雀の手箱

折々の記録と墨彩画

奈良の一日

2010年11月09日 | 雀の足跡

今はもうこの位置関係では見ることができなくなった法華堂内の諸仏


 日程が短いため、早朝の「のぞみ10号」で出発したので、近鉄奈良西大寺には11時の到着でした。
 妹の車での出迎えを受け、好天なので奈良公園でお弁当にしようということになり、改装で見違えるようになった駅構内で松茸おこわの弁当を仕入れての出発でした。

 先ずは、いにしえに鑑真僧正が、東大寺大仏殿前の広場で聖武帝はじめ400人の貴人に戒を授けられたときの戒壇を移したという戒壇院へと向いました。古い寺院に遺る四天王中、私にとっての最高の戒壇院四天王に挨拶し、東大寺への道を辿りました。


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 弟が東大寺にお参りした記憶が残っていないというので、付き合うことにしました。
 平城遷都1300年祭と、正倉院展、修学旅行シーズンと重なって、平日というのにどこも人が溢れています。駐車場探しで合流が遅れた妹の情報では、正倉院展入場は150分待と放送されていたというので、即拝観はやめると決定。今は三月堂(法華堂)で、仏像修復のため日光月光の両菩薩が間近かに拝めるというのでそのまま三月堂へと進みました。

 三月堂は東大寺の諸堂中、焼失を免れた天平年間の創建になる最古の建物です。
 不空羂索観音はすでに修復が開始されていてお姿は拝めませんでしたが、和辻哲郎の日本精神史研究以来の憧れの仏像が今はガラス越しとはいえ目の前に立っておられます。これから修理が行なわれた後は耐震設備の整った「東大寺ミュージアム」に安置の予定だそうで、この堂内で拝めるのはあと1年くらいでしょう。
 何時もの薄暗い堂内の奧に両脇侍として立つお姿とは全く異なり、僅かに残る袖口の朱と緑の色もはっきりと見てとれ、やわらかに合わせられた合掌の手の美しさは、いつ拝んでも時を忘れるほどでした。ここには修学旅行生も入っては来なくて静かな時間が流れていました。

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 三月堂前の小さな校倉づくりの経庫が20日間に限り特別公開されていました。中には東大寺の僧侶になるための住職試験の折に使用された背の高い論議台が保管されていて、問答の緊張感が漂います。日ごろ入場できない重要文化財の建物の中に、特別入場というのは得した気分でした。

 地を接している手向山八幡で「このたびは幣もとりあえず」と菅原道真公に倣ってお参りして、奈良公演を斜めに若草山を眺めながら、ようやく紅葉が始まった樹木に目を休ませつつ駐車場へと向いました。

 入場待ちの4列の行列が幾重にも蛇行して団体入り口の人の渦も加わり、はたして2時間待ちくらいで入場できるのだろうかと話し合ったことでした。
 奈良博本館の、「なら仏像館」での「珠玉の仏たち」展を見て行くことにしましたが、会場一杯の国宝や重要文化財のオンパレードにはただ圧迫されて、余りの数の多さに茫然としてしまい、鑑賞もそこそこに会場を後にしました。法華堂の金剛力士像の大きさは圧倒的な存在感で特別公開としてここにご出張中でした。

 夕食までにはまだ早いというので、大和文華館でも改装が終わり、開館50周年の記念名品展で、「大和文華館の日本画」が開催中と妹がいうのでそちらに回りました。



三月堂の月光菩薩像 画像は総て寺院入場の折にいただくちらしよりお借りしました。
※印はマウス・オンで2枚です。