「何が飲みたいの?」
「麦茶」
「麦茶ください。でしょ」
そして、麦茶が出たら「ありがとう」でしょ。
それが躾である・・と、いうのが先日TVで紹介された。
否定はしないが、母は強し、女性は強しな世の中になってきた。
わたしも、殿が遠慮がちに「コーヒーでも飲むか?」と、言うと
「そうやね。コーヒー誰が入れるん?」と、わざと言って笑ってコーヒーを入れたこともある。
ここで、「わたしは飲みたくないし、自分で入れたら・・」と、言ったら夫婦仲は険悪になる。
コーヒーが出来たら「私があなたの為に湯を沸かしコーヒーをいれましたよ」とは言わない。
「コーヒー入ったよ~」と、声をかける。
コーヒーは勝手に入らないのであるが、殿はいつも「ありがと」と、言ってくれたので夫婦は円満である。
しかし、実家の父は「お」の、一言だった。
これが、日本語の便利さ。多くを語らず、阿吽の呼吸。
しかし、共稼ぎの今日この頃、ありがとうの一言は必要なのだ。
ここが、明治大正とは違うのだ。
昔の亭主なら「お茶が入りました」「うん」で、終わるのだ。
「お風呂が沸きました」昔は、妻が火を焚いて沸かした。
それでも、いちいち薪に火をつけて沸かしました‥とは言わない。
今は、ボタン一つで勝手に沸いてしまう。
「あなた、お風呂が勝手に沸きましたよ」とも言わない。
なぜなら、別の女の声が言うのだから。
「♪ お風呂が沸きました ♪」
そのうち、AIが
「わたしが温度調整し、40℃に沸かしました」と、言うだろうか。
「ありがとう。謹んで入らせていただきます」