鉢植えの観葉植物を5月ごろ植え替えた。長い間そのままだったので、根っこがかんかんで、土を入れ替えたほうが生き生きすると思ったのだ。
階段横のオーガスタも、葉が落ちて、ついに2枚になっていたのに、いつの間にか4枚になって、その間に新しい葉が出ようとしている。
鉢植えの観葉植物を5月ごろ植え替えた。長い間そのままだったので、根っこがかんかんで、土を入れ替えたほうが生き生きすると思ったのだ。
階段横のオーガスタも、葉が落ちて、ついに2枚になっていたのに、いつの間にか4枚になって、その間に新しい葉が出ようとしている。
わたしの足の指は父にそっくりだ。小指の爪がほとんどないし、親指が巻き爪なのである。ふたりで並んで同じことに笑ってしまい、同時にがっかりした。美しくない足である。
巻き爪は、地面に足の裏がきちんとついていないとなるらしい。左足の親指などは外反母趾なので、親指が傾いていて地面に接触していない。なので、巻き爪は右よりもひどい。
弓道で足踏みをすると、左の親指が浮く。押手がいまいちなのはこのせいでは。
調子が悪いと、身体の不具合を前面に出す。調子がいいと身体の不具合に気づかない。要するにこういうこともお調子者というのかもしれない。
そこへきて、今朝、なぜか起き掛けに右ひざが「バキッ!!」と、なって、それきり右ひざが痛い。階段を下りるのが難儀である。ずっと前に膝を痛めたことがあるが、このところ、山も行けるのですっかり忘れていた。
八ヶ岳から1か月経っているし、重いものを持った覚えもない。なぜか分からない。身体が重いのか?体重は軽くはないが、ずっと同じである。
日ごろの健康がありがたいと分かるのは、不具合が生じたときである。
今日も稽古の帰りに、武道館の3階から下りるのに困った。弓道は高齢者もずっとできることが良いのに、加賀市の場合は3階に上れなくて辞める方が多い。
何とかして、3階に上り続けられるよう頑張りたい。
婆様にロキソプロフェンという貼り薬をもらった。かかりつけの病院でもらってくるのだ。これが、医療費を脅かす原因のひとつであるという。ありがたくいただく。
スマホ、パソコン、カメラ、テレビ。すべてがどんどんバージョンアップしている。先日買ったカメラが、スマホのアプリに画像を飛ばせるので面白がって山の写真を撮ってスマホに送り、それを娘にラインした。しかし、落とし穴があった。
バッテリーがすぐに切れてしまうのだ。前のデジカメは200枚くらい平気で撮れたのに、今回は100枚くらいでバッテリー切れた。画素数の問題ではなく、毎回画像を送信するための準備をするメッセージが出るので、そのためだと思った。それで、初期化して普通に撮ることにした。
スマホもあれやこれやと情報が勝手に入るし、お知らせメールも入るので、一体パソコンやスマホの情報消去に、これからの人生の何パーセントかを費やしなくてはならないのだろうかと思った。
テレビも4k、8kとどんどん進化して行くようだし、消費税対策のカードをどうしようかと考えなくてはならないし。
母はATMでお金をおろせないし、いつも寄るアオキで買い物をしたら支払機が別になっていたことで、使い方を教えたらおつりを取り忘れて落ち込んでいた。「ひとりで買い物もできんようになる・・」と。
何でも簡単になることは、そのすべてを絶たれたときに不自由になる。今回の、千葉の停電はさぞかし大変なことだろうと思う。今、電気を絶たれたら・・。
便利になればなるほど、人間本来の危機管理能力が後退するような気がする。すべてのことに、安易に頼りすぎている気がする。
金大へCT検査に行った。1年に1度の検査だ。
5年を迎えたときに「おめでとう。お変わりありませんか?」との問いに、「白山に登れるほど元気です」と、答えると「どのコースから登りました?」と訊かれたのが始まりで、翌年からは、所要時間2~3分くらいの間に「お変わりありませんか」の言葉の代わりに「今年は白山に観光新道から登りました」「わたしは剣へ行きます」と会話するようになった。
外来の患者がたくさん並んでいるので、ほんの一言だが先生がパソコンに向かって話をしながら、一瞬こちらを向く。今年は「大白川から白山に登りました」「今年は平瀬は通れたんですか?」と、言い「わたしは白山へは行けませんでした」と。「今年はニッコウキスゲが一面に咲いていましてよ」「いいなあ・・・。では、来年は9月20日は日曜なので、9月18日で」
