まこの時間

毎日の生活の中の小さな癒しと、笑いを求めて。

焼けました

2014-01-29 | 九谷焼

皿が焼きあがったと連絡があり、姑に「皿が焼けたし、先生の所へ行ってくるわ」と言うと、耳の悪い婆さんは「えっ!!先生のとこ燃えたんか!」と驚く。「茶碗が焼きあがった・・」と言い換えたら、あぁ、びっくりした・・という。さて、塗りあがった皿と、焼きあがった皿を比べよう。

頭の中で想像して塗るのだが、やはり焼きあがると嬉しい。まずは出来上がりを喜び、細かい反省は後回しだ。フィボナッチは目立たなくなった。実家の父に見せたら「カレーライスか」ときた。「ハンバーグや」と、わたし。

義理の妹から頼まれた抹茶茶わんもできた。孫は稲を「ススキか・・」と言う。雀は鳩かと言われる。みんなの想像力をかきたてる作品であるということだ。まだまだ修行が必要だ。


インドの郵便事情

2014-01-28 | 暮らし

今頃、弟からのハガキが届いた。去年の12月20日にインドから単身赴任を終えて戻ってきてすでに会っているのに、ハガキは「ついにあと20日を残す・・・・」とある。

一体、インドの郵便事情はどうなっているのだ。おまけに切手に消印がない。毎年、インドの友達バルさんから、わたしの誕生日頃に必ず届くのは、消印がある。では、バルさんは1か月前に出してくれているのか。あるいは、弟は誰かわけの分からない人に運ばせたのか。まさか、出し忘れてうちの郵便受けに入れに来たのではないだろうか。まさか。


パソコンの調子が

2014-01-28 | 暮らし

パソコンの調子が悪い。友達に見てもらったらハードに物理的な傷があるらしい。2年前に購入したので機種が古いわけではないが、何回か電源を直接切ってしまったことなどが問題らしい。パソコンを切らず節電モードで真っ暗になっているのを知らずに電源を入れたつもりが切っていたということがあった。身に覚えのある不始末だ。

この頃は、携帯電話もパソコンも必要不可欠だ。弓道の連絡や加賀の総会の資料つくりをしていて、パソコンが固まって動かなくなるとはらはらする。メールの大切な連絡を逃すのではないかとか。折をみてハードを入れ替えたらよいと言われながら、うだうだと日を過ごして気づいた。

私にとってパソコンは不可欠だが、わたしは不可欠ではない。余人をもってすぐ替えられるのである。会社人生でもそうであったように。おおらかに過ごそうではないか。こんなものに振り回されず。

 


詩吟

2014-01-27 | 弓道

県連の新春祝賀会が金沢であった。その時にHさんの詩吟が披露された。

詩吟はよく分からないが、良い声で厳かな気持ちになった。

式次第のしおりに「宝船」とあり、「壽海波平紅旭鮮 ・・・中略・・・  知是金銀珠玉船」と、詩が載っていた。

わたしは、始まる前に最後の一行を「しるこれ きんぎんたまたまふね」と、読んでいた。だんなは、始まる前に、始めの一行を中華料理のメニューかと思っていたらしい。

どちらにしろ、残念な夫婦である。

 


女子部の悲劇

2014-01-24 | 弓道

県の組織に女子部がある。当初女子の弓道人口を増やすため作られ、県の男女共生参画社会の方針のもとで、女子武道の会が作られた時に、弓道の女子部が出来た。M先生のもとに発足の会にでたわたしは、まだ20歳くらいだったと思う。

さて、現在女子であるというだけで、何の選択権もなく女子部に強制入部させられる。男子部などないのに、なぜ女子部があるのか。県の日程表は行事がぎっしり詰まっている。これ以上行事を増やす隙はないところへ、女子部の活動が消極的だと非難されたという。

今年も女子部の講習会と部会は、競技部と重なった。女子の殆どは何らかの部に所属している。優先順位は自分の選んだ部の方や、所属の協会の行事を優先する。女子部の消極的な活動を非難されたことを知り残念に思う。

女子は各部で活躍している。その上、女子部の活動も前向きに取り組めとは、無責任な発言に思う。何より、私たちは、身銭を切って(会費を払って)県の組織に協力しているのだ。どうして非難されなくてはならないか。では、男子部を結成して有意義な活動ができるかと問えば、鼻で笑うだろう。では、各部にいる女子を撤退させて、女子部が派遣する権限をもったらどうなるか。きゃーーーそれって置屋みたいだ。

