教育カウンセラーの独り言

今起こっている日本の教育の諸問題と受験競争の低年齢化している実態を見据えます。

ロッテ永野の「広場恐怖症」治療に認知行動療法、暴露療法など…医師が説明 2019/03/19 11:01デイリースポーツ

2019年03月20日 16時19分22秒 | スポーツ

ロッテ永野の「広場恐怖症」治療に認知行動療法、暴露療法など…医師が説明

広場恐怖症であることを公表したロッテ・永野

(デイリースポーツ)

 ロッテの2年目左腕・永野将司投手(26)が「広場恐怖症」を患っていることを明かした。飛行機に乗ると飛び降りたくなり、死んでしまうのではと考えたり、新幹線などに乗車するのも困難が伴うという。兵庫県伊丹市の「たにみつ内科」で日々診察にあたっている谷光利昭院長が、あまり知られていないこの症状について説明した。

  ◇   ◇

 広場恐怖症…聞き慣れない言葉だと思います。我々医師でも精神疾患に携わっていなければ、具体的なことを知らない人も多いのではないでしょうか。詳しい診断基準は割愛しますが、どのような病気であるかを簡単に説明します。

 たとえば、永野選手のような飛行機をはじめ、電車、バス、車に乗っているとき、デパート、市場などで買い物をしているとき、何かの列にならんでいるときなど、人がたくさんいる場所にいると恐怖が出現してくるのです。恐怖が出現してくると、胸の痛みや締め付けられるような感覚となります。息ができなくなるように感じ、めまい、吐き気などの強い肉体的苦痛を伴うパニック発作のような強い肉体的苦痛が出現してきます。

 人によって、だいたい同じ状況で出現します。わき上がる不安は現実には到底起こりえないものですが、それらの不安や強い肉体的苦痛が日常生活に大きな負担となります。周囲の人に理解してもらいにくいこともつらいことです。

 治療としては、認知行動療法、暴露療法、薬物療法などがあります。認知行動療法とは、例えばデパートにいるとき、なぜ不安が浮かんでくるのか?という理由を詳細に書いて頂き、そのことに対して現実的には起こりえないということを、時間をかけて理解して頂きます。それを繰り返すことによりバランスのとれた思考回路を作成するといった治療法です。

 暴露療法とは、実際に不安が起きる場所に遭遇して頂き、次第に慣れて頂くという方法です。不安が起きるといっても、「段階」を決めて不安が起こる程度の弱いところから順を追って遭遇することになります。実際に遭遇することが困難な場合は、想像することから始めていただきます。

 2つの治療法は効果があるとされ、積極的に用いられています。また、患者さん自身で暴露療法を知らない間に繰り返すこともあり、自然治癒してしまうケースもあるようです。薬物療法は、抗うつ薬を用いて治療するケースがもあります。

 いずれにしても治療法は、しっかりとある病気です。心当たりの方は専門家に相談して頂き、正しい治療を受ければ、よくなってくる可能性は高いと思います。』
 
 球場に場慣れしているプロの投手でも広場恐怖症になるのですね。
熱気と球場に来ている人達、1人1人の発する気です。
永野将司投手ピュアな気持ちの持ち主のように思いました。
 
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大リーグに“大谷ルール”創設、新たに「二刀流選手」定義づけ

2019年03月15日 13時54分18秒 | スポーツ

大リーグに“大谷ルール”創設、新たに「二刀流選手」定義づけ

キャッチボールする大谷

(スポニチアネックス)

 『大リーグ機構は14日(日本時間15日未明)、選手会と協議してきた新ルールについて合意に達したと発表した。増加傾向にある野手の登板について規制すべく、来季2020年シーズンから選手の登録を「投手」と「野手」に明確に分けることが決定。さらに“大谷ルール”ともいうべき「Two―Way Player(二刀流選手)」も新たに定義された。

 投手か野手かの登録はシーズン開始前か、メジャー初出場前に行われ、シーズン中は変更ができない。二刀流選手は原則として、そのシーズンに(1)投手としてメジャーで20イニング以上投げる、(2)野手として20試合以上先発出場し、その試合は3打席以上立つ、ことが義務づけられる。

 野手として登録された選手の登板は、(1)延長、(2)6点差以上点差が開いた試合、に限定される。

 大リーグの解析システムスタットキャストのアナリストであるデービッド・アドラー氏は「The Shohei Rule」(翔平ルール)としてこの変更点をツイッターで紹介した。

 新ルールの合意ではその他に、今季から8月末だったウエーバーを経てのトレード期限の撤廃や、来季からメジャー25人枠の26人への拡大などを盛り込んだ。来季からは投手には最低打者3人への登板も義務づけられ、ワンポイント起用ができなくなる。

 右肘手術の影響で今季は打者一本で臨む大谷。投手との二刀流としての完全復活を目指す来季20年は、文字通り「Two―Way Player」としてメジャーの舞台に立つことになりそうだ。

 現在、エ軍はカワートとブラッシュを野手兼投手の二刀流選手として育成中。ブラッド・オースマス監督はこれからメジャーで二刀流選手が増えると予想し「これから若い選手たちが大谷のマネをして二刀流をするようになり、大学、プロレベルになっていくんではないでしょうか」と話した。

 この日の大谷は「置きティー(置いた球を打つティー打撃)」を15球、「ソフトトス(下から投げてもらうティー打撃)」を25球、打ち込むなど打者調整に専念した。』
 
大リーグに“大谷ルール”創設し新たに「二刀流選手」定義づけ たのは、大リーグらしいです。
投手の大谷は、球足を良く見分けられてバッターとして、活躍出来るのではないでしょうか。
 
 
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率・080イチロー、キャンプ地最終戦で2打席連続三振 18打席連続快音なしOP戦打率・080

2019年03月14日 17時27分51秒 | スポーツ


スポーツ イチロー、キャンプ地最終戦で2打席連続三振 18打席連続快音なしOP戦打率・080

イチロー、キャンプ地最終戦で2打席連続三振 18打席連続快音なしOP戦打率・080

2019/03/14 12:24



試合前のフィールドで、ファンにサインをするイチロー(撮影・小林信行)

(デイリースポーツ)

 「オープン戦、マリナーズージャイアンツ」(13日、ピオリア)

