2012年7月28日 長野県
原野駅(JR中央本線)
長野県木曽郡木曽町日義原野
cosmophantom
街道ウォーク>旧中山道>奈良井宿~木曽福島駅
2012年7月28日 11回目
井戸(宮ノ越)
この井戸は、江戸末期(1866年頃)町内の飲用水を得るために掘られ昭和初期まで近郷随一の名水として永く人々の生活をささえてきました。その後水道の普及により廃止されました。井戸の石積は当時のままの姿を残しております(道径11m、深さ80m)。明治十三年六月(1880)明治天皇中山道ご巡幸のみぎり、旧本陣にお小休みされた際この井戸水をもってお茶を献上されました。以来明治天皇御膳水と呼ばれるようになりました。現在の建物は町内の旧跡保存の熱意と村の援助により復元されたものです。 平成七年四月 下町組
本文 cosmophantom
2012年7月28日 長野県
田中家(宮ノ越宿民家)
長野県木曽郡木曽町日義
田中家は元々は旅籠で大家で消失した。再建
田中家は宮ノ越宿の旅籠であったが、明治十六年(1883)の火事で母屋は焼失した。この建物は火事の際運び出した建具をもとに再建したものである。間口四間、二階出梁造りで、一階の格子と二階の障子戸の対比が美しい。入口の大戸を入ると土間が中の間まで続き、裏へ抜けるようになっている。 表から十畳のミセノマ、ナカノマ、ザシキと続き、ナカノマに囲炉裏が切ってあり、箱階段で戸棚があるのは宿場民家の典型的な間取りである。ナカノマは吹抜きで煙出しと採光を兼ね、太い梁や二階の障子が美しい空間を作っている。日義村の原野宮ノ越からは江戸時代に大工集団が遠く甲斐(山梨)三河(愛知)駿府(静岡)まで出かけ、なかには諏訪の立川流の流れをくむものもあって、各地の神社や民家の建築に携わりその技術は高い評価を得ている。この民家の入口の彫刻は宮ノ越大工の民家建築の水準を表すものであり、この地区にはまだ他に二階出梁の持送りなどに彫刻を施したものが見られる。これらの彫刻は、大工棟梁が施主(建築主)への祝儀とする習わしがあった。 平成十年弥生吉日 日義村教育委員会
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2012年7月28日 11回目
田中家(宮ノ越宿民家)
長野県木曽郡木曽町日義
田中家は元々は旅籠で大家で消失した。再建
田中家は宮ノ越宿の旅籠であったが、明治十六年(1883)の火事で母屋は焼失した。この建物は火事の際運び出した建具をもとに再建したものである。間口四間、二階出梁造りで、一階の格子と二階の障子戸の対比が美しい。入口の大戸を入ると土間が中の間まで続き、裏へ抜けるようになっている。 表から十畳のミセノマ、ナカノマ、ザシキと続き、ナカノマに囲炉裏が切ってあり、箱階段で戸棚があるのは宿場民家の典型的な間取りである。ナカノマは吹抜きで煙出しと採光を兼ね、太い梁や二階の障子が美しい空間を作っている。日義村の原野宮ノ越からは江戸時代に大工集団が遠く甲斐(山梨)三河(愛知)駿府(静岡)まで出かけ、なかには諏訪の立川流の流れをくむものもあって、各地の神社や民家の建築に携わりその技術は高い評価を得ている。この民家の入口の彫刻は宮ノ越大工の民家建築の水準を表すものであり、この地区にはまだ他に二階出梁の持送りなどに彫刻を施したものが見られる。これらの彫刻は、大工棟梁が施主(建築主)への祝儀とする習わしがあった。 平成十年弥生吉日 日義村教育委員会
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2012年7月28日 長野県
宮ノ越駅(JR中央本線)
長野県木曽郡木曽町日義宮ノ越
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