まこの時間

毎日の生活の中の小さな癒しと、笑いを求めて。

麦茶論争

2022-07-31 | 暮らし
「何が飲みたいの?」
「麦茶」
「麦茶ください。でしょ」
そして、麦茶が出たら「ありがとう」でしょ。
それが躾である・・と、いうのが先日TVで紹介された。

否定はしないが、母は強し、女性は強しな世の中になってきた。
わたしも、殿が遠慮がちに「コーヒーでも飲むか?」と、言うと
「そうやね。コーヒー誰が入れるん?」と、わざと言って笑ってコーヒーを入れたこともある。
ここで、「わたしは飲みたくないし、自分で入れたら・・」と、言ったら夫婦仲は険悪になる。
コーヒーが出来たら「私があなたの為に湯を沸かしコーヒーをいれましたよ」とは言わない。
「コーヒー入ったよ~」と、声をかける。
コーヒーは勝手に入らないのであるが、殿はいつも「ありがと」と、言ってくれたので夫婦は円満である。
しかし、実家の父は「お」の、一言だった。
これが、日本語の便利さ。多くを語らず、阿吽の呼吸。

しかし、共稼ぎの今日この頃、ありがとうの一言は必要なのだ。
ここが、明治大正とは違うのだ。
昔の亭主なら「お茶が入りました」「うん」で、終わるのだ。
「お風呂が沸きました」昔は、妻が火を焚いて沸かした。
それでも、いちいち薪に火をつけて沸かしました‥とは言わない。

今は、ボタン一つで勝手に沸いてしまう。
「あなた、お風呂が勝手に沸きましたよ」とも言わない。
なぜなら、別の女の声が言うのだから。
「♪ お風呂が沸きました ♪」

そのうち、AIが
「わたしが温度調整し、40℃に沸かしました」と、言うだろうか。
「ありがとう。謹んで入らせていただきます」







硲伊之助美術館

2022-07-30 | 九谷焼
硲伊之助美術館は、我が家の隣町にある。

さて、今回は目的があって行った。
深田久弥の「紫陽花姫」という本の装丁を、硲伊之助氏がしている。
その本は国会図書館のコピーで見たのだが、モノクロなので本当の本を見たいと思ったことから訪ねたのだった。

10年以上前に殿と来たことがあった。
美術館は吸坂町の山の上にあり、南郷小学校を通り過ぎて、案内に従って行かなくては到達できないところにある。
地元の者でも、へぇ~こんなところに・・と、言うような場所である。



工房らしいところを通過する。




階段を上りきると美術館がある。



玄関には「臨時休館」と張り紙があった。記憶がよみがえってきた。
前に来た時も「臨時休館」だったので、驚かない。




取りあえず電話をしたのだ。
「はい。今開けます」という言葉で待つことにした。
多分工房からこの美術館へ上ってきて開けてくれるのだと思う。
前に来た時、蚊に食われて大変だったことだけ思い出した。
思い出したときは手遅れだ。
肩もズボンの上からも蚊が刺してくる。

ようやく館を開けていただき、本の話をすると、少し待ってくださいと硲紘一館長が応対して下さった。
グランドピアノがある。ここでコンサートも開かれるとか。



館内の照明が暗いので綺麗に撮れなかったが、館長の許しを得て撮らせてもらった。
昭和17年発行で、その頃深田久弥は鎌倉で活動していたし、硲伊之助氏は東京で活動していたので、出版社を通してのお仕事で、お互いに会ってはいないかもと話しながら、その頃の時代背景を考えていた。


表紙カバーも外してくださって、撮影。


館長さんが出してくれた冷たい緑茶と吸坂飴を頂いて、小一時間話をした。

こういうところは撮影禁止と思うので、作品の撮影は遠慮したが、館内の雰囲気を撮った。



美人画は、ひときわ目立っていて、誰を描いたのだろうと気になった。
また、大皿の深い青とそこに描かれた黄色の花が美しかった。

お下げしてもよろしかったでしょうか?

