食べ歩きマップURL
http://tabelog.com/rvwr/000312672/rvwmap/0/0/
t_cognac's weblog
晴耕雨読@宇治ハローワーク前:煮干し中華そば
かつて「ラーメン56」だった赤のテント屋根が...
黄色に替わっているのは5月25日の開店の前から確認していた。
その後、何度か営業中のお店の前を通りかかることはあったが、いつも行列が長いので、ま、そのうちチャンスがあったら行こうと思っていた。実は3日前にも通りかかったのだが、その時は外待ち10人。折からの災害的炎天下に西日を浴びながら耐えるのはあまりに辛く、見送った。
そしてこの日、外待ち4人。時間的にも10分と待たずに入店することができた。画像を撮るのを忘れていたが、外待ち用に丸椅子を並べてくれていて、10人程度なら座って待つことができるようになっている。また、日差し対策として、玄関先の傘立てにレンタル日傘も多数用意してくれているのはありがたい配慮だ。
ところでこのお店「ラーメン56」が閉店した後、新たにオープンしたわけだが、それまでの間にいろんな歴史があることは、関西のラーメンフリークの間では有名なことと思う。しかし日頃から当ブログをご覧いただいている方々皆様が皆様すべてがキモイラヲタというわけでないことを自分は確信しているので、敢えてこの機会に歴史的側面を書き残しておくことにする。
このお店の現大将は、かつて京都市伏見区で「はなふく」というお店を営んでおられた方。そして旧「ラーメン56」は彼の父君がご自身のご自宅で開業されたお店だった。「ラーメン56」という店名は、かつてお勤めだったラーメン第一旭から独立し開業した時のご年齢が56歳だったことに因むと「京都ラーメンマップ」に記録されていたことを私は忘れていない。
また自分自身もかつて主宰していたHPにかつてのラーメン56の記事を残している。
そして、かつて伏見にあった「はなふく」については、
加藤屋とのコラボ
2008-07-28
と、2008年の間に7つの記事を残しているが、その後ピタッと途絶えてしまったのは、このお店が伏見から去り淡路島に移転していたから。流石に淡路島となると、伏見に有った頃のように足繁く訪れることはできず、またしばらくしてから次に神戸に移転し「ラーメンまぜそば 縁」として、さらにリニューアルして「ENISHI担々麺 まぜそば」の名でお店を営んでいたそうだが、結局自分は、この兵庫県時代に足を運ぶことが叶わないでいた。
そして、「ラーメン56」店主だった父君がお店を終われたところに、彼は実家に戻って来てこの度新たに「晴耕雨読」を立ち上げた、ということだ。つまり、私としてはおよそ10年が経って、再び彼が作ってくれるラーメンを味わう機会に恵まれたということになるわけですわ。
ーーーー
はいっ。歴史語りは以上。この先はこの日のことを書こう。
店内、食券制。店舗公式twitter(?)に依れば、ほぼ日替わりでその日その日のラーメンを作るスタイルが続く様子。
で、この日はソレが「煮干し中華そば」だった。コレは私が知る伏見時代の「はなふく」にはなかったメニュー。およそ10年の間に、大きく進化したんだろな。
カウンター席を見上げたところには、食材に対するこだわりがアレコレ。
父君の「ラーメン56」時代の厨房には第一旭伝来の三連釜があったが、「晴耕雨読」は二連の圧力鍋。これは伏見の「はなふく」の頃からのスタイル。そして、かつて客席スペースだった一部分に製麺室を新たに設えている。
そしてコレがこの日の「煮干し中華そば」。スープ・麺・豚バラ肉・玉ネギ。非常にシンプル。
煮干しのスープは、口がキュッとなるほどの出汁感。そしてワシワシの力強い平打ち太麺。ものすごくハッキリとした主張。ところで数日前にこの「煮干し中華そば」を食べてみた友人によれば「自分の時は細麺だった」らしい。しかし、日によってはこの平打ち太麺だったことも過去にある様子。このようにした試行錯誤は今後も続いていくと思われるし、我々食べに行く側としてはそういう部分を楽しみつつ享受したいものだ。ともあれ、少なくとも、これまでの宇治市内にこれほどのラーメンを味わわせてくれるお店はなかった。この日の「煮干し」の他にも、伏見の頃から10年を経て、いろんな引出しを持つようになっていると確信する。また来よう。
晴耕雨読 (ラーメン / 宇治駅(JR)、JR小倉駅)
昼総合点★★★★☆ 4.0
« Abats奥村@松... | ラーメンモリ... » |
コメント |
コメントはありません。 |
コメントを投稿する |
ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません |