まこの時間

毎日の生活の中の小さな癒しと、笑いを求めて。

弓を引く

2014-06-30 | 弓道

再伝達講習会では、いかに自分に曖昧なところがあるか明るみに出た感じ。それが、教える怖さかと思う。しかし、皆で指導するということは、怪しいところを補い合えるので助かる。こんなでは、まだまだダメだ。しかし、道場へ行くと体も心も軽くなる。弓を引くことは誰のためでもなく、自分の身体のために良いという気がする。

そもそも、身体のあちこちを伸ばす運動は気持ちがいい。離れた瞬間の解放感も気持ちがいい。中たればもっといいのだが。

会社へ行っていたころ、資格を取る勉強をしているとき、「弓なんて引いとれん。」と、言った。二交代で10時に帰っていたころも「弓なんて・・」と言った。7時過ぎまで仕事をしていた時も、そう言っていた。結局、真摯に弓に向き合わない中途半端な自分を、認めたくなかったのだと思う。今は、何の言い訳もなく、ひたすら勉強不足、努力不足を反省する。

その、中途半端さは「射」に現れる。自分たちのサッカーができなかったというように、自分の弓が引けなかったと、試合や審査の後で言う人がいる。自分の弓とは一体?晴れの舞台で出るものが自分の弓であって、それは自分が認めたくない自分に出会うのだと思う。それを、謙虚に受け止めなくては前へは行けないような気がする。とはいえ、ダメな自分に甘んじるのも怖い。最近は、こんな程度の自分というものに諦めを持っていはしないか。と、考えていても始まらない。ひたすら、引いてみること。

日本は、集団的自衛権行使を容認するための閣議決定が迫る。憲法9条はどうなってしまうのか。弓なんて引いてる場合ではない世の中になりませんように。

 

 


糞害

2014-06-29 | 暮らし

今年もツバメがきた。そして、若鳥が巣立つ時に置き土産が。なぜか、旦那の車のサイドミラーを、木の枝と間違えているのか、あまり動かさないことを知ってか、そこにつかまって糞を垂れ流す。見るたびに真っ白になっている。

ツバメが来るのは幸せを呼ぶと言うが、そう言って諦めないと、この糞害に耐えられない。小屋の中に巣を作っていて、その下は糞だらけ。車は入れられないは、糞は積もるは。

タオルを巻いてからは来なくなった。巣立ったのか、タオルの感触が嫌なのか。もしや爪が引っ掛かるのか。ツバメの了見が分からない。

つばめよ・・高い空から・・教えてよ・・地上の星ならぬ、地上の糞。

 


浪費夫婦

2014-06-27 | 暮らし

「生きる喜びは何ですか?」と、問われたら「楽しむことと、予定があること。」と、答える。この答えは、日々に変るかもしれないが、今日この頃はこれである。

少なくとも、主婦は生涯やることがエンドレスにあるので、家事を予定というのは別にして、日々何かしら昨日とは違うことを予定とする。

旦那が退院してから、今まで我慢していた節約を止めた。まずソファを買い、それに合うテーブルを買い、キッチンにクーラーを増やし、プリンターの調子が悪いといって「買え、買え」状態だ。買い物は楽しいものだ。この気力が無くなったら寂しいだろう。

考えたら、今まで会社へ行っていた間、ゆっくり買い物をするということは殆どなかった。休みの日は、弓道の試合か講習会で潰れ、そうでない時は、日頃できない掃除などで潰れてしまった。洋服もあまり買わないので、娘にもっとおしゃれをすれば・・とまで言われた。小百合さんのような本物の女優でなくてよかった。ブランド物にも興味がない。過去に旦那の「お前がブランドや」という言葉に騙されたのだ。

しかし、二人で家具を見るのは結構楽しい。長い間夫婦をしてきたが、家具屋で心躍るとは二人とも発見である。あちこちの椅子に座り、棚を見て、次はベットか・・と.

下記写真は店内のモデルルーム。

心の底に少しある「そんなに長生き出来ないなら、元気なうちにお金も使おう。」という気持ち。そのことが、逆に元気が出る。

生命保険の手続きと、がん保険のための診断書をもらいに福井へ行きながら、保険に入っていて良かったと思う。6月から新薬が出たが、希望の代償はすごく高い。しかし、命あっての物種。お金には替えられない。

 


吉原裏同心

2014-06-25 | 読書

銀二貫が終わって、次は「吉原裏同心」。小出恵介の活躍を早く観たい。「のだめカンタービレ」では、パンチパーマで出ていた。「パッチギ」でもマッシュルームヘアで出ていた。今度は浪人ヘアー。べつにヘアースタイルが楽しみというわけではないが、時々に印象深かった。吉原が舞台というのも興味深い。いわゆる「吉原専属SAT」という感じ。

