カレーなる日々 / शानदार दिन

インドの日常を中心に日々を綴っています。

今日のカレー(No.68) ~ティカ~(東京)

2007年02月13日 20時38分59秒 | カレー / CURRY
実はビルが古い感じで、ちょっと入るのを躊躇した。
なんだか誰も入っていないような・・気がしたからだ。

しかし今回は私のカンが見事に外れた。
店の外からは人の気配がしなかったのに、
恐る恐るドアを開けたら 満員だった。

確かに平日のお昼時(12時40分)だったけれど・・・。
運よく帰る人がいたので、待たずに入る事が出来た。

            

住 所:東京都中央区八重洲1-8-7第107東京ビル6F
電 話:03(5203)0611
最寄駅:JR山の手線等 東京駅

<食したメニュー>
 
  ランチAセット  900円  
   (カレー、ナンorライス、サラダ、パパド、ドリンク) 
     
<店内の雰囲気>

4人×9席、6人×2席

ネパールのお座敷ダイニングと書いてあった通り、
入口で靴を脱ぐ。床には絨毯が敷いてあり、
気のテーブルに座布団。天井には大きな布が張られている。

駒込のカトマンドゥを健全で家庭的にしたような雰囲気。
ネパール料理店は、こういった手作りと言うか、
山小屋と言うか素朴な雰囲気の店が多い気がする。

<感想と評価>

カレーは日替り、野菜、チキン、マトン、
辛いネパールカレーの中からネパールカレーを選択。

わざわざ「辛い」と書いてあるのだから、
これはきっと・・・本当に辛いのかもしれない・・・・。
と注文したものの内心おびえていたのだが、
それほどではなかった。(ほっ。)

泉岳寺のサンラインよりは辛くない。
きっと、辛党のおじさまならば、もっと辛くしたであろう。

骨付きチキンがワイルドに入っており、
辛さは唐辛子であるがトマトとカルダモンが入っている。
口の中に刺さる刺激が程よい。

ナンはふっくらめで若干の塩味があった。
サラダは、レタス、キャベツ、人参、トマトに
ゴマのドレッシング。パパドはハーフ、薄い塩味。

ドリンクは、ラッシー、コーヒー、チャイの中から、
チャイを選択。味は普通。
 
 評価は◎
      (3段階、◎:おすすめ ○:まぁまぁ ●:う~ん)

■お断り■
 味に関しては、間違いなく主観でしかありません。(100%!)
 同意見・反対意見など、あると思いますが、
 あくまでも、私の味覚に合うかどうかなので、
 気にしないでください。あしからず。
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日本スーパーフライ級タイトルマッチ

2007年02月12日 23時18分59秒 | スポーツ / SPORTS
日本スーパーフライ級チャンピオン
WBCスーパーフライ級3位
WBAスーパーフライ級6位  菊井 徹平(花形)
                    21勝(4KO)4敗
                
WBCスーパーフライ級31位
WBAスーパーフライ級5位  河野 公平(ワタナベ)
                    17勝(7KO)3敗  

チャンピオン菊井選手の2回目の防衛戦は、
またもや世界ランカーの河野選手。
昨年はプロスパー松浦選手をTKOで下している。
 両者は過去2回対戦して1勝1敗。
今夜が3度目の対決となる。
世界ランカー同士、どちらも負けられない試合だ。

写真:右側赤いトランクスの菊井選手のボディアッパーが決まる。
写真左側グレーのトランクスが河野選手。

             

1ラウンド:予想通りゴングと共に河野選手が飛び出した。
菊井選手がかわせるか?と思ったのだが、
風車の様な高速回転の河野選手の連打が炸裂。
右フックで菊井選手がダウン。
立ち上がった所にたたみかける河野選手。

防戦一方の中で菊井選手のパンチが当たり、
今度は河野選手がダウンと思ったらこれはスリップ。

河野選手のラッシュは凄まじく、菊井選手はフラフラに・・。
河野選手がバッティングで左目をカット。
  (菊井選手:8-10:河野選手)

2ラウンド:菊井選手はいつものアウトボクシングではない。
河野選手の出鼻に合わせるかのように右アッパー、
しかし河野選手の左ジャブからワンツー・スリー・フォー・ファイブ・・
連打は止まらない。河野選手が左まぶたをカット。
これは菊井選手のヒッティングによるもの。
  (菊井選手:9-10:河野選手)

