まこの時間

毎日の生活の中の小さな癒しと、笑いを求めて。

羊毛フェルト

2024-05-31 | 小さきもの
京都で大会の合間に蔦屋の店で思わず買ってしまったポストカード。
前に、小学4年のnanaがわたしに作ってくれたフェルトの犬に、そっくりで驚いた。
以前に貰ったものに弓道着を着せた。
もしまた出来たらお願い、などと言ったら、茶色と白で二つも作ってくれたのだ。
そのワンちゃんとそっくりなポストカードに出会って即買い。

孫娘のmomoとnanaに2種類買った。
お土産に持っていくと、「わぁ~」と製作者のnanaもたいそう驚き喜んでくれて良かった。
子供や孫の作ってくれたものは宝物になる。


県庁へ行きました

2024-05-29 | 弓道
生涯スポーツ功労賞をいただきに県庁へ行った。
玄関ロビーには大野の里のお祝いののぼりがあって、改めて嬉しい気持ちになる。
知事も津幡町役場でパブリックビューイングで優勝の瞬間を迎えたと、後のご挨拶の中でおっしゃっていた。


19階の展望階から、山を眺めた。
医王山が手前に大きく聳え、遠くに立山連峰。
金沢港も見える。高いところから眺めるのはいいものだ。



13人の受賞者のうち、弓道から3人受賞、集合写真の後で3人で記念写真を撮った。

申請から、この表彰式までに1年近くかかった。
まず、市のスポーツ課が申請の書類をそのままにしてあって、期日が過ぎた7月28日にそれを受けてスポーツ協会から、取り急ぎ受けてもらえないかと問い合わせの電話があった。
本来は、市のスポーツ課からスポーツ協会へ話が来て、そこから各協会へ下ろして、協会から推薦者を出すというのが筋である。
年齢の条件もあって異を唱える人はいないだろうが、他協会へ問い合わせる時間がないので、常任理事であるわたしに言えば話が早いので、そういう成り行きの受賞となった。
しかし、受賞確定が知らされたのは、12月7日だった。
夏から冬まで何の音沙汰もなく、いきなり12月22日の表彰式に出られますか?とのこと。申請が通ったとかの連絡がもっと早く知らされるのかと思っていた。そして、12月22日の前日、電話で「大雪のため明日の表彰式は延期です」となった。
その後、改めて2月19日と決まった。
しかし、年が明けて地震が起きたので「限りなく中止に近い延期」と、知らされた。
その後、何の連絡もなく、県弓道連盟で、Mちゃんと花束を頂いたのが先になった。表彰されていないので、正式発表はまだない。
令和5年度のことなので、郵便で表彰状を送ってもらってもいいよねと思っていた。知事も災害のことで忙しいのはよくわかるので。
年度も変わったので、「もうないのなら中止の連絡があってもいいと思うけど」と、スポ協の方に聞いたら、問い合わせてくれて、「5月の末になるようだって言っていた」とのこと。
改めてお知らせが来ると思うのでお待ちくださいって。
5月になっても音沙汰がない。
何回も聞けないし、天皇陛下がまたお見えになれば、それどころではないだろう。下々の私たちでさえ予定は色々あるのだ。
知事となれば、年度も変わったことだし、もう中止としても仕方ないだろう。
ところが、5月20日になって、仕事中電話があった。
「5月29日に表彰式が決まりました。出欠の返事をください」とのこと。
わたしはシフトを組んでいて、その日は出勤だ。
「急ですね」と、言うと、「やっと知事の時間が取れたので」と言いうのかと思ったら、「メールが来ていたのに気づかず、すみません・・」
急いで、休みを交代してもらうお願いをして替わってもらった。
交替してもらう人には、急で申し訳なかった。
しかし、どんなに忙しい課なのだ。申請忘れ、伝え忘れ。
詳細の書類をメールしますというので、家へ帰ってから見ると
「5月17日までに、出欠の返事を下さい」とのこと。
知らされた日は20日だから、県からの問い合わせで知ったのだろう。
メールがあるからいいものの、功労賞を頂く方は年配の方もいる。
郵便でお知らせしたら、戻るのに時間がかかるので、お知らせは2週間以上はいるだろう。
これって、民間の会社だったら、もう取引しないわ。