若いころは観なかった時代劇を観るようになったということは、もしや成長?したということか。どちらにしろ、ささやかな楽しみである。

ついでに、大河ドラマの「軍師官兵衛」がよい。幽閉後足を悪くして杖をついている姿を見て旦那を励ます。「頑張れ、黒田官兵衛」杖で自分を支えているが、実は彼は我が家を支えている。ということは、我が家の大黒柱は杖か。

実家の父は最近大黒柱ならぬ、貝柱状態だ。ぱくぱく口は開くが、身体は動かん。

杖の話はさておいて、何はともあれ、1冊読んだらやばいことになった。次の「足抜」「見番」も買ってきてこの後20まであることに気づいた。こういうのをはまるというのだ。旦那が以前、池波正太郎にはまって何冊も買いそろえていたのを、静かに見守っていて良かった。今回は私の番だ。

 

梅の剪定

2014-06-24 | 暮らし

梅の実を採りに来るようにと、母から電話があった。3本の梅の木には、たわわに実がついていた。母の手製の収穫袋は、エプロン仕様の大ポケットのものだ。木に登って手を伸ばしてどんどんポケットに梅を入れていく。

いらない枝を伐採してほしいと父が言う。膝が痛い父は、家の中から梅採りにやかましく口だけ参加していた。木に登るわたしに「猿みたいなもんや」というので、「さるお方と言うてほしいわ」といいつつ、豚もおだてりゃ木に登る式で、のこぎり片手に枝を切る。そういえば「桜切るバカ、梅切らぬバカ」という。下の枝に陽が当たるように切ったものの、枝がひっかかって下に落ちない。なかなか俄か庭士はうまくいかない。

しこたま喋りまくる父に釘をさすと、父は旦那に「あれは、よくしゃべるし、忙しない。誰に似たんやろう?」と、言うのでおかしくて笑いをこらえていたのだという。その間、母は黙々と梅を採っている。


お疲れ様

2014-06-23 | 暮らし

旦那は6月20日の株主総会で退任し、仲間の皆さんより花束をいただいた。見事な薔薇だ。この花束を見る限り、少なくとも嫌われてはいなかったと思う。

車での金沢往復が心配でついて行った。まだ杖を頼りに歩くので、目は離せない。外で時間をつぶし、会社へ迎えに行くと、従業員の方々が外まで見送って下さったので、思わず雅子妃殿下状態で手を振るところだった。ここはこらえて頭を下げた。

その後、営業所と兼六園下の組合に寄ったが、そこまでが限界で、外も暑く時間も1時過ぎたので、食事をして帰ることにした。出来れば、ゆっくりと静かに過ごせるところということで、卯辰山の松魚亭へ寄る。

五段弁当を注文し、食後のコーヒーも飲んでゆっくり。いつも食欲がなくて、いろいろ工夫しなくてはならない旦那が完食。いつも、わたしの料理にため息をつくのは、病気のせいではなく、単に技量のせいだったのでは。料亭料理なら食べられるのだ。それなら、私は料亭料理を学ぶべく、時折料亭で食事をすることを提案した。妻の口は肥えなくてはならない。口が肥えると、体も肥えるが、幸いこのところ太る暇がない。食べ歩きの条件にうってつけだ。しかし、わたしの提案を旦那は聞こえないふりをしている。

食事の条件が変わった。多種、少量、高級。勉強のため派遣要請を。


仏壇が来た

2014-06-23 | 暮らし

新しい仏壇が来た。正確には、婆さんが「古い仏壇を買い替えたい。」というので注文した仏壇が出来あがって運ばれてきた。伝統工芸を駆使した新作だという。

前の仏壇は古く掃除した時に、何かのはずみで金箔が剥がれた。扉もぼろぼろになっていた。しかし、仏壇も私たちの年代で終わるのではないかと思えてしまう。娘たちの建てた家は座敷がない。座敷がないので床の間はない。当然、仏壇の場所はない。そのような若者のために、三角コーナーに飾り棚のように置ける仏壇があった。今風である。

さて、墓とか仏壇とかは誰のためにあるのか。亡くなった人が忘れないでほしいという願いの為にあるのか、生きている人の心の拠り所としてあるのか。

どちらにしろ、うちの年寄り爺さん、仏壇が替わっても何も反応もなく、いつものようにちんちん鳴らしてお参りしていた。最近、やたら歩き回るので、婆さんも落ち着かない。今朝も5時から仏壇に向かおうとしていたらしい。ひところ、何回もお参りしていたことがある。

