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カレーなる日々 / शानदार दिन

インドの日常を中心に日々を綴っています。

旅立ち。

2005年02月10日 09時46分00秒 | マレーシア / MALAYSIA
みなさん、おはようございます。

これから、マレーシアへ行ってきます。
  (えっ? インドじゃないのかって?)
今回は短期決戦(3泊4日)ですので、インドは無理です。

では、行ってきます。     


       


ここからは、成田空港からお届けします。
yahooのインターネットカフェにいます。
周りの乗客はコートやセーター姿ですが、
私は着替えましたので、すでにアジアンチックな夏服です。

天候は快晴・・・・しかしクアラルンプールは雨の様です。
まぁ雨季に入ったところですから、仕方ないですか・・・。
でも根性と気合で晴らしてみせましょう。

それでは、今度こそ「行ってきます!」


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【初・インドの道】 ~日本帰国後~

2005年02月09日 22時18分00秒 | インド / INDIA
日本に帰ってきて、しばらくは興奮が覚めず、気分がハイになっていた。
が、やらなければならない事があった。
それは、旅行会社に行って、インドで支払った車代とホテル代を返してもらう事だった。
日本で手配してもらった内容とインドでの内容が違っていたからだ。

 ①カジュラホー~サトナーまでの車代・・・1800ルピー
                (1/22のカジュラホーの日記を読んでね。)
 ②バラナシのホテル代・・・1200ルピー
                (1/24のバラナシ①の日記を読んでね。)

インド人の社長は私の話を聞くと、快く返金を承諾してくれた。
まだインドの旅行会社に支払いをしていないので、そこから引いておくという事だった。
しかしこの社長、クセ者だったのだ。

お金を取りにいくと、食事の後で渡すと言う。
つまり、一緒に食事をしてくれれば、返してやると言うのだった。
おいおい・・・。なんてヤツだ。
・・・・・まぁいい、食事くらいは付き合ってやろう・・。

一緒に麹町のアジャンターに行った。 インド料理をフルコース食べた。
もちろん支払いは社長がした。 (なんで私が払う必要があるの?)
ここでも・・・・・まだお金を返してくれなかった。もう一杯付き合ってくれと言うのだ。

しかたない。1万円返してもらうためだ。
・・・・・・・・・一杯くらいは付き合ってやろう・・・。
池袋のバーに行った。  しこたま飲んでやった。
もちろん支払いは社長がした。
そして、諦めたのか1万円もちゃんと返してくれた。

最初からすんなり返してくれれば、1万円ですんだのに・・・。
食事代とお酒代で3万円以上、払っていた。かえって高くついたようだ。
   (日本人がなめられないように、しただけなんだけど。)

  こうして、私の初インドの旅は終わった。
      このブログのシリーズを書きながら、再認識したのは、
      この旅は私の人生の上で、大きな修行だったと言う事だった。
        (今でもインドへ行くときは、里帰りと言う気持ちと共に
         修行しに行く気持ちがある。)
   
       山田和氏は著書「インド大修行時代」に書いている。
       「インドの悠久は、不条理に耐える事だった。」と。

      インド情報は、また次のシリーズへ。
      まだまだ続きます。お楽しみに。
      これからも「カレーなる日々」をよろしくお願いします。

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【初・インドの道】 ~ムンバイ②~

2005年02月08日 22時25分00秒 | 西インド / WEST INDIA
■ 初めてのインド映画 ■

私がC嬢を通じてジャムシェッドにリクエストしておいたのは、
ヒンディー語の映画に連れて行って欲しいと言う事だった。

ご存知の通りインドは、年間800本以上の製作数を誇る世界一の映画大国である。
しかもムンバイは、インドのハリウッド(ボリウッド)と呼ばれている。
これは、なにがなんでも観なくてはならない。
まだ日本でインド映画が知られる前だったので、興味津々だった。

さてインドでは他に娯楽がないせいか、映画は大人気で、何回も映画館へ行ったが満員だった。
最終日の夜ジャムシェッドは、ついにダフ屋(インドにもいるのねぇ。いくらだったかは不明。)から
チケットを買って連れて行ってくれた。
私にとっては英語でもヒンディー語でも、理解できないことにはあまりかわりがない。
でもインド映画は単純明快、ストーリーはだいたい理解できた。

