まこの時間

毎日の生活の中の小さな癒しと、笑いを求めて。

無事

2021-12-30 | 暮らし
先日、今年最後のお茶のお稽古での掛け軸は「無事」であった。
今年も無事に終わることを感謝し、来年も無事でありますようにと。
今年90歳になった母がひとり暮らしをしていたことが心配だったが、弟家族が戻ってきてくれて本当に良かった。
今からの方が世話がかかると思うので、できるだけ力になりたいと思う。
何とか新しい年の神様をお迎えできるよう、鏡餅としめ飾りを飾る。
玄関の飾りつけもOK。



それでは、改めまして皆さま良いお年を。
気が向いたら「いいね」を、ぽちっとしてください。

オーガスタ

2021-12-30 | 
オーガスタが伸びてきて、それぞれの葉が重そうに広がるので、そっと縛っておいた。




クリスマスに玄関のオーガスタに電飾をつけるときにそっと紐を外すと、なんと新しい葉がくるくる巻きになっていた。



植木鉢の大きさの関係で、いつも3枚から4枚の葉にしぼっていたが、今回もうひとつ誕生した葉を見守ることにした。
生命力があるのを観ると嬉しくなる。





雪だぁ~

2021-12-28 | 暮らし
ついに雪が降ってきた。
さらさらと粉のように降る雪は積もる。



さて、全てのメンバーを揃えて「ばんごぉ~!!」
はい!5と6は、車で待機。
一番バッターは2。
昨年、しまう時にシリコンスプレーをかけておいたので抜群の力を発揮するだろう。
1は孫たち用に買ったのだが、これが狭い所で活躍する。


さぁ、やるぞーとばかりに押していくが、軽い雪なのに途中で力尽きる。


駐車場の角にあるコーンが埋もれた。
このコーンは太陽光蓄電で、夜になるとピカピカ光る。



駐車場と正面の玄関を雪かきしたら息があがりそうになった。
玄関は除けるたびに屋根雪が落ちてくる。
ここで一句
「登山より 家の雪かき 息上がる」駄作
今年は、あまり山に登らなかったせいか、体力のなさを感じる。




南天が、可哀そうなことに。


救出。雪吊りの必要性を感じる。



この日は、気温が上がらず、木に積もった雪は夜まで融けなかった。



追っかけ白山

2021-12-26 | 山歩き
晩秋から師走にかけての北陸の空は、どんよりと鼠色に塗りたくられるので、たまに晴れると気持ちが騒ぐ。
挨拶に「今日は白山がきれいやったねぇ」と言い合う。

その日の写真をUPする前に雪が降りだしたので、慌てて写真を整理した。

12月14日
家の前の田んぼのあぜ道から。
農作業小屋がど~んと映り込むが、白山はきれいだ。


中代町の中。


中央公園。


家のそばの橋の手前から。


山代温泉と鞍掛山。


我が家の2階のベランダから。
たぶん2階の屋根の上に上ると電線を回避できるかもしれない。
ドローンを飛ばしてみたいものだ。




納射会

2021-12-24 | 暮らし
今年も納射会を終えた。
コロナ禍でありながらも、みんなとの稽古は休まずに続けられて良かった。
最後は8射5中で、弓も少し回るようになって、あ!!!そうだったのか!!と、今更ながらに回らなかった理由が分かった。
そこまで来るのに、手の内の作り方、上押しのかかり過ぎなどの問題もあったが、直しても直してもうまくいかなかったのだ。
ただ単に、引き込んでいなかったのではないかと思うのだ。
しっかり引けば、回るようになっているのである。
今更と思うようなことが、毎回起きるので、穴があったら入りたいと言いつつ、本当に穴があっても絶対に入らないのであるが。

取り立てて忙しいというわけでもないのに、もうクリスマスイブである。
美味しいケーキを買うこともなく、静かにイブは過ぎていき、年賀状をちまちま作り始めた。

このブログをのぞきに来てくださいます数少ない奇特な方々へ、改めてお礼を申し上げます。
もしかして、日本一フォロワーが少なくて、訪問も少なく、いいね!も、殆ど約1~2名という、ひっそりブロブにようこそお付き合いくださいました。
その方々にのみ、来年は幸せが訪れます様お祈りいたします。




看々蠟月尽(みよみよろうげつつく)

2021-12-18 | 暮らし
師走の月のお茶の稽古は先生のお宅だった。
(いつもは公民館だが、今回は都合でご自宅)
玄関へ入ると待合席があり、案内された2階の茶室前につくばいの置かれたスペースがあり、水屋も見せていただき、まずはお宅拝見!!

