まこの時間

毎日の生活の中の小さな癒しと、笑いを求めて。

電球の寿命

2015-11-30 | 暮らし

先日、家電の寿命についてあれこれ考えて、キッチンと居間の照明をLEDに替えた。10年は持つとのことだった。安心もつかの間、今度は寝室の蛍光灯丸管が切れた。脚立に乗って取り外すと40形と32形が切れていて翌日量販店に買いに行くと、2管セットがあった。そして、同じセットでも千円高いのがあって、どう違うのか尋ねたら「寿命が違います。」とのことだった。

安いほうに「9000時間1.5倍(当社比)」と、あった。「9000時間って・・、今まで電球は年末に替えると良いっていうので、1年が目安ですよね。」と、言うと店員は「9000時間・・3年かな。」えっ!

帰りの車の中で冷静に考えた。1日24時間で、100日で2400時間で、1年は・・3倍とちょっと。4倍として9600・・あれっ?9000を24で割る、割り算がとっさにできない。

単純に9000を24時間で割ったら375日。ほぼ1年ではないか。今までの1.5倍って、今まで1年持たなかったのか。

うたい文句には気をつけなくては。やはり目安は大掃除で電球を替えましょうなのだ。ちょっと持っても左義長まで。今までより寿命が延びました。大掃除かと思ったら左義長でしたって。中途半端だ。こんなことを考えていないで早く電球をつけなければ。

背が低いので面倒だ。


晩秋

2015-11-29 | 暮らし

北陸の晩秋は暗い空のイメージだ。実際、曇天が多い。みぞれが降る頃はもう気分はお正月につながる。

クリスマスに浮かれる歳ではないと思いつつも、リースやクリスマスにまつわる飾りを玄関に飾る。

12月になると、報恩講さんといって、坊さんが各家々を回るのである。町の案内係が坊さんを案内し、檀家37件を2日間で回る。

昨年は、案内当番だった。雪が降り、車に住職を乗せてお参りしている間、次の家へ行って予告の案内をするのである。そして、再び戻り住職がお経を終えるとまた車に乗ってもらう。本来、男の人が案内するのだが、その頃殿は体力がなく家で待機。

あれから1年経ったのである。「坊さんの来る日にクリスマスの飾りかな」字余り


咳こむ

2015-11-28 | 暮らし

先週の県の選手権の時、進行をしているとき寒くて、歯を食いしばっていたら頭が痛くなった。しかし、進行の最中は咳も鼻水も出ずに済んでよかったが、その翌日から悪化した。

火曜から3日間「子育て講座」に出ている間、エアコンが入るたびに咳がでた。空気が汚れると即反応するようだ。

昨夜は咳が止まらず、肺炎になるか、ぜんそくなのかと不安になったが、朝はすっきりした。

今日、県の理事会に出るために金沢の県立武道館へ行ったが、ぎりぎりに着いたため、弁当を食べる時間がなく途中まで食べて会議に出た。その時、人が増えて来たら急に咳こんできて困った。一体これってなんだろう。マスクの上からタオルで押さえたが、ずっと続くので一旦退席した。

しかし、先々週から風邪気味だったので、長引く年頃なのだろうか。全く、治る気配がないではないか。布団に入って温まると出るのはなぜか。虚弱体質になったものだ。身体も心も風邪ひきだ。


弓道人臭い

2015-11-24 | 弓道

どんな弓を引きたいかというと、ふんわりと大きく引いて、小気味よく離したいという感じ。以前は、弓は格闘技だと思うほど必死に引いていた。そして、格闘技であるように全身で力みを前面に押し出すため、いらぬところに力が入り、本来の縦横の伸びあいのない射をしていたように思う。肩や手先に力が入るのだ。それで、よけいにビクが来る。

どこにも、力みがなく自身を弓にゆだねてしまうような、弓が身体か身体が弓かというようなそんなふうに引きたい。

殿が最後に引いていた弓がそうだった。弓と闘っているような感じではなく、優しく穏やかに柔らかな弓を引いていた。離れも自然にするりと妻手が飛んでいた。

先日、蟹の漢字の話から、中国は漢字や語源の宝庫だと思った。そこで思い出したのが、(荘子)の話の中で、「遊」という字が出てきたことだ。漢文学者の白川静先生によると「遊」は、「神と人が一体となった境地、人間の分別を越えたところ。」という。

