2012年7月27日 長野県
贄川の関所(木曽考古館)
長野県塩尻市贄川
贄川関所は木曽路の守備の拠点として、女改めのほか、尾張領である木曽谷の統制物資、特に木材の密移出の取締りといった役割を担ってきた。建物は明治2年(1869)に取り壊されたが、当時の配置図や史料をもとに、敷地面積や間取りもそのままの姿で現在の場所に復元された。内部では関所や街道の交通についての資料を展示している。また、階下に設けられた木曽考古館では、塩尻市で発掘された石器類や縄文初期~中期の土器などを見ることができる。
贄川関所は明治二年福島関所とともに閉止され原型は残っていないが、明治九年贄川村誌の「古関図」や寛文年間のももの「関所番所配置図」により現在の位置に復元したものであります。また木曽考古館は村内簗場(やなば)遺跡等で出土した土器石器類を展示してあります。
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街道ウォーク>旧中山道>洗馬宿(駅)~奈良井宿(駅)
2012年7月27日 10回目
贄川の関所(木曽考古館)
長野県塩尻市贄川
贄川関所は木曽路の守備の拠点として、女改めのほか、尾張領である木曽谷の統制物資、特に木材の密移出の取締りといった役割を担ってきた。建物は明治2年(1869)に取り壊されたが、当時の配置図や史料をもとに、敷地面積や間取りもそのままの姿で現在の場所に復元された。内部では関所や街道の交通についての資料を展示している。また、階下に設けられた木曽考古館では、塩尻市で発掘された石器類や縄文初期~中期の土器などを見ることができる。
贄川関所は明治二年福島関所とともに閉止され原型は残っていないが、明治九年贄川村誌の「古関図」や寛文年間のももの「関所番所配置図」により現在の位置に復元したものであります。また木曽考古館は村内簗場(やなば)遺跡等で出土した土器石器類を展示してあります。
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街道ウォーク>旧中山道>洗馬宿(駅)~奈良井宿(駅)
2012年7月27日 10回目
若神子一里塚(62里)
塩尻市贄川若神子
(塩尻市指定文化財60.3.15楢川村文化財(史跡)指定)
一里塚は、街道の里程の目安として一里おきに道の両側に設置された塚で、榎や松が植えられ往時の旅人の休息の場ともなっていた。この若神子一里塚は、中山道に設けられた一里塚のうち楢川地城内の5箇所の一里塚のうちのひとつで江戸時代には道の両側に2基あり、それぞれに榎が植えられていたが、明治43年の中央線の鉄道敷設時に1基が取り壊され現存する1基も国道19号線の拡幅によって切り崩されて、現在は直径約5m、高さ1mほどを残すのみとなっている。 塩尻市教育委員会
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2012年7月27日 10回目
石碑:是より南木曽路
この地は木曽路の北の入口であり、江戸時代には尾張藩領の北境であった。石碑は、桜沢の藤屋百瀬栄が昭和15年に建立。裏に「歌ニ絵ニ其ノ名ヲ知ラレタル、木曽路ハコノ桜沢ヨリ神坂に至ル南二十余里ナリ」とある。
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