孫たちに「ぜんざいを作ったけど、ばぁばんちで食べる?」と、聞くと間髪を入れずにkouは「食べる!!」と、言いう。kenは、「ぜんざいって、おしるこか?」と、聞く。おしることぜんざいの違いを述べると「食べる!!」と、言う。「じゃあ、おしるこやったら食べんの?」「おしるこでも食べる。」甘い物好きのkenはどちらでも良いのだ。
帰りの車の中で、いきなりふたりが「駐車場の猫があくびをしながら~🎵今日も一日を過ごしてゆく♫」ゆずの「夏色」を、歌いだした。愛猫チョムを思い出すなあ。わたしが、歌を真似すると、ふたりはあまりの音痴に笑う。早口の歌は難しいのである。
タブレットを出して餅が焼けるまでふたりが再び歌いだした。子ども達は歌うのが好きだ。いや大人だって歌は好きだ。子ども達は楽しそうに歌う。わたしは、その歌詞の中に自分を探す。
子ども達がぜんざいを食べている間その曲の歌詞を見ていた。
「この長い長い下り坂を 君を自転車の後ろに乗せて ブレーキいっぱい握りしめて ゆっくりゆっくり下ってく♫」と、いうところがある。人生の下り坂を、一緒にゆっくり下る人がいなくなったことを思う。チョムも逝ってしまったし。子どもや孫でも埋められないのは、伴侶の大きさだ。
「いつか君の涙がこぼれおちそうになったら 何もしてあげられないけど少しでもそばにいるよ♪」そういってくれる人が現れる可能性がない歳になってしまった。
こうやって、ぜんざいで孫を少しの時間でも繋ぎとめて歌を聴く。夏色とぜんざいとは、何の関りもないのである。