92才の爺さんは、長く生きたことを辛いという。人は長生きしたいというが、思うように体が動かないと辛いのだろう。それは、自分がその時になるまで分からない。
実家の父も不自由なことが出てくると「未知の世界や」という。そして「あの世も、未知の世界や」というので、「あの世は読み切れんし、黄泉(よみ)の国やろ」というと、なるほどと、変なところで関心された。

ガソリン代

2014-06-22 | 暮らし

ニュースでキャスターが「ガソリン代が値上がっています」と、言った。

思わず旦那に「聞いた?今、値上がっていますって言ったよね。」と、同意を求めた。旦那も同様気になったらしい。

本来「値上がりしています」というところだろう。気持ちは分かるが、ひっかかる。0655ではないが「重箱の隅つつくの助」である。じゅうばこのすみ、つつくのすけぇーー

以前から「煮詰まる」という言葉も気になっていた。「客との契約が煮詰まる」といえば、後一息までこぎつけていい感じなのであるが、娘たちは「客とこじれて煮詰まる」という風に使う。その辺も気になる。

「お客様、こちらのソテーは鴨肉となります。」ん?鴨肉となる?豚肉になることもある?「コーヒーのほうでよろしかったでしょうか?」コーヒーの方角?今から飲みたいのだけど、よろしかったと過去形で言われても。

いやいや、そんなことよりガソリンの価格が気になるのだ。本筋から外れてはいけない。

正しい言葉遣いは、すべてに影響する。みなの気がそがれて早く決を取りたくなる。「この商品は右肩あがりで売りあがると思います。」「採用のほうよろしくお願いします。」「契約が煮詰まりました。」

しかし、言葉づかいで躓いていてもしょうがない。問題は、ガソリン代はどこまで上がるか!なのだ。キャスターは火急の事態を知らせたかったのだと思う。「ただ今、値上がり中」より「値上がっています」の方が早急に聞こえる。動詞になっちまった。

 

 


再伝達講習会の打ち合わせ

2014-06-20 | 弓道

来週から夜3回にわたり、再伝達講習会を行うために、我が家で打ち合わせをした。

〇田さんと、〇井さんに来てもらった。旦那も一緒に聞いてもらえば雰囲気は分かるのではと「会長を交えて打ち合わせさせてください」とお願いした。

旦那は加賀の道場は3階で、まだ登るのは無理なのでこの講習には参加は難しい。

3人で、段取りを決めながら、あいまいなところがあることを潰していく。3人で話し合うと良いなあと思う。3人寄れば文殊の知恵。ひとりでは聞き逃すところも、曖昧なところも、クリーンになる。リビングに弓を持ってくるは、立ったり座ったり、お茶を飲んだりと楽しかった。

教えることは習うこと。みんなと話し合うと勉強になる。うまく伝えられますように。


八頭

2014-06-19 | 暮らし

八頭を実家の畑に勝手に生えたものをもらってきた。この辺では「がしら」という。里芋の親分。

食べるためではなく、観葉植物にするためだ。ホームセンターで「八頭」と、鉢植えに書いてあり母とこれなら自分で出来るね。ということで早速植えてみた。

どの程度まで大きくなるのか分からないが、「菊次郎の夏」で、北野たけしが傘のようにして持っていた。鉢植えでは限界があるが、果たしてどうなるか。

 


夫婦の買い物

2014-06-14 | 暮らし

このところ二人で出かけるようにしているが、食料品はひとりでいくのがいい。いつもの店では、どこに何があるか分かるので、さっさと買うことができるし、興味のあるところでは、あれやこれやと考えるのも楽しいからだ。

同世代の夫婦が買い物をしている横を通ると、たいがい旦那さんが叱られている。「このはたはたの干物食べたいな。おかあさん」「うちに、ホッケと鯖があるし!いらんわいね」と、強く反対される。また、別の旦那さん、キムチの棚あたりで心を泳がせ手にとると「これより、こっちの方がいいがいね」。と、なかなか自由がきかない様子。

そう言えば、うちの旦那も塩分の多そうな加工品や、ウニと書いたウニっぽい瓶詰などを手に取ったりすると、私はダメ出しをする。男の人はいつまでも子供のようにみえるのか。なかなかプロの母ちゃんにはかなわないようである。

なので、やはり食料品はひとりで買うに限る。しかし、高額になるときは一緒に来てもらう。盆や正月に皆が寄るときは値の張るものを買う時、旦那が背中を押すのである。ウナギどうしようか・・「買え、買え、どーんと・・」と、6千円で買ったり、刺身も張り込んだり。このときは男らしい。

毎日の買い物はつましいものである。新鮮、安価、少量の三拍子。いつもの味噌が安い。卵が安い。と、けなげな毎日である。このけなげさが、自分の矢を買ったりするときは、何故躊躇しないのか不思議である。