弓と遊ぶ。

そして、もう一つは「包丁(ほうてい)」の話だ。牛の解体をする包丁は、牛を見ない。心の眼で牛を見るのである。牛刀さばきは見事であったという。技ではなく道である。自然体で牛と向きあう。虚心に向き合うのは遊につながる。

さて、一生懸命遊んでいるような弓。本来は、武道であって、命のやり取りをする飛び道具であるのだが、ここへきて気持ちが少し違ってきた。弓と無心に遊ぶ。無意識とは自分がなくなるということで、達人はこの無意識の境地に入っていくのではないか。

なので、ここで格闘してはならないのではないか。

意識しているときは臭いらしい。学者臭いとか、茶人臭いとか、さしずめ弓道人臭いとか。

では、どういうのが臭くないかといえば、濯ぎができた状態をいうのだそうだ。本当の学者は、学者くさくないとか。では、ここでこういうことを論じているわたしは、超臭いのである。いかん、遅い時間になったので、風呂に入って濯いでくることにしよう。

 

 

 

 


手紙

2015-11-23 | 暮らし

宅急便でいきなり本が送られてきて、「あ、そうだった。」と、思い出した。

「今は亡きあの人へ伝えたい言葉」という公募があって、殿に言い残したことがあったので書いて応募したのだった。ページを開くと佳作というところに載っていた。

応募総数2000以上ということで、佳作の100編に選ばれて本に掲載されるのは、殿に手紙が届いたような嬉しさだ。

そうとはいえ、読み直したら抜けがあることに気付いた。これを書いて出したときは、ただただ寂しくて泣きながら書いていたのだが、今少し冷静に見ると、すごく自分本位で、娘や一緒に逝ってしまった爺さんのことへの思いやりが抜けているように思う。ちょうど追悼射会の後に書いたのでこうなったようにも思う。

しかし、他の方々のを読んで涙があふれてしょうがなかった。子どもを亡くした方、最愛の夫、妻、父、母、恩師、兄弟、友人・・・と、皆の想いが切々とつづられていて、そこには、絶望ではなく残された人たちが前向きに生きていこうとする気持ちがあふれている。

泣きながら読む本は辛いけれど、誰もが経験することでもある。

書くことで乗り越えられる悲しみがある。書くことで救われる今日もある。と、帯に書かれていることにうなづけた。

 


埋め立て

2015-11-22 | 暮らし

実家の周りは太陽光発電のパネルで取り巻かれるような状態になった。

 

かろうじて、家の前の風よけの杉がなんとか景観を保っているようなかんじだ。

しかし、ここで問題が起きてきた。土を盛り上げたため、家の前に水が溜まり谷になった。母は心配で土木の方に電話して大丈夫かと聞いたら、「排水は考えている。」とのことらしいが、現実に目の前に水が溜まっているのを見たら心配で夜も眠れないという。家の防風用の杉が水に浸かると根が腐るらしい。ばあさんやわたしが抵抗しても駄目なんだろうなあ。

 

母と二人で作戦を練ることにした。泣き寝入りはしない。とはいえ、どうすりゃよいだろうか。

 


リース作り

2015-11-20 | 暮らし

季節を感じるものを学童の子ども達と作ろうと思ったが、11月は七五三以外に楽しいものがなく、一足早いがクリスマスのリースを作ることにした。

山へ行って2日間で子供たちの人数分のリースを作った。わたしの行動に疑問を持った母が山へついてきた。腰が曲がった母にまで手伝わせるのは気が引けた。竹に絡んでいる葛は意外と太い。蔓を輪にしてぐるぐる巻いていく。面白くて寒いのも構わず外で仕事をしていたら、虚弱な小百合は鼻水が出てきた。やばい。

3つほど持って行ったら、子供がリボンを巻いて飾ってくれて、次々にわたしもわたしもと言うので、つい張り切ってしまった。売るほど作り「沢山できたし売ろうか。」と、冗談で母に言うと「買うときは高いけど、売るときは安いよ。」と、言われた。さすが人生経験が長いだけある。確かにそうだ。

