麒麟琳記〜敏腕Pの日々のつぶやき改題

還暦手前の身の回りのこまごま。
スポーツや映画演劇など。

ミステリー?

2005年12月06日 | 身辺雑記
今朝、東高円寺駅の階段を降りて行くと、途中にストッキングが落ちていた。いかにも履いてたのを脱ぎましたって風情で。

ドトールと美容院のある半地下の踊り場で180度回り込んで、さらに下る階段の、今度は手すりにストッキングの片方が結びつけてある。
          何なんだ?

劇団に向かってるからサイズとか、あるいは結び方が、特定のある資格を持つものか(ミステリーでは登山とか航海士とかが相場だ)とか、詳しく見ることは出来なかったが、普通に考えたら昨夜ある女性が酔っぱらって自分で脱いだってところだ。
まず地上で片方脱いで、フラフラ降りながら半ばで捨て、踊り場で尻からベタリと座ると、もうかたっぽも脱いで後方に投げ、
そう。
演劇的リアリズムでいえば左をハラリと落としたら右は後ろに放りたいところだ。その方が動きとしての広がりが出るし、心理的にも「これでおしまい」という、運動会の玉入れで最後の1個を高く放りあげるのと同じアピールになる。

  でも、最後の片足は手すりに結ばれていたのだ…。

選択肢としてはまず二つ。本人か他人か?
本人の場合、酔ってやったのか、素面だがスゴく怒るなど心的バランスを欠いたていたのか。他人の場合、知人か他人か……。こうしてトーナメント表を逆にたどるように様々な推理が成り立つ。

何を朝っぱらから考えているんだか・・・
作家でもあるまいに……。
だがしかし。役者は勿論、制作者にもこーゆートレーニングは大いに必要だ。

劇作家が書き、演出家のもと役者が演じ、美術照明音響衣裳などなど多くのスタッフに支えられながら「一本の作品」を立ち上げて行く過程で、制作者は“観客”を意識しながらも、経済的な根拠を決して忘れず「演劇」に仕上げるまでのクリエイティビティを発揮するために、ベージュのパンストが何故銀の手摺に結ばれていたかを解くぐらいしないと・・・いや、パンストにこだわるのではなく、リアルでかつ突拍子もない発想が、大事だって話です。
                         
コメント (1)
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