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まる子の母校

2023-01-15 20:19:21 | 旅行記
間が空いてしまった、2022年10月のJR東日本パスの旅行記。前回の静岡市清水区の「ちびまる子ちゃん」にゆかりがある一帯の続き。

原作者としてのさくらももこ、お話の中のさくらももこ(ちびまる子)とも、通っていた/いるのは「清水市立入江小学校」。静岡市との合併により、現在は「静岡市立清水入江小学校」。
前回の神社の社務所とは違って、小学校がここであることは公式に明かされているが、やはり作中と実物は異なる。そして、現役の学校周辺をよそ者がうろつくのも迷惑になりかねないが、ちょっとだけ見させてもらった。

本来なら、さくら家から通学路(であろう道)をたどればいいのだろうが、面倒なので最短ルート。
静岡鉄道「桜橋」駅下車。さくら家最寄りの入江岡駅とは1駅離れているが、駅間距離は300メートル。
駅舎は、学校とは線路反対側で、県道197号のオーバーパスを渡らないといけなそうだったが、小さな踏切があった。渡って、住宅の中の狭い道を少し進むと、もう学校の敷地なのだが、そこは学校の裏側~横なので、そのまま進んで正面側まで回り込む。

踏切から300メートルほどで、旧東海道であるちょっと広い市道に出る。
この市道を西へ700メートルほど歩けば、さくら家付近なので、ここが通学路だったのだろう。途中には作中にも出てくる県道を渡る横断歩道橋がある。
旧東海道は片側1車線。歩道はあるが、車道との境に段差も縁石もなくて少々あいまい。バス通りではないが交通量は多め。沿道には民家もあれば、店舗もある。いかにも、古くから続く街の道路という感じ。

この付近の町名は「追分(学校は追分二丁目)」。
写真に少し写っているAEONマークのスーパーは、「マックスバリュエクスプレス清水追分店」。2014年9月まで「フードマーケットマム 追分店」だったのを、マックスバリュ東海が居抜きで継承したようだ(別記事で少々)。
写っていないが、この先方には、ちびまる子ちゃんにも登場した「追分羊かん」の本店がある(これもいずれまた)。
追分羊かんの横で小さい道が交わっており、それが清水湊へ至る「清水道」。東海道と清水道の分岐点であるから「追分」。清水道をたどると、さっきの踏切へつながる。

マックスバリュの向かい付近の路肩に看板。
「左折」の赤文字が薄れてしまっている
「清水市」を上貼りしたと思われる「静岡市」による「この先、左折通り抜けできません。」。
先方に信号機付き十字路交差点があって、そこを左折すると行き止まりと言っている。

交差点を過ぎて、振り返る。右が行き止まり
↑交差点の車両用信号機のうち、行き止まりから出る側だけ、従来タイプ・フード付きで、ほか3方向は低コスト・フラット型。行き止まり出口側だけ先に更新されたため。
行き止まりの道

左には電話ボックス
交差点から50メートルほどで行き止まりなのだが、その突き当りにあるのが、
清水入江小学校の正門
大通りに学校の入口を示す看板がないのは、静岡市では普通なのだろうか。秋田市では、あったりなかったりだけど。
学校の敷地が広い道路に直接面しておらず、住宅に囲まれるような奥まった立地なので、校舎の全景が見えないのだった。正門から見える階段室らしき部分に、時計があっても良さそうなのにないのも特徴的か。作中では、校舎の形状は似ているが、道路から校舎が全部見え、時計が付いている。
さらに、グラウンドを含む学校の敷地の形状が四角でなく、三角形に近いのも特徴。昔からある東海道と清水道に囲まれているわけで、当初からそうだったのだろう。
【16日コメントをいただき追記・敷地東側の道路にも「東門/裏門」が存在し、当時は在住地に応じて通る門が決められ、さくら家方面からは東門が指定されていたとのこと。】