最初に断っておくが、映画のタイトルも出演者の名前もわからない。

ヒロインはジュディー・オングそっくりな、太目の女優だった。
そのヒロインに求愛するのが、太目のルー大柴。(最近見ないね。)
そしてルー大柴のライバルは、これまた太目の岡田真澄。
終盤まで三人のドタバタ劇が繰り広げられるが、最終的には全く関係のない
ハンサムボーイが突然現れてヒロインを奪うと言うストーリーだった。
単純に面白かった、十分に楽しめた。

ストーリーには関係なくアルプスでロケを敢行した、お金がかかっている映画だった。
初めてインド映画を見たので、なんでこんな場面でダンスシーンが入るのか?
(それはいまだに意味不明だが)と思ったが、面白かった。
1本の映画の中に、笑いも涙も恋もアクションもダンスも・・
全てのエッセンスが入っているのが、いい映画らしい。

これが、マサラ・ムービーと呼ばれる理由である。



インドの巨匠マニ・ラトナム監督のシリアスタッチの映画も、
日本ではダンスシーンがカットされて公開されたが、
インドではダンスシーンが入っているそうだ。
「ボンベイ」 「心から」 「アンジャリ」 など、日本でも上映された。
ビデオも出ているので、興味のある人はレンタル屋へGO!
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【初・インドの道】 ~ムンバイ①~

2005年02月07日 21時56分00秒 | 西インド / WEST INDIA
スニール君たちに見送られて、ブサヴァルを18:05に出発した、
ギタンジェリン・エクスプレスがムンバイに到着したのは、深夜2:20だった。

こんな真夜中にも関わらず、旅行会社の人はキチッとしたスーツ姿で、駅で待っていてくれた。
途中でオムサンドをごちそうになり、ホテルに着いたのは3:00だった。
バスタブはなく部屋も狭かったが、この旅で一番いい、清潔なホテルだった。

7:40、暑さで目覚める。そして朝食。
これもトーストやスクランブルエッグがあり、この旅で一番朝食らしいメニューだった。

ムンバイは、これまでのインドの町とは全く違った都会だった。
東京に匹敵するくらい、物価が高騰している町だ。
インドの4大都市(デリー・コルカタ・ムンバイ・チェンナイ)の中では、
空港の設備が一番整っているし、免税店も綺麗で充実している。
  (最近はデリーも改装されている。)

町を歩いていても、しつこく声をかけてくる人も少ない。インド人女性も解放的で、
お酒を飲んだり、煙草を吸ったり、ジーンズやミニスカートの人もいた。
それから町中に、牛や山羊や象はいない・・・・。
          ・・・・・・・サリーを着たオカマはいたけど・・・。

           

C嬢が紹介してくれたインド人は、ジャムシェッドと言う名前で、
彼はパールスィー(ゾロアスター教徒=拝火教徒)だったので、お酒も肉食もOKだった。
彼の勧めで挑戦したブレーン・カレー(羊の脳みそのカレー)は、ちょっとダメだったけど、
タンドリーチキンはとても辛くて美味しかった。

市内の中心部に建築事務所を経営している彼は、
パールスィーには、お金持ちが多いという例に漏れず裕福なようで、
彼の友人たちと食事をしても、ほとんど彼が支払いをしていた。
広々としたゴルフ練習場がある、会員制のスポーツクラブに連れて行ってくれた時は、
私はビールを飲んでただけで何もしなかったが、一緒に行った連中は水泳をしたり、
ビリヤードを楽しんだりしていた。(全て支払いはジャムシェッドがした。)

また、ピンクフロイドの曲が流れている、
お洒落なクラブのような店に連れて行ってくれたりしたので、
ムンバイでは毎晩、安心して飲んだくれる事ができた・・・。

こんな感じのムンバイでは、トラブルにも遭わなかった。

to be continue.
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【初・インドの道】 ~ブサヴァル~

2005年02月06日 22時09分00秒 | 西インド / WEST INDIA
ファルダプルからバスで2時間ほどで、ブサヴァルと言う町に着く。
この町は観光地ではない。オーランガバード~ムンバイへの通過点のような町だった。