2022-07-28 | 暮らし
友達と新しくできた韓国料理屋へ行った。
ドアを開け「オソ オセヨ」(いらっしゃいませ)と、言われたら
「チャリ イソヨ?」(席ありますか?)と、言おうと身構えていた。
しかし「アンニョンハセヨ!」と、明るい声。
カウンター席を用意してくれた。
夏だからチゲはいらないとして、頭の中でトッポギとか、ヤンニョムチキンが浮かんだ。
料理本で作る自前のヤンニョムチキンしか知らないので、本当のヤンニョムチキンを食べてみたいと思っていたが、焼肉中心のメニューだった。

開店したばかりで、スタッフは10人いて若い子ばかりで活気づいていた。
サービスのサラダがボールに盛られてきた。
「取り分けして、よろしかったでしょうか?」
出た、過去形のよろしかった・・。
未来のことを過去形で言われることに気持ちが悪いわたしは、
分けてもらった後、友達に言うと、過去形は丁寧にいうときに使うのだと、やさしい評価。
世の中は変わってきている。
いつまでも金田一春彦さんの「ホンモノの日本語をはなしていますか?」にこだわっていてはいけないのだ。
「キムチになります」と、置かれたキムチ。
この前は白菜で、色々入れて漬けこんでキムチになりましたんですね。
それなら「キムチになりました」と、ここは過去形ではないのか?
心で思いながら、それでも友達と互いの認識が間違っていないだろうことを話しながら、美味しく食事はすすむ。
「お水の方になります」どの方角だろう。
いや、これは入り口の水槽の水ではないから、
「調理場の方から持ってきたお水になります」
「はい、お水です」とか、「お水でございます」とは、言わない。
昭和なわたしたちは、そのことばを肴に楽しんでいた。
空になったトレーを下げに来た。
「おさげしてもよろしかったでしょうか?」
友はつぶやいた。
「お値段もおさげしてよろしかったですよ」
しかし、この言葉はどのタイミングで言えばいいのか?
間が分からない。レジで言っても間抜けとなる。



木を植える 「中日春秋」より

2022-07-27 | 暮らし
若い頃、谷川俊太郎さんの詩を読んだ。
そんな頃、詩を読んで感動し自分も書いてみたいと思ったことがある。

歳を重ねるごとに、そんな気持ちが薄れ感動が諦めに替わり、世の中の怖いニュースに怯える。
身近で何か起きたらどうしようという心配性な母の気持ちが分かるようになった。

今朝の「中日春秋」欄で、イオングループを育てた岡田卓也さんのことが書かれていた。
イオングループの植樹は四日市に住んでいた岡田氏が身を持って体験した四日市の木が枯れ、人々にぜんそくをもたらしたことからの公害体験からだと書いていた。

そして、最後に谷川俊太郎さんの詩を紹介していた。
『木を植える』
木を植える
それはつぐなうこと
わたしたちが根こそぎにしたものを
木を植える
それは夢見ること
子どもたちのすこやかな明日を

改めて、この短い欄に詰まった思いに感動した。
忘れていた詩への感動もまだ廃っていないことにも気づいた。



スピン

2022-07-22 | 読書
長い間生きていて知らなかったことは山ほどある。
しかし、本を買って山積みにしていながら、気づかなかったことは迂闊だった。
文庫本には、焦げ茶色のひもがある。
単にひもの栞だと思っていた。正式な名前をスピンというのだそうだ。
知る人は知っているだろうが、あえて名前を知ろうと思っていなかった。

持っている本を確認したら、単行本でスピンのあるものは「文芸春秋」と、「光文社」もあった。
しかし、どちらも文庫本にはない。
殿の蔵書も調べてみたら、他にも「毎日新聞社」の、単行本にもあった。

結論は、数ある文庫本の中で、新潮文庫だけがスピンがある事が分かった。
本棚の本を片っ端から調べた。
「それが何か?」と、言われたらそれまでだが。
ただ、それだけを言いたかった。
「今頃気づいたんかい」
殿が本の間から言っている気がした。

しかし、古い文庫本にはあるものもあるそうで。


今日も、日本中でコロナの感染者が真っ赤に記録更新したところが目立つ。
加賀市だけで112名。これまた最悪。
10代は25名。
家での読書が無難だと思う。

夏休みフェア

2022-07-20 | 読書
本当はいけないのかもしれないけれど、ひとりでいるとつらいニュースは観たくなくなる。
朝起きて、TVをつけると、いきなり戦争とコロナ感染のニュースと、安部さんの銃撃のニュースや災害のニュースが繰り返される。
それで、ついついBSの、何でもない自然相手の番組や、朝ドラを観ている。
ニュースは一日一回観たらいいと思っている。

一生懸命考えて投票した選挙結果は、当然と言えば当然な結果となり、何の役にも立たない一票に消えた。
日々穏やかに過ごせることに感謝し、家族や身近な人の役に立てたらそれでいいかなと思っている。
身近にコロナ感染者が出て、孫の中学校も、弓道教室に来ている子たちの学校も一足早く夏休みに入った。
そんな毎日に、変わらない風景があるとほっとする。

