まこの時間

毎日の生活の中の小さな癒しと、笑いを求めて。

芽吹く春

2013-04-30 | 料理

こごみ、うど、たらの芽、筍。こご゛みは鳥越村で採れたものをいただいた。その他は、実家の山で採れた。

筍は長寿食ともいわれるが、今年は裏作らしく、なかなか見つけられない。それでも、小さい芽が地面から頭を出していると「やったぁ」と、つい大きな声が出てしまう。

山は蛇も出るので怖いが、芽吹くころは楽しい。山菜でまたまた採る喜びと、食す喜びに合う。このほか、蕗とわらびが鍋で灰汁出しをしている最中。手はかかるがこれも貴重な仕事。

夕餉はわたしの手仕事を食べることになる。たらの芽とうどの芽の天ぷら、大きめのうどは酢味噌和え。こごみは、胡麻和えと油揚げとの煮込み。少しずつなので料亭小百合はてんてこ舞いだ。


第60回山中鳴弦会弓道大会

2013-04-30 | 弓道

今年の山中の大会は60回目である。私が生まれる前からこの大会をしていたのである。60年の歳月を脈々と後輩につないでいくということは、素晴らしいと思う。わたしが卒業してから弓を始めたのは、山中の前のお薬師の道場だった。その頃、加賀市には弓道場がなかったのだ。加賀市の協会と鳴弦会の交流は、合併前から深いつながりがある。なので、お互いの開設記念には、試合に出場しながらお手伝いをし合う。

鳴弦会の名前は、疫病や悪霊など不浄のものを打ち払うというところからきているという。弦音というのは、神聖なのだと思う。ここで弓を引けば、息災になるのである。

さて、今回モンチッチ小百合は、またまた公衆の面前で、そのまんま頭で出た。1回目はウイッグをはめていたが、やはり耳の所に弦が擦っていくので、2回目は脱いで出た。後輩が、「女子ばっかりのチームだと思っていたのに、男が混じって混成チームになったと思った・・」と。

ついでに、大会で菊の湯の入湯券を頂いたので、帰りには菊の湯へゆっくりつかって、なんとも風呂付の大会とは嬉しい。

今回は、8射2中。ゼロびく。中たりは少ないがなんとなく嬉しい。


鯉のぼり

2013-04-28 | 暮らし

孫と一緒に鯉のぼりを作った。白いゴミ袋を半分に切って、セロテープで貼り、うろこを描いたり、色紙を貼ったりする。このゴミ袋が、非常に軽くて少しの風でもよく泳ぐ。

風が来るたびに「ぎゃははは・・」と、歓声があがる。

棒は孫の得意技で、広告やカレンダーをくるくると丸めて作ったので、ちょいと折れたりして、補強が必要だと思ったら、孫は「お魚釣り」と、そこから遊びが変わった。


本邦初公開「オバマ小百合」

2013-04-27 | 暮らし

みんくちゃんのつけてくれたネーミングが気に入っている。「オバマ小百合」である。

本邦初公開!4月度の加賀の月例会は素頭で行った。なぜなら、普段は髪の毛を耳にかけるか、長いときはアップにするかで、髪が下がった状態で弓を引いていないので、かつらの場合耳の上の髪に弦がすっていくのである。地毛なら生えてくるのでよいが、これは痛むとどうしようもない。もうオバマ状態なのでいいかっ!と、そのままで登場したら、道場の仲間は親戚みたいなものなので、「おおっ!可愛い」という感嘆の声を聞くことができた。頭が小さくて形がよいという意味の可愛いであって、残念ながら顔の評価は今更誰もしない。「そんなに可愛い?」と、返すと皆の目が宙を彷徨うのでそれと分かる。

しかし、「すあたま」などと言うのかどうか。裸足や素足というが、裸頭というより素頭の方が良いね。でも、素頭とは素の脳とか言うらしい。ようわからん。

一度頭を出すと快感になって、すっきりと気持ちがよい。〇田さんはわたしより髪がないので「だんだん増えてくるのが楽しくて・・」と、言っていたら「いいなあ」と、笑っていた。自分が有頂天になると、人への配慮が欠けてくる。

少し反省しながら、殆ど笑って帰った。とにかく月例会の8本もちゃんと引いたし。

矢は勢いがなかったが。次回のオバマ小百合に乞うご期待。


さよならピアノ

2013-04-22 | 暮らし

娘達がピアノを習うために、当時80万円のピアノを買った。若かったので結構つらい出費だった。日本で作ったピアノは結構価値が高くなってきていて、倍の価格になっているのだそうだ。しかし、私たちが売れば7万円。とほ・・

ふたりとも嫁いでしまったので、ピアノは不要となってしまった。主人はピアノの場所に本棚を置きたくて仕方がない様子。

わたしが今からピアノを習ったらどうする?と、言うと「それだけは、やめてくれ!」とのこと。たぶんピアノを弾くなどとは思っていないだろうし、引くのは弓だけで十分だと思っているのだろう。そんなつまらん冗談はやめてくれと言いたいのだと思う。長年一緒にいると、言いたいことがだいたいわかる。なので、つまらないダジャレが被ることがある。

さて、娘たちはこんなに大きくて厄介なものは引き取ってくれないが、たぶんなくなると寂しがるだろう。しかし、どこかで処分しなくてはならない。殆ど生活の中にピアノの出番はなく、単なる写真置き場になっているではないか。ピアノをどかしたら、旦那の長嶋茂雄の「背番号3の記憶」というのが後ろに落ちていた。思わず「あ、長嶋さん!」と、叫んでしまった。長嶋大ファンと豪語している割にぞんざいな扱いである。国民栄誉賞の誇らしい長嶋さんは、可哀想に埃だらけになっていた。

運送会社のおにいさんは逞しい。肩からベルトをかけて、ふたりきりでひょいと担ぐのである。

  

ウッドデッキのところから出して、クレーンで吊り上げられた。この瞬間ちょっと寂しかった。家畜のように餌をあげていたわけではないが、毎年調律費用と除湿剤を入れていた。ピアノは牛のようには啼かないが何か言いたげであった。ポロリン・・

 


加賀温泉郷マラソン

2013-04-21 | 暮らし

最高気温9℃という今日。マラソン大会は行われた。朝からの雨がやんだが、風は寒く、4月21日なのに、冬のようだ。わたしは立哨員として、体育協会からのボランティアで出た。

交通規制をする道路に車が入らないように立っているのだ。「なんで通れんのや!」「遅刻するわ!」「責任者を出せ」と、叱られては謝るばかり。「責任者は誰や」と、女の人を3人乗せた、少しあちらの感じのお兄さん。「市長ですね」と答えると、「電話せーや」とまくしたて、やたらからんできた。周りの係員はいつの間にかいなくなって、わたし一人になった。

あるんだよね。こういうの。からまれていると、確かにそばに何人かいたはずなのに、散って行く。「通さんかい!」というかんじで詰め寄ってくる。ボケかましのわたしは、得意のボケで切り抜けた。でも、こういう時、変に相手を観察してしまう。この人は、どうしてこんなに激怒しているのか。怒れば規制をくぐり抜けられると思うのか。相手が怒るほどしらっとして、冷静になってくる。

ボランティアで、昨年までは給水所で、ランナーを応援しながら「ありがとう」と言われる場所にいたが、こんな風に一日を寒風にさらされながら、なんの報酬もなく、叱られ、不満をぶつけられ、今読んでいる単行本より小さい弁当で働くつらさよ。しかし、1月まで治療していた身の上で、こうやって何かの役に立つことができるようになったことを改めてありがたいと思う。少々の文句などへっちゃらで、人に謝るのは仕事柄慣れている。

八号線は渋滞になるので、車は抜け道を探して迷い込み、ぐるぐる回ることになる。準備はなかなか大変だったと思う。今年からコースを替えて行い、山代、山中、片山津温泉を巡る4000人参加したというこの大会が、もっとスムーズに、市民に迷惑をかけないように開かれることを強く思った一日だった。

何より、ランナー泣かせの天候で、こればっかりは、わたしたちが頑張っても、どうしようもなく、雨が止んで少し陽がさしたときは嬉しかった。みんな楽しんで帰れただろうか。