反対に、県の方は大変だったと思う。
少なくとも、表彰状は2回は書き換えたと思う。
本日の日付が賞状に入っていた。
何はともあれ、皆々様のお陰で、無事頂きました。





いないいない

2024-05-26 | 弓道
木曜は大会のため金沢へ。
土曜は仕事。日曜は会議のため8時40分出発し金沢へ。
しあさっては、授賞式のため県庁へ。
今日の帰りは4時過ぎていて、車で大の里の取り組みを聞きながら、優勝の瞬間じわっと泣けた。
こりゃ、御父上も泣けて当然だわ。石川の星だわ。
そんなことを思い、いつも相撲を観ていた殿がいたらこの優勝を喜んでいただろうと思った。
そして、殿がいたら、相変わらず家内はいないと言うだろうな。

この前、昔のブログをたまたま見たら、娘がコメントしていた。
「いないいないばあ(婆)」って。
もう、家内と呼んでくれる人がいなくなったので、呼ぶときはこっちかい。

庭のバラが咲き乱れたので、花を摘んで風呂に入れた。
王女の気分だ。名前を変えよう。バーバラ。
婆バラ!




良否の結果が翌日に出る

2024-05-24 | 弓道
最近、顕著に稽古の善し悪しが翌日身体に出ることが分かった。
朝起きたら、両手首がしびれていたら、前日の稽古で手首に力が入っていたと分かる。
押手の中指がばね指のようになっている時は、中指で弓を握り過ぎていたことが分かる。
水曜に16射したら、なんと2中しかせず、外れた矢に中てたり、的枠をたたいたりして、おかしい・・変だ・・これはあんまりだ・・中らないにもほどがある・・となって、それ以上引くのを止めた。
すると、翌日、異常に首から肩にかけてパンパンになっていた。
よほど、肩と首に力を入れていたようだ。
ひとり稽古をして深みにはまると、積み上げたものが一挙に崩れていく気がする。
いや、もともと何も積みあがってはいないのかもしれない。
さて、パンパンになった日、「ゆーりんピック2024弓道交流大会」である。
9ボーダーのわたしは、完全なる仲間入りなので、加賀市の仲間と一緒に出場した。驚くべきことに、若いと思っていた後輩が今年から仲間入りした。
60歳から出られるのである。
わたしが大前で中立は後輩のI君落ちは大先輩のK先生。
昨日、中らなかったので、ひたすら大きく引く努力だけをした。
結果、5中で女子3位を頂いた。試合の前の調子の悪さからは考えられないが、ここが弓道の怖さである。
その後の協議の結果、行けない方がいて、お鉢が回ってきて、I君もわたしも、鳥取米子のねんりんピックに出場が決まった。
メンバーにTさんもいて、石川国体のメンバーが5人中3人も入っていたのでこれもちょい笑えた。一体何十年前のことだ。
しかし、何十年前だからこそお年寄りの大会にいるのである。
石川国体は1991年であった。月日は矢よりも速く飛ぶ。
先輩に、「化けたらいい結果が期待できそうだ」と言われたけど、そう簡単に化けられるものではない。化けの皮は剥がれることはあっても。
いや、化けの皮が剥がれるためには、一旦化けなくてはならないのだった。
なんのこっちゃ。


文藝を読むー弓に関する文?

2024-05-22 | 弓道
「文藝」という雑誌に、深田久弥が「弓」という題名で短編小説を書いてあるのを見つけた。さて、どんな話しかと思ったら、馬飼いの乙女と、若人の話だった。弓は狩りとしての話だった。
旧漢字が読みにくく、わたしの読解力がないせいか、読後感はいまいちだった。思っていた弓に関するものではなかったが、気になっていたので読めて良かった。

しかし、もうひとつ気になったのが、表紙の「長谷川如是閑と折口信夫の対談」というのがあり、「長谷川如是閑」に反応したのである。
「古典」に関してのやりとりだった。
生き生きと対談している感じがあって、名前しか知らない人たちが、そこで生きているような感じがした。