先生に「いつまで来なくてはいけませんか?」と、訊くと「ずっとです。毎年1回活動報告に来てください」とのこと。「では、来年も登山報告を・・」
その後、造影剤なしでのCTを撮って帰った。結果は来週電話で聞くのである。
帰ってから早速来年の手帳を購入し、真っ先に9月に診察の日を記入した。もう通わなくてもよさそうな気がするが。経過観察は続くのだろう。山の報告がてらに通うことにしよう。
何年か前は無縁の月刊誌だった。
「読者紀行」に投稿しようと初めて白山に登って感動して文章を書いてみたが、読み直して面白くなくて、没にしてしまった。掲載されるのは、ほとんど登山のベテランの紀行文だったからだ。
が、やはりきちんと残そうともう一度書き直した。既定の原稿用紙8枚分。
投稿したものの諦めていた。ところが、今月発売の10月号に載った。職場で先輩がわたしより先に見つけて「同じ名前の人がいるものだなあと思ってみたら!!」とのこと。
読者紀行というところに載り娘に報告した。寸評が嬉しかった。
実は最近、弓を引くと毎回ストレスが残る。「あー今日もうまくできなかった。」と、なるのである。最近は弓道が仕事のようになってきている気がする。そして、山は誰とも比べずひたすら歩いてストレスも解消されるので魅力的である。
このブログのフォロワーは片手にも満たないので、こっそりブログだけどまずはお知らせを。図書館か書店でチラ見していただければ幸いです。
十万石まつり弓道大会が日曜に行われた。今年は県内の高校の大会があったので、北陸高校だけの参加となったが、それなりににぎわい父兄の方も見学にきてくれたので良かったと思う。
しかし、暑かった。
初めのうちは紅白幕をつけていたが、窓をふさいで暑くなったので、午後は外す羽目になった。
翌日、16日は高校生の講習会に出かけた。小松の道場だった。ちょうど航空祭があるので、少し早めに出たので渋滞に遭わずにすんだ。
しかし、開会してから礼記の唱和が始まった時、いきなりジェット機の轟音が響き渡り、射法訓の最後など「半月のくらいなり」だけ言って合わせてしまった。
覚えているようで、途中に爆音が入ると、全く総崩れだ。次回は、航空祭がない日にやったほうが良いと思う。
高校生も、わたしたちも汗だくになった。みんな一生懸命が伝わってくる。
しかし、女の子が多いなあ。男子は走り回る部活にいるのかなあ。
いずれにせよ、若いことは素晴らしい。またまた元気をもっらった。
そういえば、運動会の定番曲「クシコス・ポスト」や、「天国と地獄」「剣の舞」などは、もはや保育園でもならさないような。
思い出したのは高校1年の体育祭。「イマジン」が流れた。そして、PYGの「花・太陽・雨」や「自由に歩いて愛して」が流れていた。そのころ、ジュリーとショーケンがグループを組んだ。その後、さぞかしヒットするかと思ったら、いつの間にか消えた。
なぜか思い出した。確か(サリー)岸部一徳がいたっけ。
「はぁな~たいよう~あめ~♪」運動場に響いたとき、高校生ってすごいと高校生のわたしは感動していた。
今どきの子供たちの運動会に、クイーンがかかり、レモンがひびき、パプリカがなる。
運動会を観るのはすごく楽しい。
さて。男子のホース取り合い合戦。なぜ女子がタイヤで男子がホースなのかよく分からないが。
しーん。「それでは、用意・・」ホースが積んである・・人の数より少なそうな。
スタートの瞬間。獲物に群がる動物たちのようだ。ぶつかり合い、鼻血がでるかもしれない。
男子生徒の実況放送が入った。みんなが群がった瞬間
「一体あの中で何が起こっているのでしょう!!」
ホースがビヨヨ~ンと伸びている。
おそろしやー奪い合いの図。やれやれ、戦利品を陣地に持って帰れる。
あらら、足元にあるではないですか?いえいえ、見えないんです。人の手にあるのが欲しいんです。
面白すぎる・・・激しい。
気温はどんどん上昇し、昼に車に避難し気温を見ると車の表示が40度と出て、それを見た途端めまいがしそうだった。
午後は応援合戦の後、3年生の集団演技から始まった。自分たちで考えたそうで、いきなりクィーンの「We Will Rock You」から始まった。ダンスがうまい子が多い。体格の良い子もキレがありリズムもいい。