爺の小さな事件

2013-04-20 | 事件簿

筍が出ていないか、実家の山を歩いたが、今年は裏作とか。

仕方なく、お茶だけ飲んで、いつものように父の失敗話をまたまた仕入れてしまった。

父は、買い物をしていて、自分の車と間違えて、同じ車種の車にキーを差し込んで、なかなか開かず焦ったという話。

それに加えて、母が言う「図書館で止めた時も、車に積もった雪まで降ろして、間違いに気づかんだんや」

「あん時は、隣に止めてあったし、てっきり自分の車と思ったんや」

雪を下してもらった車の人は、不思議な気がしただろう。また、キーをガチャガチャやっていて、車上荒らしと間違えられなくて良かった。しかし、何で車内を荒らすのに、車上なのだろう。車内荒らしでは?


障子の張り替え

2013-04-19 | 暮らし

実家へ行ったら「ちょうどいいところへ来た」と、父が悪巧みしているような笑顔で迎えてくれた。

弟の娘が結婚相手を連休に連れてくるという。そのため、座敷の障子が何年来ほったらかしにしてあったので、張り替えようということになった。

すっかり破り終えて、貼るだけの状態になっていた。糊を洗面器に溶くのは、いつも的張りをしているせいでばっちりというか、誰でもできるというか。

慎重に端を合わせて、母とふたりで転がしていると横から父がやかましい。おまけに、手を出したところは、曲がってやり直しとなった。

母は、職人のように慎重だったが、カミソリで切る技は私の方がうまくいったように思う。カッターより、このカミソリの切れ味のよいこと。

両親は、孫の結婚相手がどのような人なのか、嬉しくもあり心配でもあるようだ。連休は、弟もインドから戻って、全員で実家へ集合し、せっかくだから夜は山代温泉へつかるということ。

ついでに、縁側のカーテンが古くなっているので、替えるように言うと「後3年しか生きられんのに・・」と、目標は90歳か。そういえば免許書き換えに行く時に大騒ぎしていた。目が見えるか、剥奪されないか。それでも、書き換えがすんだら嬉しそうで、これで90まで車に乗れると安堵していたが、周りは不安だ。

 


つば甚でのひととき

2013-04-18 | 暮らし

着物華やさんの計らいで、金沢のつば甚にて食事会と芸妓遊びに参加した。今回は人形作家の唐子さんと参加。

まず、つば甚のおかみさんのご挨拶。美しいおかみさん。

伊藤博文の休まれたという明治の雰囲気の間で、記念写真をとる。慶子と小百合が揃ったが、菜々子がいないのが残念だ。

一服のお茶を頂いた後、料理と、芸妓さんの舞にお遊びと贅沢な時間も瞬く間に過ぎてしまう。

何故だか締めの挨拶をすることになり、たぶんボケをかますだろうという予想の通り、「3本締めでお願いします」を、「三々七拍子」と言ってしまった。くう・・応援団じゃん。芸妓の扇子を借りてやってしまいそうだった。

まずは、一門と集まった方だけのご多幸と繁栄を。ようっ!汗びっしょり。この日は24℃あったとか。しらふで真昼間からこんなことしていてやばい。

本場大島紬と、娘用に作った鍵盤と猫の足跡の帯。そもそも紬は蛇の鱗模様を象ったとか。そういえば、脱いだ後、脱皮した気がしたわ。

 


出ました。バラク・オバマ

2013-04-15 | 暮らし

孫(2歳女児)と摘んできた花を全部花器に入れた。ピー豆、たんぽぽ、水仙、知らない花・・・

今の時期は、次から次と花が咲く。そして、身体もどんどん元気になる気がする。

その証拠に、落ち武者以上寂聴未満の髪型は、今では「バラク・オバマ」みたいな感じだ。

「女の人のように美しかったという三蔵法師」という気がしないでもない。

美しかったと言えば、吉永小百合さんがオバマ頭になったら、どんな感じだろう。あ、そうか。こんな感じなのだな。と、鏡を見る。こじんまりと形もよく美しい。(頭がである)