長谷川如是閑は、明治8年生まれの評論家である。
弓道人なら持っている「弓道教本第一巻」に名文が載っている。
折口信夫(おりぐちしのぶ)は、民俗学者で国語学者。



昭和28年初版発行の弓道教本は、表紙の色が変わっても基本的に内容は殆ど変わっていない。
なので、長谷川如是閑の文章は、これだけの改訂、改版と変遷を経ても変わらない。
「日本の弓の尊崇性」に、「礼の美」という著書の中で、弓の美しさを称賛している。教本の中では「礼讃している」と、ある。
的確な文章でほれぼれする。
けれど、若い人には「その人、誰??」という感じだろう。
また、弓を女性的というところで、どうなんかなと思う人もいるかもしれない。

さて、弓や矢の種類にカーボンや、アルミとかの弓具が出てきた現在に、このほれぼれする文章を理解してもらうにはどうしたらいいのか。
今どきの高校生に、竹弓の美しさを述べても本物を触っていないので、改めて見せても、そういうのがあるんだ‥という感じだ。
わたし達は、入部してすぐ弓矢の各部の名称を覚えてテストまでされた。
先生より先輩の言うことの方が大事だったので、授業そっちのけで覚えた。
そういう私も、今は悲しいかな、覚えたはずの節の名前を口にしなくなったので、とっさに出てこなくなった。


お誕生会

2024-05-19 | 料理
「9ボーダー」にはまったわたしは、どうしてもあの料理を作ってみたくなった。
それで、ちょうど娘の誕生日の日曜は、仕事も休み、弓道の行事もないというわけで、我が家に全員集合。

ところが、朝8時から9時半まで河川愛護の町内の草刈があって、その後、シャワーして、焼肉用の肉を買いにボリュームボックスへ行ったら、もう昼になってしまった。
焼肉にしたのは、他の料理を作る余裕がないので、娘たちには焼肉にするから、17時に集合でとLINE。
結婚した娘たちの誕生会を、我が家でするのは初めてだ。
双子なのでこういう時は都合が良い。

夕方までに、散らし寿司のケーキと、カップのサラダを。

16時にご飯が炊きあがるまでに、すべて下ごしらえをしなくてはならない。
錦糸卵はホットプレートで一挙に作ってしまおう。


いい感じに薄く出来た。


さて、ケーキの型はないので、サラダボールにサランラップを敷いて作るか~
行き当たりばったりである。
花はスモークサーモンで、酢レンコンを作らねば!!ブロッコリーもいる。
キュウリも。
すし飯は150gきっちり量って5合分。
結局、余ってパックに入れて、娘に持ち帰ってもらった。



「焼肉には白めしやろ~」と、言われたが、これはケーキの替わりだっ!
しかし、なんかイメージと違うな。
錦糸卵は初めに敷いておくべきだったかも。
こうなると、もう一度作りたくなる。
今度は、小さなお茶碗でこっそり作るか‥。婆さんと二人分。


トサカは人参。ジャガイモを潰して、カップの中はハムとキュウリとトマト、キウイも入れたサラダに、ドレッシングをたらし、目はキャビアだ。



持ってきてくれたパイナップルは、芯まで食べられるということで、用意してあったイチゴをあしらう。
孫たちが大喜び。


21時には片付けたが、すごく疲れた。
山に登ったような感じだ。朝の草刈りが余分だったと思うよ。

牡丹だったはず・・と。

2024-05-16 | 
雨が上がると、また草が伸びて・・と、繰り返すけれど、花も綺麗に咲いて楽しみな時期だ。
芍薬のつぼみが膨らんできて、あれ?と、思ったのは、この家を建てたY先輩に頂いたのは牡丹ではなかったか?
朝ドラではないが「はて?」
わたしの胸のあたりまで伸びて、大きな花を咲かせていた。
絵を描いた覚えがある。
一度枯れてしまって、再び芽を出したのだが、義母は芍薬という。
それで、調べたら、牡丹は芍薬に変わるのだと分かった。