■ 列車の乗り方 ■

移動手段として列車を利用する場合、出発時間の1時間前には駅に行く事をお勧めする。
これは乗る駅が始発駅であっても、途中駅であってもである。
デリーやジャイプール位の大きな駅では、電光掲示の案内板があるところもあるが、
基本的に日本のような親切な案内板はない。
そこで早めに駅に行って、自分の乗る列車がどのホームから出るのか確認することが必要だ。

まず、インフォメーションとかエンクワイヤリーと書かれた窓口で聞く。
そしてホームに行き、駅員さん(見当たらないときは、売店のにいちゃんや乗客)に確認する。
その時にチケットを見せて、自分の乗る車両が、どのあたりかも確認しておく。
インドの列車は20両くらいの、とてつもなく長い編成なので、車両を誤ると悲惨な事になる。
列車の車両と車両の間は、通り抜け出来ないようになっているからだ。


■ 【絶体絶命】 20世紀最大のピンチ! ■

私はそこまで間違いなく確認して、ブサヴァル駅の1番線ホームにいた。
すると、私の周りに人が集まってきた。観光地でないので外国人が珍しいようだ。
写真の若者と雑談しながら、列車を待っていた。
真ん中に写ってるスニール君は英語が話せたので、彼を中心にして話していた。

定刻に目の前のホームに、列車が入ってきたので
「この列車は、プッシュパック・エクスプレス(私が乗る列車)か?」と聞いた。
するとスニール君は「これじゃないよ。」と言った。前の列車が遅れていた。
やはりインドの列車は遅れるものだ。時間まで彼らと話していようと思った。

しばらくしてスニール君の友人がやってきて、こう言った。
「大変だ!プッシュパック・エクスプレスは、向こうのホームから出発したよ!」
何と言う事だ!そんな事があっていいのだろうか!?
大阪行きの列車が、今日に限って仙台行きのホームから出るなんて事があるわけがない!!
   (・・・インドではあるようです。みなさん注意してください。)

スニール君は、まず私を窓口に連れて行き、
ただの紙切れになってしまったチケットを払戻し(半額の337ルピー戻った。)
次のムンバイ行きのギタンジェリン・エクスプレスのチケットを買ってくれた。
この列車は、5時間後に出発するのだった。

スニール君は自分の責任を感じたのかもしれないが、私のために最善を尽くしてくれた。
町の中を案内してくれたり、茶屋でコーヒー(インド紅茶=チャイの倍の値段)や
ジャレビー(とてつもなく甘いお菓子)をご馳走してくれた。
ムンバイの旅行会社に電話して、列車に乗り遅れた事や次の列車で行く事を説明してくれた。

もちろん彼らは、お金をくれとは言わなかった。
私はせめてものお礼に、ノック式ボールペンを1本ずつプレゼントした。
彼らはとても喜んでくれた。また一緒に撮った写真を送ってあげた。

       
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【初・インドの道】 ~ファルダプル~

2005年02月05日 21時52分00秒 | 西インド / WEST INDIA
■ 何人乗り? ■

乗り合いジープ・・・ん~スゴかった。
まず最初、私は助手席に乗った。最初は空いていたが、そのうちに混んできた。
停留所など無いので、乗りたい人が手を上げると、その都度止まって人を乗せるシステムだ。
どんどん人が乗り込んでくる。そのうち、私は押されて運転席に座っていた。(なんでやねん。)
とは言っても、運転手になったわけではない。

どーいうことかと言うと・・・・ジープの前の一列に5人座ったのだ。
運転席と助手席に二人づつ座り、もう一人はギヤボックスに座っていた。
その真ん中の人(ギヤボックスに座っていた人。)の股間で、ギヤチェンジが行われていた。

後部座席に何人乗っていたのかは見えなかったが、
ジープの後方に人が何人も、ぶら下がって乗っていたのは、ハッキリと目撃した。
インド・・・おそるべし。

 ◆豆知識◆

 もともとインドには、交通ルールはないようなものだ。
 飲酒運転しかり、バイクのノーヘルしかり。定員オーバーなどは、当たり前。
 バイクに親子で4人乗り(お父さんが運転し、タンク部分に子供が1人乗り、
 後部座席にお母さんともう1人子供が乗ってる。)も良く見かける光景だ。
 タンク部分に子供が2人乗った、5人乗りなんていうのも、まれに見かける。