問題は、女性は主婦として忙しい中から活動している人が多い。女子部の活動に出ることは男の人より家を空ける回数が増えるのである。うちの家内はい内になるのだ。

なんか分かってもらえない状況になっているらしい。下々の私たちはよいとして、上に立つ部長たちはしんどいと思う。今期、そんなバッシングを受けていたとは知らず、その女子部の事務局を引き受けてしまったわたしは阿保だと思う。足抜けは女子である限りできないのか。


裾を切る

2014-01-24 | 弓道

ついに、一つ紋の着物の裾を切った。だいぶ前から躊躇していたが、弓を引くときに裾をまくると足さばきがしにくく、お腹の周りがブクブクになるので、せっかく縫ってもらったのに、はさみを入れてしまったのだ。着やすくなって、何故今まで何年もそうしなかったのかと思った。この色の着物は、袴をはくと合うが、このままでは帯が合わせにくい。それなのにはさみを入れなかったのは、もったいないという気持ちにかこつけて、潔さがなく捨てきれない欲が詰まっていたようだ。

さて、欲を捨てて、潔い弓を引きたいものだ。短い会を何とかしようなどと思わず持っているものを精一杯出すことで、ないものを何とかしようとするから、いいものまでこぼれ落ちるのだ。しかし、いいところはどこだ。

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ひと肌脱ぐ

2014-01-23 | 弓道

先日、弓道の講習会があった。私は熱心にメモを取りながらも、つまらぬことに考えが及んでいた。男子の肌脱ぎで、どうして下に道着を着ていたらダメなのだろう。外は雪、この寒い中で室内道場なのでまだよいが、矢道が屋外の道場でも肌脱ぎはする。遠山の金さん状態だ。桜吹雪はないが、鳥肌を見よ・・そもそも何で脱ぐのだ。女性のようにたすきをかけてはいかんのか?

肌を脱ぐことについて、ラジオで武田鉄矢さんが熱く語っていたっけ。まぁ鉄矢氏はたいがい熱く語るが。日本人は文化人と思っているが、英国の女性に驚かれた行動が脱ぐという野蛮的な行動。指摘されるまで、考えた事もなかった。

紳士的な国では肌を見せない。また、宗教的にも足も手も見せない国があるのに対し、日本人はすごい。私もよくやる腕まくりだ。気合を入れる時腕まくりする。また、祭りなどで裸祭りもあるし、法被を着ていても、肩まで腕を出す人がいる。それも気合だ。

気取らなくても、日本人同士分かりあいましょう。人のために尽くしましょうという訳だ。「ひと肌脱ぐ」「裸の付き合い」「裸一貫から財を成す」「裸で嫁に行く」など・・。国技である相撲なども、文化的な姿にはみえない。日本人は裸が好きなのか。

弓引きのさても寒い上半身だが、袴の下は筍状態だ。

 


再び四股名

2014-01-22 | 暮らし

石川県の力士、今旋風を巻き起こしている遠藤はすごい。5歳の孫まで「今日、遠藤勝ったんね」と、言っている。さて、大活躍の遠藤を観ながら、四股名が本名そのままなので、そのうち四股名が替わる可能性もあるだろう、となるとどんな四股名がよいか。

そのことで、父や旦那に四股名をつけたことを思い出した。大相撲名古屋場所を弟が両親や私たちを招待してくれたのは6年も前だ。

父に「尻響」旦那に「尻拭かず」(不尻拭)と、つけて、妙にみんくちゃんと盛り上がった。ああ、もう6年も前のこと。

それにしても、楽しみだ。遠藤の活躍。この前の土俵際の妙技。まわしを取るのも早いし。素晴らしいですね。久しぶりに、相撲が面白い。しかし、両親は詳しかった。特に、母はぽわっとしているのに、こと相撲に関しては詳しい。こんな風に楽しみにしている年寄のためにも、相撲界にひと肌ぬいでもらって頑張ってもらおう。もう、脱いでいるんだった。


美について

2014-01-16 | 暮らし

自分自身の容姿については宗教上にいうところの「諦め」に入っているが、弓道や絵を描くことの美については、もう少しどうにかならないかと思案する。そして、なかなか近づけないもどかしさがある。