「一般的にボタンの繁殖には草本植物で成長が早いシャクヤクを台木にして接ぎ木苗を作ります。春にボタンの株元からシャクヤクのひこばえが伸びてくることはよくありますが、見つけ次第かき取ってください。放っておくと生育旺盛なシャクヤクにボタンが負けて、シャクヤクの苗になってしまいます。」

結局、我が家の牡丹は一度枯れて、芍薬が芽を出して伸びてきたのだった。




と、言うわけで、芍薬を見た後、隅っこに咲いていたオオツルボという花にも気づいた。
そして、車庫の中のツバメにもごあいさつ。
また、車庫を乗っ取られた。家の近所で、ツバメが出入りするのは我が家だけになったと婆様の言。
みなさん、戸を閉めてしまって、入らないようにしているとのこと。
確かに、フン害はやっかいだけれど、車庫の中でツバメたちが飛び回るのは心地よい。シュッと飛んでいく姿は清々しい。
わたしも、シュッと目指したところへ飛べればいいのに。
このところ、目指すところが分からない・・・。






9(ナイン)ボーダー

2024-05-13 | TV
俳優の川口春奈さん主演の連続ドラマ「9(ナイン)ボーダー」(TBS系、金曜午後10時)本作は、19歳、29歳、39歳それぞれの女性の恋愛や仕事、将来に悩む姿が描かれている。3姉妹が登場する。視聴率は低いらしい。

このドラマを積極的に観ようとしたのは、セカオワの曲が流れるからで、タイトルの「ロマンチック」は、もとより、このドラマは曲に支えられているところがある気がする。2話では「正夢」3話では「ターコイズ」が、流れてワクワクするのだが、松下さん演じるコウタロウさんが謎。

さて、今日は友達の誕生日。~9歳になったよね~。
我らも「9ボーダーだね」と、LINEした。
この前、娘にLINEしたとき、「9ゾーン」と、打ちそうになった。
ゾーン・・・・何のゾーンに入るのか。

しかし、このドラマの興味深いところは、毎回の食事シーン。
最近のドラマって、食事がすごく美味しそう。
ちらし寿司。

パエリアと、ポテトサラダ

ポテトサラダはグラスに入っていて、ニワトリさん。

肉じゃが


こうなると、曲と料理が加味されて、待ち遠しい金曜日だ。
9ボーダーは、なん十歳になっても続く。
婆様は、99ボーダーに近くなってきた。






競草

2024-05-12 | 暮らし
雨が降ると、草が伸びていて、日々の忙しさに見ないふりをしている訳にもいかず、晴れ間に必死で、草と落ち葉と格闘する。
草と競争するので、競草。
いつの間にか、芍薬が咲き始めていた。


ドウダンツツジの下にガーベラ。



見上げればヤマボウシ。



落ち葉と、小さな草が・・抜いても抜いても・・。



八重のオダマキ


ミヤコワスレ


バラ


カロライナジャスミンは、もう花が殆ど落ちてしまった。




オダマキ


ほったらかしにしてあって、気づいたらひ弱なテッセンが、かろうじて花をつけていた。


最悪だ!!今年もヒバの木に、たくさんの蓑虫がついている。
手で丹念に取って袋に入れた。100個以上はあったように思う。


大きな庭ではないのに、結構やっかいだ。
しかし、働く喜び。ぼんやり過ごすことを許さない。



色的で遊ぼう

2024-05-11 | 弓道
土曜の夜は、みなさん家族との団らんの夜かもしれない。
稽古に来たのは6人で、各自持ち的みたいになっていた。
静かに稽古をしていて、結構矢数を引いたので、「久々にあそぼー」と、Oさんに色的をやろうかと言うと、「いいですね」
と、なって、みんなで順番のじゃんけん。
自分で色を決めて、そこに中たると2点。真ん中の白は3点。
黒はマイナス点。
一時期、稽古の終わりにやっていて、点数を足していたけど、弓道教室や審査の稽古をしなくてはならないので、邪道のようなことは控えていた。
でも、小さい的もやってみよう。楽しもう。
結果。黄色を選んだわたしの矢は見事黄色に的中。
狙って引いているものの、離れでどこへ行くか分からないので、まぐれではあるね。
Oさんも水色に的中。
平和で楽しいひと時。
世界のあちこちで戦争があり、災害があり、こんな風に遊んでいられることは、なんとしあわせなひと時であることか。