父の病院通いと、仕事の隙間をぬって結構忙しいのだが、娘たちからはのほほんとリースを作って遊んでいると思われている。まあ、親の苦労は親の歳にならなくては分からないのだと思う。子どもに頼られ使われているうちは喜ばなくてはならないのだろう。


なめこができた

2015-11-18 | 暮らし

実家の桜の老木が倒れたので、叔父がきれいに切ってくれて、おまけになめこの菌を植えてくれたらはえてきた。

昨日からの雨もあって大きくなって、天然のなめこは違うと母は言う。大根おろしに入れて酢をいれてもよいし、味噌汁はもちろん、みりん醤油で煮てゆでた春菊を混ぜると上品な一品になる。足が速いので、とってすぐに食べない時は冷凍にしておくとよい。


カニ鍋

2015-11-17 | 料理

弟が帰省したとき、みんなで中佐のカニ鍋を食べたというので、わたしも食べに行った。香箱かにが丸ごと入っている。蟹の解禁になったら、北陸人は蟹を食べにゃいかんやろ。しかし、蟹という漢字は、解く虫と書くのは何故だろう。解せない。解せない虫とは何か。考えているうちに抹茶が出てきた。

おもむろに抹茶を飲みおわると、よいタイミングで鍋が運ばれてくる。

うどんは何処にあるのだろう。うひゃひゃ。

締めには雑炊。そのあとデザートがでる。しあわせなひとときである。どんな仕合せも半分だけ寂しい気もするけれど。時折、そのものだけがクローズアップされると、今だけの喜びを拾うことは出来る。


松島水族館

2015-11-16 | 暮らし

先週の金曜日に、婿殿が海外出張なので、娘が泊まりに来た。人数が増えるだけで、食事の用意をして、後片付けをすると疲れる。しかし、にぎやかなことは楽しい。

土曜には、壊れた照明器具の交換に電気屋さんがみえて、その間、孫のmomoが、「水族館へ早く行こうーー。」というので、可哀そうに電気屋さんは、申し訳なさそうに汗をかいていた。ブルーレイも替えて、設定をしなくてはならないので、わたしたちは急ぎませんよというのだが、子供は正直である。

さて、雨が降ったりやんだりの水族館だったが、4歳のmomoは大いに喜ぶ。1歳のnanaは、イルカショーに拍手をしていたが、そのあと暗い水槽を巡っていると、「こわい。こわい。」と、やっと覚えた言葉を連発。ついには、眠くなったのもあって泣き出す。

わたしとmomoだけで、ガラス張りの水槽の上を歩く。初めの一歩はこわごわ足を降ろしたのに、そのうち泳ぐしぐさをしだした。横と天井が鏡になっているので、自分たちが水槽に入っているような錯覚に陥るので不思議な感じだった。

お昼用に、とろろ昆布のおむすびを新米で握って持って行ったら、久々にコンビニのおにぎりに勝った気がした。保温のバックに入れて行ったのが良かったのかもしれない。ほんわりと炊きたての温かさがあった。子供たちも、あっという間にたいらげた。久しぶりに、孫とのひととき。


防火と防災

2015-11-16 | 暮らし

今年は、町内の女性防火クラブとして保育園訪問は、例年通り紙芝居と、着ぐるみは「猫ちゃん」にした。猫は小さいほうが可愛いと言うので、おのずと小さいわたしが被ることになった。

園児と一緒に踊ると汗だくになる。ふなっしーは、あれだけのアクションをするとさぞ疲れることだろうと実感した。この姿で弓を引けるか。

保育園の園児たちと別れを告げて、わたしたちは来年の話をする。予算が余っているので、防火クラブで町内の人を集めて何か良い話をしたいというリーダーの提案で、防火というより防災という名目を掲げて、良い話を聞きたいということになった。AEDの使用方法もよいが、地震などで食事が出来ない時に、何をどう使って料理をするか。トイレはどうするか。そちらの方が良いのではないかと話し合う。

