前回に引き続き『知と愛』の話しであるが、話の内容はともかく旧漢字を飛ばさずに読むことは辛かったが、読み終わるころには何とか読めるようになった。
何といっても日本語であると、簡単に読めると思っていたが日頃使わない字はなかなか前に進ませてくれない。
1ページ目から幇間的という言葉に出会って躓いた。
幇間的(ほうかんてき)いわゆる「たいこもち」であるが、日頃使わないので困った。
人の名で「亀太郎」が、出てきた時も、亀の旧漢字「龜」は画数が多くて黒くなっていて読めなかった。
これを拡大して書いてみると写生するより大変そうな字なのである。
そして、最後は芸術のように見える。もともと象形文字から出来たので見ていると字がのこのこ動きそうだ。
龜 かめ 鹽 しお 畫 えがく 晝 ひる
えがくと、ひるが似ている。
図画は、圖畫とかいてあり。「畫家(がか)と晝飯(ひるめし)を食う・・」と、なると、ふりがなが一切ないと読みづらい。
「縣廳」が、「県庁」と分かるまでに時間がかかったし、臺(だい)なしというのも、墓に似ていて老眼鏡や、拡大鏡を駆使しなくてはならない。大膽、體育・・・なるべくIMEパッドで済ませたが、熟語となると漢和辞典が登場してくる。久々に漢和辞典を見て思ったのは、すごい旧漢字全部載っている!!
当たり前かもしれないが、助かったと思った。
今の生活の中では、当用漢字で、もうひと時代遡ろうとすると大変なのである。さすがに10才先輩は、すらすらとあたりをつけて読んでいく。
日本語はどんどんカタカナになってついていけなくなり、旧漢字の良さも消えていく。
戀などは命がけでしたのではないかという字だ。
闘うなどは「鬭」字を見ただけで戦意を喪失しそうだ。
天稟(てんぴん)て何?生まれつきの才能のことをいうらしい。
蝨ってなに?虱だと・・。見るからに気持ち悪い気がする。
そんなこんなで、読むのに時間がかかったが、その中でいい言葉を発掘。
恩師が登場し、「自疆不息」(じきょうやまず)というのがあった。
自分からすすんで励み怠らない。コロナ禍のとき、1本でも引いて怠らないよう。
弓にまつわる漢字が入っているので何としても色紙に書いておきたい。
「疆」(きょう)は、強い、境目という意味があるらしい。
一田一田・・田んぼの境目を表す。弓を持って田んぼを守っていたのかは勝手な想像だが。
この本を読み終わったら、他の本がすらすら読めるという嬉しさが戻った。