矜持

2024-05-10 | 昭和のど真ん中
この頃は、この「矜持」という言葉が聞かれなくなった。
プライドとはちょっと違う気がする。
プライドは、誇り。自尊心。自負心。それは、少し上から目線のような気がする。
矜持は、自己主張せず他を見下すことなく、それでも譲れない何かがある気がする。
日本人はいつから、矜持を捨てて、プライドという言葉にすがるようになったのだろう。

ついでに言うなら、尊敬する。敬意を払う。とは言わず、「リスペクト」いう。
尊敬は崩れることがないけれど、「ディスリスペクト」と、こちらは簡単に貶める言葉に変わり「ディスる」という言葉が生まれる。
尊敬して影響を受けることを、「オマージュ」って、どういうわけか、今度はフランス語ときた。
「インスパイア」は鼓舞する。奮い立たせる。そのことによって他者からの影響を受ける。
そうなると、「オマージュ」と、「インスパイア」は、どう違うんだ!!となる。
これらの違いや、使用法を学ぶのではなく、美しい日本語で、自分の気持ちをきちんと伝えたい。

 「薫陶を受ける」や「私淑」といった表現を使う若い人はいない。
若くないが、わたし自身も使わない。
「~先生に師事する」と、言わなくなった。
何年か前の昇段審査の申し込み用紙に「〇〇師範に師事」という記入項目があった。今では削除されたが、これも謎ではあった。
昔は稽古している道場に、範士の先生がおられたことがあった。
今は仲間内であーだ、こーだと先輩と共に学んできた。
道場仲間で、教え合ったり、先輩に指導を受けたりすることは、特定の先生に師事するとか、私淑とまでいかないのは、範士の先生とかの教えを受ける機会が少なくなったこととか、特定の先生から教えを受けられなくなったこともある。
全弓連の方針は理解し難い。会員はいつも放心状態にある。
「どういうこと?」「どうなるん?」というような。
さて、話は元に戻るが、そういう中でやはり「矜持」を、持ち続けたいと思う。昔習ったことが、全否定されたら、わたし達は一体何を学んできたのだと思えるからだ。
世の中は変わるので、多様性の時代なので、というが、積み上げてきたものを放り出すほどの魅力的な射的をみんなで目指そうとするのではない。

高校3年の孫に言われそうだ「ばぁば、また昭和なことを・・」




帰りの検証

2024-05-08 | 弓道
さて、そそくさと帰り支度をして、タクシーで京都駅まで行く。
運転手から、どちらから?と、聞かれて、加賀市からというと、自分は越前海岸ということで、話は電車が前より不便になったともらすと、昔は福井から京都まで9時間かかって、トンネルでは窓を閉めなくては真っ黒になりましたよ~と、昭和のど真ん中ではないね。
どうも、戦時中にお生まれになった気がする。

さて、娘たちにお土産でも買って、ゆっくり帰ろうかと思ったが、すぐにサンダーバードがあるので乗ることにした。
よくみると、今度は敦賀での乗り換え時間は8分しかない。
またまたエレベーターを利用しようと思ったが、アナウンスで
「エレベーターは、小さなお子様お連れの方、ご高齢の方・・ご優先で・・」とのことで、少し控えめに乗れたら乗りましょうと思ったが、ご高齢ではないと自分では思っていることに気づいた。


関西から石川県の電車は余裕があるように思えた。
ぎりぎりに切符を買っても、新幹線も特急も、弓の置ける端っこの席は空いていたからだ。
敦賀の乗り換えで、行と同様、扉が開くと前にエレベーターがあって、すっと乗れたので、今回は乗り換え4分と時短更新。
エレベーターに乗らずに、速足で歩かずにいたらどれだけかかるのかは分からないが、緊張感のある駅だ。