 マリナーズのイチロー外野手(45)がキャンプ地最終戦で「7番・DH」で出場し、2打数無安打2三振。1日のブルワーズ戦の二回に中前打を放って以来、7戦18打席連続(2四球含む)ノーヒットで打率を・080(25打数2安打3四球)に落とした。

 この日までオープン戦11試合に出場して打率・087(23打数2安打3四球)のイチロー。二回の第1打席は過去の対戦成績・275(40打数11安打)の左腕ホランドに空振り三振を喫した。カウント2−1から見送った外寄り129キロのスライダーをストライクと判定されて追い込まれた後、外角低めに逃げる129キロスライダーにバットは空を切った。

 3−4の四回1死二塁の好機は見逃し三振。左腕ホランドにカウント1−2と追い込まれた後、外角低めのスライダーをファウルにする粘りを見せたが、5球目、外角低めのボール気味の143キロ速球をストライクと判定された。』

イチロー選手もスランプでは有りませんか。
打撃の神様も人間ですから、二打席連続三振する時も有ると思います。

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スポーツ イチロー「地味に痛い」足に死球 心配した投手には笑顔

2019年02月21日 20時07分30秒 | スポーツ

イチロー「地味に痛い」足に死球 心配した投手には笑顔

2019/02/21 08:23


打撃練習で投球を右足に受け、痛がるイチロー

(朝日新聞)

 大リーグ・マリナーズのイチローが20日、打撃練習中に右足外側に死球を受けた。イチローは「地味に痛い。(この時期に)無理しても仕方がないから」と話し、大事を取って練習を途中で切り上げた。念のためチームドクターに診てもらうという。

 打撃投手は、チームの顔で2010年サイ・ヤング賞投手の右腕フェリックス・ヘルナンデスだった。打席の感覚を養おうと丹念に投球に対応していたイチローだが、5球目の内角球はよけきれなかった。続けて4球だけ打席に入った後、グラウンドを引き揚げた。クラブハウスで心配そうに声をかけてきたヘルナンデスには笑顔で応じ、自ら運転する車で帰宅した。

 チームは21日にオープン戦が始まるが、当初からイチローは初戦のメンバーに入っていない。(ピオリア=坂名信行)』

年齢的に体の衰えも有り、若い時なら避けれる四球も避けにくく為っているかも分かりませんが。
野球の神様と言われているベテランの一郎選手でも死球は、痛いと思います。
怪我に注意して、まだまだメジャーの現役で頑張って下さい。
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ニュース スポーツ 若年がん克服、夢へ再び ボートレーサー倉持莉々選手

2019年02月21日 12時05分37秒 | スポーツ


若年がん克服、夢へ再び ボートレーサー倉持莉々選手
2019/02/21 05:04産経新聞

若年がん克服、夢へ再び ボートレーサー倉持莉々選手
ボートレーサーとして活躍する倉持莉々選手(本人提供)
(産経新聞)
 競泳女子の池江璃花子(いけえ・りかこ)選手(18)の白血病公表は、若者もがんに罹患するという現実を改めて世間に突きつけた。茨城県出身の倉持莉々(くらもち・りり)さん(25)も高校時代に血液のがんに苦しんだ。若年層のがんは治療と人生の岐路が重なりケアも難しいとされる。倉持さんも過酷な闘病生活だったが、ボートレーサーになる夢をつかんだ。あきらめなければ将来が開ける。彼女は証明してみせた。

 倉持さんが血液のがんの一種「ホジキンリンパ腫」と診断されたのは高校3年、17歳の時だった。小学校から水球を続け、日本女子代表にも選ばれるほど体力には自信があり、病気とは無縁だった。ボートレーサーを幼いころから夢に見て、倍率40倍といわれる養成所「やまと学校」に一発合格。秋には入学し、思い描いた人生を歩もうとしている中で異変が襲った。

 脇腹が痛く、首のしこりが少し気になった。「風邪かな」。当初はそんな程度に感じていた。ただ、痛みは3カ月が経過しても取れず、むしろ増しているように感じた。そして、規模が大きな病院で精密検査を受け、ホジキンリンパ腫と診断された。やまと学校入学の2週間前のことだった。

 股関節や肺にもすでに転移。「一刻も早く治療しないといけません」。医師からはそう告げられたが「体は元気で現実のものとは受け止められなかった」。

 闘病生活は過酷そのものだった。抗がん剤治療は2週間に1回だったが、6種類を一日かけてゆっくりと注射。その度に節々に激痛が走り、起き上がることさえままならなかった。舌もしびれ味覚を失い、吐き気も襲った。抗がん剤は光に弱く、打つ際は微弱光を遮断するため電球にアルミホイルを巻く。その暗い室内で、血管がつぶれるような激痛に耐えることが「何よりつらく、復帰を考えることさえできなくなった」。

 当初は抗がん剤が効かず、母は毎晩のように涙した。ただ、1カ月以上が経過し、数値は徐々に改善。体も抗がん剤に慣れ始め、つらいながらも動かせるようになった。

 すると一度は失いかけていた夢への情熱が再び沸いた。痛みに耐え、テニスや水泳などのトレーニングを再開。翌年には、やまと学校の試験を受けられるまで回復し「合格」を再び勝ち取った。

 1年半遅れで入学し、平成26年3月にデビュー。レースの世界は厳しく、初勝利までは、さらに1年半を費やしたが、今は着実に勝利を重ねる。この間、再発の恐れがあると宣告された5年も過ぎた。

 ボートレーサーを志したのは小学生の時。父に連れられて見たレースで一気に内側に切り込む「まくり」を女子選手が決める姿に心を奪われた。「死ぬまで続け、いつか賞金女王に」。ちょっと寄り道したが、願えば、夢は逃げないことを知った倉持さんは着実に将来を見据えている。(松崎翼)


倉持さん、癌の厳しい耐久レースに見事勝ち抜かれましたね。
此からも体調管理に注意されて頑張って下さい
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スポーツ 【巨人】次女・三奈さん、長嶋終身名誉監督の重病説一蹴「自分で自分の体を治しちゃった」83歳誕生日