3ラウンド:距離は完全に河野選手が支配。
菊井選手は突進と連打にガードを固める。
河野選手がバッティングで左目をカット。
  (菊井選手:9-10:河野選手)

4ラウンド:菊井選手は接近戦で右アッパーで、
ボディ、あごを狙う。しかし手数と有効打で河野選手が圧倒。
  (菊井選手:9-10:河野選手)

5ラウンド:菊井選手の左ジャブが出ない。
河野選手が入ってくる所に右アッパーが良く当たる。
しかし、河野選手の手は止まらない。
終了間際、菊井選手の右ストレートがヒット。
  (菊井選手:10-9:河野選手)

6ラウンド:連打、連打、連打で完全に河野選手のペース、
菊井選手は左ジャブから自分の距離をとり活路を見出したいが、
今日はジャブが出ない。
  (菊井選手:9-10:河野選手)

7ラウンド:いつもの菊井選手ならば、
左ジャブからワンツーを綺麗に放つのだが、
今日は河野選手の距離で戦っているために、良さが出せない。
河野選手の連打のスピードは衰えない。
  (菊井選手:9-10:河野選手)

8ラウンド:もはやKOしかない菊井選手は、
ゴングと共に飛び出し、アッパーからフックを放つ。
河野選手も引かずに打ち合う。やや菊井選手が押し勝った。
  (菊井選手:10-9:河野選手)

9ラウンド:両者、頭をつけて打ち合う。
河野選手のパワーと正確さが勝る。
  (菊井選手:9-10:河野選手)

10ラウンド:チャンピオンの意地を見せて菊井選手が、
最後の力を振り絞って連打で前進する。
河野選手も一歩も引かない構えだが、菊井選手の気迫にポイント。
  (菊井選手:10-9:河野選手)

私の採点では、97-92で河野選手の勝利。
公式採点は、ジャッジ山田97-94、吉田98-93、
福地97-93の3-0の判定で河野選手が新チャンピオンとなった。

 ≪ 関連記事 ≫ 

日本スーパーフライ級王座決定戦 相澤戦
日本スーパーフライ級タイトルマッチ 有永戦

過去2回の対戦で、お互いにの手の内を、
知り尽くしていると思ったのだが、
河野選手に対する菊井選手の作戦は、
打ち合うことだったのだろうか?

1ラウンドのダウンで自分を見失ってしまったのか
ペースを取り戻すことが出来なかった・・・。
残念ながら今夜の菊井選手は、
相澤戦と有永戦とは全く別な選手のようだった。
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ウカ~ル

2007年02月11日 21時42分59秒 | カレー / CURRY
 「それにつけても、おやつはカ~ル」 

        (古っ・・・。)

息の長い商品である。

合格祈願バージョンは3種類、
チーズあじ、うすあじ、カレーあじ。
 
パッケージはお守りのプリント。

会社の私の隣の席のTさんを彷彿させる、
まんまオヤジのダジャレで、カ~ル・・・。カレ~
コテコテですね~。

味は、なんてことのないカレー味でした。
落ちもなく、これでレポートはおしまいです。

 ぢゃまた・・・。
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ガンディー記念堂

2007年02月10日 20時37分59秒 | 南インド / SOUTH INDIA
南インドのタミルナードゥ州にある小さな町、
カニャークマリはインドの最南端の岬である。
インド洋、アラビア海、ベンガル湾の3つの海が交わる所として、
ヒンドゥー教の聖地になっている。

 アガスティアの予言によると、
   私が来世、生まれ変わる場所でもある。


ヒンドゥー教徒は、お墓を持たない。
遺体は火葬された後、ガンジス河に流がされるのだ。

ガンディーも亡くなって荼毘にふされた後、
遺灰は河や海に流された。

その場所は何ケ所かあるのだが、
チベットのマナサロワール、
ヤムナー河とガンジス河が交わる聖地アラハバード、
カニャークマリ・・・・とされている。

他にもあるかもしれないが、
調べたのだがわからなかった・・・・。

          

この記念堂は、遺灰が流された場所に建つ。
まかれる前の遺灰が入った骨壷が置かれた場所には、
ガンディーの誕生日である10月2日になると、
陽が射すように造られたと言う。

