話題の本「人生がときめく片づけの魔法」を、娘が貸してくれた。片づけをするのに本まで見なくてもと思っていたが、その考えは大間違いだった。
殿の遺品が片付けられなくても、自分のものを片付ければよいと始めた。その本にも「思い出」から手をつけたら片付かなくなるとある。一気に、短期に、完璧に。手始めは、全ての服(帽子など身に着けるもの)を、クローゼットやタンスから出して、「いるもの」とか「高かった」とかを抜きにして、ひとつずつ手に取って、「ときめく」か「ときめかない」かで分ける。新しいとかは関係なく、ときめかないけど捨てられないものは、その役割を終わらせてあげる。
とにかく、全部積み上げると、なんだか全部ボロの山にも見える。それを、たったたったと潔く捨てていったら、同じようなものを何枚も持っていることに気付いたりする。ごみ袋4個分いらない服が出た。そして、引き出しには立てて収納し、すべてが分かるようにするうちに、引き出しには、殿の服も並べた。別の箱に入れるのはやめて随所に同居させた。
同じように「ときめく」殿の服と、おんぼろな物は分けることが出来る。それぞれの引き出しに、ちょこっと殿がいるのである。これはいい。化粧ケースなどに入れるより、いつも見えるところにあるほうがよい。
そうしているうちに片付き、衣替え用の化粧ケースは全部捨てた。ハンカチや、フェイスタオルも山ほどあって、半分以上捨てる。何かの役に立てようと思ってはいけない。今までようこそ役目をありがとうなのだ。
しかし、殿の背広はちょっと手つかず。きっと、まだ「ときめく」のだと思うことにした。これは、主観なのでこれでいいのだ。スーツのズボンに札が下がっていた。全く穿いていないのがあるのは驚き。クリーニングしたワイシャツと背広は、娘の部屋のクローゼットへ移動。我が家の「もいっちゃん遺品館」だ。有名な人は、そういうのあるよね。世の中では有名ではないが、わたしにとっては大きな存在だ。
しかし、有名な人は、手紙とかガラスケースなどに陳列されたりする。作家の手書き原稿とか、お金の無心の手紙とか残されたら恥ずかしいよね。
さて、この後は、本にかかるのだが怖い。ちょっと、断念しそうな気配がする。もはや、弱気だ。それでも、手を付けなくては前へ進めない。