「フテホド」が終わって、寂しいところへ「虎に翼」が始まった。
女性の立場を考えさせられる話だ。明治では女性の参政権もなかった。
フテホドでも女性の立場を取り上げていたが、昭和と令和でそんなに女性の立場が変わったようには思えない。
今は多様性を叫ばれるようになったが、政治などでも、女性が男性と肩を並べるところまで来たとは思えない。
まだまだ、育児や家事は女性主体ではあるが、結構男性が手伝ってくれる世の中にはなってきたみたいだ。
孫たちも「父ちゃん結構料理とかしてる~」と、言っていたのだが、いよいよ単身赴任となるようで、また母ちゃんは頑張らなくてはならない。
わたしたちの年代は、「虎に翼」でも言っていたように、嫁が「女中みたいなもん・・」というのがわかる。
夫は残業で遅くなったわたしを手伝ったり、食べ終わった食器は必ず運んでくれた。それくらいしかしなくても、わたし達の年代ではありがたかった。
それに、必ず「ご苦労さん、ありがとう」を、言ってくれる人だったので、すっかり、その言葉に騙されて頑張ってしまうのだ。
今では、運転手という役割も担っている。
義母は自分が100歳になっても、わたしがまだ70代だから運転は大丈夫やねと確認していた。義父母の介護は完全放棄して旅立った夫の代わりにわたしひとりの肩にかかってくる。
さて、今日の「虎に翼」の冒頭のシーン。
「女子部存続のためにがんばりましょうね」という彼女らの科白に身体が反応した。明治だよね、ドラマのその言葉。
令和だよね、今。
同じ言葉が必要な場面があるということに気づく。
女性の社会参加って、確かに進んできているようだけど、まだまだの感はある。
実は、先週の土曜の夜、町内の総会があって出席した。
その名も「初常会」はつじょうかいと読む。発情会ではない。
会計の事を「算者」と呼ぶ。今風に呼び方を変えるという感じはない。
田舎のこの町の時間は昭和初期から止まったままかも。
町内は188戸ある。公民館に参加したのは50名足らずだ。
鳥居を建てるかどうかの話に興味があって、たまに出てみよう、どのくらいの女性が出るのだろうとそのことにも興味があった。
義母は、「昔から、女なんかひとりも出んわ!」と、見てきたように言っていたが、まさしくそうだった。一人もいないのである。
後ろに座って、決算書をながめながら、土木、衛生、防災など今更ながらお金の動きを知る。結局、地震で壊れた鳥居を新しく建てないことになった。
大鳥居があるので、それを補修するということだった。
女性の世帯主は町内にいるはずだが、誰も出席しない。
他の町は、女性も出ていますよと聞いたし、区長も女性のところもある。
それぞれだが、わが町は進歩していなかった。
おまけに、明治と同じ言葉を聞いて立ち眩みしそうになった。