2019年02月20日 17時16分05秒 | スポーツ



【巨人】次女・三奈さん、長嶋終身名誉監督の重病説一蹴「自分で自分の体を治しちゃった」83歳誕生日

2019/02/20 06:00



2013年5月5日、東京ドームで行われた国民栄誉賞授与式での始球式直前、控室で次女・三奈さん(左)と記念撮影する長嶋さん 【報知新聞社】

(スポーツ報知)

 巨人・長嶋茂雄終身名誉監督=報知新聞社客員=が20日、83歳の誕生日を迎えた。昨年7月に胆石のため入院、12月中旬に退院後も治療とリハビリを続けているミスター。一時は重病説も流れ、ファンの心配は募ったが、スポーツ報知は次女・三奈さんを直撃。三奈さんは長嶋さんの現状とともに、今月初旬には内視鏡手術を寸前で回避する奇跡的な出来事があったことも明かした。“メークミラクル”を起こした長嶋さんは改めて、V奪回を目指す巨人へ熱いメッセージを口にした。(取材・構成=谷口隆俊)

 桜の花よりひと足早く、ファンの笑顔が満開となる“ニュース”が届けられた。胆石のため、半年近くも入院していた長嶋さん。三奈さんによれば病気と闘いながらも、野球のことを考えない日はなかったという。

 「これまで巨人軍はいかなる時も“紳士たれ”と言われてきた。しかし、今年に限っては、投手野手が一丸となって一生懸命、がむしゃらに、取り組んでやっていってほしい。いったんグラウンドに入ったら、きれいなプレーをする必要はない。グラウンドでは紳士でなくていい」

 ミスターに今季の巨人へのメッセージをお願いしたところ、10分以上も真剣に考えてから紡いだ言葉。ただ貪欲に勝利を求め、そして勝て―。言葉から衰えぬ闘志を感じ取り、三奈さんは笑った。

 「『紳士たれ』でなくていいなんて、父しか言えないかもしれませんね」

 三奈さんによると、ミスターが腹部に異変を感じたのは昨年春。痛みが増した7月、胆石【注1】と診断され、入院した。石の一部が流れ落ちる途中で詰まり、胆管の出口付近をふさいで、胆汁が流れない状態だった。

 「内視鏡でも胆石を取る手術は体に負担がかかる。除去は体力の回復を待ち、投薬と、胆汁を流すために7センチほどのプラスチック製医療器具であるステント【注2】を内視鏡手術で入れました」

 胆石治療の薬は強いもので、時には他の臓器にも影響。落ちた筋力を取り戻すリハビリもあり、退院までに半年を要した。

 「猛暑だったし、この機会に全身を調べてもらいました」

 今月初めにはステントを交換するため、再び病院へ。麻酔をかけ、内視鏡を腹部に入れたところで担当医が驚いた。「長嶋さんの体の中にステントがない」―。造影剤を入れて詳しく調べても見つからない。

 「退院時の検査では、ステントは残っていた。変な所に詰まっちゃったのかなと一瞬、ドキッとした」

 どうやら、ステントも詰まっていた胆石も、胆汁に流され、腸を回って体外に排出されてしまったようなのだ。三奈さんには思い当たるフシがある。退院後、食事制限のない長嶋さんは、好きな肉をたくさん食べた。

 「肉を食べると胆汁がたくさん作り出されるそうです。父はすき焼きが好物で、週に何度も食べていました。昼から食べる日も(笑い)。好きなお肉をいっぱい食べて、胆汁があふれ出ちゃったのかも…」

 大胆な仮説だが、担当医も「詰まっていた胆石がステントに当たって細かくなり、胆汁が一緒に押し流したのではないか」などと推察した。

 「麻酔して入れた物が、体内を移動したら痛いはず。でも、父は『痛くない』と。『本当に(ステントを入れる)治療、したの?』とまで言う。父は見事に自分で自分の体を治しちゃった。内視鏡を入れて手術を始めようとした、その時です。こんなうれしい“ドタキャン”はない。夏頃に予定していた残りの石の内視鏡除去手術もなくなりました。みんなで笑い、喜びました。『メークミラクルだ〜』って」

 ただ、脳梗塞治療は続いており、血流を良くする薬を使っていることから、小さな傷でも治りは遅い。胃カメラなどの検査前に食事を控えれば、脱水の危険性も出る。入院中は検査でさえ苦痛だろうが、長嶋さんは「つらい」とは言わない。声をひそめて「先生たちが頑張ってくれるから、俺も頑張るよ、三奈ちゃん」と伝えてきたそうだ。

 「04年に倒れてから、今なお闘病中なんです。今回、時間をかけて治療したことで退院が延びて、実は重大な病気なのではと心配された方もおられたと思います。完全に治ったわけではなく、経過観察と定期的な検査を続け、筋力も徐々に戻さないと。今は一人でトレーニングしています。父は頑張っているので、温かく見守っていただければ。応援してくださる方の思いを誰よりも感じていますし、ファンの方に会える日を楽しみにしています。皆さんが待っていてくださる限り、父は絶対にあきらめません」

 ミスターにとって、ファンと再会する希望こそが、明日への活力となっている。

 野球というスポーツは人生そのものだ―。長嶋さんが好きな言葉だが、入院中も野球からは離れなかった。病室では、体調が良い時はテレビの野球中継にくぎ付け。100回記念大会だった昨夏の甲子園は連日、テレビ観戦した。これには三奈さんも驚く。

 「(担当医の)先生方もビリルビン【注3】の検査結果を見て『普通、この数値なら、だるくて寝込む方が多い』と驚かれて…。父はイスに座って野球中継を見ていましたからね。『だるくないの?』と聞いたら、『いや、別に…』って。本当にすごいなと。体温が37度を超えてもシレッと座ってテレビを見たり、ご飯を食べたりしていましたね」

 昨秋の日本シリーズもテレビの前へ。ちょうど、打席に当時広島の丸が入った時だった。

 「『丸君って、そんなにいいバッター?』と聞いたら、『球界ナンバーワン』って言っていました。巨人と交渉することが決まると、父は丸君に手紙を出そうと考えて、自分でメッセージの文章を考えました。ジャイアンツの方にお願いして渡してもらいました【注4】」

