コロナで大変な一年が終わろうとしている。
感染者が日々増えている中で、我が県の知事はダイナミックな会食を開いた。
開いた口が塞がらないが、マスクをして塞いでおこう。
今年いろいろあって花だらけになった玄関。
ありがたいなあ。
辛くても笑っていれば何とかなる。
そうだ。笑える字を書こう。
娘達が来たら笑うだろう。
さて、大みそかはひとり紅白だが、ラインで娘たちが、紅白の感想を逐一送ってくるので、一緒に観ている感がする。
「坂ばっかりでたくさんいて分からんわ」
「日向、乃木坂・・か」「46とか48やと分け前はどうなるんだろう」
「ニジュウ・・綺麗やね」
「20??」
「育三郎・・いいね」「だれやそれ」「朝ドラに出た歌手・・」
「嵐いいわぁ」「さびし~」
「嵐、コロナでコンサートもままならんし、ありえん」
「ほむら・・・炎・・・」
「煉獄さん泣けるわぁ~」「泣ける、泣ける」
皮肉なことに、『鬼滅の刃』は、コロナのために自宅待機の時に娘から借りて読んだ。子供たちがはまっているとか、kenもジャンプで読んでいたとかで仲間入り。
『ハイキュー』も読んだ。どちらも結末はわからないままだけど。
そんなこと思い出しながら、話しは留まらないのである。
「ゆずの雨のち晴れるヤは、毎日kenを保育園へ送っていくときに手をつないで一緒に歌っていたわ」
「へ~、そうなんや。ken歌っている。なんたら~なんたら~って、歌詞あいまいやわ」
「5才やったし。あめだまあげるや~♪」って
突然、偶然、必然の意味も知らずに、可愛い声で歌っていた。
わたしは抗がん剤で頭が禿げていた時だ。
仕事を辞めて、孫と手をつないで歌っていたのは、身体にも心にも良かったのだろうと思う。
来年はもう中学生になる。
家族って、このなんでもない取り留めのない話をして笑っていられるから楽しいのだ。そして、紅白はつまらないとか言いながら、大みそかを家族で笑って過ごす幸せは何にも代え難い。
失ったものは仕方がないと思えるようになった。
寂しさに気づかないように忙しくして、気づかないように笑っていたい。