 バイクのヘルメットに関しては、スィク教徒は頭にターバンを巻いているので、
 ヘルメットがかぶれない、と言う物理的な理由もあり、義務付けられていないようだ。
 えっ?免許証はあるかって? そりゃ・・・あると思うけど・・・・。(未確認です。)
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【初・インドの道】 ~アジャンター~

2005年02月04日 22時17分00秒 | 西インド / WEST INDIA
■ ホテルがない ■

アジャンターでは、遺跡の入り口にある政府系のロッジに宿泊する予定でいた。
チェックインして、ゆっくりと遺跡を堪能する計画だった。
しかしなんと! そのロッジは改装中で営業していなかった。
これには困った。その他の宿泊施設を知らなかったのだ。

するとバス停に座っていた、おっちゃん連中が声をかけてきた。

 おっちゃん:「いいホテルを知っているから、連れて行ってやる。」
  私たち :「ホテルあるの?」
 おっちゃん:「カナイヤ・クンジだ。」
  私たち :「金井くんち?(金井くんって誰だ?) どこにあるの?」
 おっちゃん:「ファルダプルだ。」
  私たち :「それってどこ??」
 おっちゃん:「一緒に行ってやるよ。」

このあたりの人はいい人だと思っていたので、連れて行ってもらうことにした。
バス停から乗り合いジープが出ていた。アジャンターからファルダプルまで5ルピーだ。
この値段は破格だ。おそらく現地の人の価格だろう。
田舎の人はスレてないので、最初は「10ルピー。」(それでも、たった10ルピー)と
倍額でふっかけてくるが、「5ルピーでしょ。」と言えば「5ルピー。」になった。

このおっちゃんも、ホテルまで案内してくれたが、お金をくれとは言わなかった。
やはり北インドとは、別のインドのようだった・・・。

ホテルは「金井くんち」ではなく(当たり前)、「KANHIYA KUNJ」だった。
  (写真は、ホテルの看板と前の道路。)

               

H子さんとオーランガバードのユースホステルで同宿だった、日本人と韓国人の男子四人組も、
今日は同じくアジャンターへ行ったようだ。アジャンターに泊まれるホテルが無いのだから、
おそらくこのファルダプルまで戻ってくるに違いない。
もしかすると同宿になるかもね、と私たちは話していた。

ホテルはエアコンも無く、水シャワーしか出なかったが、牧場の中のロッジのような感じだった。
1泊150ルピー。ベジタブル・レストラン完備でチャパティが美味しかった。
ランチを食べてから、アジャンターへ乗り合いジープで向かった。

観光をしてホテルに戻ったのが17時頃だった。予想どおり、男子チームも同宿になっていた。
おかしい事に、バス停にいた親切なおっちゃん連中に案内されて来たそうだ。
今思うと、あのおっちゃん達は、客引きだったのかもしれない。

その夜は、にぎやかな夕食になり、夕食後は体調が悪い二人は先に休み、
残った四人で深夜まで、ペプシやミネラルウォーターを飲みながら話し合った。
つかの間の楽しい宴だった。

明日は皆、違うルートへ出発するのだった。
私はムンバイへ向かうために、ブサヴァルと言う町へバスで行く。
H子さんは、バス停まで一緒だが、別の町へ行く。
男子チームは、再びアジャンターへ向かうのだった。

Have a nice trip!
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【初・インドの道】 ~エローラ~

2005年02月03日 21時16分00秒 | 西インド / WEST INDIA
■ めぐり会い ■

エローラで、一人の日本人女性と出会った。

それまで訪れた町でも、「地球の歩き方」に出ているレストランなどでは、
日本人を見かける事が多かったが、
ツッパていた私は、一度も声をかけずに旅していた。

その時は、何故だか自分から声をかけた。
たぶん・・・・日本語に飢えていて、日本語を話したかったからだと思う。

          

エローラに着いた私は、目的の寺院が見つからずに彷徨っていた。
たどり着けずに、道を引き返していた。すると、向こうから一人の女性が歩いてきた。
その人は「地球の歩き方」を読んでいたので、日本人だとわかった。
  (二人とも「地球の歩き方」に、騙されていた・・・・?)

