まこの時間

毎日の生活の中の小さな癒しと、笑いを求めて。

ミステリーサークル

2018-05-30 | 暮らし

町内美化と河川の草刈りの季節になってきた。それで、うちの草だらけの土地も切羽詰まった状態であることを確認しに行った。今年は少し除草剤を散布してみたが、思うように枯れていかない。これは、山へ行っている場合ではない。

いつも、殿が草刈り機で刈って、その周りを両親とわたしが鎌で刈っていた。それも10年ほど前の話だ。わたしはエンジン付きの草刈り機を使えない。実家にはあるが、危なっかしいので、母は貸してくれない。今年も、シルバーの人に頼めば良いと言うが、休みの日に少しずつやってみようと思って、2日間かけて刈ってみた。暑いので、朝の1時間くらいしかできない。

母は、身体を壊すのでやめた方がいいという。89才の姑は手伝うという。どちらも、わたしが鎌をふるうのをよしとしない。おまけに、鎌使いは自分のほうが上手いと自負している。気持ちは分かる。小百合が鎌を振るうのは似合わないものだ。

ラジオをならすと、サザンの歌が流れてくる。良かった、クシコスポストや、ウイリアムテル序曲だったら大変だ。草を刈る手が暴れそうだ。隣の家の植え込みのピンクの花がうちの土地にも生えてきたので、これはそっとしておこう。

父がこの土地の隣の家の婆さんとケンカしたのだと母から聞いた。ゴミを捨てるからだった。草が生えていると、つい塀の向こうへ捨てたくなるのか。確かに、古くなったコーヒーの空き缶やお菓子の袋が落ちている。塀越しに隣を見るが人が住んでいる気配がない。隣の前庭の草も伸び放題だ。父とケンカした婆さんは、父が92才なので、きっと似たような年齢ではないか。

隣の塀から始めて、気ままに高い草を求めて反対側の工場の方へ刈りこんで行ったら、ミステリーサークルみたいではないか。いっそミステリーサークルみたいに、誰かが遊び半分みたいに少しでも刈ってくれたら助かるのだけど。

387.10㎡のうちの10分の1も刈れただろうか。ギブアップか。再チャレンジか。次の休暇に考えよう。

 

 


手作り弁当

2018-05-29 | 料理

弁当を二人分作った。連合運動会に母を誘ったので、昼は実家でわたしの作った弁当を食べた。筍ご飯と、卵巻き、豚肉の生姜焼き、チーズとブロッコリー、トマトという定番のおかずだ。母は味噌汁を作ってくれた。筍ご飯は4人分くらい詰めたので、残りは夜に食べてもらうことに。

小学生の時、遠足に母が作ってくれた太巻きが嬉しくてたまらなかった。卵巻きと、ほうれん草と、紅ショウガと、かんぴょうが入っていることが、おにぎりより格が上のような気がした。具を巻く時のひとつひとつの手間に、どんなに愛情がこもっていたか。今は、助六を見ると、あぁ、太巻きか・・と、思うだけである。しあわせは、太巻き寿司がごちそうだった頃にある気がする。


連合運動会

2018-05-28 | 暮らし

先週火曜日。加賀市内のすべての小学6年生が集い、中央公園の陸上競技場で連合運動会があった。加賀市で一番人数の多いのは山代小学校で600人余り。錦城小学校310人。錦城東小学校230人・・・で、南郷や勅使は70人で、三木は36人、東谷口小学校は32人らしい。そうなると、学校対抗は不公平となるので、800mとリレーは選ばれて出るようだ。

100mは全員が走る。人数の少ない学校を応援したくなる。とはいえ、800mとリレーの選手に選ばれたkouを、実家の母を連れて応援に行った。実家は陸上競技場のマイクの声がよく聞こえるので、誘ったら二つ返事だった。天気も良く、木の陰の芝生にいるだけで気持ちがいい。

運動会と言えば、クシコスポストが気持ちを高揚させる。ドイツのヘルマン・ネッケ作曲であるが、ドイツでは今、日本の運動会でお馴染みであることで、また見直されているという。ドイツの運動会では何を鳴らすのだろう?運動会はないのか?