以上のような立地は、秋田市立保戸野小学校に通ずるものがあるように感じてしまった。旧街道や行き止まりではないが、同じくらいの道路(菊谷小路)から、曲がって少し進んだ突き当りに学校がある。それに、入江小学校とマックスバリュとほぼ同じ位置関係の場所に、かつては「マルナカ」というスーパーがあった(2004年の風景)。開校は、入江小が明治6年、保戸野小が明治7年と、共に歴史ある学校であり、教育委員会が秋田市内・清水区内の小学校を一覧表にする時(秋田市では「学校番号」と称する)、それぞれ最初に挙げられる学校でもあるらしい。
このような地理的環境の学校は、それほど珍しくないかと思う。秋田市でも保戸野小のほか広面小や港北小など、いくつか思いつく。学校は別に広い道路に面する必要性は低いし、周囲が宅地化・道路整備される前に開校(または移転)したものもあるからだろう。

正門から見える校舎は、鉄筋コンクリート造4階建て。この右側にも、同じくらいの長さで3階建ての校舎がもう1棟ある。それぞれ、西校舎、東校舎と呼んでいると思われる。(後で写真あり)
学校のホームページ「学校の歴史」には、1959(昭和34)年に「校舎鉄筋化の工事が始まる」、1979(昭和54年)に「鉄筋校舎が完成する」とあり、2006(平成18)年には「西校舎耐震工事」が行われている。
Googleマップストリートビューによれば、東側の校舎も、2021年度に改修工事が行われて、現在の姿(色)に変わっている。それ以前は、外壁が薄ピンクというかオレンジ色というか肌色で、部分的に黒ずんで汚かったが、味わいがある校舎だった。
校舎の見た目で判断(秋田市の場合)しても、西校舎のほうがひさし状の構造物がある古い造り。
国土地理院サイトで航空写真を見ると、1969年では西校舎は存在していて、東側校舎の位置には違う建物(おそらく低層の木造校舎)がある。1978年には東校舎ができている。
したがって、ちびまる子ちゃんの舞台である1974年時点では、東側校舎はまだ存在しなかった。もしかしたら建築工事中だったかもしれない。正門の風景が今と違ったのは確実。

秋田市だと、最初の鉄筋コンクリート造校舎ができたのが1960年代に入ってから(土崎中1961年、保戸野小1963年など)。それらの校舎は、耐震改修されずに改築(解体・新築)されている。


話を戻して、交差点近く。電話ボックス横の家は、元はお店だったっぽい造り。児童向けの文房具店か何かだったのかも。【16日コメントをいただき追記・本当に文具店だったとのこと。】
電話ボックスは、現在は、黒い枠で、ガラスに色が付いたタイプ。
ストリートビューによれば、これに更新されたのはつい最近、2021年9月~2022年5月の間。その前は、銀色枠で天面が赤く、無着色ガラスの「A-BOX/A型ボックス」と呼ばれるもの。更新後、現在のはC型ボックス。

さくらももこのエッセイでは、まる子がここから家へ電話をかけて忘れ物を持ってきてもらった記述があるらしい。アニメでは、校内の公衆電話しか使っていないと思うし、登校後ならば数十メートルとはいえ学校敷地外に児童が出ることは許されないようにも思う。
【16日コメントをいただき追記・実際には、当時の校内に公衆電話はなく、登校後に門前の文具店に買い物にいくようなことは黙認されていたそうだ。】
まる子が使った電話ボックスだとしても、当時はそのA型だったかどうか。当時はA型は存在していたが、さらに前のガラス面積が少ない「丹頂形」だった可能性もあるので。

敷地西側・グラウンド沿いの道=清水道から
やっと校舎が2棟そろって見えた。右が東側の校舎で、正門側の反対面が見えている。
それにしても、2つとも大きいというか長い校舎で、かなりの収容力がありそう。2022年度の児童数は674名だから、片方では収まらないだろうが、現状では少し余っているかも。【16日コメントをいただき追記・1971年度では1553名だったとのこと。】
清水区内の小学校では、入江小は児童数が多いほうから3番目。
ちなみに秋田市立小学校では、多い順に桜小883名、日新小795名、港北小602名。

上の写真、2つの校舎の間には、
富士山! ヤシの木も温暖な静岡ならでは
街のあちこちから富士山が見える清水ではあるが、学校から見えるのもうらやましい。
だけど、学校から見て富士山は北東方向、校舎は南向きのグラウンド側が教室だろうから、授業中に富士山は見えなそう。