写真の通り記念堂の裏手は海であり、
前面の道路には土産物屋やチャート(スナック屋)の屋台が出る。
ある屋台の店は、美味しかったなぁ。おばちゃんが優しかったし・・。

 ≪ 関連記事 ≫ 

【インドの聖者】 ~ マハトマ・ガンディー ~
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ラージ・ガート
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ラージ・ガート

2007年02月09日 23時46分59秒 | 北インド / NOUTH INDIA
ガンディーは晩年、独立運動を支援していた
ビルラー財閥のデリー邸に滞在していた。
場所はニューデリーのインド門の近くである。

1948年1月30日午後5時17分、
中庭にある寺院へ夕方の礼拝に向う途中、
ヒンドゥー教の極右派の青年により、
ピストルで撃たれ暗殺されてしまった。

この場所は、ガンディー・スミムリィ博物館になっており、
ガンディーの最後の足跡が残されている。

         

写真はラージ・ガート。オールド・デリーにあり、
ガンディーが火葬された場所に立つ慰霊碑である。

遺灰はインド各地の河に流された為、
この場所に納められてはいない。

この慰霊碑の中央部分にはガンディーの最後の言葉、
「ヘイ・ラーム。」(おお神よ。)と刻まれている。

そして慰霊碑の奥の箱の中には、
消える事無く灯された火がある。

慰霊碑のかたわらにある募金箱に入れられたお金は、
ガンディーがハリジャン(神の子)と名付けた、
アウトカーストの人々の為に使われている。

ガンジー―インドを独立にみちびき、
非暴力によって世界を変えた人


偕成社

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ガンジー自叙伝―真理の実験

講談社出版サービスセンター(製作)

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また、インド国中の町の大通りには、
「MGロード」と名付けられた所が多い。
これは、マハトマ・ガンディー・ロードの省略である。

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マニ・バヴァン~ (ムンバイ)

【インドの寺院】 ~ ビルラー・テンプル ~ (ジャイプール)
【インドの寺院】 ~ ビルラー・テンプル ~ (デリー)
【インドの寺院】 ~ ビルラー・テンプル ~(コルカタ)
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【インドの聖者】 ~ マハトマ・ガンディー ~

2007年02月08日 22時15分59秒 | 神様・聖仙・聖者 / GOD & SAINT
ガンディーは、日本で一番有名なインド人であろう。

本名は、モーハンダース・カラムチャンド・ガンディー。
詩聖タゴールがマハトマ(偉大なる魂)と称した。
1869~1948、西インドのグジャラート州、
ポールバンダールの裕福な商人の家に生まれた。

18歳でイギリスへ留学し法律を学ぶ。
その後、南アフリカの訴訟事件を手がけるが、
人種差別を受け、インド人の権利獲得の為に戦う。
投獄されながらも、非暴力・不服従・断食闘争を培った。

その後、インド独立に身を投じ、
ヒンドゥー教とイスラム教を同列に扱い、インド統一を唱えた。
結局は分離派が多数であったために、
1947年インドは、パキスタンに分離し独立した。

そして同列扱いを徹底したがために、
1948年ヒンドゥー教の極右派によって、デリーで暗殺された。

写真の様にインドの紙幣には、全てガンディーの肖像が印刷され、
しかも・・すかしまでガンディーである。

映画「ガンディー」をご覧になれば、
ガンディーの生涯が良くわかると共に、
インド人がいかに差別されてきたか・・・
・・・おわかりいただけると思う。

ガンジー コレクターズ・エディション

ソニー・ピクチャーズエンタテインメント

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ガンジー自伝

中央公論新社

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【インドの詩聖】 ~ ラヴィーンドラナート・タゴール ~

2007年02月07日 22時38分59秒 | 神様・聖仙・聖者 / GOD & SAINT
詩人で作家であると共に教育者であり社会思想家である。
詩人であることから、詩聖と言われている。
1861~1941、西ベンガル州の州都コルカタ(カルカッタ)の
名家の7人兄弟の末っ子として生まれた。

幼少時より詩の才能があったが、イギリス流の厳格な教育に馴染めず、
三つの学校を中退する。17歳でイギリス留学するも1年半で退学。

1901年、西ベンガル州の西部シャンティニケタンに、
ヴィシュヴァ・バーラティ国立大学を設立。

1913年、アジア人として初めてノーベル文学賞を受賞。
マハトマ・ガンディーのインド独立運動を支持し、
ロマン・ロランやアルバート・アインシュタイン等、
世界の知識人との親交も深かった。