帰ってからニュースで、京都駅に不審なリュックが置かれていて、駅構内が閉鎖され、86,000人に影響が出たとのこと。
もたもたしていたら、危ないところだった。
さっさと帰るに越したことはない。

ちなみに、連休中の関西から北陸のサンダーバード、しらさぎの利用は減少したということだ。能登の地震の影響と「北陸応援割」の期間外となったことによるとはいうものの、東京からの客は多いというのだから、やはり乗り換えの不安ってあるかもと思う。
金額が高くなり、到着時間があまり変わらないことも要因の一つと思う。


昇段審査 京都

2024-05-06 | 弓道
5月5日。
聞法会館、朝食バイキング付きで10,300円。
お手頃のせいか、家族連れでいっぱいだ。
翌年の予約をしたいという女性客とフロントがもめていた。
事情があって予約は出来ないらしい。
わたしも前は殿と翌年の予約をして帰っていたが、今は自分も家族も状況が変わるので、その気にならなくなった。

ホテルにいるのも落ち着かないので、タクシーで8時半に出発。
「この時間はすいてるから助かる」と、運転手は言う。
バスは弓を持って入れないと友達から言われた。
確かに、他の人の迷惑になるので使わない。
しかし、みやこメッセに到着してがっかり。
「武道センターの使用はできません」と、貼り紙が日程表の横にあった。
ここで、完全に気持ちが萎えた。
ゆっくり弓を引きながら、出番待ちすれば、澄ましもできるかと。
変に時間が空くくらいなら、日帰りでも良かったのだ。
みやこメッセの前の、蔦屋書店でコーヒーを飲み、少し散歩してこいのぼりを撮っていたら「おかあさん、撮りましょうか?」と、50歳くらいの女性から言われ、つい返事して撮ってもらったが、おかあさんかぁ、おばあさんでなくてよかったと思った。




しばらく、審査の様子を見てから出番を待ち、早めに第三控に入った。
午後一番なので、3階の方がエアコンも効いていてよかった。
観覧席通路ではない控の場所は、関係者以外立ち入り禁止のはずだが、静かに待っていると、つかつかとわたしの前に私服の50過ぎくらいの少し変わった男の人が来て、「姉ちゃん!!がんばって」と、言われた。
5人の立ちは男の人ばかりだから、ねえちゃんは私だけだが。
明らかにおかしいが、わたしはついはずみでうなづいてしまった。
後ろの方が「お知合いですか?」と、聞いたので
「いえいえ、全く知りません。びっくりしました」
「姉ちゃんって、言ってましたね」
「はぁ‥笑えます」朝はお母さんと言われたな。と、声をかけられやすい隙があるのか?武道で隙があったら命とりだなあ。

とりあえず会の5秒は伸びることが出来、弓もいい具合にくるりと返ったが、矢は11時の所に外れた。乙矢は、やや会が足らなかったが的中したが・・。
まだまだ駄目だなあと思うし、七段など及ばないとは思うのだが、目標への気持ちは絶やしてはいけないと思っている。



控え室で同じテーブルの方が、長崎から来られたそうで、高校の部活の顧問になってから弓道を始められたとか。素晴らしい!!
もう、後期高齢者です・・と、笑っておられたが、この頃は先生も忙しく、経験者でない先生が、弓を始めるなどは考えにくい。
わたしは、高校から要請されて部活に顔を出しているけれどと、話しながら「捲土重来で!!」と別れた。
いい言葉だよね!!
そのためには、もっと力をつけて帰ってこなくてはならない。
同じことの繰り返しでは、つまらない京都一人旅でしかない。

加賀温泉から新幹線

2024-05-04 | 弓道
加賀温泉から新幹線に乗る。
どこか知らない街の駅みたいだ。
待合室は新幹線の改札を出たところにある。
連休中なので、駐車場の心配もあって早めに着いたが、売店もないし寂しい。



初めて京都へ行くわけではないのに、乗り換えが心配で前泊し、のんびり新幹線の旅でもと出かけた。
切符は1枚にまとまっていて楽である。
敦賀での乗り換え時間は12分なので、たぶん余裕だ。