玉入れは各学校の混成競技で、見ているだけで楽しい。ピンクはkouの組らしいが、孫の姿は見つけることは出来ない。陸上競技場は広すぎる。こういう時は良いカメラが欲しくなる。でも、今この雰囲気を味わえば十分なのである。

しかし、後でカメラに映ったのを見るのもやはり楽しい。あ、いたいた・・この後ろ姿は絶対そうだ。ばばバカである。もちろん、ついに分からない時が多い。

あらかじめ、娘からのラインでプログラムを送ってもらい、出番を知っていたので、豆粒のような遠いところからでも、何とか確認が出来たことと、名前を一人ずつアナウンスするのでありがたい。それでも、後ろにいた父兄の方は、100mが終わって「いつ走ったか分からんだ・・」と、残念がっていた。

kouが6年生になって走るのを見たら、殿と一緒に、kouが2年生の時マラソン大会を応援に行ったことを思い出した。2年生はグランド1km走るのだ。殿は駐車場からグランドの端まで歩くのがやっとで、立っていられなくて、コンクリートの階段に座布団を敷いて座っていたのに、kouの出番には前へ出て「最後までがんばれ!!」と、大きな声で応援していた。わたしの身長を追い越したkouを殿に見せたいと思ったら鼻につんときた。この後、4か月で殿は逝ってしまったのだった。最後の力を振り絞っていたのは、じぃじだったんだね。

 

 

 

 

 


心配しなさんな 悩みはいつか消えるもの

2018-05-28 | 暮らし

わたしが日々暮らすなかでの悩みなど取るにたらないものである。人の生死に関わるもの以外は、大した悩みではないのだが。それでも、ガサガサと気持ちが悪い時がある。それが対人関係であったら、厄介だったりする。

そんな時は、早寝するに限る。そうしたら4時頃空が白んだ時に目が覚めてしまった。

明日も無事に目が覚めて、朝を迎えられますようにと、毎晩祈って寝たことがあった。 そして「おはよう」と、声を掛け合う人がいることを幸せに感じた頃があった。次の日の朝、ふたりして空を眺めることが出来ることが最大の幸せだと感じた。多くを望まなかったし、家族や友達の優しさを感じた。殿が「唯、足るを知る」を、よく口にしていたことを、今頃になって少し分かる気がする。

「心配しなさんな。悩みはいつか 消えるもの」というのは、板橋興宗禅師が説く本の表題である。「人は生きているだけで素晴らしいのです。」という言葉に癒される。人は頭の中で悩みを作る。そして、ささやかな言葉に癒される。また、その逆に傷つくこともある。それもこれも、自身が作り出すものだ。

その中で、平常心について語るところがある。武道やスポーツの中でよく出てくる言葉だ。日頃、稽古を本番のように気を入れてすることが、試合などで平常心で臨めるということだと勘違いしていた。だから、本番で緊張して手が震えたときに、どうにかして止めなければと思ったことがある。日ごろの稽古不足、修行不足のせいにして、だから平常心で臨めないのだと思った。武道ではそう教えるのである。

ところが、禅の考え方は、緊張は緊張のまま受けとめるというもの。座禅をしていて、無心になろうと考えれば考えるほど雑念だらけになってしまう。なので、緊張は緊張のまま、そのまま放っておく。ありのままでよいということ。暑い時は「暑い」と、嬉しいは嬉しいまま、悲しいは悲しいまま。これが「いのち」の実感という。

あ、そういえば、弓道のI先生に「ふだんは全然大丈夫なのに、緊張すると手が震えるのは、押手に力が入るからしょうか?」と、問うと「そのまま受け入れなさい。」と、言われて、その後何もせずにほったらかしていたら、いつの間にか治っていた。


つばめ

2018-05-25 | 暮らし

今年もつばめがやってきた。車庫には6個目のつばめの巣ができた。

今年は、6年生になったkouが、つばめの調査で各家を回った。6人の仲間たちと来て、車庫を見て行った。果たして、つばめは例年通りに巣立つだろうかと毎日眺めては仕事に行く。

今日覗いてカメラを近づけたら、赤ちゃんつばめと思っていたら、全部飛んで車庫の中をつばめがぐるぐる羽ばたいた。驚かせてしまった・・でも、いよいよ巣立つのだろうと思う。

 

 