 丸の巨人移籍のニュースは、長嶋さんをより元気にしたはずだ。ちなみに、甲子園で印象に残った選手は岡山・創志学園の西純矢、金足農・吉田輝星(日本ハムのドラフト1位)、花巻東・伊藤翼の3投手【注5】。伊藤は淡々と投げながらも切れのあるボールが印象に残ったようだ。

 「吉田君のことはすごくほめていましたね。私が花巻東を取材していると電話が鳴って、『三奈ちゃん、今投げている花巻東のピッチャー、いいね』って。不思議ですよね。野手だったから打者を見るのかなと思ったら、投手を見ている。いいピッチャーがいると、元気に電話がかかってくる」

 元気といえば、食欲は旺盛だ。

 「甘いのが大好きで、病院にいた時もカステラとか、メロンパンとかシフォンケーキも食べていたし。甘いの、大好きなんですよ。しっかり完食。3食プラスおやつも食べて…。先日も、うな重をペロッと食べていましたし。ホント、お肉とうなぎが好きで。そういえば、胃もたれっていう言葉、父から聞いたことないですね。長嶋茂雄の辞書に『胃もたれ』はない…そう!」

 脳梗塞を発病してから15年。現在も投薬治療を続けているが、脳自体は健康そのものだ。

 「一度、脳年齢チェックみたいなものを病院でやったことがあって。結果を報告してくれたんですが、『俺の脳年齢、50歳代だよ〜』って。脳年齢は同級生になりました(笑い)。父はみるみる若返っているというか。ダメになった血管があっても、別の所で新しい血管がどんどん生まれてくるんですって」

 記憶力も驚くほどで、5〜6歳のことも鮮明に覚えているという。小学校の時の戦争の記憶もあるそうだ。

 「空き地で遊んでいると、B―29が頭上を飛んでいったとか。方向まで覚えているので驚きです」

 お世話になった人を大事にする長嶋さんの姿勢は不変だ。

 「B型の典型のような人とか言われますが、気遣いとかはすごい。例えば、外出から帰宅すると、お巡りさんが巡回してくれたことを示す紙がポストに入っている時があるんですが、それを見ると『来てくれたんだ』と、帽子とか、その人へのお礼を考えちゃうんです。若いお巡りさんだと、もし先輩に分かったら取られちゃうといけないと心配して『内緒だよ』って」

 退院後のある日、長嶋さんが真剣な顔でペンを持ってメモ用紙を見つめて、「うーん」とうなっていた。三奈さんがのぞくと、担当医師やスタッフの名前がズラリ。

 「お礼を考えていたようです。グッズとか自分で用意して、どの先生に何を渡そうかなどと考えている。家族が気を配らなくてはならないのに、父が先に『10個で足りるかな』とか『先生みんなに渡せるかな?』とか。巡回の紙に気づいても、『ありがたい』で終わるのを、父は『帽子をあげよう』と思っちゃう。発想も気遣いもすごい。『内緒でね』と気を使うのですが、バレバレです」

 気持ちをほのぼのとさせる話は、こういうものもある。

 「トレーニングも兼ねて散歩をしていた時のこと。普通なら気づかれないようにするんでしょうが、父は(自分が長嶋だと)気づかれないと、『元気ですかー』って自分からあいさつするんです。テレビで父の特番や特集があると『監督、見ましたよー』と声を掛けられれば、お礼とともに『どうだった?』って感想を求めるんです。父は帰ってくると、『三奈ちゃん、今日は何人に面白いって言われた。すごいんだよ、反響が。面白かったって』とすごくうれしそう。『面白かった』と言われた人数まで覚えているんです」

 リハビリでは、年配の人と一緒になることも。

 「どう見ても相手は父より年下なんですが、『おじいちゃん、頑張っていますねー』って。自分の方がおじいちゃんなのに。80代の自覚がない。90歳になっても、70歳くらいの人に『おじいちゃん、大丈夫ですか?』って言いそう」

 巨人軍は永久に不滅―。そして名言の主である長嶋茂雄もまた、年を取らない。

【注1】胆のうにできる結石(石のようなもの)。肝臓から分泌される、胆汁の成分が固まったことが原因となる。みぞおちや右脇腹に激しい痛みが出る。

 【注2】ステントとは、体内の管状の部分を内側から広げるための器具。体に入れても害のない金属で作られたものもある。

 【注3】赤血球の中のヘモグロビンの一部が代謝されできたもの。量が増えると皮膚や目の結膜が黄色くなる黄疸(おうだん)の症状が現れる。

 【注4】丸は巨人、ロッテ、広島の3球団からラブコールを受ける中、ミスターから「一緒に野球ができたら僕としてもうれしい」という内容の手紙を受け取った。丸は「遠い、遠い存在です。すごく感激しましたし、うれしかったです」と巨人移籍決断の一因になったと話した。

 【注5】西は2年生の速球派で今秋ドラフト上位候補。吉田は昨夏準優勝に輝き、時の人に。3年生エースの伊藤は下関国際に力投したが、延長10回、2―4で初戦敗退となった。

 【注6】宮崎キャンプを9日に訪問した巨人・山口オーナーが1軍全体練習開始前、ナインに訓示。ミスターから預かったメッセージを代読した。「今年は新たな巨人軍になると思う。おおいに頑張りましょう」との言葉に、ナインは奮起した。

 ◆長嶋さんの経過

 ▽18年7月初旬 体調を崩し入院。胆石が見つかり、入院したまま治療を継続。

 ▽8月8日 食事をとるなど快方に向かっており、球団を通じ「静養に努めながら、昼は高校野球、夜は巨人戦をテレビ観戦しています」などと報告。

 ▽10月10日 巨人・山口オーナーが、長嶋さんの体調は順調に回復していると明かす。病院でリハビリを行い、食事もとれている、とした。

 ▽11月10日 出身地・千葉県佐倉市での長嶋茂雄少年野球教室を欠席。「身体は元気を回復しましたが、(中略)現在は少し弱った筋力を鍛えるリハビリに取り組んでいます」などとメッセージを寄せた。

 ▽同28日 山口オーナーは、病院内でのリハビリが順調に進んでいると報告。入院が長引いている要因について「(胆石の)石の数、たまった場所だとかで簡単に取り除くことができなかったようです」と説明。