真の中に美があるということは、自然の中にある法則、すなわち先日のフィボナッチ数列や、黄金比などからも分かるように、ある法則の中から生まれてくる。これは、自然の中に育った人は、生きていく中で自然に身についていて、求める美は共通するのではないかと思う。例えば桜の満開の花を観ると、誰もがため息をつくことや、天気の良い日に山を仰げばその神々しさに感動する。そのことが真の美と思う。

それで、現代美術のアートはよく分からないが、美しいものを追求しそれを壊すことも面白い物が生まれる「へうげもの」の、漫画でもあった崩れた形の茶碗や絵も芸術として認められるが、ここには好みが生じる。

好き嫌いなしに、誰もが感動する絵や弓を引く姿はそこに真実というものがあるのだろうと思うが、生半可なものでは誰も感動しないのである。

弓道は、一瞬一瞬が過ぎて、感動の射は同じ空気を吸う人の心を揺さぶる。そして、後には個々の脳裏に感動だけが残り、実体は残らない。ところが、恐ろしいことにこの頃は「you tube」で、高段の先生方の射をたやすく観ることが出来てしまう。映像に対して皆はどう思って観るのだろう。

良い物を観た後の写真は、旅行で景色の写真を撮るようなもので、そこには、本物の感動ではなく、思い出としての写真となる。この前の、皇室の宝物も、出来れば触れてみたい。もう一度見たいと思う気持ちを本で眺める。

写真家の写真は、ファインダーを通して真の美を追求していくのだと思う。芸術的な切り取りや、光の計算をしたり、別の素晴らしいものが表現されていて驚く。

さて、筆が動かない、弓が満足に引けない。こんな時、「稚拙」という言葉が浮かんでしまう。これって私のことなのだ。幼稚な拙者である。


永遠の0

2014-01-12 | 映画

今話題の「永遠の0」百田直樹著を読んだ。ゼロ戦について丁寧に書いてあり、真珠湾から、ミッドウエイ、ガダルカナル、ノモンハン・・・太平洋戦争と呼ばれた戦争を、丁寧に分かりやすく描かれていた。

結局、映画も観たくて丁度良い時間帯にやっているのが、福井シアトルだったので初めて行ってみた。古い映画館で、何となく昭和を感じた。映画は岡田準一が出るので、少し構えてしまった。なぜなら、以前娘たちと「木更津キャッツアイ」に、はまったので、頭の中は宮藤官九郎と、ぶっさんのイメージがこびりついている。おまけに、軍師官兵衛もちらつく。

が、期待を裏切らない出来だ。自分もゼロ戦の操縦をしているような感覚にもなり、特攻の若者たちのあまりに辛い運命に涙した。

戦争の映画は若い人に観てもらいたいと思う。

 


皇室の名品

2014-01-10 | 暮らし

あさって京都の国立近代美術館の「皇室の名品」を、観に行きましょう。と、九谷焼の先生との話があっという間に決まり、武生のHさんと、先生とkさんの4人で行くことになった。

北陸の暗い空から抜け出し、京都に入ると晴れていた。美術館は平日なのに混んでいた。年配の人が多いが、会期が1/13までということも理由の一つかもしれない。

池野勝の「蘭陵王」は、TVでも紹介されていて見事なものだった。面を取ったところは写真でしか分からなかったが、真の美には妥協がないのだと思った。出来れば、自分で仮面を外してみたい衝動にかられる。

七宝焼きや織の壁掛けなどは、ど肝を抜く。

殆どは、三の丸尚蔵館に収められているものらしい。宮内庁のHPを観ると写真はあるが、本物を観るとため息が出る。細かい細工には並みの人には出来ない工芸家の高度な技術と努力が、真の絶対的な美しさを表しているのだと思う。

長い間、何回も岡崎へ弓を引きに行くが、ほんのそばにある美術館には初めて入った。良いものを観ると自分のしていることが稚拙だと改めて思い知らされる。

本当に旦那が「がらくた」と、言う意味が分かる。人をうならせる物を造ったり、そんな弓を引いたりは出来ないものだ。しかし、良いものを観るということは素晴らしい。もっともっとそこに留まって観ていたかった。

 


無事逮捕

2014-01-08 | 事件簿

昨日、午後4時頃、犯人は逮捕された。父によると「大捕り物やった」そうだ。

何日か前から、実家の隣の空き家に誰かがいるようだと両親が気づいた。
誰もいない筈なのに、夜中に明かりがチラチラ見えたらしい。
下手に近づいて何かあっては大変と、通報したとのこと。