憂う事

2018-05-24 | 暮らし

ずっと国会を騒がしている総理にまつわるエトセトラには呆れる。日大のありえないプレイの指示。しかし、本当に憂うることは身近なことで、人とのやりとりが一番気を遣う。お世話する人が、みんなに頭を下げて、その上みんなからの文句を引き受けなくてはならないという、給料をもらう訳でもないのにご苦労なことだと思う。

先輩がせっせとお世話しているのを、傍から見ていて仕事を分ければいいのにと思っていたが、仕事を分けるという事は、仕事をしてくれる人との連絡を密にしなくてはならないという事で、これもまた大変なことだということが分かった。それなら、ひとりでやった方が楽ということになる。

でも、憂うのはガソリンの値上げ、バターの値上げに引き続き、チーズが値上がりしと、身の回りのものが上がって、いつの間にか預金残高が減っていくということ。

もっと憂うのは、ケータイ、パソコンと通信費がどんどん上がっていくという事。そのために、回線を乗り換えた方がいいのか、ガラケーをスマホに替えた方がいいのかと考えあぐねていたら、持っているタブレットがスマホ対応だった。で、ラインが出来ると分かったが、娘たちとやり取りするだけで、これ以上あれこれと手を広げると、通信機器に振り回されそうだ。

そういえば、「ママのスマホになりたい」という絵本がある。こういう本が出るという事が今の世相なのか。しかし、この本をネットで読み聞かせをしている。著作権に引っかからないのだろうか?お節介なことを考えて、また心配になる。

 


家族集合

2018-05-20 | 暮らし

正月以来、みんなで集まることがなかったので、今回は娘たち家族と、うちの婆さんと実家の母を交えてのバーベキューをすることに決まった。ちょうど娘たちの誕生会も兼ねた。爺さんと名の付く人が全くいなくなった集合写真に、改めて時の流れたことに気付いた。

大人7人子ども4人で、実家の広い場所でのバーベキューや、スケボー、かけっこと大人も子供も楽しんだ。バスケットをしていた婿殿のあざやかなドリブルさばきに子供たちはボールを必死で取りに行ったが、太刀打ちできなかった。母も姑と年寄り同士の話で盛り上がっていた。

 

弓道の的の大きさほどあるピザを、あらかじめ切ってホイルで包んで焼いたら美味であった。

momoとnanaは、ママの為にと花を摘み、kouは両親の為に、山で竹をのこぎりで切ってコップを作った。その間、kenは筍の化けたものを担いで遊び、蛇の死骸を見つけてmomoに教えていた。

竹のコップで、マッコリを飲む娘夫婦。わたしも飲みたいところだが、本日はおあずけ。運転手である。

何故か子供たちは走る。走る。日ごろゲームをしているkouもkenも、よく動いていた。基本子供たちは外で遊ぶことが好きなのだと思う。

孫たちと花を摘んだり、ゆっくり話したり、kouには鋸や鉈の使い方を教えた。本当はこういうのは爺さん連中が教えるのだろうが、あいにく誰もいない。

2年生のmomoに「知らない人について行ったら行かんけど、知った人でもダメやよ。家族だけやね。」「じいちゃんと、ばあちゃんと、パパとママと、ばぁば。」momoがいうと、娘は「じぃじにもついて行ったらだめやよ。」という。わたしも追いかけて言う「そうやね。空の星になってしまうわ。少し待っていてもらおうね。」どれだけ待っていてくれるだろうか。わたしもいい加減に静かに逝きたいと思ったこともあったけど、この子たちを見ていたらまだまだと思える。

いつもは、日曜も働いているか弓道のどちらかなので、久しぶりの穏やかな日曜のひとときだった。

 


切羽詰まる

2018-05-19 | 弓道

切羽詰まるとは、尻に火が付くということ。しかし、どうして切羽詰まるというのか。切羽って何だろう。

切羽とは「狭鍔(せつば)」または「副鍔(そえつば)」からきたそうだ。日本刀の鍔の事で、これが詰まると刀が抜けなくなるというが、鍔が詰まることなどあるのか?あるとすれば、刀を抜く暇がなく追いつめられるという事かもしれない。すなわち、切羽詰まるのは、鍔を抜こうとする自分自身が身動きが取れなくなることではないか。