 ▽12月1日 山口オーナーが年内にも退院する見通しを報告。

 ▽19年1月18日 山口オーナーが、長嶋さんがすでに退院、自宅で歩行などのリハビリを行っていると説明。』

長嶋茂雄氏若い時から、野球で体を鍛えておられたので、強い意志も作用し自然治癒力が働いたのではないでしょうか。




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ニュース 社会 中学2年 一時意識不明 監督が投げたもの 頭を直撃 福岡市のサッカークラブチーム

2019年02月13日 15時24分00秒 | スポーツ

中学2年 一時意識不明 監督が投げたもの 頭を直撃 福岡市のサッカークラブチーム
2019/02/13 12:09テレビ西日本

『福岡市のサッカークラブチームに所属する中学生が今月3日、福岡県宗像市で、監督が投げたものが頭にあたり、骨を折る重傷を負っていたことが明らかになりました。

福岡県サッカー協会によりますと今月3日、宗像市で行われた練習試合の後、福岡市城南区で活動する中学生のクラブチームの40代の男性監督が、中学2年の男子選手に、たたんだレジャーシートを投げました。

シートの中には固いものが入っていたとみられ、頭にあたった中学生は出血し、その後、意識不明となったということです。

現在、意識は回復していますが、頭蓋骨骨折の重傷を負っています。

けがをした選手の保護者から連絡を受けた県サッカー協会が、監督に事情を聞いたところ「片付けを指示していた」と話していて、現在、指導を自粛しているということです。

協会は「再発防止を徹底したい」としていますが、警察がけがをした経緯などを、詳しく調べています。』

この監督の荒っぽい所が、災いを起こしましたが、サッカーの指導者として、怪我人が出ないように気配りを為べきです。
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大坂、抹茶アイスに満面の笑み「11月以来。ずっと我慢してた」/全豪テニス

2019年01月27日 08時29分41秒 | スポーツ


大坂全豪初優勝&世界ランク1位に





01月26日 21:33

 テニス・全豪オープン(26日、メルボルン)女子シングルス決勝で、第4シードの大坂なおみ(21)=日清食品=が、第8シードのペトラ・クビトバ(28)=チェコ=を7−6、5−7、6−4で撃破。初優勝を飾り、優勝賞金410万豪ドル(約3億2000万円)を獲得した。世界ランキング4位の大坂は昨年の全米オープンに続く四大大会2連勝で、大会後に日本勢初の世界1位となることが決まった。
 表彰式を終えた大坂が、激闘を生中継していたWOWOWのスタジオに登場すると、解説を務めた伊達公子さん(48)は拍手で祝福。大坂は現在の心境について「信じられない気持ちでした。あとはとても疲れていましたね」と笑顔で語った。
 次の目標について問われると「全仏で優勝したいですね」とキッパリ宣言。世界ナンバーワンの貫禄を見せたが、前回番組出演時に食べたいと言っていた抹茶アイスが登場すると満面の笑み。「(昨年)11月以来ですね。ずっと我慢していました」とうれしそうに口にし、スタジオを和ませた。』

断ち物祈願で、初優勝を見事飾りましたね。北海道出身のお母さんのお知恵でしょうか。


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毎食「米3合食え」と迫られる野球少年の壮絶 午前0時まで泣いて食べる小5の絶望

2018年11月03日 14時19分19秒 | スポーツ


生活術 毎食「米3合食え」と迫られる野球少年の壮絶 午前0時まで泣いて食べる小5の絶望



07:40



毎食「米3合食え」と迫られる野球少年の壮絶

(東洋経済オンライン)

夏の暑さも和らぎ、食欲の増す季節がやってきた。メタボぎみのお父さんは「もう食べちゃダメ」と奥様ににらまれたりするが、逆に「もっと食え」と強制される子どもがいるのをご存じだろうか。

「1食につき米3合食え」

子どもの脳に詳しい小児科医で文教大学教育学部特別支援教育専修の成田奈緒子教授は、講演のため足を運んだ東北地方のある町でこんな話を聞いた。

「息子が少年野球の監督から1食につき米3合食えと命じられ、苦しんでいます」

小学5年生。野球の少年団で投手として頑張っているが、放課後行う練習が終わるのは夜9時を過ぎる。そこから米3合、茶碗に山盛り6杯ぶんの白飯を食べなくてはならない。

食べるのに夜中の12時までかかる。体が細く体も小さいため「食べないと試合で投げさせないと監督に言われた」と泣きながら食べる。プロ選手を輩出した少年団らしく、「1食3合命令」は地域の少年団でも有名だ。

しかも、白飯がおなかに入らなくなるからか「野菜や肉などのおかずは食べなくていい。塩だけで飯を食え」とも言われているそうだ。

子どもの脳育てのために早寝早起きを推進する成田教授が、さらに驚いたのは、同じ話を今度は東海地方での講演の際にも聞いたからだ。そこでも前述のケースと同様「1食米3合」を監督から命じられ、子どもたちが苦しんでいた。

実は筆者も似た話を知っている。首都圏にある少年野球クラブで以前聞いたのは「どんぶり3杯」。量的には米3合とほぼ同じだ。消化できずに下痢になるため、栄養を吸収できず太れない。体重が増えないため「おまえ、食ってないだろう!」と叱られる。そこまで食べなきゃいけないなら野球をやめたいと子どもが言う――そんな話だった。

野球少年が「1食米3合」の理不尽に苦しんでいる。』

戦後の食料不足の時代とは、現在は違います。
野球少年には、「1食米3合」よりも 正しい栄養学に基づいた食事指導が、大切と思います。

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ニュース スポーツ 貴乃花親方、秋田巡業の稽古中に倒れて病院に搬送される 意識は回復し会話もかわす

2018年08月21日 13時02分26秒 | スポーツ

 

貴乃花親方、秋田巡業の稽古中に倒れて病院に搬送される 意識は回復し会話もかわす

11:18

 

 

貴乃花親方 【報知新聞社】

(スポーツ報知)

 大相撲の貴乃花親方(46)=元横綱=が21日、秋田市内での夏巡業中に倒れて、救急車で病院に搬送されたことが関係者の話で分かった。

 