毎年、夏休みになると本屋には特設コーナーができる。
実はこれがすごくわくわくする。



そして、ご自由にお持ち帰りください。の、小冊子。
どれを読もうかな・・と、見るのがまた楽しい。
若い頃読んだ本が、綺麗な装丁で並んでいたりすると、間違って買ってしまいそうになる。
昔の文庫本は、字が小さく紙が茶色に変色していて読みにくいので、もう一度読み返すには、買ってもいいのだが、殿の本を処分していないうえに、また買い足すのは気が引ける。
しかし、この先まだ平均寿命を考えると、ささやかな楽しみをしても良いのではと思う。
いや、人の命はどうなるか分からないのだ。思いつくままに楽しもう!!
若い頃から「美人薄命」という言葉を怖がっていたが、40歳ころ殿に「薄命」というのは、10代から20代前半だろうと言われ恐れなくなった。
また「いい人ほど早く逝く」というが、わがまま勝手な自分なので、そんなにいい人の分類には入らないので恐れるに足らない。
どこかへ旅行に行ったり、食事をしたりすることが少なくなったので、ほんの少しの本が増えたところでどうだというのだ。

かくしてわたしは、ご満悦で本を買い重大なことに気づいた。
家に何冊も読んでいない本があるのだ。
どうも、本を読むというより、本に囲まれていると幸せになるというタイプなのではないか。


能の稽古

2022-07-16 | 暮らし
お茶の稽古が休みだったので、一緒にお茶を習っているNさんが、大聖寺の能楽堂で能の稽古をするというので見学させた貰った。
能楽堂には始めて入るのだが、カーテンを開けて稽古をすると外から全部見えるのだ。
この日の稽古は「鶴亀」と、「羽衣」
加賀宝生は有名だが、能の舞を実際に観たのは、20年ほど前に殿と弓道の先輩夫婦と菅生石部神社の「薪能」を、観た時以来だ。
稽古だが、真剣な舞。
謡いながら舞いながら生徒のさばきを指摘する先生はすごくかっこよかった。

なぜかステンドグラスと、天井のトトロが不思議感あるけれど。





パンの誘惑

2022-07-16 | 料理
朝食は殆ど和食だが、土曜の朝はたまにパンを食べたくなる。

土曜の休みは月に1,2回しかないので、久々にパンを買いに行くのだが、迷いに迷うのだ。
あれもこれも食べたいが、ひとりでは食べきれないからだ。
家族が多ければ、みんなで分けることもできるが、結局、2種類ほど買うのが関の山である。
厳選したわけではないが、ふと買ってしまうのが、揚げパン。
友達に危険なパンだと言われる。
あんこが入っているうえに、油で揚げて、更に砂糖をまぶすのだから、よほどの時しか食べられない。
しかし、だからこそ魅力的なのである。
人間も少し危なっかしいのが魅力だったりする。
しかし、人間の場合、怪しいのは避けるべきであるが、この歳になると怪しい人も寄ってこないので安心だ。

時々、近所のパン屋で買う。
以前、朝一に出かける時に寄ったら、まだ揚がっていなかった。
パン屋の奥さんが
「ねえちゃん、ちょっと待っとって、今すぐ揚げてくるし」と、言う。
お嫁に来た時から知っているので、ずっとわたしは「ねえちゃん」である。
その揚げたてが旨いのである。
まず油がさらっとしている。
時間が経つとべたっとするが揚げたては格別。
まぶした砂糖もサラサラなのだ。
口に入れると、優しい甘さである。
揚げパンって、こんなに爽やかだっけ・・というような。

今朝の揚げパンは揚げて小一時間は経っていると思う。
あのサラサラ感がない。しかし、これはこれで最高に美味しいのだ。
食べたい時が旨い時。
これが、あんドーナツではダメなのである。



後は、ダブルコロネ。
この渦巻きの魅力。ホワイトとチョコというぜいたくさ。





ふっくら、こんがり。
離れがたい新婚夫婦のようではないか。
しかし、食べきれなかった。
ダブルでなくても良かったのだ。
わたしはシングルなのだから。
後ろから見たら、単なる芋虫みたいではないか。
寂しいもので、難なくふたつは引きはがすことができた。
そもそも、わたしたちは他人だったのよね。
とは、言いはしないが、焼きたて出来たても冷めてしまうと少し硬くなり味も落ちるのである。
パンは老夫婦のように、何年も寄り添って深い味わいにはならないのである。

食べられる分だけ買うべきだ。




ヤマボウシ

2022-07-16 | 暮らし
6月、夏突入かと思ったら、梅雨明け後に雨が降り続き、空地の草が伸び放題になっていた。
家の周りは見るたびに抜いて、草の伸びることの速さにうんざりしていたのだが、もしや・・・と、空地を思い浮かべて見に行くと、びっくり。
もっさり。