彼女はH子さんと言い、年齢も同じ位だったので、話が合った。
そして偶然にも、その日から三日間は同じ日程だったので、行動を共にする事にした。

二人でエローラ石窟を観ながら、お互いの旅について話した。
私の旅もハードだったが、彼女のほうがよりワイルドだった。
もともと日本でも、バイクで旅したりしていた彼女は、
宿泊もドミトリーだったりしたが、あまり抵抗がないようだった。
彼女は、オーランガバードのユースホステルに泊まっていて、
日本人と韓国人の男性たちと一緒だったと話した。

私と違って、肩の力が抜けてるなぁ・・・と思った。

その日はオーランガバードに戻り、バス停で別れてお互いのホテルに宿泊。
翌朝バスターミナルで落ち合い、一緒にバスでアジャンターを目指すことになった。

      

H子さんとは、帰国後1度だけ会って、ラジニ・カーントの映画「アルナーチャラム」を見に行った。
その後は一方的に私が、海外逃亡先から絵葉書を送りつけている。
もしも、迷惑だったら言ってね・・・。(言えないとは思うけど。)

  ◆豆知識◆
  
  ラジニ・カーント・・・南インド(タミル語の映画)を代表する映画俳優。(写真左側の絵)
              日本では「ムトゥ(踊るマハラジャ)」で有名。
 
    ちなみに、私は彼のファンである。
    ミーハーなので、チェンナイの家にもおしかけた事がある。(留守だったけど。)
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【初・インドの道】 ~オーランガーバード~

2005年02月02日 22時22分22秒 | 西インド / WEST INDIA
■ 地獄で、ほとけ ■

インドのホテルは予約なしで泊まるもの、と「地球の歩き方」には書いてある。
私は、観光バスでホテルに乗り付けた。バスターミナルの前のホテルに決めていた。
その方がエローラやアジャンターへ行きやすいからだ。

激しい雨の中ホテルに着くと、停電しているのか真っ暗だった。
雨宿りしているのだろう、ロビーには大勢の人がいた。
ろうそくの灯りの中、私は言った。「部屋はあるか?」
しかし、答えは無常にも・・・「満室」だった。
「そんな、バカな?」 だって「私の辞書には、満室はない。」なのだ。
「このあたりで、他にいいホテルはあるか?」気を取り直して、私は聞いた。
「隣へ行ってみな。」フロントの男は言った。

言われるがまま、隣のホテルへ行った。
またも、ろうそくの灯りの中、私は言った。「部屋はあるか?」
しかし、答えは再び「満室」だった。「真剣?」(と書いて、マジと読む。)

外は激しい雨・・・・。夜も更けていく・・・・。おまけに停電ときている。
「ヘー・ラーム!(ヒンディー語で、おお神よ!)天は、私を見放したか・・・?」

           

すると、暗がりの中から男が声をかけてきた。「オレが連れてってやるよ。」
ここが、運命の分かれ道である・・・。この男について行くべきか?行かざるべきか?
私には「危険だよ。」と言う声と「でも、他に手はないよ。」と言う声が交互に聞こえていた。

外は激しい雨・・・・。夜は、ますます更けていく・・・・。おまけに停電・・・。
行く宛てもないときている。
私は、運命をインドの神様に任せることにした。他に方法はないのだから仕方ない。

  私 : 「ここから近いのか?」
  男 : 「そうさな、10分ってとこだ。」
  私 : 「予算は1泊150ルピーくらいだ。」 (高級ホテルに連れて行かれないように。)
  男 : 「ノー・プロブレム。」
  私 : 「あんたの手数料はいくらだ?」 (後で、お金をくれって言われないように。)
  男 : 「いらないよ。」
  私 : 「本当か?」
  男 : 「本当さ。タダでいいよ。」

外に出るとアンバサダー(インドの国産車で、主にタクシー。)が止めてあった。
男はタクシーの運転手だった。
お客を連れて行くとコミッションが入るホテルを知ってるのだろう。
乗り込むと、助手席に警官が乗り込んできた。「コイツもグルか?」用心にこした事はない。
私はいつでも飛び降りられる様に、バックパックを肩に担いだままにしていた。

これが、北インドだったら、危険がいっぱいである。身ぐるみはがされてポイだろう。
まだ、命があれば、めっけものだ。 手数料はいらない、そして助手席に警官。
  (私はそう思わないけど、インドの警官は信用出来ないらしい。)
ヤバイよ、ヤバイよ・・ヤバすぎる。