午後の全員リレーでは、1年のkouはトップでバトンをつなぐことができて、嬉しかった。それでも、全員リレーなので、半周勝っていても分からない。はらはらドキドキ。
バトンを渡された男子生徒が、「おっしゃー!!」と、叫びながら保護者テントの前を通過する。保護者はどよめく。運動会はドラマがあって楽しい。
かかっている曲は米津玄師の「Lemon」だ。
あの日の悲しみさえ あの日の苦しみさえ そのすべてを愛してた あなたとともに ♪ (^^♪ リレーにマッチする曲とは思えなかったが、不思議と違和感もなかった。
わたしたちの高校時代の体育祭の集団演技を思い出した。確か「田植え踊り」だった。あれは、中学の時か?思い出したくなかった。
最後に3年生全員のリレーで終わる。入場門に集合した彼らの向こうには白山連邦が広がっている。災害もなく穏やかな環境であることに感謝。元気をもらえた一日だった。
kouの運動会だ。中学になると土曜とかに行われるわけではないので、娘がラインでプログラムを送ってきた。行ってみると、火曜のせいか保護者は少ない。
プログラムは「玉入れ、大縄跳び、綱引き・・」保育園からの馴染みの競技である。しかし、違う。中学になると、男の子は大きくなって背中がおっさん化している。
玉入れも豪快だ。そして、一生懸命さがいい。青がkouの組だが、どこにいるか分からない。
うひょー、いっぱい入っている。一番だった。
赤、青、黄、緑の4組で闘うが、1位〇〇・・と、発表すると、キャーと歓声を上げて喜ぶのもいいし、4位と発表されて最下位でも「いぇー!!」と、歓声が上がるのが楽しい。
女の子の騎馬戦は上品だった。組んだ騎馬は動かない。制限時間内にじっとしていて、攻められて抵抗したらたまたま相手の帽子のつばに当たって飛んで、その歓声たるや。世の中がひっくり返るような黄色い声。
男子はやっぱりたくましい。
大繩はなかなか、多人数だとうまくいきません。
がんばれー。父兄のテントの中は暑い。静かに応援しよう。叫ぶと目が回りそうだ。
小さなクーラーバックにスポーツドリンクを2本入れてきたが、すでに1本は飲み干した。
この暑さはどうだ。通常なら子供たちは本部席の真向かいに椅子を並べて座るところだが、体育館の日影が子供たちの控え場だ。なので、保護者は砂浜のような場所である。子供たちになにかあったら大変だ。保護者は適当に避難できる。
子供たちが進行し、マイクで語り掛けるのもすべて子供たちである。
3年生の「タイヤ&ホース」というのが、面白かった。
女子はタイヤを奪い合うのだ。その実況を男子生徒がした。
「女子がタイヤを取り合っています。最後のひとつ・・あー、やばい、やばい、やばいです!!」
ひとつのタイヤに、しがみついて離れない女子を、ふたりの女子がひきずって自分の陣地に持って行く瞬間だった。最後までしがみついて離れなかったのだ。圧巻の闘いにカメラを向けることを忘れていた。
さて、この後、男子のホースを奪い合う戦いが始まる。どんな実況中継になるのか。
以前、化粧品を販売している友達に誘われて、料理家の先生を招いての「がん予防の食事」という講習会に参加した。終始「がんにならないためにバランスの良い食事を・・」と、言われて、ガンになる人はすべて、食生活が悪かったからだというように聞こえた。途中から我慢できなくなった。わたしも夫もガンになり、夫は亡くなっている。わたしの食事が悪いとしたら、両親もガンになっていなくてはならないが、舅は93歳まで生きたし、姑は90歳の今でも健在だ。姑に関しては、糖尿病なので食事に気を付けているので別格としても今も元気だし。娘たちも普通に育った。
友達には悪いと思ったので言わなかったが、二度とこういう講習会に参加したくないと思った。料理家の言葉は確信を込めて「ガンになる人は食生活が悪いからだ」と聞こえるのである。
今日も、TVのニュースで「ガン予防のための日ごろの食生活」というのをやっていた。バランスの良い食事というのを管理栄養士の方が語って、受講者は「知り合いで若くてガンになった人がいるので、気を付けようと思います」と、言っている。その人は、食生活が悪くてガンになった訳ではないと思うのだ。ガンになりにくい体を作るためには、よい食生活をというのはわかる。忙しいとその食事をとる時間がなくなる。それを含めての話と思うのだが気持ちはがさがさしてくる。