弓を建てて置けるように、座席指定は隅っこに。


しかし、京都へ行くのに新幹線を利用するのは必要なのだろうかと思う。
後輩は、新幹線に乗らずハピラインとJR新快速で行ったそうだ。
湖西線山科駅で乗り換えて混雑を避けてとのこと。
わたしは、とにかく新幹線体験せねばと乗ったが、落ち着かない。
いつもなら、乗ってから文庫本を読んでゆったりと行けるのだが、少し読んでいると30分で敦賀に到着だ。
弓があるので早めにデッキに出る。出たらすぐにエレベーターがあって助かった。2階で降りて改札を通り、床に行き先が書いてあるのと、係員の誘導のお陰でスムーズにエスカレーターに乗り1階まで降りる。
おかげで、着席までに5分。サンダーバードで小一時間で京都到着。
どうしても、行かなくてはならないから京都へ向かうが、車で行く方がいいかもしれない。
これでは、電車で関西から石川県へ来る観光客は減るだろう。
仕事をしていても、来館者が関西からが多かったのに、最近はぐっと減ったような気がする。
京都へ早めに到着し、西本願寺まで歩いて25分かかった。





ザックは重いわ、暑いわ。ホテルに荷物を預けて昼ご飯を豪勢にと思って四条の方へ向かおうとしたが、暑い。夏やん。
後で知ったが、この日、加賀市が全国一番暑かったらしい。33℃って。
京都も暑かった。日傘で歩く人が多く、わたしは歩くのに危険を感じて、地下鉄にもぐった。
しっかり冷やした魚を、あぶって、冷やして、かつおのたたきみたいな気分だ。と、言ってもたたきになったことはないが。

みやこメッセに向かって、武道センターで稽古をする手もあったかもと思いつつ、暑さに負けて気力もなく。
明日、早めに行って稽古しよッと、楽な決断をして、この後、だらだらひとり旅。







能登復興支援従弟会

2024-05-03 | 昭和のど真ん中
藍綬褒章を受けた従弟の祝いの宴は昨年の冬。
幸いにもというか、わたしは京都行を諦めて、この日の従弟会に出ることが出来た。
祝い返しに輪島塗の箸と、能登のお酒。
能登支援の心遣いはよいね。

能登の酒蔵は被害を受けたので、別のところで作ったとのことだ。
ワタリガニのケジャンて何です?気になるね。ケという醤(ジャン)ですな。
そのケは何ケ?
手袋をして、取り分けている姿が、手術中に見えるよ。
「わたし失敗しないんで」
これが、めっぽう旨い。いいじゃん。





話は、正月の地震の話となった。
その時、金沢のMと加賀のK達従弟と情報交換し、弟家族を救助してもらった。お世話になりました。
弟家族は、もう後30分、千枚田にいたら取り残されるところで危なかった。
里山海道の後ろと前が陥没・・とか、金沢の従弟は震度5強で、家の中の物が落ち、食器棚の中から食器が落ちて大変だったとのこと。
車に乗っていたら、象が体当たりしてきたみたいで怖ったよ~と、弟のお嫁さんが言っていた。

いつも一緒に山で遊んだ仲間なので、わたし達は兄弟みたいなものだ。
弟は生まれて間もなかったけど。Iちゃんは若くして亡くなったけど。
わたしらって、昭和のど真ん中だよね~。

父の命日が4月30日だったことから、父の話になって、鹿屋の特攻基地にいたんだよって話になった。
父がワープロで書いたものを、もっときっちり打ち直して、分からないところを聞いておくんだったと、たいがい後で思うことだ。
きっと、わたし達の子供たちも、わたし達のことは殆ど知らずに、後にもっと聞いておけばよかったと思うだろう。
しかし、命を張った父と違って、もっと語っておかなくてはならないような大事な話はなさそうで、何も聞かないでという感じだ。
山に埋蔵金の場所もないし。
そんなことを言いながら、集まって飲めるわたしたちは幸せだ。
なんかみんなたくさん話をして、たくさん笑った。