山梨県韮崎市の清水屋旅館に泊まる。韮崎市の市役所の方がご挨拶にみえた。翌日の「深田祭」では、何かだしものを・・ということ。深田久弥の好きだった「月の砂漠」を、全員で歌うことになった。
さて、翌朝旅館から20分で深田公園に着いた。深田久弥終焉の山、茅ケ岳に登る。献花と献酒を一旦預けて7時に出発。深田祭が13時から始まるので、それまでに下りなくてはならないので、12名の団体登山では足並みをそろえるためには、早めに登らなくてはならない。とはいえ、頂上まで2時間半のコースなので初心者にはちょうど良い。
長い林道を抜けて少し勾配が出てくる。女岩の所は危なくて行けないので迂回する形で登る。花も緑もなくて落ち葉のふわふわする登山道を登る。がれがれの岩もあり、浮石が多く落石の危険がある。「らくー!」の声が時折起きる。
ぽつんと見つけた花は「ハシリドコロ」で、毒がある花らしい。食べると走り回るのだろうか。
ようやく終焉の地とある碑に到着。ここから10分ほどで頂上である。脳卒中だったということ。
造花が供えられていた。饅頭を供えてお参りした後、山のゴミとなるので回収する。
富士山がかすんで見える。
頂上に着くと、八ヶ岳が見える。
右のコブみたいなのが甲斐駒ヶ岳で、中央が仙丈ケ岳。
360°の展望が楽しめるが、残念ながら山の名前が分からない。
頂上でおにぎりを食べて30分ほど休んで下りる。周遊コースとなる。
女性チームは順調に下りながら振り向くと、じいさんチームがゆっくり下りてくる。サントリーと、七賢が残っているのだろうか。
帰りは登った時と同じ長い林道を20分ほど歩く。平成の終わりに昭和な爺さんたちが元気に歩く。
深田祭の出席の申し込みをしてあったので、アンパンとバッジがもらえる。
朝からおにぎりしか食べていなかったので、豚汁の美味しいこと、美味しいこと。おかわりをしてしまった。韮崎の皆様ありがとうございました。ちなみに、アンパンは深田久弥がいつも山に持っていったそうだ。頂いたのは、あんこたっぷりの大きなアンパンだった。
韮崎市長のご挨拶の後、深田久弥の長男である森太郎氏のご挨拶。献杯、献句、献花を終えて、歌を歌い、滞りなく終了。
残念なのは、深田祭の横に見える景色は韮崎ではなく、隣の市なのだが、そこにはソーラーが広がっている。これも時代の流れと言えばそれまでなのだが。久弥さんはどのように見ているだろう。
無事登山が出来て、帰りに諏訪湖で風呂に入り帰路につく。2日間の旅は終わった。貴重な2日間だった。今まで登った山とは違う様子の山を体験できた。もうしばらくすると、アカマツやカラマツが芽吹くだろう。そうすると、山は一挙に笑うという様子となるのも見たいものだ。