お茶の稽古での毎回の楽しみは、床の間の掛け軸。
本日は師走に良く掛けられる禅語である。
「看々蠟月尽」??読めない。
先生が「みよみよ ろうげつ つく」と、言われ
「みよみよ」は、よくみなさい・・とのこと。
臘月とは狼狽する月かと思ってしまった。
臘月は12月の別名で、油断していると、あっという間に一年が終わってしまいますよという意味。
よくよく一日一日を大切にしましょう。

同様にわたしたちの人生もあっという間に終わってしまいますよとも言える。
本当にあっという間に終わってしまいそう。
みよみよは、みるみるうちに・・・とも言えそうだ。


コンタクトレンズ紛失?!

2021-12-16 | 暮らし
昨日の朝コンタクトレンズをはめようとしてケースを開けると、あるべき右目がケースの中にない。
開けたばかりで落とすはずがないので、昨夜のうちに洗面台に落としたのか?
風呂に入る前に外したのだが、落とす場面が思い浮かばない。
ケースにいつも通りしまったはずだが、ないものはない。
仕方がないので眼鏡をはめて出勤。
すぐに眼科へ注文の電話をしたら、今日の午前中に届いたので取りに行く。

弓を引く時に眼鏡をしたくないのである。
ずっと前に、眼鏡をかけて弓を引いて、緩んだせいか眼鏡がぶっとんだ。
前の芝生に落ちたので拾うと、片方のレンズがなくて、その周辺を探したがとうとう見つからなかった。
不思議で仕方がなかった。
ある日、矢道と反対方向の道場内に置いてあったバックを整理していたら、その中から眼鏡のレンズが出てきた。
弦に弾かれ宙を跳ねて反対側に飛んだようである。
新しい眼鏡を作った後だった。

さて、今回のコンタクトレンズも意外なところから出てきた。

眼科へ新しいレンズを取りに行き、一応検査が必要ということで、両目をはめて視力検査の後、暗い所で光を当てて見てもらう。
「問題ないですか?」と、先生に訊かれ左目になんとなく違和感はあるものの視力検査では良く見えたので「大丈夫です」と、答える。
先生は新しい右目をのぞいた後、左目を覗き「あ、2枚入ってますね。」
ぎょえ~!!
お恥ずかしいこと。2枚重ねると目もレンズも傷つきやすいらしいが、眼科へ来るまではめていないので大丈夫だった。
右目がなくなったと思った瞬間、眼鏡をかけていたので、ケースの左のレンズは全く触っていなかったのである。
同じケースに重ねて入れていたのだ。
ぼっ~としてんじゃねえよ!!である。

「なんともお恥ずかしい。こんなことないですよね。」
と、看護師につぶやくと、「たまにありますよ」と、笑っていた。
結局、返品がきくとのことで無駄な出費は抑えられた。
検査料を払って、「お騒がせし、お手数をおかけしてすみませんでした。」
と、言うと受付の方がにこやかに「お大事に~」と。
お大事にしなくてはならないのは頭の方かもしれない。







四巻の書 皮肉

2021-12-13 | 弓道
話を元に戻すが、『四巻の書』の書は、『弓道教本第四巻』ではない。

初めの「當顔衆生、百八惱煩、無量重罪、則時消滅」
「当に願わくは衆生、百八つの悩み煩い、無量の重罪を、則ちの時に滅せんことを」
分かり易く言うと、「さあ、真面目に修行してこの世のいっさいの迷い事から抜け出そうではないか」ということ。

ところが、真摯に取り組むと、迷いがどんどん深まるのである。
同じところを行ったり来たりしているような気がする。
登山なら、道迷いで遭難である。

それでも、歩みだしたら上を目指さなくてはならない。
そして、師を求めるのは早道かと考える。しかし、そうは問屋が卸さない。
「皮肉骨の事」という口伝がある。
それは何だ?下手な弓を引く自分に対して、皮肉を言うのではない。
正しい解説は「段階をたとえていう仏教用語である皮肉骨髄からきている。
これは皮から髄になるほどに師の考えに近づくことをあらわす。
つまり祖師の骨髄にはなかなかたどり着けない。
思い通りにいかないことや、それによる避難を意味する「皮肉」という言葉はここからとられている。」

何とかして髄とは言わないが、骨までは届きたいものだ。
しかしながら、骨折り損の・・とならないように。
稽古の方向を間違えないようにしなければ。

参考資料
「弓道の原点 四巻の書」武田功太郎







久々の講習会

2021-12-11 | 弓道
口紅をつけなくなって久しい。
マスクのままで集合しなくてはならないが、それでもみんなと会えて嬉しい。

今日の講習会は、理学療法士の先生で、高校の弓道部の指導もしている方が講師だった。
日頃から三重十文字、五重十文字を知っているが、それを筋肉の働きを説明しながらどうしてそうなのかということは説得力がある。