ちびまる子が通ったのは、こんな学校だった。
ちびまる子ちゃんの世界を保存しているわけではないので、変化があって当然。学校統廃合が進むご時世、同じ場所に同じ名で残っているだけでも、貴重だ。



前回、ちびまる子ちゃんの舞台ではあるが、現実に人が暮らす街であるから、明確に公表されていないと思われる生家の町名や神社の名を記すのは避けたていたのだが…
清水入江小学校の東側の道路沿いに、敷地内から外向きに、周辺の案内地図が立っていた。校舎の工事後、2021~2022年に新たに設置されたようだ。
ストリートビューより
作成者・設置者の記載なく、なぜか英語表記。
どこかに日本語版があるのではと思ったが見当たらなかったし、学校敷地内なのでじっくり見たり撮影したりはやめておいた。

ツイッターに板面の写真を投稿されたかたがいらしたので、改めて拝見すると、「Irie Area Walking Map」。地図中には、アニメ版ちびまる子ちゃんのシルエットが描かれたり、アイコンになったりしている。アイコンは「Places Maru-Chan Related(まるちゃんに関連した場所)」で、聖地巡礼にも使える。
驚いたのは、その1つが「Momoko Sakura Resided(さくらももこが住んでいた)」として、さくら家の位置を示していること。地図の縮尺から詳細な場所は特定できないものの、この町のこの通りのこちら側のこの辺だったということは分かる。
さくら家(跡)の場所は、公式には明らかにされないことになっているのだと思って、前回の記事でも配慮したのに。構わないのか。

さらに、クリスマス会が行われた社務所のモデルではないかと推測した神社にも、特に説明はないがまる子印が付いている。こうなったら書くが「若宮八幡神社」である。
一方で、作中に出てくる「こくぞうさん」こと淡島神社や白髭神社は、地図に示されているが、まる子マークはなく、「Related」の基準が不明。
日本語版はあるのか、観光案内所での配布やネットでの閲覧はできないのか。せっかく作ったマップがもったいない。


