鯉の滝登り、いわゆる登竜門の掛け軸は、殿がわたしの馴染の呉服屋さんで買った。前から鯉の掛け軸が欲しかったのである。殿の贅沢な買い物のナンバ―ワンで、家宝だと言うが、たぶん娘たちには興味がないだろう。それでも「大開運 昇鯉」という箱書きの掛け軸は、少しでも病気が良くなるようにとの願いがあったのかもしれない。その掛け軸を外して、正月用に「赤富士」を掛けた。今までは殿の仕事だった。掛け軸のしまい方をネットで調べると、随所に自分の間違いが明るみに出てくる。
玄関の外に、旅行で買った杉玉がかけたままで、ボロボロになっていた。脚立に乗って取り外し、しめ飾りをつけて、黙々と作業しながら、玄関に花を活けて帯を敷いてみた。赤に扇がいいか、独楽の方がいいかと相談する相手もいない。いても、たいがいどっちでもいいと言いうだろうが。
庭を背景にするか、いや却下。
結局、独楽の帯で落ち着き、その後、神棚も殿の仕事だったなあと思いつつ、またまた脚立に上り、神棚の板に頭をぶつけて、欄干を取り落として、壊れたので修理してと、仕事を増やしながらも、何とか神様をお迎えできそうな。それにしても、仏壇や神棚のお世話をしても、無言だしなあ。
大みそかは、紅白歌合戦をみんなで観て、わたしはいつもお節料理をしていた。そんな風に家族が一年を振り返り、親子三代で愉しんでいた。思い出した。わたしがラジオをもって風呂に入ると、娘がのぞきに来て「お父さんが、お母さんの好きな歌やって言うし言いに来たんや。ラジオ聞いとるんなら良かった。」と、言ってくれたっけ。爺ちゃんは「最近の歌は分からん。」と、言いながらみかんを食べて、婆ちゃんはお茶を飲みながら。
今年は、弟が帰省してきたので、実家で母や姪たちと観た。けれど、9時頃に帰り、実性院で除夜の鐘を、力一杯どおおおぉぉぉん。と、ついた。社務所にTさんがいて、ノンアルコールのビールを勧められ、お寺の中で尺八と琴の演奏を聞きながら、今年の出来事を語って帰った。「大晦日が一番きついなあ。」と、言うとTさんは「うん。」と、だけ言った。
家に着くと、紅白のトリがゆずの『栄光の架け橋』だったので大いに気を良くして、年が明けて神棚と仏壇に手を合わせて、今年の無事と来年の無事を祈って眠った。