そうだった。
6月に夏が来たと思って、36℃とかの気温になったら、熱中症になりそうだとばかり引きこもっていたのだ。

ぼっ~としているうちに、月日が経ってしまう。
このごろ、1日が48時間ならいいのにと思う。

そういえば、近所でも驚かれていた娘の家のヤマボウシ。
今は少し花が散り始めたが、凄く花をつけた。




実は、我が家のヤマボウシは、一昨年剪定してから花が咲かない。
花は咲かずとも、草は元気に生えてくる。

草刈り機を担いで、小さなクーラーBOXに、飲み物と濡れたタオルを冷やして、いざ出陣。



八甲田山 VS 白山

2022-07-07 | 読書
深田久弥の本を読んでいて、ふたりの妻についていろいろ調べているうちに、前妻の「北畠八穂の物語」を読んだ。
カリエスを患いながら、凄い気力と独特の表現をする児童文学者である。
歩くのも困難な中で、数々の作品を生み出すのであるが、中でも興味深いのは、故郷の学校の校歌を作詞したというので、歌詞が気になった。
昭和52年、創立60周年を迎えた青森山田学園の学園歌を作詞している。
作曲は古関裕而である。
平成11年8月、甲子園で準々決勝まで進んだ時全国に流れていたそうだ。
北畠八穂が生きていたら歓喜したに違いない。

ネットで、この学園歌を聴いていたら、全国高校サッカー選手権の決勝で2022年にも歌われていることが分かった。
八穂さんが知ったら天にも昇る気持ちだろう。(すでに天国にいるのだが)
学園歌のタイトルは「意気と熱(まこと)に」である。
とても、病弱の身体から生まれた歌とは思えない。力強い。

昭和の小説家は、小説以外に副産物のように校歌を作詞している。
それは、平成も令和にも歌い継がれて、いつまでも心に生き続ける。
「万象かたどれる 八つの秀峰 八甲田・・」

ちなみに、わたしは深田久弥の校歌で、小学校、中学校、高等学校と歌って育った。
残念ながら全国大会で歌われたという記憶はない。
「白山の峰はさやかに・・」「春白山のあさぼらけ・・・」どの歌にも、白山が登場する。

どちらも、お互いに大きな影響を残し、並々ならぬ人生をおくり、多くの作品を残した。

八甲田山 VS 白山 の闘いはドローだな。






参議院議員選挙

2022-07-06 | 暮らし
選挙は必ず行かなくてはならない。
分かっちゃいるけど、どの政党を信じればいいのか分からない。

「消費税を廃止しよう」財源は国債だ。と、インフレにならないのだろうか?
何のために、じりじりと消費税を上げてきたのだろう。
現在、じりじりと年金が減らされているのはなぜだろう。
そうかと思えば「岸田インフレをくい止めよう」という立憲民主党。
今、インフレだったのか?それなら、もっとお金が手に入るはずなのに?
「年金削減ストップ」「学費半減、給食費ゼロ」
そういうのできるのか?どこかにしわ寄せが来ないのか?
「出産無償化 教育無償化」いいことずくめだな。
「原発即時ゼロ」それが簡単に出来るなら、どうするんだろう電力の供給は。

いい事ずくめを裏付ける意見はどこにあるんだろう。

そして何より、候補者がどこにも見えない。
誰も入れてくれと頼みに来ない。田舎だからかもしれない。
TVでは、候補者が声を枯らしているが、東京だとか、よその県だ。

戦争の危機、経済の危機、ガソリン価格高騰、コロナ問題
消費税ゼロより、無償化より、人と人が安心して会える社会になってほしい。
外国へも平気で行き来できるようだが、近くの施設の親に会いに行けない。
入院している人を直接面会して励ますことができない。
身近にある、小さな疑問を誰が取り上げてくれるのだろう。
誰も、そんなこと言ってないし、誰に入れたらいいのか分からない。

遠くの戦争を憂いながら、G7で、静かで美しい山の見える場所で話し合っている映像も観る。
本当のところ、さっぱり分からないのは私だけ?


ツバメが飛んだ

2022-07-03 | 暮らし
カモメが飛んだ~♪
と、いう歌があった。ツバメ~が飛んだ~♪
その歌を口ずさみたい嬉しい出来事が突然やってきた。
段ボール箱のツバメが一斉に巣立ったのだ。
最後の一羽が、段ボールのヘリにつかまっていて、近づくと飛び立ったのである。
毎日、糞のついたタオルを水洗いして替えていた甲斐があった。




車庫の前の電線にたくさんのツバメ。


8羽確認できた。
4羽は段ボールの雛だろうが、車庫にもうひとつあった巣の雛か?
親はどれだかわからないが、とにかく巣立ってよかった。