 貴乃花親方は帯同していた秋田市内の夏巡業に参加。午前の朝稽古中に若い力士を指導している最中に倒れたという。当初は「けいれんして意識がない」と119番通報があったが、救急車が到着した際には意識が戻っていたという。搬送された秋田市内の病院では、関係者が「協会に聞いてください」と話すにとどめた。病院では駆けつけた関係者と会話をかわしたという。

 貴乃花親方は3月に弟子の幕下・貴公俊が春場所中に起こした暴行事件の責任をとって親方衆の階級で委員から一番下の年寄に降格処分を受けていた。今回の夏巡業は3月末に審判部に配属され、この夏巡業では審判員として帯同していた。』

いろいろな事が、有って精神的な疲れも重なり、熱中症になったのでありませんか。

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 > ル・マン/WECニュース記事一覧 > トヨタ、ついに悲願のル・マン24時間初優勝! 中嶋一貴が日本車+日本人での初制覇を達成

2018年06月19日 12時36分19秒 | スポーツ

父は元F1ドライバーの中嶋悟さんの長男中嶋 一貴(なかじま かずき、1985年1月11日 - )さん、弟はレーシングドライバーの中嶋大さんレーシング一家で、やはり世間で、よく言われている蛙の子供は蛙ですね。

トヨタ愛知県岡崎市出身の日本人のレーシングドライバーの中嶋一貴さんの駆るトヨタTS050ハイブリッドで、悲願のルマン24時間耐久レースに初優勝出来て本当に良かったですね。此からは、世界レースに強いトヨタの名前を轟かして下さい。豊田章夫社長が、レーシングカーに自らレースに参加されたた苦労が実ったのではないでしょうか。

 

 中嶋一貴 

国籍 日本

出身地 愛知県岡崎市

生年月日 1985年1月11日(33歳)

F1での経歴

活動時期 2007-2009

所属チーム '07-'09 ウィリアムズ

出走回数 36

タイトル 0

優勝回数 0

表彰台(3位以内)回数 0

通算獲得ポイント 9

ポールポジション 0

ファステストラップ 0

初戦 2007年ブラジルGP

最終戦 2009年アブダビGP

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父は元F1ドライバーの中嶋悟、弟はレーシングドライバーの中嶋大祐。

 

 

 

 

ル・マン/WECニュース

2018.06.17

トヨタ、ついに悲願のル・マン24時間初優勝! 中嶋一貴が日本車+日本人での初制覇を達成

Ryuji Hirano / autosport web

 

 

 第86回ル・マン24時間耐久レースは6月17日、フィニッシュを迎え、TOYOTA GAZOO Racingのセバスチャン・ブエミ/中嶋一貴/フェルナンド・アロンソ組8号車トヨタTS050ハイブリッドが388周を走りきりトップチェッカー。トヨタが日本メーカーとして1991年のマツダ以来となる優勝を飾った。日本車に日本人ドライバーが乗り込んでの優勝は史上初となる。

 

 1985年にトムスの手によりトヨタ童夢85Cがル・マンに初挑戦し、86年からはトヨタ・チーム・トムスとして参戦。その後1994年までの活動、1998〜99年のTS020での活動、そして2012年からはハイブリッド搭載車で続けられてきたトヨタのル・マン24時間挑戦。これまで1994年、99年、そして残り3分で優勝を逃す悲劇となった2016年と、2位は複数回獲得しているが、その“未勝利”の歴史についに終止符が打たれた。

 

 今季、ハイブリッドを搭載したメーカーワークスのマシンがトヨタのみとなったLMP1クラスで、戦力差はライバルに対し余裕がある状態ではあったが、24時間の戦いで何が起こるか分からないのがル・マン。特に2016年の経験、優位にレースを進めていながらことごとくトラブルに見舞われた2017年の経験があるチームは、スタートから他のLMP1車両を大きく引き離しながら、無用のトラブルを避けるべく走行を続けた。

 

 途中、スタートから6時間ほどで8号車を駆る一貴と、7号車を駆る小林可夢偉が接近したり、7号車が先行するシーンもあったものの、朝にふたたびトップを奪い返した8号車が先行。終盤の11時43分には、7号車をドライブしていたホセ-マリア・ロペスがダンロップコーナーでスピンを喫するなど、2台の差は広がっていった。

 

 8号車トヨタは、残り2時間22分というところで最後のドライバー交代を実施。アロンソから一貴に交代する。一方、7号車はロペスから可夢偉に交代し、チェッカーに向け周回を重ねていった。そして現地時間15時、2台はタンデムを組み、デイトナフィニッシュでチェッカー。メインストレートでアロンソとブエミを乗せた一貴は、恒例のウイニングランを終えると、週末ピリピリとしたムードを漂わせていたドライバークルーたちからようやく満面の笑顔が。

 

 優勝はブエミ/中嶋一貴/アロンソ組8号車で、12年からの挑戦以来プロジェクトを支え続けた一貴が、嬉しい初勝利をポール・トゥ・ウインで飾ることに。また、世界三大レース制覇を目指すアロンソは、これでF1モナコグランプリとル・マン24時間制覇を成し遂げた。

 

 2位はマイク・コンウェイ/小林可夢偉/ロペス組7号車トヨタで、残り1時間40分というところで、インラップにピットに入り切れず一時スローダウンし、ひやりとさせたほか、燃料使用量や使用可能周回で2回の10秒ペナルティを受けるなどがあったが、TOYOTA GAZOO Racingは初勝利をワン・ツーフィニッシュで飾ることに。11周差の3位には、レベリオン・レーシングのトーマス・ローラン/マティアス・ベッシェ/グスタポ・メネゼス組3号車レベリオンR13が入った。4位には1号車レベリオンR13が入り、その他のLMP1勢はすべてトラブルに見舞われた。

 

 激戦が展開されたLM-GTEプロクラスは、ミハエル・クリステンセン/ケビン・エストーレ/ローレンス・ファントール組92号車ポルシェ911 RSRが優勝。今季、70周年記念として1971年のポルシェ917/20に施された“ピンク・ピッグ”のカラーリングが、47年の刻を越えて優勝にたどり着いた。

 