タゴールの詩は、1947年独立したインドの国歌
「ジャナ・ガナ・マナ」(インドの朝)と、
1971年に独立したバングラデシュの国歌
「我が黄金のベンガルよ」にもなっている。

タゴール―詩・思想・生涯

麗澤大学出版会

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コルカタにある生家タゴール・ハウスに、
私も行ってみたかったのだが、
初インドゆえに(?)道に迷い、辿りつけなかった・・・。
 (1997年の初インドでの事。)

詩聖タゴールの本家筋に嫁いだ
日本人タゴール暎子さんの作品。

嫁してインドに生きる

論創社

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今でこそ、インドに嫁ぐ日本人は結構いるが、
1960年代では珍しかった。
ましてや名家の長男がインド人以外の女性と結婚となると、
かなりな障害があった。
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今日のカレー(No.35) ~ケララバワン~(練馬)【再訪】

2007年02月06日 23時32分59秒 | カレー / CURRY
この店、最初に訪れたのは、2005年11月だった。
その時は南インド料理と謳っているにも関わらす、
メニューにミールスもなく、
南インド料理に対する誇りが感じられなかったため、
低い評価をつけさせてもらった。

         

今日のカレー(No.35) ~ケララバワン~(練馬)

さぁ・・今夜はリベンジである。

先日、渋谷のDERORIで知り合った凛さんにも、
同行してもらいレベルチェックをした。

           

住 所:東京都練馬区豊玉北5-31-4村松ビル1F
電 話:03(3991)5218
最寄駅:西武池袋線・都営大江戸線 練馬駅

<食したメニュー>

   ケララミールス・ベジ 1500円
   チャイ (サービス)

<店内の雰囲気>

地図、神様の絵、スパイスや食材が飾ってある。
2人×14席。
窓が大きく明るい店内。結構にぎわっている。

<感想と評価>

写真左側手前より時計回りに、パパド、ポリヤル、ダル、
ラッサム、サンバル、ヨーグルト、デザート、中央にライス。

ダル(豆カレー:大豆だった)は、
ココナッツミルクがたっぷりと入っていて極甘。
大きめに切った里芋のトロミとぬめりが出て、
珍しい味付けと食感。

サンバルも甘口。人参、オクラ、豆入り。
ダルの豆とは種類が違うが、
ポリヤルにもムング豆が入っており、ここまで豆ずくしでは・・。
もっと具に変化をつけて欲しい。

ラッサムの酸味は良いが、辛さが足らない。
ポリヤルも甘めの味付け。
どれをとっても味にメリハリがなく全体的にパンチ不足である。

ライスは残念ながら日本米だったが、
 (当たり前だが、コシヒカリではない。)
固めでしかもパラパラに炊いてあり、これはカレーと合う。

 パパドは、固焼きせんべいのようだった。
   これほど厚くって硬いのは初めてだ。

ヨーグルトは固め。たぶん市販のプレーン・ヨーグルトと思われる。
デザートは、タピオカのキール。本当はカルダモン、
カシューナッツ、レーズンが入っていればベストだが、
この値段でそこまで求めるのは酷か・・・。

 A・RAJの手抜きなしの王道ミールスを知っている私達にとって、
   A・RAJの素晴らしさを再確認できたのが、今夜の収穫だった。

 評価は○ (A・RAJと比べてはかわいそう。)
      (3段階、◎:おすすめ ○:まぁまぁ ●:う~ん)

■お断り■
 味に関しては、間違いなく主観でしかありません。(100%!)
 同意見・反対意見など、あると思いますが、
 あくまでも、私の味覚に合うかどうかなので、
 気にしないでください。あしからず。

 全く記事には関係ないけれど・・・・・
   2月6日は「ブログの日」だそうです。( へぇ~。) 
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今日のカレー(No.67) ~ガネーシャ~(渋谷)

2007年02月05日 21時46分59秒 | カレー / CURRY
渋谷駅の埼京線のホームから見かけたこの店。

この写真を見ただけで、通の人ならわかってしまう。
私も出てきた物を見た瞬間に思った。
 「ワチャ・・・・失敗した・・・。」

なんと・・・・冷蔵ナンである。
専門店では3回目、通算5回目の冷蔵ナンである。
これだけで・・・帰ろうかと思ったほどだ。

            

