長雨に籠りがちでしたが、やっと覗いた晴れ間、運動不足の解消を兼ねて裏山を越えた谷にある“梔子池公園”に、行ってみました。
蓮が見ごろではないかという思いからでした。2,3年前までは、よく散歩に出かけていましたが、池の周りに草が丈高く茂って道に覆いかぶさり、見通しも悪くなり、不用心になっていたので、散歩も敬遠していました。今は周遊の道路も舗装され、早朝の歩きを楽しむ人も増えてきたようです。久しぶりの散策でした。
この池の蓮は白蓮華ばかりです。以前は岸に茂っていた紫式部は小さく刈り込まれて一株だけになって、今は米粒ほどの淡い紅紫の花をつけていました。濃紫の露の玉を眺めては才媛を思ったものでしたが。
蓮華はすでに盛りを過ぎていて、緑の花托に実を見せていました。池の主のサギが餌を狙ってか置きもののように動かず、中洲では亀が甲羅干しをていました。
帰りかけているところへ、思いがけず同窓のHさんが散歩に見え、話も弾んで、友人たちの消息も齎されました。蓮が連想を誘うわけでもありませんが、この年になると訃報ばかりです。
一蓮托生、但し蓮のうてなには悪行を重ねた身はとても乗せてもらえそうもありますんが。
蓮が見ごろではないかという思いからでした。2,3年前までは、よく散歩に出かけていましたが、池の周りに草が丈高く茂って道に覆いかぶさり、見通しも悪くなり、不用心になっていたので、散歩も敬遠していました。今は周遊の道路も舗装され、早朝の歩きを楽しむ人も増えてきたようです。久しぶりの散策でした。
この池の蓮は白蓮華ばかりです。以前は岸に茂っていた紫式部は小さく刈り込まれて一株だけになって、今は米粒ほどの淡い紅紫の花をつけていました。濃紫の露の玉を眺めては才媛を思ったものでしたが。
蓮華はすでに盛りを過ぎていて、緑の花托に実を見せていました。池の主のサギが餌を狙ってか置きもののように動かず、中洲では亀が甲羅干しをていました。
帰りかけているところへ、思いがけず同窓のHさんが散歩に見え、話も弾んで、友人たちの消息も齎されました。蓮が連想を誘うわけでもありませんが、この年になると訃報ばかりです。
一蓮托生、但し蓮のうてなには悪行を重ねた身はとても乗せてもらえそうもありますんが。