街道ウォーク>旧中山道>洗馬宿(駅)~奈良井宿(駅)
2012年7月27日 10回目
荷物貫目改所跡 (洗馬宿)
荷物の目方を検査する役所で、問屋場と併設されていた。 中山道では、洗馬・板橋・追分の3宿に置かれた。 規定の重量を超えた荷物に増賃金を徴収するなど、伝馬役に過重な負担がかからないようにした。 この建物は、明治の一時期、洗馬学校に利用された。 洗馬区
本文 cosmophantom
街道ウォーク>旧中山道>洗馬宿(駅)~奈良井宿(駅)
2012年7月27日 10回目
中山道洗馬宿(説明版)
洗馬宿は慶長19年(1614)中山道が牛首峠越えから塩尻峠越えに変更となったとき、中山道と北国脇往還(善光寺街道)との分去れの宿場として新設された計画集落である。南北の出入り口は鉤(※かぎ)型に、宿内は湾曲して造られている。用水は尾沢川の水を引き入れ、宿の南で2筋に分け東西の屋敷裏を流している。屋敷の間口は3間を基本として宅地の奥に畑が続く細長い屋敷割が特徴で、現在もこの形はあまり崩れていない。本陣、脇本陣、問屋場のほかに荷物貫目改め所っも置かれ、分去れに位置する洗馬宿の重要性が伺われる。戸数は、始め100軒余、幕末には150軒程あって、大きな旅籠を持つ宿として賑わった。本陣、脇本陣の庭園は「善光寺道名所図会」の中で「中山道に稀な」と紹介された名園であったが、明治42年、鉄道の開通によって洗馬駅の敷地となり失われた。また、昭和7年の洗馬大火では宿時代の建物が殆ど焼け落ち、今はその面影を見ることが出来ない。しかし、火事後拡幅された道路の両脇には昔を偲ぶ歴史の跡がそこかしこに残っている。 洗馬区
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