もうそろそろ、来年の話となるのだ。気忙しい時節となるなあ。


電化製品の寿命

2015-11-15 | 暮らし

リビングのエアコンが壊れた。築15年となる我が家の電気系統が、少しずつ壊れてきている。

昨年の夏はエアコンを3台買った。前の家からのエアコンもあったので仕方がなかったが、今回はこの家を建てた時に買ったものだ。ついでに、照明器具のカバーがぼろぼろになったので、LEDに替えることにした。ついでだっ!!と、腹をくくったのを見透かしていたのか、健さんを撮り溜めしようとしたのが悪かったのか、ブルーレイも壊れて電気屋さんに見てもらったら修理で2万ほどかかるがどうするかという。修理しても、また別のところが壊れるのではという。

なんだかよく分からないが、長いお付き合いの電気屋さんなので信頼し、すべてをお任せした。量販店は安いと言うが、すぐに飛んで来てくれるのと、些細なことでも相談に乗ってくれるので町の電気屋さんはありがたい。

しかし、今回はまいった。ふと、我が家にある電化製品の寿命が気になった。エクセルで一覧表を作ろうかと思ったが、パソコンの具合もいまいちなので、いらなくなった小さな手帳に、インデックスを貼って、いつでも気付いたことをすぐにメモできるようにした。

インデックスを貼りながら、取扱い説明書の日付を調べ、金額の分かるものは記入する。

しかし、なんと電化製品の多さよ。パソコン、プリンターから電話FAX、炊飯器、照明器具、ヒーター、扇風機、ミキサー、IH調理器、マッサージ器、テレビ・・・。中でも優良品は洗濯機だ。毎日働いているのに、20年以上頑張っている。冷蔵庫も15年選手。アイロンはお嫁に持ってきたもの。電化製品も、人と同じように無理をかけなければ長持ちするのだろうか。

そうだった。ミシンの押えの部品も壊れた。ミシンも電化製品だっけ。


神棚

2015-11-12 | 弓道

道場へ行くと、始めに神棚に柏手を打って稽古を始める。殿は、神棚には「今からすべてをお預けします」という気持ちで柏手を打つと言っていた。最近は、高校の弓道場の神棚はすべて外されてしまって何もないのだそうだ。教育に宗教を持ち込まないということからだそうだ。わたしは、教育にこそ宗教が必要なのではと思うのだが、宗派があるから不都合なのか。

心を預けたり、心を洗ったり、心を正したりというために、神棚が道場にあることは良い事なんだと思う。

それにしても、先日稽古を終えて、神棚に向かって柏手をうったら、ぺしょっという情けない音になって、「神様、こんなわたしですみませーーん。いつも、精進が足りなくてすみませーーん。」と、改めて謝って帰った。きっと、神様はこんなわたしを預かりたくないだろう。

そうだった。我が家の神棚の榊の水を替えなければ。寒くなってきたので、榊も長持ちしますなあ。


加賀九谷焼展

2015-11-08 | 九谷焼

日曜に「加賀九谷焼展」を、廻った。加賀市の「石川県九谷焼美術館」と、小松「小松市立博物館」、能美市「能美市九谷焼資料館」の、3か所を九谷焼仲間と3人で回った。

お馴染みの九谷焼だが、何回観ても青手の色の美しさや、赤絵のち密さなどには、ため息が出るばかりだ。地域がちがうと、それぞれの特色があることがわかる。

最後に、能美市の資料館へ行った後、浅蔵五十吉美術館に寄った。このような美術館があるとは知らなかった。日曜だが、客は殆どいなかった。素晴らしい設計の美術館なのに。

 

 


九谷焼体験

2015-11-07 | 九谷焼

九谷焼を習いに行っているところのH先生より、保育園の九谷焼体験を手伝ってほしいといわれ、お手伝いに出かけた。年長の子供とはいえ、色が分からない絵の具を筆で塗るというのは難しいだろうと思う。筆も、他の絵の具を混ぜてはいけないので、ビニルシートで色分けをして、皿を持って歩くのである。

みんな、熱心に卒園制作に取り組んでいる。

作品は、子どもでなくては描けない素晴らしい絵だ。こちらの方が勉強になる。

「それでは、先生方にお礼を言いましょう。」という先生の声に「ありがとうございましたっ!!」という元気な声。

わたしは、単なるアシスタントなのだが、子供たちからみると先生なのだろう。そこは、にこやかに笑いながらフェイドアウトして、せっせと筆を洗いに行った。

どんな色に焼きあがるか、子供たち以上にどきどきする。