毎日食事を作り続けてきた主婦としては、さきの演題は、ガンになった夫やわたしは、それまでの食事を全否定されているような気持になるのだ。
殿が悪くなった時、「ガンがみるみる治るジュース」と、いう本を買った。1日に2L、3Lのジュースを飲むのだ。長続きしない。それで、途中で挫折すると、途中で止めたからダメなのだという。どんな方法をとればよかったのか今となっては反省したくないというのが本音だ。
お酒を飲む機会が多かったのでバランスが悪かったのかもしれないが、それでも、料理のお粗末さでガンになったと言われるのは辛い。
きっと、卑屈になっているのだろうと思う。大切な人を亡くしたら小さなことにも、反応してしまう。世の中のことに背を向けて拗ねてしまいたくなる。そういう単純なものじゃないんだけどなあと思うのである。
今年で7年目となるので、自分では寛解ではなく、完治だと思っている。
もうすぐ、7年目の診察日だ。手術記念日。今年も主治医の先生に白山登山の報告ができることを楽しみにしている。
山に登ったらガンにならない。と、言い切ったらどうだろう。
夏休みに子供たちが家に来ると、そうめん。冷やし中華・・。暑かったのでそういうものになってしまった。ごはんの時はエビフライと、冷たいスープ。
最後のランチに、kou、ken、momoが来て、momoの好きなきゅうりの浅漬けと、ビィシソワーズ。男の子は食べるので、足りないかと思ってバケットを用意し、チーズクリームを用意した。スパゲティカルボナーラに、鶏肉を焼いて添えた。
今年の夏は暑かったので何回か、ビィシソワーズを作った。momoが「ばぁば、また作って!!」と、来るたびに言ってくれるので、最後は一緒にミキサーにかけて冷やして、生クリームではなく牛乳を入れて一緒に作った。
最後の追い込みの絵をkenとmomoが絵の具を使って一生懸命描いていた。わたしも久しぶりに絵の具を使って描くと、なかなかはまってしまってやめられなくなる。
子供たちと一緒に、夏休みの思い出。
この前の八ヶ岳の絵。
河原のトリカブト。水の流れをうまく描けない。
いただいたブドウを見て、蔓になっていることにして描いた。
殿はよく写経をしていた。そして写仏と。わたしも外出を控えて殿と一緒に家で遊べることをしていた時、花などの絵を描いていた。殿は「絵を描いていると、ご機嫌やな」と、笑っていた。写経や写仏は、あの世へ行く用意をしているようで辛かった。でも、本人はそれが心が落ち着くことだったのかもしれない。
「ばぁば!どうしたらいい?」と、孫に訊かれると、「絵は楽しく描けばいいんやよ」思いのまま、見えたまま。筆のおもむくまま。上手くなくてもいいのだ。
壊れたカメラのSDカードを外した。もう何も写していないと思っていたのに画像が残っていた。
その日は県体の前日。友達が来て山代の寿司屋へ繰り出した。
元会社の後輩たちだ。弓道の稽古より寿司である。
明日は県体だが、いまさらあがいても結果は変わらないだろうと思った。
そして、結果は惨憺たるものだったが、すべてを暑さのせいにした。
今も会社に行っているK君は、いよいよ課長になって大変そうだ。彼らが独身の頃からの知り合いで、殿がいたときは一緒にこの寿司を囲んでいたのだ。
そういえば、k君は「上杉鷹山」を、熱く語っていたことがあったっけ。みんな若かった。月日が飛ぶように過ぎていく。
話に夢中になると食べ損なう。写真を撮った後、気づいたら赤っぽいのは口に入らなかった。
明日は県体なので・・と、アルコールは控えめにしたが、お寿司のほうは控えなかった。
ここは安くて美味しい。
われら庶民の味方の店である。
そして、その後大田楽を観に行った。暑かった。アスファルトからの熱気で我慢できず早々に帰った。しかし、演者の人たちはあの装束で、熱中症寸前ではなかろうかと思った。
と、いうことで、1か月経ってしまったことに驚いた。「時をかける少女」というのがあったが、いつの間にか、時が欠け落ちていくので「時が欠けるおばば」だ( ^ω^)・・・。それでも、わたしは生きていく。
生きていけるよね。これだけ美味しいものを食べたら。