生涯スポーツ功労賞をいただきに県庁へ行った。
玄関ロビーには大野の里のお祝いののぼりがあって、改めて嬉しい気持ちになる。
知事も津幡町役場でパブリックビューイングで優勝の瞬間を迎えたと、後のご挨拶の中でおっしゃっていた。
19階の展望階から、山を眺めた。
医王山が手前に大きく聳え、遠くに立山連峰。
金沢港も見える。高いところから眺めるのはいいものだ。
13人の受賞者のうち、弓道から3人受賞、集合写真の後で3人で記念写真を撮った。
申請から、この表彰式までに1年近くかかった。
まず、市のスポーツ課が申請の書類をそのままにしてあって、期日が過ぎた7月28日にそれを受けてスポーツ協会から、取り急ぎ受けてもらえないかと問い合わせの電話があった。
本来は、市のスポーツ課からスポーツ協会へ話が来て、そこから各協会へ下ろして、協会から推薦者を出すというのが筋である。
年齢の条件もあって異を唱える人はいないだろうが、他協会へ問い合わせる時間がないので、常任理事であるわたしに言えば話が早いので、そういう成り行きの受賞となった。
しかし、受賞確定が知らされたのは、12月7日だった。
夏から冬まで何の音沙汰もなく、いきなり12月22日の表彰式に出られますか?とのこと。申請が通ったとかの連絡がもっと早く知らされるのかと思っていた。そして、12月22日の前日、電話で「大雪のため明日の表彰式は延期です」となった。
その後、改めて2月19日と決まった。
しかし、年が明けて地震が起きたので「限りなく中止に近い延期」と、知らされた。
その後、何の連絡もなく、県弓道連盟で、Mちゃんと花束を頂いたのが先になった。表彰されていないので、正式発表はまだない。
令和5年度のことなので、郵便で表彰状を送ってもらってもいいよねと思っていた。知事も災害のことで忙しいのはよくわかるので。
年度も変わったので、「もうないのなら中止の連絡があってもいいと思うけど」と、スポ協の方に聞いたら、問い合わせてくれて、「5月の末になるようだって言っていた」とのこと。
改めてお知らせが来ると思うのでお待ちくださいって。
5月になっても音沙汰がない。
何回も聞けないし、天皇陛下がまたお見えになれば、それどころではないだろう。下々の私たちでさえ予定は色々あるのだ。
知事となれば、年度も変わったことだし、もう中止としても仕方ないだろう。
ところが、5月20日になって、仕事中電話があった。
「5月29日に表彰式が決まりました。出欠の返事をください」とのこと。
わたしはシフトを組んでいて、その日は出勤だ。
「急ですね」と、言うと、「やっと知事の時間が取れたので」と言いうのかと思ったら、「メールが来ていたのに気づかず、すみません・・」
急いで、休みを交代してもらうお願いをして替わってもらった。
交替してもらう人には、急で申し訳なかった。
しかし、どんなに忙しい課なのだ。申請忘れ、伝え忘れ。
詳細の書類をメールしますというので、家へ帰ってから見ると
「5月17日までに、出欠の返事を下さい」とのこと。
知らされた日は20日だから、県からの問い合わせで知ったのだろう。
メールがあるからいいものの、功労賞を頂く方は年配の方もいる。
郵便でお知らせしたら、戻るのに時間がかかるので、お知らせは2週間以上はいるだろう。
これって、民間の会社だったら、もう取引しないわ。
反対に、県の方は大変だったと思う。
少なくとも、表彰状は2回は書き換えたと思う。
本日の日付が賞状に入っていた。
何はともあれ、皆々様のお陰で、無事頂きました。