 終盤まで同じタイミングでピットインし、激しいバトルが展開された2位争いは、往年のロスマンズカラーをまとったリヒャルド・リエツ/ジャンマリア・ブルーニ/フレデリック・マコウィッキ組91号車ポルシェが入り、ポルシェが70周年をワン・ツーで飾った。3位はポルシェ勢と激闘を展開したフォード・チップガナッシ・USAのジョーイ・ハンド/ディルク・ミューラー/セバスチャン・ブルデー組68号車フォードGTが入った。

 

 LMP2クラスは、序盤から首位を守りきったロマン・ルシノフ/アンドレア・ピッツィトーラ/ジャン-エリック・ベルニュ組G-ドライブ・レーシングの26号車オレカが優勝。2位は36号車アルピーヌA470、3位はグラフ-SO24の39号車オレカとなった。

 

 LM-GTEアマクラスは、デンプシー・プロトン・レーシングの77号車ポルシェ911 RSRが優勝し、ポルシェ70周年に華を添えることに。澤圭太が乗り込んだクリアウォーター・レーシングの61号車フェラーリはクラス6位でフィニッシュ。石川資章がフィニッシュを担当したMRレーシングの70号車フェラーリはクラス10位でフィニッシュした。

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土俵で救命措置の女性、感謝状を固辞「当然のことした』 

2018年04月06日 14時02分53秒 | スポーツ

 

土俵で救命措置の女性、感謝状を固辞「当然のことした」

多々見良三市長が倒れた直後、土俵に駆けつけた関係者や警察官=4日午後、舞鶴市上安久の舞鶴文化公園体育館(読者提供)

(朝日新聞)

 京都府舞鶴市で開かれた大相撲の巡業で、あいさつ中に土俵で倒れた同市の多々見(たたみ)良三市長(67)に心臓マッサージをしていた女性たち に、行司がマイク放送で「土俵から降りてください」と求めた対応が批判をあびている。主催した実行委員会の幹部によると、女性は看護師らだった。大相撲は 「女人禁制」の伝統があるが、相撲協会も不適切な対応だったと認めた。

 会場にいた巡業の勧進元(主催者)で、前綾部市長の四方八洲男(しかたやすお)さん(78)は「人命かしきたりかと問われれば、ちゅうちょなく人 命。あのときの行動はなかなかできるものではない。立派だ」とたたえた。さらに、「染みついたしきたりにより反射的にああいうアナウンスをしたのだろう が、女性の相撲ファンも増えている。しきたりを見直す、前向きなきっかけにしてはどうか」と提案した。

 実行委は5日午後、心臓マッサージの中心になった女性に感謝状を贈りたいと連絡したが、「当たり前のことをしただけ。そっとしておいてほしい」と固辞したという。

 土俵の近くにいた60代女性は「ぱっと行動に移せた女性は偉い」と評価。夫と訪れた70代女性も「アナウンスが流れてもすぐには降りず、救命措置を続けていた。アナウンスが流れ、なんでだろうと疑問だった」と振り返る。周囲の観客も「なんでや」と話していたという。

 観客の70代男性は「アナウンスが流れたとき意味がわからず、後になって女人禁制のことだとわかった。それぐらい救護は自然なことで、アナウンスは不自然だった」と話した。

 市によると、多々見市長は1カ月ほど入院し、堤茂副市長が職務を代行する。(大久保直樹)

 

京都府舞鶴市で開かれた大相撲の巡業で、あいさつ中に土俵で倒れた心臓マッサージに心臓マッサージした、女性の看護師が居なかったら、多々見良三市長は、助からず命を取り留めても植物人間になったと思います。

相撲の土俵上に女性は、上がってはいけない仕来りでも相撲関係者や行司で、心臓心臓マッサージすら出来る人がいないで、ただ見ているだけでは多々見良三市長は、死を待つだけでした。

医学的にこんなことが分からない元相撲取りの関係者は、体格は大人でもお頭の中は子供です。

八百長、リンチ騒動、今度の行司がマイク放送で「土俵から降りてください」のアナウンス事件で、相撲フアンも減るのではありません。 

巨人、大鵬、たまご焼きの時代から国技の相撲も下火と思います。

長堂院大覚総裁の言葉をお借りすれば、国技ではなく興行だと言われています。

人命尊重こそ本来の相撲道です。

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!ニュース 社会 一風変わった指導法で全国へ 兵庫の硬式野球チーム

2018年03月24日 14時38分08秒 | スポーツ

 

神戸

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日本少年野球春季全国大会に兵庫代表として出場する「兵庫神戸ボーイズ」の選手=明石市大久保町松陰
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日本少年野球春季全国大会に兵庫代表として出場する「兵庫神戸ボーイズ」の選手=明石市大久保町松陰
期末テストの結果を確認する監督=明石市大久保町松陰
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期末テストの結果を確認する監督=明石市大久保町松陰

 兵庫県明石市を拠点に活動する硬式野球のクラブチーム「兵庫神戸ボーイズ」が、26日から東京で始まる日本少年野球春季全国大会に県代表で出場す る。県予選は準決勝、決勝ともコールド勝ちで初優勝に輝いた。快進撃の背景には、一風変わった指導法があるという。(勝浦美香)

 神戸や明石を中心に31人の中学生が所属する。雨が降り続いた21日、グラウンド横のプレハブ小屋を訪ねると、選手たちが真剣な表情で机に向かっていた。

 長期目標、それを実現するための短期目標をワークシートに書き込んでいく。代表の山下展誉さん(54)が昨年末から導入した指導法だ。

 練習は週2回。早朝から夕方まで集中する。怒鳴らず、自立心を育てる。自主練も含め、練習の記録や自己分析を提出させる。大阪や京都の強豪と練習試合を重ね、チーム力を向上させた。

 指導はそれだけではない。「文武不岐」をモットーに、数年前から学校の成績はすべて山下さんや監督らが管理する。定期テストや通知表はもちろん、長期休暇の宿題は学校より早く提出させ、期限が守れないと練習に参加できない。

 成績が下がった生徒は、原因を担任に尋ねて自分で改善点を見つける。

 「“野球バカ”にはなるな」。山下さんの口癖だ。「宿題やテストは誰だって嫌だけど、好きな野球だけしていたらこの先苦労すると思うから」と語る。

 保護者の評価も高い。

 「思春期の子どもは、なかなか親の言うことを聞かないが、監督やコーチの指導なら効果てきめん」と父母会の女性(45)は喜ぶ。

  エースの鈴木陸斗さん(13)は「以前は宿題はギリギリにやっていたけど、前もって取り組むようになった」。キャプテンの岡野元飛さん(14)は「成績 チェックは毎回ドキドキです」と照れ笑い。春休みの宿題は順調で「大会に集中し、悔いのないプレーをしたい」と意気込む。