余談だが小説家の浅田次郎氏は頭が大きい。自衛隊に入った時に、被るヘルメットがなかったというくらい頭が大きいらしい。しかし、そんな会ったことのない人を引き合いに出さなくても、身近に頭のでかい人がいる。だんなの頭はでかい。そして、頭が大きい人は首も太いのだと思う。また頭の大きい人は脳が大きいのだ。ということは、わたしの小さな頭は脳が少ないということか。となると、その小さな脳のハンデを担いながら生きてきた自分はなんと素晴らしいのだろう。

顔が小百合さんで、頭髪がオバマさんというのは、なんか気持ち悪いか。人に見せたくて仕方がないが、たいがいの人は、「見たくない」という。一緒に旅館に泊まって温泉にも入った友達3人には、無理やり見せた。感嘆の声があがった。「伸びたねーーー黒いやん」「オバマみたいやろ?」「おばば?」

 


イヴェール・ボスケ

2013-04-15 | 暮らし

弓道の先輩と3人でイヴェールボスケへ行く。さて、わたしはどのケーキを食べたでしょう。

ケーキ屋さんは圧倒的に女性客が多い。ご多分にもれずここもそうだ。

田舎のこの街で、田んぼの真ん中にあるにもかかわらず、この喫茶店は、土曜、日曜は行列になる。

日常の話から始まり、加賀市弓道協会の未来を語る会となった。未来と言っても、若い会員をいかに勧誘し、いかに弓道が楽しいかをアピールするにはどうすればよいかという話。

楽しい弓道はいかんと言われる先生もいらっしゃるが、まずは底辺拡大となれば、「楽しい」というのは、人を呼ぶ条件のひとつだ。わたしは苦しい弓引きになって止めずにいるのは、何故なのか自分でも分からない。弓を引く人と一緒に群がっていることが楽しいのか。

しかし、若い人を呼ぶには、若い会員がいることが手っ取り早い。イケメンの兄さんがいれば、女の子は寄ってくる。かわいい娘がいれば、男の人が寄ってくる。お金を貯めるには、まずお金がいるのと同様。

そういえば、わたしの若いころは、若い兄さんがたくさんいた。綺麗なお姉さんも二人ほどいた(わたしのほかに)。あれから、ん十年である。


晴耕雨毒(晴耕雨読)

2013-04-12 | 暮らし

花冷えというのか、とにかく寒い日が続く。

実家の母の誕生日(82才)にケーキとコーヒー豆を持って行く。父と母は同じ4月生まれだ。父は「米寿になる」と、やたら主張する。87歳になるが数え年で米寿だそうだ。あまり「べいじゅべいじゅ」と、うるさいので、米寿の祝いをしてほしいのかと問う。

1月に「厨八十八」へ招待したが、もう一度米寿にかけて「八十八(やそはち)もいいね。」と、言うと「いや、安い八でいいわ」と、相変わらずである。

おまけに、雨が続く今日この頃。膝の痛みがひどいようで、歩くのが難儀だという。本の好きな父は、この頃本ばかり読んで動かないので余計に歩きにくいという。

「晴耕雨毒や。」「読は読書の読と違う。身体に毒の毒や」と、言って足の痛みに耐えていた。


大茶盛り体験

2013-04-10 | 暮らし

友達と大茶盛り体験へ行った。5人以上にならないと開催されないので、平日に5人誘うのはなかなかだったが、なんとか友達のおかげで平日にも関わらず集まることができた。

大聖寺の山ノ下寺院群と称されるところを散策し、熊坂川の桜を愛でながら、ボランティアの人の説明を聞く。長い間、この町の学校や会社に勤めていながら、知らないことの多さに新鮮な気持ちになる。

みんなと歩きながら、まるで、どこか違う街を旅行しているような気分だった。

連光寺での大茶盛体験。準備ができるまで庭を眺めていると、鯉が跳ねているような噴水に思わず笑ってしまう。

他の参加者を含めて、8人になったため、茶碗には4人分の茶が盛られて、回し飲みする。桜の花びらの形をした主菓子を食べたあと、頭が全部入ってしまうような茶碗が回ってくる。持ち上げるのはなかなか細腕には大変だ。

何もかも大きなつくりで、カメラを向けると、わざわざ普通の茶碗を持ってきてくださって、比べて撮ることができた。茶会とはいえ、かしこまった席ではなく、終始笑いが絶えない楽しい一席だった。


プロメテウスの罠

2013-04-07 | 読書

冒頭     ギリシャ神話によれば、人類に火を与えたのはプロメテウスだった。火を得たことで人類は文明を発達させることができた。しかし、落とし穴があった。プロメテウスによって文明を得た人類が、いま原子の火に悩んでいる。

「明かされなかった福島原発事故の真実」と、副題がついているこの本に書かれている衝撃的な事実は、多くの人が知るべきことと思える。安全神話の崩壊と、どこへ逃げればよいか誰も教えなかったし、真実は伏せられて住民は危険にさらされていた。中国の高速鉄道事故で証拠隠しがあったことを、メディアは厳しく非難したが、日本も同じだった。来る日も、来る日も大丈夫と枝野氏の記者会見。

ここは、危ないと言われても、目に見えないので分からない。情報は末端に届かない。しかし、犠牲は末端の市民にふりかかる。何かが起こっているのに、箝口令が敷かれて住民には知らされない。

読み進んでいくほどに、腹が立っていくし、怖い気持ちになる。

浪江町から飯舘村長沼周辺、高線量地域にいた人たちは、それと知らずに、最も放射線量が高いときに懸命に炊き出しをしていた。南相馬市からの避難民を助けるために。

東電は、原発からとびちった放射性物質は「無主物」であると、仮処分申し立てに対し主張した。要するに、放射性物質は東電の責任ではないよということ。

3/31、国は、放射能観測のための予算を凍結してしまった。6/28に復活したが。と、わたしたちの知らないことがここには、ぎっしり書かれている。

「朝日新聞特別報道部 著」読み終えてすぐ、続 2を借りに行ったら、すでに貸出し中だったので、3を先に読むことにした。

そうこうしている間にここ数日、汚染水漏れの報道がテレビや新聞を騒がせている。終わらない恐ろしさを思う。


失せ物

2013-04-07 | 暮らし

先日、孫とキャンバスで、ゆのくにの森と、自動車博物館を回った。孫は、乗り継いだバスがすべてスタイルが違うので、大喜びだった。

自動車博物館では、トミカの車を、額を決めて入れておいた自分の財布からお金を出して、自分の分と弟の分を買った。トランスフォーマーバンブルビーとか言っていて、4歳の弟は大喜びで「ちょーうれしい。ありがとう!!」と、言っていた。

土曜日、中央公園へ行ったとき、その車を片時もはなさない。滑り台や、カブトムシの遊具では、片手に持ちながら遊んでいるので、危ないのでポケットに入れるよう注意した。それが、悪かった。わたしが預かれば良かった。

家へ帰ってから、車がないという。中央公園で落としたに違いないと思った。翌日、日曜の朝6時40分に気になって仕方がないので、だんなと出かけて中央公園を歩いた。桜の花が咲き始めてきれいだ。芝生はまだ枯れた状態なので、黄色のミニカーが落ちていれば絶対に分かるはずだ。人気の商品なので誰かに拾われたかもしれない。行動した範囲を全部歩き、ついでにカブトムシの滑り台を滑ってみた。

傾斜が急で、いきなり地面に放り出される形になっていて、おまけに段差があるので、したたかお尻を打つ。車探しには全く関係ないが、遊具は大人も確認しなくてはならない。余分なことをしながら、本来の目的を達成できずに帰って、朝食をとった。散歩の後の7時半の朝食は非常に心地よい。しかし、気持ちは晴れない。

孫が残念がって悲しんでいるので、月曜におもちゃ屋へ寄ると、棚に並んでいる。別に博物館でなくても、トミカはどこにでもある。おまけに、790円だったのに、ここでは598円だった。つい買ってしまった。この辺が非常に甘い爺婆である。

家へ帰って猫がウッドデッキから覗いているので、部屋へいれようとガラス戸をあけて何気なく外を見ると、すみのほうに置いてあるではないか。てっきり公園で落としたと思っていたので、ええっ!と、驚く。しかし、2日経って買った後に出てくるとは、なんとタイミングが悪いこと。

失せ物は諦めたころに出てくる。