ここは第二次世界大戦の時にこの地で亡くなった
イギリス軍と連合軍の兵士の墓地である。
1600人分の墓があり、イギリス兵が最も多く約1300人、
インド兵が約220人、残りはカナダ、オーストラリア、アフリカ、
ミャンマー、中国などである。
池に架かる橋を渡って行く。
イギリス兵、インド兵、グルカ兵やイギリスの植民地軍の兵、
中国兵などの名前が刻まれていた。
名前が判明している場合は名前と
その人の宗教をかたどるマークも刻まれている。
これはここに埋葬された1600人の中で、
唯一の女性の墓。20歳で亡くなった看護師の物である。
その近くにあった墓にはヒンディー語が刻まれていた。
25歳でなくなったヒンドゥー教徒のインド兵の物。
名も無き兵の墓。
きちんと並べられた墓石は草花が飾られていて、
墓地であるが公園の様でもある。ぽかぽかと天気の良い日は、
亡くなった人々の魂が安らかであるように感じた。
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イギリス軍と連合軍の兵士の墓地である。
1600人分の墓があり、イギリス兵が最も多く約1300人、
インド兵が約220人、残りはカナダ、オーストラリア、アフリカ、
ミャンマー、中国などである。
池に架かる橋を渡って行く。
イギリス兵、インド兵、グルカ兵やイギリスの植民地軍の兵、
中国兵などの名前が刻まれていた。
名前が判明している場合は名前と
その人の宗教をかたどるマークも刻まれている。
これはここに埋葬された1600人の中で、
唯一の女性の墓。20歳で亡くなった看護師の物である。
その近くにあった墓にはヒンディー語が刻まれていた。
25歳でなくなったヒンドゥー教徒のインド兵の物。
名も無き兵の墓。
きちんと並べられた墓石は草花が飾られていて、
墓地であるが公園の様でもある。ぽかぽかと天気の良い日は、
亡くなった人々の魂が安らかであるように感じた。
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