 山下さんは「以前はいわゆる体育会系の指導だったが、今の方法に変えてから雰囲気がよくなり、勢いづいている。全国大会もこのまま楽しく勝ち進みたい」と話す。(勝浦美香)

 

 

日本少年野球春季全国大会に兵庫代表として出場する「兵庫神戸ボーイズ」の選手への風変わった指導法ではなく、真っ当な代表の山下展誉さんの子供たちの将来を見据えた教育の実践と思いました。

学業は、子供たちに取って、大切な学ぶべき一生の基礎です。

きめ細かい子供たちへのサポートに頭が下がりますね。

 

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イチローがマリナーズ復帰会見「とてもハッピー」「全てをささげたい」

2018年03月08日 09時04分50秒 | スポーツ

 

05:39

  

古巣マリナーズ復帰会見で笑顔を見せるイチロー

(スポニチアネックス)

『 大リーグ・マリナーズに6季ぶりに復帰したイチロー外野手(44)が7日(日本時間8日)、入団会見を行った。スーツ姿で登場したイチローはジェリー・ディポトGMの紹介の後、「51」番のユニホームを手に写真撮影を行った。この後会見に入り「2012年7月にシアトルにさよならを告げて5年半過ぎたが、いずれまた(マリナーズの)ユニホームを着てプレーしたい気持ちは常にあった。またプレーする機会が与えられとてもハッピーです」と古巣への思いと、プレーできる喜びを口にした。

  さらに「(メジャー移籍した)2001年当時は自分のことしか考えられなかった。今は、チームの力になれるなら何でもやりたい。今まで培ってきたもの全てをこのチームにささげたい。そういう覚悟です」と、決意を語った。

 マ軍は正左翼手のギャメルの負傷が想定より重く、開幕戦出場が絶望的に。外野手の補強が必要となり、イチローの12年以来6年ぶりの古巣復帰が決定、この日契約合意した。 ディポトGMは「イチローが加わることで、我々の外野陣はより幅を広げ、身体能力の高い選手がそろうことになる。彼はベースボールの歴史上においても、本当に偉大な選手の一人だと思っている」とコメントを発表している。』

イチロー選手のえ笑顔には、誰もか叶いませんね。

イチロー'選手古巣マリナーズで、健康と怪我に注意して此からもファンの皆さんの期待にこ応えて大記録を作って下さい。

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闘志むき出しの姿に、ファンは酔った 星野仙一さん死去

2018年01月06日 10時08分17秒 | スポーツ

 

闘志むき出しの姿に、ファンは酔った 星野仙一さん死去

王貞治さんと対戦する星野仙一さん=1976年撮影

(朝日新聞)

■星野仙一さん死去

 アンチ巨人を標榜(ひょうぼう)し、これほど似合う男もいなかった。「巨人に行っていたら、今のオレはいない」という言葉を何度も聞いた。憎しみと憧れ。相反する感情が人生の原動力だった。

 ドラフトで指名されると思った巨人から声がかからず、忸怩(じくじ)たる思いで中日へ。やや大げさに言えば、ここでプロでの生き方が決まった。 14年間で146勝。飛び抜けた数字ではないが、V9時代を含む巨人から35勝を挙げた。背番号20が闘志をむき出す姿に、ファンは酔った。

 ON(王貞治、長嶋茂雄)にも遠慮しなかった。

 中日の監督1年目、巨人戦で死球をきっかけに起きた乱闘騒ぎで、拳を突き出して王監督を威嚇(いかく)した。1996年は、中日・山崎武司を本塁 打1本の差で追う松井秀喜を最終戦で4連続で歩かせ、タイトルを死守した。「うちは勝負した」と言う長嶋監督に、「打たれた投手は一生言われるんだ」と言 い放った。

 有能な演出家でもあった。2013年の日本シリーズ最終戦。九回、3点リードしながらピンチになった場面で、前日に160球を投げた田中将大(現ヤンキース)を起用した。このシーズン、24勝を挙げた田中に花を持たせたが、無謀に決めたわけではない。

 「あの試合を最後に大リーグに行くと、みんな分かっていた。だから、勝って送り出したかった。もし2点差だったら使わない。1イニングなら行け る」「監督は絵を描いて演出し、脚本を書き、演技もする。でも、主役がいないとデッサンは描けない」。最大となった球場のボルテージも、計算に入れてい た。

 選手やコーチの家族や球団スタッフに誕生日プレゼントを贈り、「おまえらも戦力なんや」と報道陣とはお茶を飲んで情報交換した。「闘将」と言われ るが、1人で戦っていたわけではない。集団の先頭に立ち、チームが戦うための準備なら何でもした。その才能は球界の中で卓越していた。

 04年、1リーグ制移行を目指す球界内部の動きを阻止するため、幅広い人脈を生かし、政治、経済の各界に働きかけた。定宿にしていた東京都内のホ テルで話したことがある。「小さい頃から野球に育てられたオレは、野球がなければ、ただの人。その頂点のプロ野球がむちゃくちゃになるのを、黙って見過ご すわけにはいかん」

 若い頃に首を痛め、高血圧に苦しんだ。楽天を指揮した最後のシーズンも、腰の難病で戦列を離れた。手すりにしがみついて球場の階段を上り下りする姿を覚えている。自宅の鏡に映った自分のやつれた顔に愕然(がくぜん)としたこともあった。

 色紙にはいつも「夢」と書いた。野球を愛し、愛され続けることを生涯思い続けた男の、あまりにも早いサヨナラだった。(山田佳毅)

 

「never never give up」は、星野仙一氏の野球人生から生まれた名言と思います。

東日本大震災で、希望を失った被災者の人達を楽天を優勝させ、 プロ野球を通じて勇気づけられた功績は後世にに残ります。

まだ天国に行かれるのは早過ぎたと思います。心からご冥福をお祈り申し上げます。

 

 

 

 

 

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