旅行記はまだ続く

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3 コメント

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あそこっぽい (FMEN)
2023-01-15 23:06:33
前から見て保戸野、天王、港北、将軍野など様々な雰囲気を感じますが、
・保戸野→前からイメージ、八幡さん、行き止まり学校
・天王→追分、旧男鹿街道風な見てくれ
・港北→市民生協回転地近辺〜港北小学校あたりに似ている
・将軍野→中学校がそっくり
なかでも自分は築山っぽさを感じました。
・行き止まりの入り組んだ学校
・最初の道はドジャースや生グソのある下新橋通り感
・学校近くにお店
・袋小路
などなど。
ようするに南通、楢山あたりと。
返信する
入江小学校の正門と東門 (タロー犬)
2023-01-15 23:17:06
私の母校、入江小学校を訪ねていただき、ありがとうございます。今でも清水に行く、もしくは通過する機会はそこそこあるのですが、母校の付近はしばらく行っていなかったので懐かしく読ませていただきました。
入江小学校の正門まで、桜橋駅から二本塚(ふたもとづか)踏切を渡り、学校の敷地東側(裏側)に面した道を旧東海道まで進んでそこから正門に回り込む…というルートを辿られたとのことですが、実を言いますと、我が家の至近距離に住んでいたさくらももこさんは、登下校時に正門は利用していなかったはずです。学校東側(裏側)の道に面して「東門」または「裏門」と呼ばれるもう一つの門があって、入江1~3丁目、入江南町、新富町、淡島町など、入江地区の東側エリアから通う児童たちは、そちらの門を使うように指定されていました。なので、私は5年間入江小学校に通いましたが、正門を出入りした記憶がほとんどありません。1973年発行の入江小学校百年記念誌「入江の里」によると、1971年度の入江小の学校規模は39クラス(うち特殊学級2クラス)で児童数1,553名だった(記事に「2022年度の児童数は674名」とありますが、私がこの学校に通っていた頃から学区の変更はないので、随分と減ったものです!)そうなので、登下校時の安全も考慮して、居住エリアによって使用する門を分けていたのだと思います。今、Googleのストリートビューで見たところ、体育館から近い、昔と同じ位置に今も東門(裏門)は存在していますが、頑丈そうなアコーディオンタイプの門扉でしっかりと閉ざされていますね。もしかすると、約半世紀前に比べて1,000名近くも児童が減ったので、現状東門は使われていないのかもしれません。ちなみに、前述の「入江の里」によると、入江小学校のもともとの正門は現在の東門だそうで、今の正門は戦後になってからつくられたのだそうです(実は、今日「入江の里」を久しぶりに開いて初めて知りました。)。
記事に「交差点近く。電話ボックス横の家は、元はお店だったっぽい造り…」とありますが、お察しの通り、ここは元文房具店でした。20世紀の終わり頃までは営業していたと記憶しています。また、もう一軒、東門のそばにも「文進堂」という文房具店があって、私は登校時や、忘れものをしたときにはこちらの文房具店で買い物をしたものです。記事に「アニメでは、校内の公衆電話しか使っていないと思うし、登校後ならば数十メートルとはいえ学校敷地外に児童が出ることは許されないようにも思う。」とありますが、学校内に公衆電話はありませんでしたし、また、『学校敷地外に児童が出ることは許されない…』は、厳密にはそうなのでしょうが、実際には先生は大目にみていたように思います。忘れ物をしたとき、校内から家に電話をかけるとしたら職員室で借りて架けるしかなく、そもそも我が家も含めて「家に電話がない、ご近所の呼び出し電話しかない」という家庭も未だ少なくありませんでしたから、忘れ物をしてしまった場合、「ちょっと文進堂まで行って買ってくる」というのが、一番手っ取り早い対応だったのです。さくらももこさんのように、電話ボックスから電話…というケースがあったかはよく覚えていないのですが、その場合でも、特に先生から咎められることはなかったのでしょうね。そういえば、「文進堂」という名前のお店、「ちびまる子ちゃん」の単行本、またはアニメのどちらかに登場したように思うのですが、私の記憶違いでしょうか?(文進堂は随分前に閉店し、しばらく建物は残っていましたが、今は駐車場?になっています)
ほかにも、記事の中で触れていただいた「鉄筋校舎」のことをはじめ、入江小学校とその周辺については色々とお話したいことがあるのですが、キリがなくなるのでこの辺りでやめておきます。それでは、清水訪問レポートの続編、楽しみにお待ちしております。
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コメントありがとうございました (taic02)
2023-01-16 19:08:51
>FMENさん
港町感はほぼなく、バリバリの新興住宅地ではなく、適度に歴史のある住宅地といった雰囲気でしょうか。追分羊かん以外には、旧東海道ならではのものはなさそうでした。
それにしても、学校存続に関わるほどの児童減はないようで、世代交代がうまく進んでいるのか、さすが太平洋ベルト地帯の大都市だと、その点では秋田市との違いを見せつけられます。


>タロー犬さん
もう少し広範囲を見て、写真も撮っておけばと、今さらながら思っていますが、今回も楽しく歩きました。
50年前から児童数は半減以下なのですね。全国どこでもその傾向ですが、現状でも入江小はまだ大きな小学校に思えてしまいます。学区は古い街なのにもかかわらず、世代交代や新規転入者の増加はうまく進んでいるということかもしれません。

敷地の広さからしても、門が複数あるのは妥当です。昔の航空写真で、木造校舎らしきものが東側にありましたから、かつては東を正面としていたのでしょう。
どちらの門でも、通学距離としては大差ないでしょうか。現在の東門の運用は、防犯上の安全管理に加え、東校舎の工事の影響もありそうです。

交差点角は、やはり昔はたいていの学校前にあった“門前文房具店”でしたか。「文進堂」はアニメに出ていたそうで、それぞれの門ですみ分けがされていたのですね。
校内に公衆電話はなかったのですか。まだ呼び出し電話の家庭が多かったとなれば、公衆電話の需要も少なかったかもしれません。

同じ学校の同じ世代のかたからお話をうかがえて、貴重な情報です。記念誌まで調べていただきました。ありがとうございました。
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