長野を皮切りに神奈川、関越と巡る
『血のように真っ赤な夕陽』が夏にある。
その一環として、長野県駒ヶ根へ。
実行委員14人のうち11人が、
会場となる文化会館会議室に結集。
初回につき、自己紹介に始まり、
具体的な話へと移っていった。
(以上、きのうのまとめ)
COVID-19の収束が見えない中の、
実行委員会形式の上演がいかに厳しいか、
実際きのうの席でも出てきた課題だ。
そもそも伊那地方で本作品に取り組むのは、
開拓団に加わり満州に渡った人員が
日本で一番多かった地域だからである。
自己紹介の中にも「父が満州に」であったり、
「義勇軍だったが内地訓練中に終戦」など
関わりの声が挙がり、あるいは
731部隊が伊那地方で活動したことを
研究している高校があるという話も出た。
個人的な話になるが川崎生まれ川崎育ちの筆者は、
二歳から長らく柿生に住み、
高校は生田の急な坂の上にあったから
(柿生、生田とも川崎市の地名)
社会科見学で731部隊の旧跡に学んでいる。
それが生田にあるのだが、
一般的には「登戸研究所」として知られている。
その研究所が南信濃に疎開した時期が……。
と。柿生(かきお)、登戸(のぼりと)は
どちらも駅名だから当たり前に読めると
勝手に思い込んでいたけれど、
小田急線を全国民が利用するわけではない。
高速バスで新宿から駒ヶ根に行く途中、
「古田切」という交差点があったのだが、
「ふったぎり」とローマ字がふってあった。
……難読に含まれるはず。
とんぼ返りで、ソースかつ丼もローメンも
味わうことなく19時、バスセンターに。
そのベンチ脇のポストの文字で我慢。
22時半すぎに新宿着(冒頭車種)。
それはさておき、前述の地名を含めて、
駒ヶ根および伊那地方の知見を深め、
勿論、公演も成功裡にと誓う土曜日であった。