麒麟琳記〜敏腕Pの日々のつぶやき改題

還暦手前の身の回りのこまごま。
スポーツや映画演劇など。

駒ヶ根へ・・・復路

2021年04月11日 | 俳優座

長野を皮切りに神奈川、関越と巡る

『血のように真っ赤な夕陽』が夏にある。

その一環として、長野県駒ヶ根へ。

 

実行委員14人のうち11人が、

会場となる文化会館会議室に結集。

初回につき、自己紹介に始まり、

具体的な話へと移っていった。

(以上、きのうのまとめ)

 

 

COVID-19の収束が見えない中の、

実行委員会形式の上演がいかに厳しいか、

実際きのうの席でも出てきた課題だ。

 

そもそも伊那地方で本作品に取り組むのは、

開拓団に加わり満州に渡った人員が

日本で一番多かった地域だからである。

 

自己紹介の中にも「父が満州に」であったり、

「義勇軍だったが内地訓練中に終戦」など

関わりの声が挙がり、あるいは

731部隊が伊那地方で活動したことを

研究している高校があるという話も出た。

 

個人的な話になるが川崎生まれ川崎育ちの筆者は、

二歳から長らく柿生に住み、

高校は生田の急な坂の上にあったから

(柿生、生田とも川崎市の地名)

社会科見学で731部隊の旧跡に学んでいる。

それが生田にあるのだが、

一般的には「登戸研究所」として知られている。

その研究所が南信濃に疎開した時期が……。

 

と。柿生(かきお)、登戸(のぼりと)は

どちらも駅名だから当たり前に読めると

勝手に思い込んでいたけれど、

小田急線を全国民が利用するわけではない。

 

高速バスで新宿から駒ヶ根に行く途中、

「古田切」という交差点があったのだが、

「ふったぎり」とローマ字がふってあった。

……難読に含まれるはず。

 

 

とんぼ返りで、ソースかつ丼もローメンも

味わうことなく19時、バスセンターに。

そのベンチ脇のポストの文字で我慢。

22時半すぎに新宿着(冒頭車種)。

 

それはさておき、前述の地名を含めて、

駒ヶ根および伊那地方の知見を深め、

勿論、公演も成功裡にと誓う土曜日であった。

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする