まこの時間

毎日の生活の中の小さな癒しと、笑いを求めて。

火事

2015-06-30 | 暮らし

午前10時半頃、近くで消防車のサイレンが聞こえた。携帯で確かめたら町内ではないか。道路へ出ると道の向こうに火の手があがっている。

娘や孫が家族ぐるみで仲良くしている家に近い。空には灰色の煙がもくもくと上がっていて、そちらのほうに近所の人たちが向かっているので、わたしも急いで向かう途中、公民館の方だというので、だんだん怖くなってきた。到着したら向かいの家の奥さんやお嫁さんと思わず抱き合ってしまった。怖いよね・・・消防が放水が始まったので、もう大丈夫と言いつつ心配だった。

しかし、後ろの家に火が入り中が焼けてしまった。怖い。午後は仕事なので一旦家へ帰り昼食の準備をしていると携帯がなった。

婦人防火クラブで炊き出しを頼まれた。わたしは、自分が防火クラブのメンバーだった自覚がなかった。年1回、着ぐるみを着て、保育園周りをすることしか頭になかった。こんな時こそなのだ。町内の人が、火の番を夜中までしなくてはならないらしい。

結局、豚汁やおにぎり、漬物を出すことが決まって、わたしは仕事があるので途中抜けし、6時に、公民館へ向かったら、すでに準備が出来ていて、我が家の鍋だけが参加していた。その後、2度目のおにぎりを作り、8時ころ帰ったのだが、緊急の時の対応を、改めて考えさせられた。


定期検診

2015-06-30 | 暮らし

金大への診察が3か月に1回になって久々に電車で行ってみた。

このところしばらく車で行っていたので、工事中の金沢駅しか知らない。新幹線開通後を見たい気持ちで出かけた。駅構内はすっきりしていた。しかし、今日はほんとうに月曜日なのか?と、思うほど人が一杯だった。(年配の人が多い)

バスで橋場町を通過した時、ふいに涙が出た。昨年の今頃、殿が退任の挨拶に最後の株主総会に出席する時についてきた事が思い出された。その後、営業所や組合を回った時、橋場町のあたりの景色を見て、次に殿と金沢へ来る日があるかなとぼんやりと思っていた。その頃、ブログにはそんなことは書けなかった。美味しいものを食べたことだけ書いた。

殿は、お世話になったすべての営業所へ挨拶して回りたかったに違いないが、兼六園下の組合へ回った後、「もうしんどいからやめるわ。」と、言って断念した。時間も12時を過ぎていたことと、駐車場から建物まで遠かったので、杖をついての歩きは大変だったのだ。その頃は、まだ車椅子を使う気もなかった。挨拶の為用意した菓子箱は3箱残った。

いつも、誰かといると頭の中の一部分を鍵をかけたようにして泣かずにすむのだが、ぼんやりする時間や、ゆかりの場所をひとりで行くのは、まだ相当きつい。一番つらいのは、金大の左横の高級ホテルのような内装の「先進医療センター」だ。わたしの退職金を全部つぎ込むんだと意気込んで最後にじたばたした。その建物は希望に満ちていた筈なのに、今は気高くそびえていて人の力なんてそんなものさと言っているように見える。

わたしと殿は、この建物の中で希望を持っていた。久しぶりにおにぎりがおいしいと言った殿を、車椅子で押していた。殿は「お前って、ほんとうに小さいんなあ。」それから「ありがとう。マコのおかげや。」と、言ってくれたなあ。

わたしは待合室でずっと鼻をかんで、涙を拭いていたので、はたから見たら、鼻風邪をひいているか、癌を告知された人のように見えたかもしれない。診察室の待合室で鼻を噛んでいる人は、必ずしも想像の状態ではないということを身を持って知った。

 

 


手紙

2015-06-27 | 暮らし

若いころ、携帯などなかったので、仲間との交換ノートや手紙をやたらに書いた。電話もしたが、電話は茶の間にあって、家族がいるので長々と話すことはできない。

しかし、この手紙というのは厄介だ。手を離れたら書いた人の物ではなくなる。とんでもない手紙は、受け取り手に大きな痛手を与えたりする。また、恥ずかしくて返してもらいたいものもあるだろう。

わたしも、某先生にお礼の手紙を書こうとして迷いに迷い、ついには書くことを断念した。殿の想いを伝えようと、宝物のような時間のお礼をしようと思ったが、亡くなった人と撮った写真を家族ではない人が手にしたら困らないだろうか。「手紙にも賞味期限があります。100日経ったら処分してください。」と、書いてみるのもおかしな話だ。

それでも、貴重な時を忘れたくない。それは、自分だけが思っていればよいので、他人に強要してはいけないのではないかとも思う。

お礼の言葉は伝えたいが、どんなふうに書こうかと考えると、ペンは止まるのである。

どうでもいいことは、べらべらと書けるのに。

 


雨の土曜

2015-06-27 | 暮らし

本日土曜は両親が仕事という子供たちを見ることになった。孫とその友達。

雨降りの為ゲームばかりしているので「カッパ着て、外へ出るか?」というと、「河童着る?口から着るんか・・がはは」と、1年生はまだ保育園児みたいだ。

わたしのかっぱと、ポンチョがあったのでそれぞれ着せると、彼らは羽根が生えた鳥みたいに、雨の中を走りまわる。

ペットボトル蹴りをして、小雨の中でよく遊んだ。靴下とスニーカーは濡れたが。

夕方迎えにきて、みんなで食事へ行くとのこと。婆は用済みである。

今晩は弓道場へ行くぞー。


成長

2015-06-25 | 暮らし

久々にパジャマアートをしていて、子どもたちのパジャマが大きくなっていることに気付いた。

観葉植物も、水だけやっていて、いつのまにかもしゃもしゃ状態になっていることに気付いた。

階段横の鉢植えの葉が、階段の手すりの上まできていることに気付いた。

今まで何も見ていなかった訳ではないが、急にみんな大きくなった気がする。冬が終わり、春が来て、駆け足で夏ってかんじだ。

そういえば、弓道の講習会も衣替えもすんでいるから、夏物だなぁと思った。

昨年の里芋も、まだ持ちこたえている。

少しカットして肥料も入れた。ほんの少し手入れをすると画期的に成長を促すことが出来る。花や野菜は数か月で実をつける。

しかし、人間はそうはいかない。なんと一人前になるまでに時間がかかる事か。おまけに、どの芽を摘んでいいのか、剪定もできないし、自由に伸ばすにはお金はかかるし。根気のいることだ。おまけに、歳をとっても役目はあるようで、枯れているわけにはいかない。

いろいろな経験をして、歳をとっても脳は成長するのか、知るたびにときめかなくなって枯れるのか。わからない。分からないけれど、いろいろなものの成長に触れると、パワーをもらえることは確かだ。わたしの顔よりでっかい葉っぱ。水と光だけで大きくなれるとは。わたしも太陽にあたって光合成できたらよいのに。


尺取虫

2015-06-22 | 暮らし

車の中に、糸くずみたいなものが、ふわふわと揺れていた。わたしの帽子のところまで、ぴこぴこと動いていく。縮んだり伸びたりして。初めて見た尺取虫だ。

孫を迎えに行って待っている間、孫の友達が3人やってきた。「尺取虫おるよー。」と、言うと群がってきて「あー、〇のばぁちゃん!」と、寄ってくる。「おー、また遊びにおいでー。」というと、近づいてきて手を出して握手を求めてきた。他の子も寄ってきて、わたしの生きている中で、男の子がこんなに寄ってくるのは初めてだ。わたしの人間性ではなく、尺取虫のおかげだが。

小学3年生は「つ」のつく最後の歳で可愛い。九つ達に尺取虫を進呈すると喜んでいた。

休んだ先生の代わりに2回だけ違うクラスに行ったら、「先生、今度いつ来るんやー」と、言ってくれるのも、九つまでかも。

「咳をしても一人」と、尾崎放哉の俳句にあるが「夜になると一人」の、わたしだ。昼の子供たちは喜びだ。

しかし、夜にブログに一方的に語っているのも暗い。

「分け入っても分け入っても青い山」これは、種田山頭火だったっけ。

「引いても引いても向こう弦」「引いても引いてもあづちにささる」

ひとりで尺取虫を真似てみる  がああんん。暗い仲間になりそうだ。


はねつるべ

2015-06-21 | 暮らし

連絡事項を携帯でメールしたが、なかなか返事がない。夕方送って、夜まで返事がないと遅いと感じる。

いつの間にか待つ時間に対して短気になっているような気がする。昔は手紙を出して、返事は何日も待った。それが、FAXになり翌日まで待っても大丈夫だった。だが、携帯メールだと2時間待つと長いと感じる。スピーディに処理出来る時代になって、人はいつの間にか振り回されているような気がする。

普通の暮らしの中でも早さが要求される昨今、企業や商売ではどんなにかスピードを求められるか、その中でストレスや失敗は多いだろう。

前に、Eテレの100分で名著の「荘子」の放映の時、「ハネツルベ」という寓言が紹介されていた。

井戸を手で掘っている老人に「はねつるべを用いてはどうか」と、助言すると「機械(からくり)を用いる者は、必ず機事(からくりごと)をするようになる。機事をする者は、機心(からくりごころ)をめぐらすものだ。やがては心が乱れ道を踏み外すだろう。

ということだ。そういえば、そそっかしいわたしは、メールを個人に返すつもりが、仲間のメーリングリストに返して、自分のアホさ加減を知らしめてしまった。まあ、自分のアホさは仲間のみんなが知っているので救われるが、これが秘密や人の批判だったら大変だ。荘子は2300年も前に、今のわたしたちのアホさを予言していたのか。


大相撲南加賀場所

2015-06-20 | 暮らし

今日、実家の母と姑を連れて、小松ドームの「大相撲南加賀場所」へ行って楽しんだ。母は無類の相撲好きだ。普通の漢字は読めないのに、難しい四股名も全部読む。

そんな相撲好きの母を前に連れて行った時は、若貴全盛期の頃なので、ずいぶん時は流れた。今では横綱はモンゴルばかり。それでも白鵬はかっこいい。やはり格がある。

もちろん、地元の遠藤や輝は人気。

土俵入りなどは「よいしょ」の掛け声をあげると、周りの人が静かで石川の気質のせいか、みんなの気合が入らない。名古屋場所とかの盛り上がりとは違うのは仕方がないか。

行司が可愛かったので写真を撮ったら、おかしな写真になった。行事に足が生えてしまった。

昼食の持ち込み禁止の割には、弁当が売り切れで、おにぎりもなくなった。カレーや、うどんには長蛇の列で、年寄りたちはあんパンですませてしまい申し訳なかった。

娘家族も行っていて、相撲好きの娘は、日馬富士に4歳の娘を抱っこしてもらって写真を撮ってもらっていた。

今回気づいたのは、髪の薄い力士は大銀杏が難しそうなことや、四股名の下に名前がついているのを改めて知り「豪栄道 豪太郎」とか、豪州っぽい名前であるが日本人であることや、富士とついていてモンゴル出身とか初めて知った。

ショーのような取り組みに不完全燃焼のような感じで、名古屋場所へ行きたくなった。掛け声も、呼び声も盛り上がり、立ち合いの気合も違う。あの感動をもう一度味わいたい。

お土産の座布団。ひとりでいくつも持ち帰る人がいた。帰りがけに席を離れてはいけない。娘は席を離れていて誰かに持って行かれたそうだ。だが、わたしのをあげるというと、「いらない。」と、言われた。結局この座布団もそのうちいらなくなると思うが。


終盤、片づけの魔法

2015-06-19 | 暮らし

片づけも終盤に入って、一番困難な状況になってきた。本とアルバムなど、思い出の詰まったものが残った。

残念な話だが、自分が今から元気に意欲的に片づけを出来るのは今しかないかも。老後と呼ばれる時期になったら、面倒で出来ないのではないかと思える。

ここ数年できちんとして、次の代に負担をかけないようにしなくてはいけない。私自身も空気の流れの良い家に住まなくてはいけない。まだまだ、捨てる物はある。そして、郵便ポストには毎日、そのまま紙ごみになるものが届く。恐ろしい時代だ。また、捨てる事によって購買意欲も出てくる。と、ここで挫折気味になってきた。

そして、もう一度考え直した。

どんどん捨てることが目的ではなく、何を残すかを考えることが大事だと。そうすると、おのずと気持ちも楽になり、自分にプレッシャーもかけず、ゆっくりと自分も何をそばに置きたいか。ダイヤモンドか、綺麗な服か?本か?若かりし頃の自分にうっとりとか?いや、いかん。また、散らかりそうだ。

なかなか魔法も修行がいるようだ。ハリーポッターもお手上げ。


長嶋さん その2

2015-06-19 | 暮らし

さて、小屋の隅にも本があった。ベースボールという週刊誌まである。長嶋茂雄とついたもの、写真、全てがあるようにも思える。殿は弓道をこよなく愛していたとは思えない。もしかして、いちばん愛していたのは「長嶋茂雄」だったのではないか。

これは、図書室の背広コーナーの我が家の記念館へ。

その代り、わたしの物を処分する。棚に入れたままの記念切手帳だ。小さい時、値打ちが出るようなことを聞かされ、ちまちまお小遣いで買っていた。なんでもそうだが、その物で儲けるのは流通業者だけなのだということに、やっと気付いた。そして、娘のひとこと「眺めていて、うっとりするなら持っていれば?」

残念ながら、うっとりしなくなった。もしや、いろんなものにときめかなくなったか!!どんどん増やしてもいかん。会社へ入社したころ、総務課にいて郵便局員が記念切手が出ると、「どうですか?」と、声をかけてきて、女子社員は何故か時折買っていた。「わー、きれい」とか言っていたかは忘れたが、流行ではあった。のんびりした時代だった。総額を計算したが30%くらいだったら、手離そうと決めた。ここで欲を出すと、また片付かない。

切手は語りかけてこないが、長嶋さんは、手に取るとやはり何か語りかけてくる。殿が残したものに、長嶋茂雄の生きざまを知るという項目が増えた。

収集するもので、金銭的な価値があるものは捨てなくてはいけない。決して将来、少なくとも自分が生きている間は価値はあがらない。また、その後はごみになるかもしれない。それなら、早めに「お疲れ様」と、言って放した方がよい。どうして、古いお札や記念の500円玉を買ってしまうのだろう。その時は魅力があるのだろう。人の事は言えない、松井のホームランカードや遠藤の切手は、まだ魅力がある。

テレカも処分、古いお金も、今のお金に換えて使う。銀行では日本のお金だけ換えた。小銭や中国の元や、ベトナムのお金は数枚では、手数料がかかってかえって損である。それにしても、会社で行ったとはいえ、いろいろ行っていたものだ。台湾やイタリアもある。わたしが行くときは、現地のお金は持ち帰らないようにしたい。しかし、行く機会はないだろう。

 


梅仕事

2015-06-17 | 料理

日曜に、友達が実家の家まで来てくれて、一緒に梅の収穫をした。彼女はいつも梅干を漬けているので、実家の梅をあげていたが、今年は是非一緒に採りたいとのことで、孫を連れて来た。

母も喜んで、みんなで仕事をすると楽しいので、5キロでよいところ、10キロ以上になってしまった。我が家は、姑が毎年漬けるが、食べる者が減ったので、今年は漬けないことにした。それでも、大きな瓶は4個ある。平成25年がまだ手つかずだ。

しかし、あまりに綺麗な梅なので、1キロだけ梅酒にすることにしたが、実は、4年前の梅酒がまだあるのだ。

今回は、蜂蜜で豪華に漬けようと買いに行った。美川産600gで1500円はやけに安いなと思いつつ買って帰ってよくみたら「中国産」だった。残念。詰めが甘かった。ついでに爪も甘かった。


長嶋しゃん 宝物

2015-06-14 | 暮らし

本当は6月15日が100日なのだが、土曜に100日法要ということで、坊さんを呼ばずに、みんなで集まって食事をした。久々にみんなでビール。

数日前、棚から牡丹餅ではなく、「長嶋さん」が出てきた。娘婿のKさんが見入っていて、「借りてっていいですか?」と、言われて嬉しかった。きっと殿も嬉しいだろう。

また、もうひとりの婿Yさんも「昭和残侠伝」を、前に観てくれたので、これも殿は喜んだだろう。自分の好きなものを共有できるということはいいことだ。わたしは、長嶋さんも高倉健さんも、あまり興味がなかった。健さんは素晴らしい人だと思うが、殿ほどのめり込まない。それでも、高倉健さんの映画は一緒に全部観たのは、一緒にいることが嬉しかったのだろう。

プレイしないくせに殿は野球観戦に余念がなかった。シーズンになると、TVは野球ばかりで、わたしはその間何をしていたのだろう。家事をこなしていたのだろうか。「また野球?」と、不満を漏らしていた。

みんなで夏休みに東京ドームへ行って、松井選手を応援した。娘ばかりで野球を語れずに残念だったろうか。

長嶋さんが監督だったころは、殿はのたうちまわって応援していた。監督を辞めた後、ころっとアンチ巨人になっていたのは不可解だった。その後は、宝物収拾に切り替わった。DVDもあるのをわたしは初めて知った。いつ買ったのだろう。永遠のスーパースター長嶋をそのうちじっくり観ようか。それも供養かなあ。


お給料

2015-06-12 | 暮らし

封筒に入った給料をもらった。3年前に会社を辞めて以来、久々に嬉しい。長年勤めていた会社はタイムカードはなかったので、押し忘れそうになる。また、給料は振り込みだったので封筒でもらうと若いころを思い出す。午後数日しか行っていないので、雀の涙ほどだが、出るのと入るのでは大きな違いだ。

さて、お洋服も美味しいものも買わない。早速、竹矢を買うことにした。先日、全日本弓道大会の県予選に称号者は極力出るようにと言われたが、弓が回らない者は錬士は無理だと言われ、今では五段も無理と言われ、角番状態の技量で人前で披露できるものではないと思ったが、それより何より引く矢がない。競技用のミズノの1913はあるが、竹矢はぼろぼろで、唯一持っているのは、大鳥の「薄兵尾」で、絶滅危惧種のものは使用禁止とのお達しが出た。

自分の物なのに使えないとは、晴れの舞台のために買ったのに残念である。同じ思いをしている弓道人は多い。そうでない矢は自身で「トレーサビリティ」を作って、いつでも提示できるように持っていることとの通達。弓道場のどこかに監査役が潜んでいるのか。内部統制の者がいるのか。世の流れには小市民は抵抗できないのである。矢の使用禁止は仕方ないが、憲法や原発に関しては黙っていてはいけないだろう。

話は戻すが、さて、お給料を遊びに真っ先に使う喜び。同居の婆さんは「うちで遊んでいる。」と、よく言うので、働かないと遊べないのである。実家の父もよく言っていた。「弓なんか、くそにもならん。」と。そういう人にはくそにもならんのである。そうでない人には、禅であり哲学であり、武道であり、スポーツの喜びありなのだ。昔の人は、お給料は真っ先にお米になった時代を過ごしたので仕方がないと思う。


命の重さ

2015-06-12 | 暮らし

友達と「命の重さ」の話をした。わたしは、命はめちゃめちゃ軽いのだと思うと言った。宗教感がないと道徳は壊れるので、子供には「命は地球より重い」などと、世の中で言われていることを肯定しているふりをしている。ここで「軽いのだ」と、言うと、違う意味で問題になるかもしれないので、うかつに言えない。

生まれて10年経ったか経たないかの子供たちに、命を教えるのは難しい。生まれて半世紀を超えても、何も分かっちゃいないのである。

図書館から「死ぬ気まんまん」佐野洋子著を借りて読んでいて、ナウなタイミングで、筆者の「立派に死のう」と思うようになった。というくだりに遭遇した。

「戦国武将の死生観」という本を読んだら、実に名を惜しむのである。思いっきりが良く、恥をおそれて腹を切る。誰も「命は地球より重い」なんて言わない。筆者は侍のように死にたいという。

「関ヶ原」に、麻酔を持った医者が同行していたとは思えない。

さて、わたしは彼女のような死生観があるわけではない。漠然と、人の命はぺらぺら軽いなあと思ったのだ。簡単に召されていくような気がする。長い人生だろうが、短かろうが、その時はあっけなくくる。しかし、悲しみは地球より重いというか、心に重くのしかかる。それで、うつ伏せになって、地球に押しつぶされてみるってどんなかなぁと考える。しかし、地球は自転しているので、地球の上に乗っかってへたばっている。

重いと思うことが、思い違いだ。本当は、儚くて軽いので大切にしないと、なかったも同然になってしまう。

そして、そんなことばかり考えてると頭の中がおかしくなりそうなので、また手の内のことを考えて、弓を引いてみる。中ってもはずれても、残心の姿が悪いのはやはりいやだ。命も軽いが矢も軽い。


弓が返らない

2015-06-11 | 弓道

向こう弦になる理由を考えても、うまくいかない。K先輩も見てくれて、握りの強さと、押しの方向性について考えたが解明できない。しまいには、弓の太さや握り皮のせいにして終わった。

山中での加賀の連盟の月例会にでかけ、弓の返りについて手の内を必死で押していたら、8射7中で優勝してしまった。ついでに、納射も2射皆中だったが、最後に向こう弦ぐらいではない、こっち弦くらいのおぞましい残心となった。

帰りに車を運転しながら、いつも殿と反省しながらかえったなあと思った。そういえば、一度も褒めてもらえなかったように思う。褒められるような射をしなかったからだが。弓返りについても、「何年やっとるんや・・」と、言われそうだ。