まこの時間

毎日の生活の中の小さな癒しと、笑いを求めて。

熱中症対策

2012-07-30 | 暮らし

通勤中のラジオで、夏休み子供相談をしていた。途中から聞いたので質問は分からなかった。

ラジオから流れるおっちゃんの声。

「赤道直下でもね、木陰に入ると涼しいんですよ。日本のコンクリートでは熱中症になりますね。動物園の動物は夏の昼はどうしてる?」

こども「寝てます」

「寝ているよね。人間も、熱中症にならないためには、動かないことなんだ」

聞きながら思った。たぶん子供は暑い国の動物は熱中症にならないか心配したのだ。人間も動物のように、暑いときはじっとしているべきなのだ。そうすれば、原発問題も解決するだろうし、毎日のように熱中症被害の報道があるけれど、動物のようにしていれば、こころもゆったり、被害も減る。

どうして、この炎天下に、車から降りて日傘をさして、サングラスをして、陽炎がたちそうなアスファルトの道を職場へ向かわなくてはならないか。あぢーーー、帰ったらビールだ。

動物はビールなど飲まずに、じっとしている。人間は余分なことをせっせとしているものだ。

 


動画について

2012-07-12 | 弓道

you Tubeで、有名な先生の弓を引く動画がUPされている。また、学生大会の優勝戦もわくわくする。中たる場面は勢いがあっていい。けれど、その場にいて、その空気の中でみるのとはわけが違う。看取り稽古は肉眼で。

その瞬間のときが残っていても、どの先生もすばらしいが、矢渡しのときなどの介添えなど失敗はできない。同じ協会の人に、あそこはこうなっていたけれど、あの先生のあれでよいのですか?と、聞かれたりした。

残るということは責任があるなあと思う。上手な人はいいけれど、納得がいかない矢がでたら残したくないと思う。

わたしは一瞬一瞬消えていくので、弓を引くことが出来る。最近、調子が悪いので、次の一射に希望を託して引くしかない。練習の反省のために動画をとると、たいがい愕然とすることが多い。

弓道は芸術と違って、残らないし、料理のようにみんなが喜んでくれるものでもない。

「下手な弓引いても、何も残らんし精が出んね・・」と、いうとだんなが

「残るやろ・・課題が残るし、悔いも残る」と、つぶやく。ギョー、なるほど。


夢中になるもの

2012-07-10 | 暮らし

年を取ると分別くさくなり、何をしても夢中になれない。分かったような顔をして、本当は分かっていないことがある。

子供たちは、夢中でおたまじゃくしをとる。手と足が出て蛙になりかけるのを見つけると大喜びだ。家で蛙になるまで観察したがる。しかし、大人は面倒なものを抱えたくないので、分かったフリをして「キャッチ&リリース」を教える。

夢中になれないといえば、わたしの弓がそうだ。なかなかうまく引けないので、世の中には、弓を引くことよりよっぽど大切なものがあると言い訳する。本当は、きちんと弓を引ききることの大切さから逃げいてるのかもしれない。

目の前にある課題を満足にこなせなくて、何がクリアできるのだと思う。例えば、高い目標を離脱したら、それですべてが終わったような気分になる。そうではなくて、目の前のひとつひとつに一生懸命になることが、いわゆる中庸であるという。

どんなささいなことも、また簡単な仕事と思えることも、一生懸命に取り組むこと。今日この頃の課題。 


まこさま改造計画

2012-07-05 | 弓道

ヒッグス粒子が発見されたという、どんどん科学は進歩していくのに、逆に退化していくわたしの射。

ふつう一度自転車に乗れたら、しばらく乗らなくてもすんなり乗ることができるとのと同様、長い間弓を引かなくても、弓を手に取れば、中たらずとも、たいがいそこそこ格好はつく。しかし、毎日、ちまちま弓を触っていて、ある日突如びくがきて離れが出なくなると、とことんだめになる今日この頃。

そういえば、昨年の県体の頃もひどくて、県体当日なんとか引いたものの、同じような悪夢がまた襲ってきた。かけの溝はそんなに深くはないが、中仕掛けをもう少し太くし、弓具の点検をしたが、問題は自身にあるようだ。

弓道場へ出かけて、先輩や仲間が、いろいろよい意見をくれたが、なかなか力が抜けない。ひどいときには、離れなくなる。考えすぎではないかと後輩は言う。みんなが心配して「まこ様改造計画」を練ってくれたが、県体前日に大酒を飲んで頭をぼやーーっとさせること意外にないという結論。弓の道を真摯に歩もうとするのに、おおっ。

目にも見えないような素粒子が分かって、なぜ目に見える自分の体が分からないのか。


さようなら招き猫

2012-07-01 | 暮らし

ついに、処理場行きになった過去の店「いんきょどん」の招き猫。

大きくて愛らしい。だんなは思い出に取っておくというのだが、見たとおり脂汚れもひどい。一応貯金箱になってはいるが今更ここに硬貨を入れる気もしない。

娘とわたしの心やさしい説得により、処理場へ行くことになった。軽トラックに載せた途端、小さいほうの招き猫が割れた。かくして35年の歴史を刻んだ招き猫は、永久に葬られることとなった。時代は終わったのだ。

解体プロジェクトが着々進む中で、一番心が痛む別れだった。3年越しに、中身の処分をしているが、簡単に空っぽにできないものだ。予定のないたまの休みにしかできないことと、思い出に囚われ、迷っては捨てていくので仕事ははかどらない。

今回は、軽トラックを借りて4回処理場を往復した。朝一番に一緒についていったが、いつもの雰囲気と違った。不燃物、粗大ごみのところに黄色のヘルメットのおじさんたちがわんさといる。

信号機を持ってきて、通行止めの指示をする人がいた。何故か信号機は点灯していない。

車を止めたまま待っていると、その妙に多い作業員の数は、「日本野鳥の会の人を呼んでこないと数えられんくらいいる」と、思うほどだった。

頭数を数えたら36名いた。なので、車をすすめたら、人がわっーと寄ってきて、あっという間に軽トラックは空になった。日曜の処理場大バーゲンというわけでもないだろうが。