麒麟琳記〜敏腕Pの日々のつぶやき改題

還暦手前の身の回りのこまごま。
スポーツや映画演劇など。

それじゃあ、またね。

2009年07月31日 | 身辺雑記
 ようこそ
 『敏腕Pの日々の徒然』へ。

 お陰さまで今回が999回目となります。

 さて。
 所属する劇団東演公式ホームページ内で“敏腕プロデューサー目指しての格闘”を日々綴ってまいりました。
(ご承知の方は知っていて、知らなかった方は今知った訳ですが)

 で、その東演。
 今年創立五十周年を迎え、拠点となるアトリエ「パラータ」の改装に着手中です(^-^)v
 
 

 あわせてHPも最近停滞しているので、リニューアルしようと座内のIT委員会ならびに有志で話しあっております!

 ついては、このブログも節目の回数となったので、便乗しよう!と。

 なので今回で一区切り。

 またお会いできることを楽しみに、しばしのお別れです。
 

 なにぶん周年事業もラストスパート!
 例えば「創立五十年誌」の編集や、九州全県を巡る『どん底』ツアーなどなどごさいまして……。
 少々お時間をいただかなければならないかもしれません。

 しばらくはこのまま置いておきます。
 過去の作品など楽しんでいただければ幸いです。
 なんつっても999回あるので

 おっと
 役者のブログは、たぶんこれから『どん底』の稽古も本格化して、きっと活性化する・・・はずだ!
 是非、お立ち寄りくださいませ

 ¥ 
 愛読いただいた皆様には、本当に長い間ありがとうございました。
 2万5千人ちかくの延べ訪問者、8万を超えるページビューという皆様の温かい支えがあって頑張ってこれたと思っています。

 まあ、さようならじゃないので、気楽に。
 では、まったね~
コメント (6)
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名将がいて、愚者がいて

2009年07月31日 | 鑑賞
 久々に長~いです
標題は、直木賞作家・中村彰彦氏の歴史エッセイ集のタイトル(講談社文庫)。

 そのタイトルに惹かれて購入した。

 まだ半分くらいしか読んでない(^-^ゞが……
 その中で。

 例えば、信州高遠二万五千石から最後には会津二十三万石までを治め、封じられた土地土地で名君と敬われた保科正之のような「名将」より、だめだめちゃんの方が気になっている。

 小笠原長行もその一人。
 安井息軒や高島秋帆など、時の名士たちと交流を持っていた彼は、その素養の高さから、あれよあれよと老中格の外国御用取扱にまで上るのだが、知識を持っていることと、それを政(まつりご)として執り行うのは言うまでもなく似て非なるもの……。

 生麦事件で、賠償金十万ポンドをあっさり支払ってしまう。
 けれどそれは江戸時代に限らない。
 現世にも学者あがりの「ニワカ政治家」がいないこともなくもないわけではない。
 人には向き不向きがある。

 江戸時代に、『朝まで生テレビ』があれば、きっと長行は、実力ある論客として、たまに軽口で物議をかもすのもご愛敬の、お茶の間の人気者になれたかも、しれない。

 つまり愚者がなぜ愚者たらしめたか。
 史実中心で、余り深くは触れられていない人物の内側を想像したり、時空を超えて存在させたらどうかしらん、と遊ぶのが楽しい。
 数行前に「あっさり」賠償金を支払ったと本のままに書いたが、苦悩の末の選択だったかもしれないし・・・。
 
 さて。劇団創立五十周年記念公演第3弾『どん底』に出てくるのも、ろくでなしばかりなのだが、だからこそ、人間らしいナマナマしさを放出して我々に迫ってくるのだ!

 
 9/17(木)~ 北九州を皮切りに九州全県巡演
 11/9(月)~ 本多劇場

 あるいは、挫折を克服した男も印象深い。
 天草島原の乱で失態を犯し、謹慎一年ののち。。。
 『貞清には洪水に見舞われた国々の巡見など、だれでも出来そうな仕事しか与えられなくなった。(2行略)
 その貞清が江戸町奉行に抜擢されたのは……』
 。。。と書かれている石谷貞清。

 彼は江戸町奉行として牢人対策に尽力するのだが、閑職から突然抜擢されたかに見える《2行》に何があったのか?
 彼の努力、妻の支え、周辺の人々との関係などなど、行間に、そんな思いを馳せる。

 そうして最後には、面白い芝居にならないかしらん、と一休さんよろしく頭を指でグルグルしてみるのだ。

 その姿こそ、端からみれば《愚者》以外の何者でもないのだろうが。

コメント
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