広報の締め切りが過ぎているのに、山へ行ったり、夜に月例会へ行ったりして手つかずのままで、最後にちょいちょいと体裁を整えれば終わりと思っていたのに、弓道から帰ってファイルを開いたら、Wordのスペースに四角がずらっと並んで見にくい。2行詰めるために行間を触っている間に設定がおかしくなった。

何とか直したものの、真夜中にメーリングリストで、印刷担当の人からメール。お互い切羽詰まった状態でやり取りしていたら、12時に天の声。ふたりでどつぼにはまっていたのを救ってくれた。真夜中の電話がありがたかった。

と、いうわけで見通しの甘さや、どうにかなると思う安易さを反省し、改めて切羽詰まるという意味を深く心に問うた夜だった。その後の熟睡度は最高だった。


登る弓道人

2018-05-16 | 山歩き

山からいただくパワーってあると思う。山から下りると自然のシャワーを浴びたようで気持ちがいい。

山中の大会で約束した富士写ケ岳に登る日が来た。金沢の弓道協会の方々、20代から70代まで8名。

わたしは、我谷の登山口に先に着いた。8時半に到着して橋のあたりをまだかまだかと、うろうろしていた。木がうっそうと橋にかぶっている。

2台の車に分乗してきた仲間が、降りてきて開口一番「はよーらと、物好きな人が歩いとる思たら、マコちゃんやった・・」

初めて会う人もいて、お互いを知らないとは県弓連のもぐりだと言い合ってすぐ打ち解ける。もうシャクナゲもおしまいだろうけれど、わずかに残っていれば、みんなに喜んでもらえるのだが。

リーダーの〇坂さんは、雷鳥の研究家で本も出していて、山の文化館へ講演にも行かれたとのこと。自然観察員でもあって、木や花について登りながら説明をしてくれた。「へー。」「はあー」「なるほど」と、うなづきながら「下りたら半分くらい忘れたりして」と、言ったが、頂上に着いたら殆ど忘れていた。8人とも山の経験も豊かなようだが、年齢的なこともあって、「休憩しよー」「八節で言うと今どの辺?」と、言う。

「まだ、足踏みでーす」「そうかー。もう打起しかと思った・・・」という。後で思ったが、足踏みどころか、本座にも行きついていないくらいの進度状況だった。振り向くと足取り重く、まるで脱北者のようではないか。富士写ケ岳は初めて登ると、「久々に山行き」の人にはきついかもしれない。

それでも声かけあって和気あいあいと登り、8合目あたりでシャクナゲを見つけた。

 良かった、良かった。写真を写しながら花に間に合ってよかったと思う。今年は裏年で蕾は少なかったが、それだけに咲いているのは貴重で美しい。さらに登ると蕾を見つけて、またまた写真撮影。Mちゃんは「わーきれい。きれい。」と、手放しで喜んでくれた。

今にも降りそうな空模様だ。昨日の雨で地面は滑った後がたくさんある。これは、下山の時難儀だろうと思う。

 いつもよりゆっくり登って、頂上は9人で賑やかにランチタイム。山頂は少し寒かった。Yさんのきゅうりの漬物をばりばり食べ、Sさんの筍煮を頂いた。山男は、料理が上手だ。みんなたくさん担いで 登ったんだね。わたしは、MちゃんとOちゃんにテルモスで熱い紅茶を入れてあげた。1本で3人分。

あっという間に時間が過ぎて、1時に下山し始める。上から見るシャクナゲもまた良かった。しかし、粘土質の地面は怖い。ロープにつかまったり、道の端へ寄ったりして、滑らないように気をつけるが、心配していた通り転ぶ人続出。わたしも滑るのをよけて、登山道の右端へ寄った。Sさんが木の葉のフカフカしたところを選んで下りているので、良さそうだとついて行ったら、Sさんの足が止まらなくなって滑った。おっーと、思っているうちに、わたしの左足も、木の葉もろとも滑って止まらない。結局、右膝を地面につけて止めた。また裂き状態だ。右足はドロドロになった。ワーワー言いながら、Yさんの奥さんが転び、Mちゃんが片足を滑らせ、Oさんがすってんと尻もちをつき、先へ行ったリーダーの〇坂さんもついに滑った。急な坂で粘土のような地面に、みんな悪戦苦闘だった。橋を渡り切って振り向くと、約1名向こうに粒になってる。