10分後、ホテルに着いた。運転手は私に「待っているように。」と言ってホテルの中へ入って行った。
出てくると手には、料金表を持っていた。(写真:見えるかなぁ?)
そこには、一番安い部屋で1泊75ルピー(約225円)と書いてあった。
この旅で一番安い部屋だった。しかし、もうなんでもいい。泊まれればいい。
私はこのホテルに決めた。場所がどこなのかは、サッパリわからなかったけれど・・。

運転手は私を降ろすと、いい事をしたと言う様な満足気な笑顔を浮かべて、
タクシー代すら要求せずに去って行った。
どこの誰かは知らないけれど、なんていい人なんだろう。

「ヘー・ラーム!」    
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【初・インドの道】 ~ムンバイ経由、オーランガバードへ~

2005年02月01日 20時54分00秒 | 西インド / WEST INDIA
悪夢のような運転手&かばん持ちから逃れて空港にいたが、
フライト時間の10分前になっても、セキュリティ・チェックのサインが付かない。
ディレイ(遅延)のアナウンスも表示もなかった。
しかし、なんたって英語がわからないのだから、
聞き逃したり見逃したりしている可能性もある。
乗り遅れるよりましだと思い搭乗ゲートへ行ってみた。みんなのんびりしていた。
そこでようやく、ディレイのアナウンスがあった。

コルカタからムンバイまでは、国内線のインディアン・エアラインに乗った。
結局1時間送れて離陸。インドでは、列車だけでなく飛行機も送れる。
2時間40分のフライトで、ムンバイには11:00到着。
次は18:45のオーランガーバード行きのジェット・エアーに乗る。
かなり待ち時間があるが、何が起こるかわからないので、空港から出なかった。
読書をして時間をつぶした。このときの文庫本が何だったか、覚えていない。
読み終わった本は、荷物を軽くするために捨ててしまった。

私はバックパックを機内持ち込みにしている。理由は荷物係を信用していないからだ。
9/11事件以降、危険物(アーミーナイフ)を携帯している私は、
荷物を預けざるを得なくなったのだが、
バックパックに目印として結んでいるバンダナが、なくなっていた事が数回あった。

ジェットエアーのチェックインの際に、バックパックをハンドバックだと言い張ったが、
認めてもらえなかった。エアーインディアでもインディアン・エアラインズでもOKだったのに。
なんてケチなんだろう、と思っていたら飛行機が小さかった。

         

ムンバからオーランガーバードまでの、フライト時間はたったの45分だ。
定刻通りに離陸したが、オーランガーバードまで後10分となったあたりから、
雲行きが怪しくなった。窓の外で稲妻が走り、大粒の雨がハッキリと見えた。
この旅、初めての雨だった。

オーランガーバード空港の上空で、飛行機は旋回を始めた。
雷雨のため着陸できない、というアナウンスがあった。
何と言う事だ。上空まで来ているのに・・・・。

・・・その旋回は、長かった。・・・フライト時間と同じ、45分間も続いた。
このまま着陸できず、ムンバイへ引き返したらどうしよう。
または、墜落したら・・・?そんな不安と恐怖を味わった。
一瞬小降りになったすきに着陸した時には、周りのインド人と一緒に思わす拍手した。

着陸後、また雨が激しくなってきた。時間もすでに、20:30を過ぎている。
一刻も早くホテルへ急がなければ・・・・。

このオーランガーバードでは、ホテルを予約していなかったので、
空港から「地球の歩き方」で目星をつけておいたホテルまでは、
プリペイド・タクシー(前払い制のタクシー)を利用した。
いろんなカウンターがあったのだが、
一番元気のいい、呼び込みのおばちゃんの車を利用することにした。

・・・ところがこのおばちゃん、なかなかタクシーを出そうとしないのである。
車を見てビックリした・・・。おばちゃんの車は、デラックスな観光バスだったのだ。
  (おいおい、プリペイド・タクシーじゃないじゃん。プリペイド・観光バスじゃん・・。)
バスいっぱいにお客を乗せるために、必死で呼び込んでいたのだ。
しかし、おばちゃんの呼び込みの甲斐もなく、乗客は私一人だった。

to be continue.
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