石川の高齢化率

2014-06-13 | 暮らし

とある県議の報告がポストに入っていた。いつも、頭のさがる活動をしている。

その中で、石川県の高齢化率が表にまとめてあった。能登の高齢化率は県平均25.2%を上回っているが、南加賀では加賀市が28.9%と、一番高い。またひとり暮らしの高齢者が年々増えている。

我が家も完全高齢化である。92歳の爺さんはこの頃、廊下を何回も行き来し、なぜか新しいソファにいつの間にか座ってテレビを観ているが、すぐトイレヘ行ってテレビを付けっ放しで自分の部屋へ行ってしまう。今何をしていたのか忘れてしまうようだ。まあ、人の事は言えない、私も2階へ何を取に来たか忘れてしまうことがあるではないか。

実家の両親も心配で、父はあまり車であちこち出歩かなくなった。母は網戸の張り替えや、父の夏用の服が欲しいというので、半日買い物に付き合う。娘が1か月家にいたので、なかなか実家へも行けず、久しぶりの母との買い物をする。

これからの課題は高齢者問題だけでなく、親の残した空き家も問題だと思う。従兄の家の小屋を壊す時に思った。たくさんのごみ処理と解体費用。遠くに住んでいると整理もままならない。

誰もみな必ず年を取るのだが、若いうちは想像できなかった。この頃少し想像できるのは、両親を見ていることと、自身もその日を意識するようになったせいかもしれない。

 

 


土替え

2014-06-10 | 暮らし

  

長い間ほったらかしにしてあった観葉植物の土を替えた。正確には根を整理し土は前のものをそのまま利用し、土が元気になる肥料を混ぜて鉢に戻した。

根が底の網までくわえ込んでいる状態だ。これでは、鉢の中で苦しかっただろう。株も分けて、いらない分は捨てた。鉢を増やすと収拾がつかなくなるので。

愛猫チョムがやってきた。

君、君、手伝わなくてもいいのだよ。今は猫の手は足りている。


伝達講習会

2014-06-09 | 弓道

予想通り日頃のそそっかしい性格が出て、歩行は速いは、息合いが合わないはで指摘され反省と汗だく。どうも、時折息を止めてしまっているところがある気がする。意識して息を吐かないと、緊張の場や頑張ろうとすると力が入り、息が詰まるのではないか。

随所で適切な指摘をしていただき、稽古不足も悟られ、股関節が痛くてチョンボして開き足をしているのも見抜かれ、これは再度修行しなければと改心する。再伝達講習会があるので、ここで再び復習をし、日頃家の廊下で何とか射位から本座へ戻れるようにしていたが、やや緊張すると狭くなることも考えに入れなくてはならない。

ところで、講習会の最後に矢つがえ動作についての質問があった。「弓道合格の手引き」を忠実に守ることが今の私たちの伝えることと思う。なので、顔は右手に正対するとあれば正対しなくてはならない。変更があれば、また習えばよいと思う。決め事は人が決めること。 受講生は謙虚に受け入れ習うこと。また、再伝達では正しく伝えることが要求される。

総じてこの体配の動作は、吸う息で動作をし、吐く息で間合いをとり、また吸う息で動作する息合い、間合いの調和のリズムで、格調高く流れて、礼に徹した動作の美を具現してゆく、現代弓道の芸術ともいえるものです。(弓道教本 第四巻)

改めて粛々と受け止め、小百合が存在するだけで格調が高く、美しいという勘違いだけは避けようと思う。

レベルの低い受講生で将来性はないが、将来はあるので、お見捨てなきよう。


孫渡し

2014-06-07 | 暮らし

本日、無事孫渡しを終えた。

約1か月前、旦那が退院したと同時に生まれた。誕生は素晴らしい。おめでたい。しかし、本当はもっとすごいのは誕生後、いろいろを越えて生き続け全うすること。

ちょっと前までは、生まれることがすべての幸せのように思ったが、そこからが試練。喜びも悲しみも始まる。

そこから始まるドラマと、生きて次世代に繋ぐ何かを残したいと思う。それは何か分からないけど、とにかく一生懸命生きてみて試行錯誤を続ける。

「子孫に美田を残さず」ともいう。残すのはお金ではない。もしかしたら生き様かもしれない。それは、子供へということではなく、自分に関わる全ての人に。ただ、何も残せず忘れられてしまうかもしれない。どちらにしても、生まれたら生き抜くしかなく、最後は自分が良く生きたと思えればいいのかなあと、娘と孫が帰って、年寄り4人の静かな我が家で、まるで修行僧のように人生を考えてしまった。

しかし、小百合は尼さんになっている暇はないのだ。明日は弓道の伝達講習会。稽古不足を幕は待たない・・・弓芝居かい!