まこの時間

毎日の生活の中の小さな癒しと、笑いを求めて。

imagine

2011-12-26 | 暮らし

先日、金沢の市民ホールで、加藤登紀子のほろよいコンサートへ行った。

ロビーでの振舞い酒はお替り自由だが、つまみなしで何杯も呑めるものではない。と言いつつ、ウズラの卵の醤油煮とスルメのパックを持って行った、この用意周到さ。樽酒3杯も呑んだ。とはいえ、小さなビニルコップですよ。

ほろ酔い気分で、聞いている幸せ感。となりのだんなは、時折目をつぶって聞いていた。

「イマジン」が流れた時は、気持ちは高校生だった。

高校1年のときに、ジョンレノンの曲が体育祭で流れた。あの時、ひたすら部活とかっこいい先輩のことで学生生活すべてだった。自分達が世の中の中心だと思っていた。

その時は、その後の人生が長いということを知らなかった。

そして、吉永小百合も歳を取るということを忘れていた。

何はともあれ、暮れの忘年会のようなひと時だった。


残心を考える

2011-12-19 | 弓道

長く弓を引いていて、今更お恥ずかしいのですが、その時々で、自分の向かおうとするところが変わってしまいます。そして、今更気づいたというのも恥ずかしいのですが、でも、今頃ですが改めて考えました。

的前に立って弓を引くからには、当然的に中てなくてはなりません。それで、中りのみ追い求めていって自分の足元に気づかないと言うことがありました。気づいたときには、的に中るどころか、射形もとんでもないことになっています。

目標は何かと言えば「当たり」ではありません。短距離走であれば、テープを切ってゴールした瞬間がすべての評価(タイム)ですが、弓の場合、この後どたっとそこで倒れこむか、にこやかに両手をあげてクールダウンしていくかというてころまでの評価。弓道の場合、ゴールは的ではないと言うところです。

では、どういうところへ行きたいかというのが、弓道の最高目標に掲げられる「真善美」を、満たすことです。では、何をもってそれを満たすかと言うことになります。的中ではなく。

離れた後の残身が写っているすばらしい写真に出会ったとき、あっこれだと思いました。縦横の十文字が天地左右に果てしなく広がるような、力強く美しく筋肉がまだ隆々と生かされている気を感じる写真にであったとき、残心開花という言葉がありますが、まさしくここへいくために弓を引いているのだと思います。

弓道の写真の多くは、会で引き合っているところが多いですが、残心こそ正しさが顕れると思います。

残心の姿がすばらしいときは、当然、矢は的に中たっている。中てるのではなく、中る射といわれるところ。

「よくそんな射で中るなあ」「そんな射では中らないよ」とは、どちらもわたしへの先輩の言葉です。簡単に言えば、中っても外れても、評価にならない射のことです。

的をゴールにしてしまうと、離れの瞬間縮んでることが多く、いわゆる中てにいくという射になります。その時の残心はやはり迫力なく、手の内も緩み、肩の高さも違っていました。

剣道では残心は、次の攻撃への構えと言われます。弓の場合は、次の攻撃のためというより、今この時の総決算と考えます。

今更語ることも恥ずかしいのですが、焦ったり、欲しがったりするときは、「わかっちゃいるけど状態」をあらためて戒める意味でも、初めの胴造りと最後の残心の姿を理想に持っていきたいと思います。

しかしながら、 納射会では、とても残心について考えている射には見えない結果となりました。

来年、乞うご期待。


ろくろ体験

2011-12-15 | 暮らし

弓道仲間と、ろくろ体験に行った。○田君が陶芸の仕事をしているので、英国人のミミが体験したいと言うことから、誘われて日曜に一緒に体験することにした。

まず、足にも紐がかかるデニムのエプロンをつけた。そこで、ミミが「マリオー」と言ったので、主人はみんなの注目を集めた。スーパーマリオが誕生した。

それぞれに、杯や茶碗を作り、満足。ここでも、丹田呼吸が必要だと言い合いながら、盛り上がる。

主人は、大きめの盃を作り、わたしは飲みすぎないよう、水差しを作った。焼きあがって完成するまでに2ヶ月かかるらしい。

どうしたら、ひょうたん型のとっくりが出来るのかなど、いろいろな疑問に実際作ってもらって教えてもらうのは楽しかった。


報恩講

2011-12-14 | 暮らし

毎年この時期には、お寺さんがまわってきます。いわゆる「ほんこさん」と、呼ばれている報恩講の行事です。

叔母が生け花の先生をしているので、習いに行っていますが、今回はクリスマスの花を生けました。

我が家の玄関正面に、花をこれみよがしに飾り、住職をお迎えすることになりました。違う花を生けようかと思いましたが、忙しさにかまけて、我が家の誰も非難しなかったのでそのままにしてしまいました。たぶん、異を唱えると、倍以上の反撃があることが予想されるので、生活の中でわたしに異を唱えると言うことはタブーになっているかもしれません。心優しい吉永小百合ではありますが。

そして、この時期のちぐはぐな行事が、そのまま正月まで続きます。神棚に手を合わせ、仏壇に参り、除夜の鐘をならしにいき、神社で拍手を打つ。

だから師走は気ぜわしいですね。いろいろな義理を果たそうとする律儀さが、忙しさを招きます。

弓納めも近いです。


置き去り

2011-12-08 | 暮らし

毎日していることをやらないというのは、気持ちが悪い。1週間ぶりに弓を引いた。毎日少ないけれども、必ず引いていたが、首が回らないのと、両中指の付け根と、右親指の付け根が痛くて、整体に通っていた。満身創痍のような気持ちで沈んでいたが、もう我慢できない。痛みに我慢できないのではなく、ぼおっと朝の時間を過ごすのが我慢できないのだ。

本来は、整形外科へ行ったほうがよいのかもしれないが、仕事を休むわけにはいかないので、仕事を早めに終えて、小松まで走る。早めに終えるといっても、6時だが、小松から帰ると8時近くなる。行くと、滑らかに動くのだが、「あんま角まで」と、言われるように、翌日にはまたぶりかえす。悪くはなっていないと思う。しばらくそっとしておいたほうがよいと先生に言われ、控えていたが、弓の本を読んだりすると、もやもやする。で、今朝は、4本だけ引いてみた。

弓は、指で引くのではないので、全く影響はないではないか!親指の付け根はゆがけをしているので、全く大丈夫だし、いったい何のために休んでいたのかと気力が衰えることのほうが怖い。

いい感じじゃん。4本だけだが引いて気づいた。今日は久々の友達と飲み会なので、だんなに会社まで送ってもらう予定だったのだ。何日も前から頼んでいたのに、置き去りにされた。

正確には、忘れていた。「いってきます」というだんなに「いってらっしゃい」と、言って二階へあがって支度をしていたのだ。弓を引き終わって、さあ出勤と車のところへ行きかけて、「しまった」と。車に乗ったら、せっかく会社まで迎えに来てくれると言う友達の好意を無にしてしまう。

とっさに娘に電話して、娘の出勤ルートを少しかえてもらって会社の手前まで送ってもらった。何で出掛けに急にこうなるのかという娘に、だんなを悪者にしたのは言うまでもない。

しかし、前々からの約束を忘れてしまうこの夫婦はいったい・・・。