朝からパトカーと消防車と、ライトバンと警官6名程が待機し、空き家の持ち主と連絡を取りながら、踏み込む機をうかがっていたようだ。捕まったのでとりあえず安堵。

しかし、放火もけが人もないので、これは住居不法侵入くらいの罪となると、出所したらまた来るのでは?と心配だ。


実家に警察が

2014-01-07 | 事件簿

またまた事件か。母に用があって電話をしたら、全く身に覚えのない若い男の声で「はい、〇〇です。」と、名乗った。弟はもう愛知に戻り今日は仕事始めに違いないし、一体誰だ?と、躊躇した。「もしもし、どちら様ですか?」それはわたしが聞きたいセリフだが、こちらから電話をかけて「あなたは誰です?」とも言いづらく自分の名を名乗ったら母が出た。

今電話を取ったのは誰なのか、一体何があったのか聞いたが「別にどうもないんや。」と、言うので要件を言って電話を切った後すぐに実家に向かった。強盗に脅かされているのかもしれない。あるいは、今流行の「貴金属ありませんか?」という類の人が我が家に上り込んでいるのかもしれない。とにかく、不審な出来事を見過ごし、後で何故確認に行かなかったのかと悔やむことになったら大変だ。

行ってみると、物々しい感じで2台のライトバンと、男の人がざっと6人ほど、実家の隣の空き家の前をうろうろしていた。聞くところによると、不審者がその空き家にいるという近所の人の通報で、警察や近所の人が実家に集まっていたらしい。

誰もいないはずの家の二階に光が見えたとか。また、人の気配がすることがあり、向こう隣の人が、夕べも光っていたので通報したとのこと。鬼火ではあるまい。

母は、朝早く新聞を取りに出るのが怖いという。昔の家なので、ポストが外についていて玄関の戸を開けなくてはならないのだ。

とにかく、状況は分かったが心配なので「金目のものは預かってあげるわ」と、父に言うと、「そっちの方が怖い」と、すげなく断られた。


初射会

2014-01-06 | 弓道

1月5日日曜。初射会が加賀市武道館弓道場で行われた。矢渡しの後、色的で点数を競い、今回はとり野菜鍋に、ぜんざいを振る舞い、市内の高校生20名を呼んで楽しい一日を過ごした。

今年は中たりにとらわれないよう、昨年末相互研修で指摘された妻手の力を抜くことを真面目に取り組んでいたら、弓手まで力が抜けて的の周りを人工衛星のように矢が回っていた。

返す返すも的確な指摘をしてくれるryouさんや、そういう機会を作ってくれたkuroさんに感謝だ。もちろん、いつも見てくれている道場の仲間は言うまでもない。

ん十年ぶりの同級生の下〇君が今年から再開しようと思うと言って顔を出してくれたのは感動だ。思わず「おおっつ!」と、手を取り合って再会を喜んだ。

長い間、外国で単身赴任だったが、ついに国内で落ち着く予定らしい。

風船の中のお年玉を高校生がゲットし終えて終了となった。

年の初めの抱負をひっそりと心に秘め今年の幕は開いた。

 


大吉

2014-01-04 | 暮らし

初詣は江沼神社へ行き、おみくじを引くと「大吉」だった。縄にくくりつけ、前田の殿様の休憩所と言われている「長流亭」を回り、改めてそのたたずまいを確認し、年始の挨拶に実家へ出向く。

昨年の今頃はまだ治療中だった。そういえば、仏門頭だったのに、今は小百合とまではいかないが、何とか恥ずかしくない程度に伸びた。

何より、治療が終わって九谷焼を習いに行ったことが元気の元となり、交流分析や弓道もぼちぼちと始められたのが良かった。

しかし、出費は半端でなく家計簿の様式を年末に大幅に変更した。EXCELで作ったなかなかの出来の家計簿から給料欄がなくなったことが大きな変化だ。それなのに、床暖房のボイラーは壊れるわ、娘の新築で帯付きの札束を右から左へ動かし、12月には車を買って、我が家は火の車となった。おまけに、旦那は恋に溺れ、違った「鯉」の掛け軸に惚れ込んで購入した。長い間の自分の頑張りのご褒美と言うので止められなかった。ここまで来ると、もうお互いに引き止めない自由な人生だ。

わたしのガラクタに不平も言わず、今年は「家内は家にいない」となりそうだ。