無事下りたところで、お互いに悪戦苦闘ぶりを見せあいドロドロのズボンを笑い合う。ケガがなくてよかった。なんとか雨に遭わず下りることができた。

それでは皆様、ありがとうございました。また、どこかの道場でお会いしましょう。

 

 

 

 

 


日野山と木の芽峠  その3

2018-05-15 | 山歩き

深田久弥の紀行文「日野山と木の芽峠」を、なぞって粟田部の泊ったであろう宿屋を見た後、ふたりが日野山に登るために五分市の町で缶ビールと夏みかんと餡パンを買い、真宗出雲路派本山の豪摂寺(ごうしょうじ)を通った。堂々とした本堂があり、山門も立派だった。

紀行文とは別に、校庭の桜で有名な味真野小学校へ行った。エドヒガンという種で、樹齢は130年とか。

校庭のど真ん中にあって、運動会はどうするのだろう。走るのは周りを走ればよいが、遊戯や綱引きはどうするのか。それにしても、花が咲くのを見たいものだ。

その次に、深田久弥の母方の祖先の墓参りをした。草の中で無縁仏のようになっていた。母方の家は酒屋を営んでいたようだが、数度の大火にあって次第に落ちぶれたそうだ。

さて、ふたりが登った日野山の登山口だ。猪よけの電線があって、外して通るようになっている。それでは皆さん。登ります。探さないでください。と、言うわけにはいかんね。

 最後に、先日買ったトレッキングシューズを紹介。峠の茶屋番所で靴を脱いであがるとき、皆は難儀していたが、わたしだけダイヤルをまわして楽々脱ぎ履き。そう、過日、金沢で部会があった時に購入したもの。早速履いて気分上々。

かくして、深田久弥の木の芽峠巡りは無事終了し、3時半に大聖寺に到着。


日野山と木の芽峠  その2

2018-05-09 | 山歩き

木の芽峠の茶屋番所は、峠の茶屋とかいう団子とお茶を飲む所ではない。由緒ある番所とのこと。歴史的にも興味深い北国街道の木の芽峠である。

大聖寺を8時に出発して、木の芽峠に着いたのは10時だった。道元を始め、多くの歴史上の人物がここを通っているのだそうだ。3匹の犬がお出迎えで、よく吠える白い犬は怖かった。放し飼いである。

わたしたち12人は、囲炉裏の周りに座り、お茶を頂いた。前川さんのお話はぶっ飛びで、桓武天皇から50代でと始まり、平重盛から36代目であるという。平清盛、松尾芭蕉、紫式部、織田信長、豊臣秀吉がどーの、こーのとなって、わたしは途中から訳が分からなくなった。要するに、前川家は由緒ある家系ということと、この木の芽峠は多くの歴史上の人物が通ったということである。

 さて、木の芽峠の番所で過ごした後、第2の目的に向かう。それは、美味しい蕎麦を食べることである。「越前そばの里」で、たけふセット1000円。そばに加えて、焼き鯖寿司がついて、天ぷらもあってこのお値段。満足、満足。ついでに、水ようかんや、ぼた餅の試食までした。

ここを出て、味真野へ向かう。越前の万葉古蹟である。深田久弥は、福井中学の同窓会の為に芦原温泉に泊まり、翌日に志げ子夫人と日野山に登る予定であった。志げ子夫人はその頃、万葉集の勉強を始めたという事で、久弥は味真野へ誘ったのだ。同窓会の翌日に到着して合流。

味真野へ流された中臣宅守(なかとみのやかもり)と、奈良に残った妻の狭野茅上娘子(さののちがみのおとめ)との間に交わされた、熱烈な相愛の歌を久弥は紹介している。新婚後間もなく娘子が宅守を送り出す時の歌や、「夫婦の別れ易く会い難きを相嘆き、おのおのいたむ情を陳べて贈答する歌・・。その歌を生む機縁となった味真野という土地を、私も妻も見たかった。」と、ある。これは久弥と志げ子夫人の相愛をも感じられるとわたしは思った。