わたしの苦手な勢いのない弓返り、若干戻る離れの理屈が分かった。
考えたみたら当たり前かもしれないが、固執していることがある。
例えば、手の内が悪いから回らないのだ。
というところを考えると、手先にこだわってしまう。
会が出来ていれば、離れは現象ですよ。!!だよね。
手先の前に下から積み上げていくのは当然で、足踏みからもう一度。

講習の中でビデオでのイチロー選手の言葉が印象に残った。
「手は最後・・下から骨盤から、股関節から・・・」
「虎とかライオンとかウェイトトレーニングしないじゃないすか」
どうして、清原が筋肉もりもりのトレーニングをしてダメだったのか。
最低限の筋力で、ロスなく動くことの大切さ。

あれやこれやと目からうろこだった。
その後、グループに分かれて研修をし、初めて話をする人に出会えたりするのも良いことだった。



四巻の書(しかんのしょ)ー弓道の原点

2021-12-08 | 弓道
日本の弓技は、そのほぼすべてが「日置流」からの派生だといわれる。
『四巻の書』の原書は西暦1600年頃に日置流の石堂竹林坊如成によって成立し、その原書を著したことで竹林派という新たな部派を派生させた。
この流れを継いだ江戸時代の弓人吉見順正が残した『射法訓』がある。
吉見順正を知らない弓道人はいない。
なぜなら、どこの弓道場にも『礼記』とともに掲げられているからだ。

さて、この本に興味を持ってネットで注文した。
かみ砕いた解説があるので読めるのだが、冒頭に「修行が進み行き詰ったと感じた時に、鍛錬することをやめて文書や理念に答えを求めようとし、一時的であっても、実修行から逃走する態度としてこの書を使わないこと」と、ある。
秘伝の書を読んだからと言って、うまくなりはしない。
重々承知の助である。

何といってもこの書が生まれたのは、剣豪宮本武蔵の時代である。
武蔵の『五輪の書』のようなものが、弓においても存在したことを知るために読んでみるのだが、ハードルは高い。
「當顔衆生、百八惱煩、無量重罪、則時消滅。」
まずここから始まる。

小さい時、祖父が仏様の本を読んでいた。
全く分からない只々漢字が並んでいるだけなのに、祖父はいつも心穏やかに読んでいた。まるでお経の本のようである。
わたしもいよいよ仏門に入る年になったのだろうかと思える。
このあと書き下し文があり、解説があるので、かろうじて読み進むことが出来るのだが、時折興味深い文に出会うことがある。

弓道に関しては、『弓道教本』の教えと何ら変わらない。
わたしたちが学ぶ教本は、この昔からの思いを十分に受け継ぎ、盛り込んであることが、改めて分かる。

さて、この宗教的な書をどのくらい消化できるのか。
そして、これを読んでも絶対にうまくはならないのであるが。
「実践究理」「自彊不息」
平たく言えば、引いてなんぼ。休まず稽古せよ。
稽古を積んで、身体で会得せよ。を、念頭に読まなくてはならない。

道場は寒いなあ。こたつに入ってぬくぬくと本を読んでいたいなあ。
と、いうのでは成長はない。
しかし、何十年成長があったのだろうか。
才能がないのにただひたすら弓を引いてきたのは何だったのだ。
ところが、そこにも意味はあるのである。

乞うご期待







ブラック・レイン

2021-12-07 | 映画
BSで映画「ブラック・レイン」を、やっていた。
出たばかりの時(1989年)殿と観たが、完全なやくざ映画の印象だった。
アメリカ映画に高倉健と松田優作が出るので、当時は殿がのめり込んでいて、
わたしはやくざ映画はちょっと・・と、思っていた。
改めて観ると、やはり健さんは警察官なのに、結局最後はやくざの兄さんに見えてきた。
アメリカが撮る日本の印象が、中国寄りなので、なんだかおかしいが、アメリカにしたら日本も中国も似たような印象なのだろう。
なんだかあか抜けない。日本のやくざと違う感じがするのだが、それはわたしの偏見なのかもしれない。

映画の中では、佐藤(松田優作)というやくざが、アメリカの警察官ニック(マイケル・ダグラス)の前で、人を殺すところから始まる。
その松田優作のカッコいいこと。

やくざの親分である菅井(若山富三郎)とのセリフがずしっと来るのだ。
菅井の下にいた佐藤が、親分に大口をたたくシーン。
低くドスのある声の菅井
「あんた、年なんぼや・・もうちっとは生きたいと思わんのか」
この時、松田優作は癌だったのをおして撮影に臨んでいた。
それを知っている今は、その映画の中のセリフなのに、現実と混ざって胸にきゅんと来る。
松田優作はめちゃくちゃカッコいい悪役だった。
健さんは悪役にはなれない。善良なやくざという感じ。
と、いうわけでしばし楽しんでしまった。

