雀の手箱

折々の記録と墨彩画

「祈りの回廊」

2010年11月14日 | 雀の足跡
 三日目、これという予定はないというので、祈の回廊の最後は、一度は拝んでみたかった法華寺の十一面観音が2週間限定で開扉公開されているようだから行きたいと私がいいだして、大極殿からだとすぐ近くなので、みんなで出かけることになりました。
 
 東大寺が全国の総国分寺で、総国分尼寺がこの法華寺です。光明皇后をモデルにそのお姿を写したとされる十一面観音立像には、2回訪れてご縁がなかった身には期待に弾みがついていました。
 会津八一はじめ、文人達に歌われたお姿は想像していたよりは、ずっと小さく整った豊かなお顔で慈悲に溢れてお堂の中央に佇んでおられました。
 慈光院(収蔵庫)も開扉されていて、妹も初めてというので拝観しました。小さな建物の中一杯に掛けられた、雄大な阿弥陀三尊と童子を描く掛幅(国宝)は、思いがけなかっただけに四人とも驚きの声を発したことです。
 宣伝もされてなくて、人にあまり知られないこうした傑作が、さりげなく迎えてくれるのが奈良詣での楽しみの一つです。
 特に可憐な童子と美しい蓮弁の舞う一幅は、光明皇后ご臨終の枕仏に相応しく、「阿弥陀来迎図のうちでも最も貴重な作品」という解説を心から納得したことです。この来迎図にお会いできたのが、十一面観音とともにこの日の最高の感動でした。

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 庫内に上がる前から気になっていた大きな水鉢も、聞けば奈良時代のものと教えられました。案内板も何も立ってはいません。
 左手の階段を登った収蔵庫に展示されている寺内出土の瓦は、平城宮瓦と同じものや二彩の釉薬が見られる美しいものが多数でした。鬼瓦まで尼寺のものらしく優しい顔立ちだと語り合ったことでした。


 浴堂(カラフロ)は、日本史の教科書にも登場する皇后自ら薬草を煎じてその蒸気で病者を救済されたといわれる天平のサウナの建物です。室町時代に改築されたものですが、敷石の一部は天平のものと記されていました。以前は中に入れたのですが。

から風呂

 直ぐ傍だからというので車は法華寺に置いたままで、海龍王寺(平城宮の東北隅に位置するので隅寺とも呼ばれ、藤原不比等の邸宅跡)へ回りました。ここでも、日ごろは拝観できない本尊十一面観音立像(重文)がご開帳されていました。

 はじめてこの寺を訪ねた40年前は、草を分けるようにしてて道を辿った荒れた寺院でした。僧玄が遣唐使として渡唐の帰途、東シナ海で暴風雨に遭い、4隻の船団のうち玄の乗る船だけが種子島に漂着し帰ることができました。そのとき持ち帰った五千余巻の経典と、海龍王経を唱えつづけて、九死に一生を得たことにちなみ、玄の住持するこの寺では海龍王経を用いて遣唐使の航海の無事を祈願したので、聖武天皇から海龍王寺の寺号と勅額を賜っています。
 西金堂内に安置される戒壇の儀が執り行われた五重小塔は国宝です。ここも見違えるほどの修復整備がなされていました。
 連日1万歩を超える歩数計に驚きながらの、祈の回廊の巡礼でした。自分はもう何度も出かけているのに、付き合って案内してくれた妹に感謝しています。

海龍王寺山門


海龍王寺境内


十一面観音(重文・鎌倉時代)


五重小塔(国宝・奈良時代)