継体天皇が味真野を去るとき、寵愛の照日の前に形見の花籠を与えて京へ上がる。照日の前は物狂いになって花籠を持って都へ上がるという、謡曲「花筐(はながたみ)」にもなった話がある。味真野は昔の恋の物語があるところなのか。

花筐の像の前には「恋人の聖地」と、書かれた場所がある。

何故かわたしたちは、このハートを避けて歩いた。今更間違いがあってはならないからか。

 

 


日野山と木の芽峠  その1

2018-05-08 | 山歩き

「日野山はかねてから私の目をつけていた山だった。学生時代から北陸線の往復で、鯖江、武生あたりから見るこの山の美しい姿に私は惹かれていた。平野からすぐに立っており、車窓からも目近に仰がれるので、高さ八百メートルの山とは思えない貫録をそなえている。当然昔からこの地方の名山である。」深田久弥の「山頂の憩いー「日本百名山」その後」の中の「日野山と木の芽峠」より。

深田久弥がこの時登った日野山は、妻の志げ子さんと出かけた最後の山行きとなった。茅ケ岳登山中に亡くなったので、この紀行文は遺作となった。

その、文章にある木の芽峠へ「深田久弥と山の文化を愛する会」のメンバーと行くことになった。参加者12名は、3台の車に分乗し、深田久弥山の文化館を8時に出発した。

目的地である木の芽峠は、福井県の嶺北と嶺南を隔てる峠である。今日は登山ではなく遠足だ。

北陸自動車道を走り、今庄で下りて国道365号線をひた走る。川沿いの道を走り、板取の宿であったという所を行くと、まさしく国道の名前そのものの「今庄365スキー場」の看板があり、そのままスキー場へ上がっていく。

スキー場の駐車場より更に上へ車で移動する。スキー場には道があるのだと改めて思った。雪に埋もれると、どこも雪一面であるが、その下に道路があることに気付かなかった。上の駐車場で車を降りて、歩くこと15分。北国街道であったこの峠は、松尾芭蕉も通り、現在でも吉崎御坊の「蓮如忌」には、京都から蓮如上人の御影を歩いて運ぶのである。その最大の難所が、この木の芽峠であると言われている。

 

言奈地蔵堂でお参りし、そのいわれを読んだ後、目的の峠の茶屋番所へ向かう。この茶屋の当主である前川さんは、三匹の犬と暮らしている。築550年というこの茅葺の建物を守っている。どうぞ。どうぞと招かれて、一行は中へ入る。


弱り目に祟り目

2018-05-06 | 弓道

朝ごはんをホテルの自室で食べた。バイキングでざわざわするのが嫌だった。7時にチェックアウトして、タクシーで向かう。すでに会場控えの入り口では列を作っている。

登山ではないが、行動食と、出番までの自分の行動を計画を立て、出番が近い仲間と食事をして、武道センターまで行って、つけ矢もしたが、矢は暴れていた。おまけに暑い。早めにとった昼食後のスイーツだけが満足だった。

何をしに行ったのかね。八段範士の素晴らしい射礼を見て、他の合格者の二次審査の緊張感を味わって・・。

残念な結果の上に、昨年新調して2回しか穿いていない袴の後ろが2ヶ所破れていた。がーーん。どこでひっかけたのだろうか。練習会場の矢取りに行き、ベンチに座った時にひっかいたのだろうか?思い当たらない。 

 

裁縫はあまり得意ではない。いや、家事の中で得意なものはあまりない。友達のアドバイスで、接着芯とかいろいろ考えたが、自信がない。光沢がある生地なので困る。この際、プロに直してもらおうか、いや、買うほど高かったらあほらしい。

そんなこんなで、くたくたになって帰る。京都を出るときから雨が降っていて、加賀温泉に到着して外に出た途端、スニーカーの底がカパッと取れた。なんという事。前日、出がけに雪駄を下駄箱から出したついでに、下駄箱の中にあった袋入りのスニーカーを見つけた。白くて新しい。娘のテニスシューズかもしれない。ふたりの娘のどちらかのだが、嫁に行くとき置いて行ったのだった。履いたらいい感じだったので、それで出かけた。後で考えたら、綺麗でも年月が経ったら古いのだ。接着部分が劣化したに違いない。剥がれたのが京都でなくて良かった。右足が雨でずぶぬれになった。

