよくご存じだった。
さて、我が家も舅がいつも仏壇をきれいにしていて、その後は夫が引き継ぎ、婆さん・・と、年寄りが仏壇の世話をするものだと思っていたが、ついに姑が90歳になったので放棄した。耕運機で畑を耕し、かくしゃくとしているので年を忘れていたが、ついに90歳の誕生日を迎え決心したらしい。
さて、仏壇の中から全部出して、ひとつひとつ拭いて元へ戻すとき、あらら・・どうだったっけ?と、考えなくてはならなかった。出すときに、上段、中段と、きちんと並べれば良かったのに、わたしらしく考えなしに広げたのがいけない。
日本山岳会のメンバーである職場のOさんは、年次晩餐会へ毎年出席している。
今年は12月7日に行われ、その時のようすを動画で見せてもらった。
天皇陛下がご臨席のようす。新宿京王プラザ。約500名出席の会であり、天皇陛下は皇太子の時に日本山岳会の会員になられ、会員番号は10001番。
趣味の登山ということで、私的行事に参加された。「すごいねえ、天皇陛下と一堂に会して・・一緒にその時を過ごして、同じものを食べて・・・」
天皇陛下と晩餐を共にするなど考えられないのである。よほどの功績を残して、園遊会に呼ばれでもしない限りは。ましてや、即位の儀の後の華々しい晩餐会をみるにつけ、一国民が同じテーブルで食事するなど恐れ多い。そのことを実現された陛下は素晴らしい。「日本山岳会に入会して、天皇陛下と晩餐会を共にしよう」と、いう動機はだめである。
この山岳会に入会するには、日本山岳会のそれなりの方の推薦が必要らしいそうだ。先輩は誰でもなれるといわれるが、敷居が高い。登山というのは、雪山、岩登り、沢登りを平気でやれる人のことをいう。わたしたちのは、ハイキングである。大人の遠足。
それにしても、天皇陛下は国民と寄り添うという意味で、過去にはなかった私的行事への参加をされた。皇太子時代にも参加されていたそうだが、天皇陛下になられたら難しいのではと思っていただけに会は盛り上がったようす。
当然のことながら、ちゃんと年会費をいただいている。
全く関係ないが、その晩餐会の日12月7日は、加賀市の雅子さまは誕生日だったので、娘夫婦や孫たちと片山津の居酒屋で一堂に会していた。
毎年誕生日の頃に、インドのバルウさんからクリスマスと誕生カードが届く。