恐ろしいことに、あれから32年。
そして、恐ろしいことに今日、ン回目のわたしの誕生日だ。
毎年、誕生日の頃のNHKは、真珠湾攻撃の映像が繰り返される。
明るい映画を観なくては。





いつまでコロナ

2021-12-05 | 山歩き
新聞は3回目のワクチンについて書いてある。
2回目のワクチンが辛かったから打ちたくないなあ。
そんなことを思っていた。

今日の夕飯の時、婆様が言った。
「おミクロっちゅうもんは、せんでんしやすいし、ウィルスがきかんのやと!」
「そりゃあ大変やね!!」
本当に大変だ。チョー大変。





乗り換えはこりごり

2021-12-02 | 暮らし
ドコモからYモバイルへ乗り換えた。
タブレットも解約したら違約金を払わなくてはならないと思っていたが、今年の10月から違約金を取らないというので、すぐ解約。

さて、光ケーブルも電話も乗り換えるため、解約の手続きに店頭で4時間ほどかかった。
その間、喉が渇いたが早く終わりたくて我慢した。
ほんの3千円か4千円の節約の為に、かなりの重労働だ。
解約の電話も、聞きづらい早口のお姉さんがいて、解約番号「P」と聞こえて復唱した時に少し不安になって、「プリンのPですよね」と、言うと「TシャツのTですと」、わたしが2回聞き直したときに言ってくれればと思ったが。
その後、取得のナンバーを訊く時に「耳が悪いので替わります」と、担当のお兄さんと替わってもらった。
疲れたのだ。ただ高齢者とは言わない。
全部の解約をするので、それぞれに解約の電話が必要なので大変。

ようやく店を出たが、この後ルーターが届くので付け替えなくてはならない。
Wi-Fiの設定をパソコン、タブレット、スマホもしなくてはならない。
お兄さんは絵を描いて「大きいほうのルーターを付け替えてください」と、言われたが、届いたのが大きいだけで、家のルーターの大きい方は光ケーブルにつながっている。
どう考えても、この線をぶち切るはずがない。
店頭の販売員もいい加減なと思ったが、事情は知らないだろうし仕方がない。



後で考えると、なあんだ、というようなことが、初めての時は戸惑う。
届いた何本かのコードも紛らわしい。どれも使わなかった。
まるできしめんみたいな線は何だろうと思う。


たいがい、こういう時は夫が活躍するのだろう。
しかし、殿が生きている時からこういうのは全部わたしの係だったので、何とかなるだろうと取り組むと何とかなる。
でも、結構なストレスだ。
残った線も捨てられないし、嫌な気分だ。
ルーターも過去の物と2つ余分になった。
そのうち捨てればいいのだろうが、なぜか心配で捨てられない。

いくらかの節約の為に乗り換えたが、
TVではポケットマネーに3千万円もらった理事長や、1億円流用の政治家や、170億円横領の社員のニュースを聞くと、このゴミのような小さな金額に泣けてくる。
涙ぐましいけなげな努力だ。
いや、健気に胸を張って生きよう!!

しかし、張る胸も健気な様子になってきたが。


届かない手紙

2021-12-02 | 暮らし
毎年インドのバルゥさんより手紙が来る。
誕生日に合わせて、バースディーカード兼クリスマス兼年賀の挨拶だ。
ところが、昨年からアメリカに住む彼の妹が手紙をくれて、Eメールアドレスで近況を知らせるのだが、バルゥさんからメールが来ない。
今年も、妹さんから手紙が届き、バルゥさんがわたしの安否を心配しているという。
妹さんにはメールで、元気なことを知らせたのだが、彼からは音信不通だ。
それで、今日手紙を出しに行った。
昨年は、インド便は飛んでいないということで諦めたが、今年は船便で出した。
3か月くらいかかるかもしれないというが、とりあえず出した。

家族なら電話をしたり、メールをしたりして知らせるだろうが、手紙のやり取りだけの仲なので、このままご挨拶欠礼でもいいかなと思ったのだが、妹さんから手紙がくるのでほったらかしにできない。

何はともあれ、コロナで通信や人の行き来が不自由になったことは確かである。
年配の方から年賀状欠礼がきたりする。
わたしも、AIR MAIL 欠礼と伝えたいが、英語が堪能ではないので、適切な方法が分からない。

日本に来た時に、弓道場で弓を引かせてあげたことが遠い遠い昔になった。
あの時小学年生だった娘たちの子供がもう中学生だもの。

元気な間は、元気ですと伝え続けよう。
気にしてくれる異国の友達は他にいないのだから。
さて、何か月かかって手紙が届くのだろう。
ちなみに90円だった。90円の船旅だ。