身体のコンディションだけでなく、身に着ける物のコンディションも大切なのである。それにしても、一体・・・

 


京都

2018-05-05 | 弓道

京都に到着して、歩くこと15分。西本願寺までそう遠くないのに、昨年はタクシーに乗った。運転手が不機嫌そうだったわけだ。一休みして、埼玉のS子先生と夕食の約束をしていたので、四条のホテルまで歩くこと25分。

とんかつ屋で、ビールと食事。一年に1回しか会わないが20年の付き合いとなった。一緒にご夫婦で来ていたはっちゃん。奥様が都合により今日は欠席。なんでも小笠原のお世話をしている方とか。5日は上賀茂神社の流鏑馬だったということで、興味深いお話を聞かせていただいた。愛用の馬を連れて行くのかと思ったら、現地調達の馬に乗って的を射るのだそうだ。わたしは、いつもの弓と矢で、誰も暴れないのにうまくいかない。

 明日の審査の健闘を誓ってホテルへ戻る。いたずらに広い部屋で、素泊まり6900円。ドアから窓まで18歩。トイレとバスルームも、ベットが入りそうなくらい広い。広くても狭くても、寝てしまえば同じだ。


新幹線を停めよう

2018-05-05 | 暮らし

弓仲間が京都からメールをくれる。いつもなら2、3日京都にいるが、今年は勤務の関係で、みんなが帰るのとすれ違いになる。I先生も「まだ京都じゃないの?わたしは5日に帰ります」と、完全にすれ違いで残念である。わたしの審査日は最終日だ。

さて、出発当日は母を連れて父の見舞いに行った後、加賀温泉駅から昼の電車で出発。加賀温泉駅は新幹線の工事で、刻一刻と様子が変わって行く。今までは、小さな駅なので、改札からホームまで2分もあれば間に合ったが、今は、改札からホームまで150mある。弓を片手に、スーツケースをゴロゴロ引いて行くと、所要時間は4分だった。

加賀市では「STOP  THE 新幹線」と、YouTubeにも紹介されているように、至るところに努力の後が伺われる。ちなみに、YouTubeには、娘の幼なじみの友達が役者として出ているので、一笑に付すわけにはいかない。https://videotopics.yahoo.co.jp/video/moviecollection/131463

PR映像には、レディ カガも出演する。加賀温泉駅の自販機には「レディ 加賀」が。

さて、ホームの椅子は、線路の方に向いていない。酔っ払いが立ち上がると、ふらふらと前進して線路へ転落するのだそうだ。

前に座っている夫婦は多分フランス語だろう。さっぱりわからないが、フンワリした感じはそうに違いない。指定席の車両の場所に立っていると、いきなり、わたしにご主人が、サンダーバードの車両の3号車は、ここで良いかと訊いてきた。多分英語だ。しゃべれないが内容は分かる。わたしは、4号車で隣に立っていて「イエス」と、答えれば良かったのに、遥か昔、アメリカへ出張に行った友達が3つの言葉さえ使えれば仕事はバンバンだと言うのが頭をよぎって、ついそのうちのひとつ「メイビー」と、言ってしまった。「メイビー?」と、ご主人はつぶやいて、2号車両の方に向かおうとした。あ、いかん。とっさに2つめの言葉を奥様に言った。「ノープロブレム」。奥様は「ノープロブレム」とご主人を呼び止めた。電車が入って、互いに、にっこり笑って左右に別れた。

後で調べてびっくり、メイビーは、不確定度80%だそうだ。ご主人が去っていったはずだ。日本語のたぶんとは全く違うたぶんそうだ、ではなく、たぶん違うという方が近い。はっきりYESを言わなくてはならない場面で何でや!やばい。(汗)😞💦

後ひとつの言葉は「Oh Ya!」である。いかに、わたしの友達がいい加減な人間であったか証明された。彼は今、中国の工場でそれなりの仕事をしている。元気でやっているようだ。類をもって集まるというからわたしも、たぶんいい加減である。

京都に着いて、ホームに出ると、さっきの夫婦がいた。友達の言う3つめの言葉「oh  ya!」と、言わないように人混みに紛れた。

stop the 新幹線の前に、stop the わたしの口である。