住 所:東京都渋谷区桜丘町3-10渋谷山の手ビル1F
電 話:03(5456)3838
最寄駅:JR山の手線等 渋谷駅

<食したメニュー>
 
  Aランチ  890円  
   (カレー、ナンorライス、サラダ、アチャール、チャイ) 
     
<店内の雰囲気>

4人×4席、6人×1席

山小屋風の造り。ウッディなテーブル&イス。
ランプシェードが下がっていて、
音楽はシタールとタブラの民族音楽。

近くにあるネパール料理店「マンダラ」に似ている。

<感想と評価>
 まず冷蔵ナンが出てきた段階で、
   私の評価はすでに決まっていた。

カレーは日替わり(チキン&キノコ)、野菜、
チキン、マトン、ダルから日替わりを選択。

チキンキーマとしめじだった。
店内にはすごいスパイスの香りがたちこめているにもかかわらず、
何故かカレーは辛さも特徴もない。

ナンは冷蔵の為、バターは塗ってあるが硬い。
サラダは、キャベツ、トマト、キュウリにサザンドレッシング。
アチャールは、大根、人参、キュウリのカレー漬け。
チャイは普通。

支払いの時にネパール人の店員が聞いてきた。

店員:「ネパール料理、初めてですかァ~?」
私 :「いいえ。このあたりだとマンダラとかありますよね。」
店員:「おォ・・・マンダラァ~、店長ォ一緒ねェ~。」

まじっ マンダラのナンは冷蔵じゃなかったような・・。
それにカレーも、もう少し美味しかったし。
チェーン店や同系列でも味に違いがあるんだなぁ・・
と実感したのであった。
 
 評価は●
      (3段階、◎:おすすめ ○:まぁまぁ ●:う~ん)

■お断り■
 味に関しては、間違いなく主観でしかありません。(100%!)
 同意見・反対意見など、あると思いますが、
 あくまでも、私の味覚に合うかどうかなので、
 気にしないでください。あしからず。
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インドラ (どらやき)

2007年02月04日 19時03分59秒 | カレー / CURRY
先日、東池袋のA・RAJで、curryvaderさんと集った。

その時に「歩いてたら見つけちゃったんですよ~。」
と、お土産にと持ってきてくれたのがこれっ!

その名も「インドラ!」 

しびれるネーミングのこのお菓子は、インド風のどら焼き。
 (注:ヒンドゥー教のインドラ神とは、無関係です。)

ビニールの包み紙をワクワクしながらはがすと、
う~ん・・カレーのいい匂い。

アンコの代わりにカレーがサンドしてある。
このアンコ(カレー)、けっこう辛い!!この辛さ、本物である。
お菓子の辛さぢゃない。アンコぢゃない。
カレーパンでも、ここまで辛いのはあんまりないかも・・。

生地は普通のどら焼きのように甘く、
アンコ(カレー)の辛さとあいまって、
辛いが甘い、甘いが辛い・・・・
・・・・辛いが甘い、甘いが辛い・・・。

 「ぐふふふっ・・・。」 
 「ウヒョヒョヒョヒョ~~!」 

      『んまいっ!!』 

そしてカレーの上に乗ったスライス・アーモンドが効いている。
さくさくした食感。なんとも言えない。
ええ感じです。ハイ。

船橋屋と言う和菓子屋さんのもの。
住所:東京都新宿区納戸町15
電話:03-3260-1669

curryvaderさんの記事はこちら  CDET!!
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エル・ニーニョ・デ・オロ

2007年02月03日 22時23分59秒 | スポーツ / SPORTS
WBA世界フェザー級2位
WBC世界フェザー級4位
 ホルヘ・リナレス(帝拳・ベネズエラ) 
           22勝(13KO) 
                  
           パナマ・フェザー級チャンピオン 
              ラミロ・ララ(パナマ)
               12勝(7KO)5敗2分

                 

ベネズエラの「エル・ニーニョ・デ・オロ」(ゴールデン・ボーイ)、
ホルヘ・リナレス(写真左側の水色のトランクス)まだ21歳。

5歳の時にボクシングを始め、
すでに6歳で試合に出たそうな。
アマチュアで156戦151勝  凄すぎる・・・。 
17歳で帝拳とマネージメント契約を結び来日した。

バレロ選手といいリナレス選手といい、
ベネズエラには、凄い人がいるもんだ。
目をつける帝拳ジムも凄いけれど・・・。

写真右側のオレンジ色のトランスのララ選手は、
パナマ国内のフェザー級チャピオン。

           

1ラウンド:リナレス選手はスピードのある左ジャブを突きながら、
華麗なフットワークを使う。ジャブは恐ろしく伸びる。
まるでストレートのようにララ選手の顔面を跳ね上げ、
さらに左フック、右ストレートと正確に捉える。
  (リナレス選手:10-9:ララ選手)

2ラウンド:ララ選手が左右を振りながら出てくるが、
リナレス選手は左ジャブ、右ストレート、左ボディと、
全てが正確に力強くヒットする。
  (リナレス選手:10-9:ララ選手)

3ラウンド:ララ選手のパンチは届かない。
リナレス選手が左ジャブ、左フック、右ストレートと連打し、
青コーナーにララ選手をつめ、さらに連打。
ララ選手の手が出なくなったところで、
レフェリーが試合をストップ。1分37秒だった。

           

 凄すぎる。早い・・・強い・・・柔らかい・・・・上手い・・・
それだけでなく、しかも・・・華麗だ。美しい。
階級が近いバレロ選手とどちらが強いんだろう 
と思ってしまった。

年内には、世界挑戦するだろう。
チャンピオンになる事間違いなし。

 今夜26:20より日本TVでオンエアあります。
   前座の試合もいい試合でした。
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【インドの聖者】 ~ スワミ・プラブパーダ ~

2007年02月02日 22時32分59秒 | 神様・聖仙・聖者 / GOD & SAINT
A・C・バクティヴェーダンダ・スワミ・プラブパーダ、
1896~1977。
西ベンガル州の州都コルカタ(カルカッタ)生まれ。
スコットランド教会大学卒業後、実業界で成功する。

ヴィシュヌ派のチャイタニヤ仙の影響を受け、
1922年、宗教指導者のバグティシッダンタ・
サラスワティと出会い宗教活動に入る。
54歳で世俗から離れ修行僧となった。

69歳で無一文でニューヨークに渡り説教を開始すると、
現代文明に満たされないヒッピーや
インド神秘主義にあこがれる若者達の支持を集めた。

          

人間は神の国の精神エネルギーの世界から離れ、
物質エネルギーの世界の支配下に入る。
カルマ(業)の法則に縛られ、輪廻する。

ところが、「ハレー・クリシュナ運動」(クリシュナ神を称える)の
教えに従うと輪廻を解脱し永遠の幸福を得られると言う。

「ハレー・クリシュナ」と唱えるマントラ(真言)瞑想をし、
煙草、コーヒー、茶、麻薬等の陶酔物を
一切取らない菜食主義を勧め、不義のセックス、賭け事を禁じた。

             

もしインドへ旅をしたなら、どこかの街角で、
「ハレー・クリシュナ、ハレー・ラーマ・・・・。」と唱えながら、
踊り狂っている集団を見かけるかもしれない。
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【インドの聖者】 ~ ラーマーヌジャ ~

2007年02月01日 21時11分59秒 | 神様・聖仙・聖者 / GOD & SAINT
ラーマーヌジャの研究

春秋社

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11世紀前半(?)~1137、
南インド・タミルナードゥ州の聖地カーンチプラム生まれ。

バクティ(神への献身的な信仰と信愛)を、
人間の救済の手段として初めて理論づけた理想家。

ヴェーダンダ哲学を学ぶが、「ブラフマー展開説」に納得できず、
南インドで勢力があったヴィシュヌ神崇拝に傾倒した。
そしてヴェーダンダ哲学とヴィシュヌ神信仰の結合が、
生涯の哲学的テーマであると決め没頭していった。

最高神ヴィシュヌ神に対するバクティ。
従来、神と個人の間は司祭者が取り持っていたが、
個人が直接、神と交渉する所に特徴がある。

バクティに対する神の恩寵は、カーストの所属階級、
能力、性別とは全く関係なく及ぶと説いた。
これは他の聖者にない画期的な説である。

          

なお、ヴィシュヌ神派には学問的な傾向が強く、
シヴァ神派には苦行や呪術、祭儀的な傾向が強い。
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